9話 我が子を守らねばと誓う
芳烈は目覚めた我が子を愛しげに見つめていた。3日前までは確かに黒髪黒目だった我が子は、今は灰色の髪の毛とアイスブルーの綺麗な瞳に変わっている。
聖属性に覚醒した証拠である髪の色を持つ我が子は妻が剥いてくれたりんごを美味しそうに食べている。その笑顔は無邪気で心に温かさを感じさせてくれる。
「みーちゃん、りんごは美味しいかい?」
「うん! とっても美味しいよ。私りんご大好き」
小さな口で夢中になって食べていたが、美羽は私の言葉に食べるのをやめると、ひまわりのような元気な笑顔をニパッと浮かべる。その愛らしさに頬を緩めて頭を撫でてやると、嬉しそうにするので、ますます撫でる。こんな可愛い子供はきっと美羽だけだと、多少親ばか気味に思うが、間違いではないと思う。
必ず守ってやらなければならない。妻と子供は私が守ると再度心に誓う。ちょうどその時であった。ピンポンとインターホンが鳴った。
この病室はVIP用で、入室するためにインターホンを訪問者は鳴らす。だが、美羽が倒れてから僅かに3日。眠っていた美羽が起きたのが昨日だ。見舞いに来るとしたら帝城さんだが、少し時間としては遅い。
窓の外を見ると、空はオレンジ色に染まり始めて、面会時間の終わりに近い。こんな時間に来ることなどないし、そもそも少し前に帝城さんたちは来たばかりだ。
まさかと思いつつも、インターホンに近づく。妻は不安そうに私を見てきて、娘は不思議そうな顔でりんごをサクサクと囓っていた。私はゴクリと唾を飲み込むとインターホンの通話ボタンをタッチした。
モニターに相手の顔が映った。初老の男性と私よりも少し年上の男性だ。初老の男性は嬉しそうにしており、もう一人の男性は舌打ちしそうなほど、不満げな顔で苛立っているのが見えた。昔からまったく変わっていない。
「おぉ、芳烈か?」
初老の男性が自分が聞いたこともないような猫なで声を出す。何を考えているのか、わかりやすすぎるほど、わかりやすい人だ。
「はい、なんでしょうか?」
「なんでしょうかもなにもない。可愛い孫が大怪我をしたと聞いてな。急いで見舞いに来たのだよ。会わせてくれるな、芳烈よ」
そう言ってくる初老の男と、不機嫌そうなもう一人の男性の髪の色はくすんだ緑色だったが、顔立ちは自分とそっくりと言わざるを得ない。
「………わかりました、父さん」
ここで揉めるのもまずいだろう。なにせ病院なのだから。たとえ孫が産まれてから一度も訪れることがなかった男性でもだ。
即ち、初老の男は芳烈の父親で、もう一人の男性は兄であった。
扉を開けると、父と兄はすぐに入ってきた。兄の後ろに執事が続き、その手には見舞い品の果物の籠がある。
ここで押し留めることはできたと思うが、言い争う姿を美羽に見せたくないとの気持ちが勝り、横を通らせる。父はニコニコと、兄は通り過ぎる時に忌々しそうに鼻を鳴らす。自分も子供の頃はお世話になった執事のヨウさんだけが、私を見て気まずそうに頭を軽く下げてきたのだけが救いであった。
魔力を持たないために放逐した次男に、どんな顔で会いに来れるというのか。面の皮が分厚いとしか言いようがない。放逐する際は罵詈雑言をかけてきたのだから。
妻もそのことはよく知っている。そのために、黙ったまま、頭を下げて挨拶をするが、そもそも父は妻も私も眼中になかった。
興味のあるのはただ一人。孫の美羽なのだから。
「おおっ! 本当に美しい灰色だ。半信半疑だったが、本当だったか!」
父は相好を崩して、心底嬉しそうに微笑む。チッと兄が舌打ちする。
「おじーちゃん、だぁれ?」
リンゴを片手に、美羽が小首を傾げて不思議そうな顔となる。無理もない。一度も見たことのない相手だ。
「私は美羽のおじ〜ちゃんだぞぅ。なんだ、私のことを教えとらんかったか」
美羽へと笑顔で父は答えると、ヨウさんに目で合図する。ヨウさんが果物籠を美羽の前に置く。メロンやら葡萄と、金のかかった果物の盛り合わせだ。ここでケチることなどしないらしい。
「ほら、美羽のためにおじ〜ちゃん、たっくさん美味しい果物を持ってきてあげたぞ」
わざとらしく大袈裟に言うが、子供には効果は抜群だ。果物を前にキラキラと美羽は瞳を輝かす。
「果物だぁ。ありがとうございます!」
ペコリと礼儀正しく頭を下げる美羽に、うんうんと好々爺の演技をして父は美羽の頭を撫でる。
「とても良い子だな、美羽や。美麗さんや、よくこんな良い子を産んでくれた。ありがとう」
私たちの結婚式にも出席どころか、祝辞もなく、美羽が産まれても気にもしなかった父の豹変ぶりに、妻もさすがに顔を強張らせる。無理もない。平手打ちをして追い出しても良い相手だ。
「チッ! おい、お前。本当に回復魔法が使えんのかよ? 使ってみろよ、おら」
チンピラのような口調で兄が美羽に食いかかる。機嫌が悪い時の口調だ。かなり苛ついているのだろう。
「やめなさい、嵐。すまないね、美羽や。嵐は私の腰を気遣ってね。回復魔法で治してほしいんだよ」
暴言を吐く兄を父が嗜める。だが、そのついでといった感じで、さり気なく腰をさすり痛そうに顔を歪める。そんな演技をすれば、優しい美羽がどうするかなんて決まっている。
「おじーちゃん、腰痛いの?」
「あぁ、そうなんだよ」
「私が治せるかなぁ」
「ちょっと使ってくれないかな。おじーちゃんは美羽が回復魔法を使ってくれるだけで良いんだよ」
止めても、きっとなんとかして魔法を使わせようとするに違いない。しかも危険なことをするかもしれないと考えると止めるよりも使わせた方が良い。どうせ隠すことも無理だと理解している。
美羽は紅葉のように小さな手のひらを父に向けると目を瞑り、うんうんと唸る。
『小治癒Ⅰ』
父の身体が一瞬だけ仄かに光る。淡い光で見逃すかもしれないほどに一瞬だったが、父はすぐさま腕まくりをした。なぜ腕を捲くるのか疑問に思ったが、すぐに驚愕してしまった。
なぜならば、腕には真新しい包帯が巻かれており、血が滲んでいたからだ。
自身の腕で、回復魔法を確認するつもりだったのだ。何という執念だと私はそこに狂気の欠片を見て取った。自分自身の身体でないと本当かどうか確信がとれなかったに違いない。
父は慌てるように包帯を取り払い、血で薄汚れた腕を擦ると、喜色の表情となった。
「見ろ! 少し切りすぎたと思っていたが、もはや傷すらない! 完全に回復しておる。紛れもない回復魔法だ!」
「おじーちゃんは腕もいたいいたいだったの?」
腰と聞いているのに、なぜか腕を見ている父に美羽は戸惑った声をあげる。可哀想に。まさか自身で傷つけた腕を治させられるとは思わないだろう。
「あぁ、おじーちゃんは腕も痛かったんだが、美羽のお陰で治ったよ。ありがとうな」
父は興奮しており、その目は爛々と獲物を見つけたかのような醜悪な光を宿している。目以外は好々爺といった表情でにこやかだからこそ、たちが悪い。
「良かった! いたいのいたいの飛んでけーだよ」
「そうだな。美羽はなんて良い子なんだ。私が見た中でもこんなに良い子は見たことがないぞ」
私には、いや、兄にすら見せたことのない笑顔で美羽の頭を撫で続ける父。その背中からは高笑いが聞こえそうだと思うのは、私の気のせいだろうか。
兄はその光景を見て、ますます不機嫌そうな顔になる。その不機嫌そうな顔に見覚えがある私は美羽のことが心配になってしまう。
だいたいあんな顔をしている時は周りに八つ当たりをして、使用人を殴ったり、花瓶などを割っていたものだからだ。酷い時は気に食わない人間を罠に嵌めて酷い目にあわせたりもしていた。
なんにせよ、美羽はきゃあきゃあと喜びの声をあげている。無邪気な良い子だ。悪意には晒したくない。
「父さん。もうそろそろ見舞いの時間は終わるんだ。悪いけど帰ってくれないか?」
声音に冷たさを混じえて告げると、父の美羽を撫でていた手がピタリと止まり、私へと振り向いてくる。
「そうか。それならば帰る準備をしないといけないな。美羽はいつ退院できるんだ?」
美羽に見せていた好々爺然とした笑顔は鳴りを潜めて、私に見せてくるのは鷹野伯爵家にいた時と同じ冷ややかな顔だった。
「美羽は近々退院します。なので、もう見舞いに来なくても結構です」
強く手を握りしめて、毅然とした態度で断りを入れる。鷹野伯爵家にいた時はできなかった強い意志での断りだ。昔とは違う。私には妻と子供がいる。もはや過去の弱々しかった自分はいない。
私が変わったことに気づいたのだろう。昔とは違う私を見て、僅かに驚く父と兄。兄も私がここまではっきりと言うとは思っていなかったに違いない。
だが、驚きの表情はあっさりと消えて、父は話を続けてくる。
「そうかそうか。ならば、退院の日を教えてくれ。車を寄越そう」
「いえ、私の車を使うので大丈夫です」
もう近づかないでくれと言外に伝えながら、それで引っ込む父ではないことは嫌なほどに知っていた。予想通りに父は肩をすくめて、かぶりを振ると呆れたような返事をしてきた。いや、予想よりも酷い返答であった。
「おいおい、自分で運転するなど言わないでくれ、芳烈。それに言ってはなんだが芳烈の乗る車は格が落ちるのではないか? 私に任せておけ。家で一番良い車で迎えに寄越す。あぁ、美羽の専属メイドも決めないとな。どの部屋を使うか、美羽が退院する前に下見に来なさい。日当たりの良い最高の部屋が良いだろう」
「何を言っているのですか? 美羽の部屋?」
最初、父の言っていることが理解できなかった。あまりにも身勝手で、図々しい言葉だったので、頭が理解を拒んでしまったのだ。
美羽に頻繁に会いに来るために、車を用意すると思っていたが甘かった。その程度で満足するような父ではないことは知っていたのに。
「鷹野伯爵家に戻ってきて良い。家族仲良く暮らすのがやはり一番だと思い直したのだよ。こんなに可愛らしい孫の顔を見たら、やはり家族は仲良くしないとと思い直したのだ」
「結構です。私は私たちの家がありますので」
「おいおい、そう意地をはるな。お互いに悪いところはあった。私も謝ろう。お前も素直になれ。孫のためにもな」
「………ここではなんですので、外で話しましょうか」
一方的に放逐したにもかかわらず、お互いに悪いところとはよく言うものだ。しかも美羽をダシにして仲直りをしようなどと……。胸に怒りを抱かせる発言だが、私はなんとか飲み込んで耐えると、話し合いをすることにした。
絶対に美羽は渡さない。心に強く誓って。




