86話 ゼピュロス
ゼピュロスは、金剛パーティーを嬲るように戦闘をしていた。本名は鷹野嵐。先日までは、鷹野伯爵家の次期当主であった男だ。
ゼピュロスの名前は、『アネモイ』の由来に繋がるために、適当に名付けた。神話の風を司る神由来の名前だ。
「ゼピュロス。俺の名前はゼピュロス。フハハ、良いねぇ、実に良い! 俺こそが神だ! ぶんぶん周りを飛んでいるハエ虫たちよ、俺こそが神ゼピュロスだ!」
アネモイの赤き翼を広げて、空中にて高速で飛行しながら、俺にピッタリの名前だと嵐は高笑いをあげる。これこそが自分の人生。経営だ、赤字だ、あれは大切な取引先だったと、うるさく鳴くハエ虫たちの相手をしていたことが、馬鹿馬鹿しく思う。なぜ、俺はあんなことをしていたのだろうか。
嵐は風の魔法使いだ。だが、自分は幼い頃から経営学を学んできた。経営者としても有能なのだ。
高級感溢れるイタリアレストランに、シメのラーメンをメニューに加えさせた。なぜか、一人あたりの売上単価も、客も減った。
ファミリーレストランのチェーン店ではドリンクバーを止めさせた。一つずつ飲み物を売れば、遥かに儲かるというのに、部下は馬鹿だった。やはり客が減少した。
ならばと、居酒屋の人件費を削って、社員をクビにした。確実に利益が上がる方法のはずだった。しかし嵐を陥れる陰謀なのだろう。バイトの多くは辞めて人手は足りなくなり、サービスが悪いと居酒屋チェーン店は大赤字となった。
以降も常人では考えつかない方法を考えて、うるさく言ってくる幹部はクビにしていった。親切めかして、意見を言う取引先も切ってやった。劇的な経営戦略により、売上は右肩上がりとなるはずだったが、とんでもない大赤字を叩き出した。
なぜだと首を傾げて、誰かが邪魔をしていると考えていたのだが、最近になって漸くわかった。親切な友だちが教えてくれたのだ。名前は覚えていなかったが、昔、嵐に助けられたという男爵であった。廃嫡されて護衛もいなくなり、バーでやけ酒を飲んでいたら教えてくれたのだ。
『全て芳烈さんのせいですよ』と。
どうやら、あの魔法を使えないクズの弟は、密かに復讐するため、水面下で根回しをしていたらしい。狡賢い奴だ。きっと龍水公爵とも組んでいたに違いない。あのババアは親切めかして、少しパーティーで鷹野家当主の力を見せてやったらどうだいとか言ってきたのに、いざパーティーで自分の力を見せていたら、裏切りやがった。
全て芳烈のクズ野郎のせいだと言われて、しっくりきた。そして、怒りと共に冷静な部分が俺に語りかけてきた。
力ある魔法使いの自分は、政争や謀略は苦手だと。ドンと座り、その強大な力を見せつけるのが、自分の方法だった。コソコソと羽虫みたいに裏で行動するなど、最初から無理だったのだ。
悟れば後は簡単だった。
「最高の風の魔法使いである俺様が、雑事に煩わされることが間違いだったんだ! 俺の魔法は戦いにのみ輝く!」
鷹野次期当主を外された時には怒り狂ったが、今はそうは思わない。反対に皇帝とちびには感謝をしても良いぐらいだ。俺を陥れた、たまたま幸運にも聖属性を手に入れたあのちびガキは殺すけどな。
だからこそ、今日を狙っていたのだ。密かに鷹野家の秘宝『アネモイの翼』を組み入れた『魔導鎧アネモイ』を使い、屋敷にやってきた芳烈たちを殺す予定だった。屋敷を去る前に、一言謝りたいと、下げたくもない頭を下げて、金を積んで入り込んだ。そうして芳烈たちが訪れるのを待っていた。
しかし、金を渡していない召使いが偶然隠しておいた『アネモイ』に気づいて、騒ぎ始めたので、仕方なく計画を早めることにしたのだった。幸運にも、芳烈たちはもう屋敷の目の前まで来ていたので、俺は神に愛されていると、笑ったものだ。
「この落ちぶれた元貴族が!」
盾持ちの女魔法使いが、斧を振り上げて襲いかかってくるが、市販の浮遊板程度の速度では、この『アネモイ』にはついてこれない。
「馬鹿が! 自ら貴族の枠組みを抜けたんだよ! 俺の魔法は戦場でこそ輝く!」
三次元戦闘に慣れていない馬鹿な大女の斧など当たるはずがない。この『アネモイの翼』は見かけは翼を生やしているが、翼の力で浮いているわけではない。秘宝自らが浮力を与えてくれるのだ。そして、その能力はどのようなアクロバットな動きも可能とする。
わざと半歩だけずれて、斧を回避してやる。ぶんぶんと羽虫の立てる風斬り音が心地よい音楽だ。他の仲間も槍を突き出し、矢を射ってくるが、小手を横切る寸前に叩きつけて弾き返してやった。
「くっ! こいつ、かなりの腕だよ!」
「あったりめぇだろうが! 戦場の傭兵ゼピュロス様だぞ、こらぁ!」
ゼピュロスの名前にしっくりとくる。ここだ、こここそがおれの生きる場所であったのだ。これからは好き勝手に生きることにしてやるのだ。歓びを感じて胸が踊る。心が高揚する。
こいつらを殺して、馬鹿な弟とちびを殺す。その後は傭兵として生きていこう。この俺ならば、いくらでも稼げる。親切な友だちはすでに俺を匿う準備をしてくれている。あとは自由だ。
「さて、お遊びは終わりだ!」
こんな相手にマナを消耗したくない。そして、今まで数度しか使えなかったもう一つの秘宝も使ってみたい。
腰のポケットから、秘宝を取り出し見せてやる。
「ん? なんだいそりゃあ?」
大女は魔力を見て顔をしかめるが、その表情は困惑げだ。たしかにこれを初めて見た者は戸惑うだろう。
ゼピュロスの取り出した物は、10センチ程度の長さの羽箒だった。消しゴムのカスでも落とすのに最適な小さな羽箒だ。古めかしい羽箒は先端に思わず見惚れるほどの美しいエメラルドが嵌まっているが、ただそれだけだった。魔法使いが見たら顔を顰めるレベルの強力な魔力さえ宿っていなければ。
「ハッハー。これは『ゼピュロスの羽箒』。カスを掃除できる優れた秘宝だ!」
魔力は宿っているが、それだけに見えるだろう相手に、羽箒をまるで剣のように振りかざし、間合いの離れた大女へと振り下ろす。
「嫌な予感さね!」
大女は勘のいいやつだったようで、素早く盾を翳す。その行動は正しかった。羽箒が振り下ろされると、盾が軋みをあげて、ひび割れて押し飛ばす。
「ぐっ、 なにが?」
大きく後ろに仰け反り、大女は驚愕する。まだ間合いは5メートルはあったのに、なにかが盾を攻撃してきたのだ。驚愕する間抜け顔へと、優越感を覚えて、ネタバラシをしてやる。
「この『ゼピュロスの羽箒』は、不可視の風剣を生み出すんだ。威力は見ての通り。おおっと、まだまだ本気じゃなかったがな」
羽箒の軽さで、離れた相手まで届く不可視の風の剣。空間が歪んだようにも、風が巻き起こったようにも見えない。完全不可視の鷹野家に代々伝わる秘宝であった。
「切れ味はもっと上げられるぜぇ? そろそろてめえらは退場だ! 弟たちを殺しに行かないと行けないんでな!」
逃げられると思ったところに、追いついて殺すのだ。その絶望の顔を思い浮かべて、今からゾクゾクする。『アネモイ』の機動力なら、楽々追いつくことができる。そのためにわざと時間稼ぎをさせてやった。たが、もう終わりだ。
「まずいっ! 皆、散開!」
「ボード乗り如きが、俺の動きについてこられるものかよ!」
『ゼピュロスの羽箒』は、強力すぎる剣だ。羽箒のために軽く、そして不可視の剣は敵を切り裂いても、振った当人には衝撃を返さない。それでいて、その威力は平凡な量産型『魔導鎧』程度なら、一撃で切り裂く。大女は勘が良く盾を構えたが、本来は魔導鎧ごと断ち切る予定であった。
玄武などという防御に能力を振った鎧だからなのだろう。だが、『ゼピュロスの羽箒』の相手ではない。
「死ねや!」
小さな羽箒を乱雑に振り回し、不可視の刃を無数に飛ばす。見えない攻撃に大女たちは魔法障壁を全開にして防御一辺倒だ。
「そらそらそら、どうした? 抵抗しないのか? あれほど大口を叩いていたじゃねぇか!」
小さな羽箒は、振り回すのになんの苦もない。軽く上からの振り下ろし、右からの薙ぎ払い、くるりと手元で回して、一気に連続して振り回す。
通常の剣なら不可能な動きだ。ペン回しをするだけで敵を切り裂ける剣など、『ゼピュロスの羽箒』以外にはないだろう。
「がっ! こいつ……」
大女が皆を庇うために前に出て、もはや完全に壊れて魔法的な効果を失った盾を構える。無数の斬撃は盾をあっさりと引き裂くと、大女の魔導鎧に命中する。
ガンガンと金属が歪む響き、大女の身体が何度も弾かれる。『魔導鎧』の魔法障壁が時折明滅して、風の刃がその身体を切り裂き、鮮血を飛ばす。
「うん? てめぇ、やけに硬いな。かなり強力な防御系統の武技を使ってやがったのか」
本来ならば、とっくに切り裂いていたはずなのに、まだ小破程度ですんでいることに、嵐は顔を顰めて厄介だと舌打ちする。
「はっ! 金剛の名前は伊達じゃないんでね。このまま時間稼ぎをさせてもらうよ」
ヘルムも歪み、魔導鎧は砕け始めて火花を散らし、口元から血を流しつつ、満身創痍となっても、不敵に大女は笑ってくる。大女の仲間たちも、傷つきながらも逃げる様子もなく、恐怖の表情を浮かべることもなく、武器を構えてまだまだやる気のようだ。
その態度に苛立ちを覚えて、ゼピュロスは本気になることにした。こんな面倒な奴らに付き合うこともない。
『ゼピュロスの羽箒』にマナを込めていく。ゼピュロスの周囲の風が吹き荒れ始めて、羽箒は淡く光り始めると、その力を解放させようとしていた。大女たちは、膨大な魔力を感じ、なにか大技を使うのだと悟り、顔を険しく変えて魔法障壁を最大出力にし始めるが、無駄なことだ。
「ハッハー。この一撃でてめぇらは終わりだ!」
『ゼピュロスの羽箒』の真の力の前には、塵芥だと哄笑して、ゼピュロスは秘宝の力を解き放とうとした。
「ん?」
だが、自分の身体に影が落ちてくるのに気づき、頭上へと顔を持ち上げた。
「マサカリ投法!」
『ブレインシェイカー』
頭上からは、高空から一気に少女が落下してきていた。陽射しの中で灰色髪を靡かせて、犬歯をまるで牙のように剝いて、獰猛な笑みを浮かべつつ、小柄な少女がゼピュロスへと接近すると、何かを叩きつけてきた。パリンと硝子の割れる音がして、魔法障壁が攻撃を跳ね返す。
兜の魔法カメラになにかが降り注ぎ、思わずゼピュロスは後ろに下がる。
くるりと身体を回転させて、体勢を立て直しつつ、そのまま落下していくのは殺す予定のちびガキだった。ヘヘンと笑って落ちていく。
「クェェッ」
さらに巨大な魔物が高空から加速して落ちていき、少女を追いかけると、背中に乗せて受け止めた。
「グリフォン! て、てめぇ、このガキ……う、な、なんだ?」
怒りに燃えて、ゼピュロスはちびガキを殺そうと『ゼピュロスの羽箒』を振り上げるが、頭がグラグラと揺れ、視界がグニャグニャと歪んでしまい、気分が悪くなるのであった。




