82話 子犬
「それじゃあ、今までは屋台のおでん屋さんが飼っていたのかしら?」
「うん! 夜におでん屋やってたよ! 遠い所に行くから、可愛がってねって渡されたの」
2匹の子犬を小さい手で交互に抱きあげて、ニコニコと嬉しそうに美羽は教えてくれるが、その内容に不穏さを美麗は感じてしまう。
「夜に……遠い所に………」
美麗の脳内で、リアカーの屋台を苦労して引く、おでん屋のお爺さんの姿が思い浮かぶ。深夜に売れ残ったオデンを乗せた屋台を引っ張る、疲れ切った老人だ。
きっと夜中まで働かないと、生活が苦しいのだろう。自分の側にいるのは、子犬たちのみ。そして、いつしか体を壊し、入院する前に、泣く泣く手放すことに決めるの。いつも遊びに来る可愛らしい少女へと譲ることを決意するのは、どれぐらい辛かったことか……。
………んん? 深夜ですって? 妄想に走っていた美麗は正気に戻り、とんでもないことに気づいた。
「みーちゃん、夜に出歩いていたのね!」
「寝ぼけて、お外に行っちゃったみたい?」
「美羽?」
なおも誤魔化そうとする我が娘に、怒っているのよと、瞳に怒りの炎を宿らせて睨む。私の怒った顔を見て、みーちゃんはおろおろと、慌てふためくが、私が怒りを収めないことに気づいた。夫もそのことに気づき、真剣な表情で美羽を睨んでいる。
「ごめんなさい。……でも、おでんは美味しかったし、子犬も可愛かったの」
しょんぼりと、顔を俯けて美羽は謝ってくる。
「ここらへんで、おでん屋の屋台なんて見たこともないんだけど、どこにあったのみーちゃん?」
だが、おかしなことに気づいた。おでん屋などみたことがないのだ。なので、不思議に思い夫が詰問する。たしかに変だ。家の周りは護衛がいる。不審と言っては気の毒だけど、屋台なんか怪しさの固まりだ。気づかないわけはない。
「ん、……んと〜、パパ怒らない?」
「怒るよ? でも教えなさい」
珍しく怒っている。私もそうだ。ここで怒っておかないと、また同じことをして、今度こそ攫われてしまうかもしれない。そのことを思うと不安でいっぱいになってしまう。攫われたと聞いた時の、あの絶望感……美羽が攫われるようなことにはなって欲しくない。私たちの可愛らしい娘なのだから。
チラチラと私たちを上目遣いで見てきて、許してくれないと悟った美羽は、泣きそうな顔でポツリと答えてきた。
「まほーの練習。たぁって、飛んで、といやって、近くの森の木の上で遊ぶの」
身振り手振りで教えてくれるその姿は愛らしくて、つい許してしまいそうになってしまうが、内容がとんでもない。森?
「森って………結構距離があるわ! そんな遠くまで行ってたの!」
この家から少し離れた森林といえば歩いて30分はかかる。そんな所まで、小さな子どもが出掛けていたことに驚いてしまう。
「うん! 夜は皆が寝ているし静かだから、ちょっとだけれんしゅーしてたの!」
テヘヘと悪気などまったくなさそうな笑みで娘が教えてくれる内容に肝が潰れそうになるほど驚いてしまう。まさか、そんなに離れた所にお出かけしているとは思いもしなかった。私たちは魔法使いの身体能力を甘く見ていたのだ。
「さぷらいずで、皆に上手くなったまほーを見せるんだよ!」
うふふと小さな手で口元を覆い、美羽はくねくねと身体を揺らす。さぷらいずで、皆を驚かしたかったらしい。
子供ならではの、お茶目な行動だ。秘密基地を作ったり、親に隠れて、子供だけで夜中にコンビニに出掛けたりと、私もやった覚えがある。夜中という非日常的な雰囲気が好きで、親に隠れて時折遊んだものだ。
………普通の子供でも、バレたら親から雷を落とされる。なので、美羽を怒らなくてはならない。でも普通の子供ならきついお説教ですむかもしれないが、美羽は普通の子供ではない。なので、怒る前に私たちはいなくなった美羽を思って、心配で顔を暗くさせてしまう。
「みーちゃん………。夜にお外に出掛けては駄目よ。夜のお外にはたくさんの怖い人がいるの」
美羽の肩に手を乗せて、言い聞かせる。これは非常に大事なことだからだ。
「怖い人? もしかしてお化け? ピカピカで倒していい?」
普通の子供なら、幽霊と伝えたら怖がるが、反対に倒す気満々の美羽。子犬たちも、キャンキャンと鳴いて、まるで自分たちも頑張るよと言っているようだった。でも、普通の子供ならそこで怒って終わる微笑ましい記憶になる話も美羽は駄目なのだ。心が痛むが仕方ない。美羽の安全のためなのだ。
「もっと、もーっと怖い人たち。だから、夜に一人でお外に遊びに行ったら駄目。ママと約束して?」
「パパともだ。みーちゃんは回復魔法使いだから、たくさんの怖い人たちに狙われているんだよ。だから、一人で行動したら駄目なんだ」
私たちはじっと美羽を見つめる。真剣な両親の表情に、意外そうに驚いた顔になるが、身体を揺らしておずおずと頷いてくれた。
「うん。私は夜中に遊びに行かない! パパとママと約束! 行く時はごえーをつけるね!」
「ふふっ。それなら約束ね。嘘ついたら駄目よ?」
「うんっ! 強いごえーさんにお願いする!」
金剛さんには一応注意をしておこうと思いながら、美羽の頭を撫でる。銀色に似た灰色髪は、滑らかで絹糸のようだ。いつまでも触っていたい。
エヘヘと目を瞑り、気持ち良さそうにする可愛らしい我が娘に心が癒やされる。美羽は抱えている子犬を落としそうになっていたので、夫が慌てて受け止めた。その微笑ましい2人の姿に、いつまでもこの幸せが続くようにと考えてしまう。
「それじゃ、指切りげんまん」
「指切りげんまん、嘘ついたら、口いっぱいにシュークリームをたーべる!」
「こら! それじゃすぐに破っちゃうでしょ!」
「きゃー!」
狡猾なみーちゃんは、キャッキャッと楽しそうに笑うと、子犬を夫に渡してコロコロと床に転がる。みーちゃんの鍛えぬいたでんぐり返しだ。コロコロと本当にタイヤのように速いわ。もぅ、みーちゃんったら。
子犬たちは、遊んでくれると思って興奮して暴れるので、夫が離すと、みーちゃんの周りを回って尻尾を振る。まだまだ子犬だわ。犬種はなんなのかしら?
「そういえば、この子たちの名前はなんていうの?」
「んとね〜。ゲリとフレキ!」
子犬たちにのしかかられて、キャッキャッと戯れながら、みーちゃんは教えてくれる。
フレキはともかく、ゲリは微妙な名前ねと思っていたら、夫がアハハと笑い始めた。なにかに気づいたらしい。なにかしら?
「おでん屋のお爺さんはユーモアのセンスに優れていたんだね。そうか、おでん屋の犬はゲリとフレキか。そうだね、たしかにそうだ」
「どういう意味なの、あなた?」
「いや、たんに言葉遊びの名前なんだ。オーディーンの話だけど、後で教えるよ」
「きっとよ。それじゃ、この子犬たちはちゃんと登録して、狂犬病予防の注射も打たないといけないわ」
ペットとして登録しないといけない。子犬を飼うには色々とやることが多いのだ。
「まぁ、それよりもご飯にしようよ。でも子犬たちはどうしようか」
未だにみーちゃんにじゃれている子犬たち。コロコロと転がっていたみーちゃんは捕まったようで、子犬たちがのしかかっていた。……あの可愛らしい子犬たちを置いていくのは心苦しい。
早くも我が家の一員になったゲリとフレキを見て迷ってしまう。おいていって良いのかしら?
美麗は子供時代に犬を飼っていた経験がある。大切にしてきたが、もう寿命で死んでしまった。当時を思い出すと、かなり甘やかしていたら、寂しがりやで、誰かのそばにずっとひっつくようになってしまったものだ。
この子犬たちはどうなのだろう? みーちゃんに懐いているようで、一匹は顔を擦りつけて遊んでいる。もう一匹は私の脚に絡んできて、クーンクーンと鳴き声をあげる。お腹が空いているようね。どちらがゲリで、どっちがフレキかしら。
「そうね。外食は止めてなにか出前をとりましょう」
とりあえず外食はやめにする。子犬の扱いを決めないといけないし。
「わーい! 私、チャーラーメン!」
チャーシューメンと言いたいらしい。本当に愛らしいんだからと、みーちゃんに癒やされる。抜けたところがまた可愛らしいのよね。
「それじゃあ、私は天津丼にしようかな」
「私はチャーハンにしようかしら」
昔ながらのラーメン屋の出前の電話番号を確認する。今でも出前を続けているお店だ。ここに引っ越してきてから、よく頼んでいたものだ。
電話で注文をする。あいよと、いつもの元気な店主の声にお願いしますと電話を切った。
この出前も最後になってしまうだろうと思うと、寂しく思ってしまう。結婚当初、この家に引っ越してきてから、同じように出前を頼んで、これからは夫婦で頑張ろうと笑いあった。たくさんの思い出があるこの家も、明日で最後になる。
私の様子にみーちゃんは気づいたのだろう。にわかに不安そうな顔で、子犬たちから抜け出すと、私の裾をクイクイ引っ張ってきた。
「ママ、寂しい? 私のせい?」
「ううん、みーちゃんのせいではないわ。みーちゃんのその力は人を助けることができる神様からの素晴らしい贈り物なの」
「そうだよ、みーちゃん。決してみーちゃんのせいじゃない。私たちにとってみーちゃんは誇らしいんだ。だから、そんなことは気にしなくて良いんだよ」
夫も優しくみーちゃんの頭を撫でる。美羽の力は天からの贈り物だ。それを厭うことなど決してしない。このような状況になったのは、美羽のせいではない。
回復魔法使いを狙う人々のせいなのだ。勘違いしてはいけない。それを美羽のせいにしてはいけないし、もしも美羽のせいだとしても、私たちは家族だ。支え合って生きていく。
「……私、強くなる! さいきょーになって、皆を守るね! お金も数百兆円ぐらい稼ぐし、お友だちもたくさんつくるの!」
子供らしい夢を語って、ふんふんと美羽は息を吐いて、胸を張る。その言葉がとっても嬉しい。
「おやおや、みーちゃんの夢はとっても大きいね。それじゃあ、パパもみーちゃんを絶対に守るよ」
「ママもよ、みーちゃん」
「パパ、ママ!」
甘えん坊のみーちゃんは私たちに飛び込んできて、抱きしめてくる。いつまでも甘えん坊なんだから。
先程まで漂っていた寂寥感は消えてなくなる。うん、私たちならきっとどんな状況でも大丈夫。やっていけるわ。こんなに素晴らしい夫と娘なんだもの。次に産まれる子供も優しい子に育ってほしい。
明後日は鷹野家に引っ越す。だが、私たちは元気にやっていけるだろうと、微笑みながら美麗はそう思うのだった。




