81話 寂寥感と警戒心
ゴールデンウィーク初日。鷹野家は引っ越しのために、慌ただしかった。
段ボール箱が部屋に積み重なる中で、この家ももう少ししたら、見納めになるのかと思うと寂しく感じると、鷹野美羽の母親である鷹野美麗は10年間住んでいる我が家を庭から眺めていた。
まだまだ新築といっても良いわよねと、結婚した際に建てた自宅を見回す。愛着がある我が家だった。過去形として表現することになるのを、酷く寂しく思ってしまう。
「おーい、これは段ボール箱に仕舞っても良いのかい?」
「あ、それは割れ物だから、こっちの割れ物注意の箱に仕舞って」
夫である芳烈さんが、ワイングラスを手にして聞いてくるので、注意する。あのワイングラスも結婚した当初に買ったものだ。大切にしたい。
段々と大きくなってきたお腹を気にしながら、手伝おうと縁側からリビングルームに入ると、夫は様々なグラスを前に唸っていたので、少しだけその姿がコミカルで笑ってしまう。
「そうか、こっちだね。大丈夫、私に任せておいて」
グラスを大事に紙に包むと緩衝材の詰まっている段ボール箱に仕舞うので、私も隣に座り手伝うことにしたのだが、慌てて止めてきた。
「もぅ、貴方ったら。出産はまだまだ先よ。今から動かなくなったら、反対に身体を悪くしちゃうわ」
そういえば美羽を妊娠した時もそうだったわねと、懐かしく思い、クスリと笑ってしまう。
「そっか。これからは大変だと思うけど………すまない。美麗さんの体調が一番だから、なにかあったらすぐに言ってほしい」
「貴族のお屋敷に住むことになるのですもの。たしかに大変だとは思うけど、このままでも近い将来に同じようなことになると話し合ったじゃない。私なら大丈夫。母は強しよ!」
いたずらそうに、腕を曲げてみせると、芳烈さんは敵わないなぁと、頭をかいて優しい笑みになる。これからは貴族社会に飛び込むのだ。貴族の生活を知らない私は大変だろうけど……。芳烈さんはもっと大変なはずだ。
「あなた………。あなたこそ大丈夫? 魔導省を辞めて鷹野運輸の社長なんて……それこそ大変でしょ?」
貴族の経営する企業は基本魔法が使える親族関係で支配する一族経営だ。魔法を使えない芳烈さんが、親族にどのような目で見られているか、想像に難くない。
笑みの下で、家族に心配をかけさせたくないと、辛い思いを隠しているのならば、分かち合ってほしい。夫婦なのだ。幸せは2倍に、辛い思いは半分にだ。
3日前から、魔導省を辞職して夫は鷹野運輸の社長をしている。貴族社会に疎い私でも、魔法を使えず放逐された者が戻ってきて、経営のトップになるのは、どれほど非常識か想像できる。
きっと蔑みや反感などの視線や、足を引っ張ろうとする者たちがいるだろう。そのことを考えると、胸が痛い。少しでも夫の手助けをしたいのだ。
だけれども、予想外に夫は微妙そうな顔になった。なんか大変で辛いというより、困惑している感じだ。どうかしたのかしら? 経営がさっぱりわからないから、放置されてお飾りにされているのだろうか。
社長室の椅子に座り、やることもなくぼーっと一人寂しく一日を過ごす夫の姿が想像されてしまうが……。
「う〜ん………。皆さん、非常に協力的だよ。なんというか………うん、協力的なんだ」
嘘は言っていなさそうだ。なにか言いづらそうにしているが、蔑視に耐えている、というわけではないようだ。これでも12年連れ添った妻なのだ。それぐらいはわかる。
「なにかあったの? あ、皇帝陛下がつけてくれた人たちが助けてくれたとかかしら?」
お目付け役とでも言うのか、皇帝陛下から3人を夫は借りている。全員、経営のスペシャリストらしいから、早くも辣腕を振るって助けてくれたのかしら?
「いや………一人は以前勤めていた企業で、不正にお金の流用をしていたことが判明して、クビになったよ。経営が良好であるように、架空取引を繰り返していたらしい」
「皇帝陛下直属じゃないの! 最高の人材だって言ってたじゃない!」
グラスを包む手を止めて、思わず叫んでしまう。エリート中のエリートではなかったのだろうか。
「うん……エリートだからこそ、結果を出さないといけなかったんだろうね。なので、初対面の時には、これでもかってほどに態度が大きかったんだけど、それがあって、残りの二人は肩身が狭くなったんだろうね。私の様子を窺うようになったんだ」
なぜか遠い目をする。一緒に働く前で良かったじゃないと言おうとしたけど、まだなにかあるようだ。なにかしら。
「それに私に反感を持っていた役員の3割が、急に横領にリベートやらセクハラだのがばれて次々とクビになった。私の最初の仕事は、役員を解任させることだったよ」
「え………はぁ、それって、皇帝陛下が手を回してくれたのかしら?」
「いや、たぶん違うと思う。それなら、皇帝陛下が選んだ3人に、架空取引をするような人間を入れるわけはないからね。帝城さんかと思ったけど、明瞭な答えは返してくれなかった。さり気なく、これが貴族のやり方なんですと教えられたよ」
「誰が助けてくれたか、分からないの?」
「うん。たぶん皆が動いた結果じゃないかなぁと、私は予想しているんだ。一人が助けてくれたと言うよりは、大勢で助けてくれたんだろうね。もちろん、善意だけじゃないと思うけど。だから確認は不可能なんだ」
理由としては、それぞれが私のために排除しようと動いてくれたのが原因で、多くの人が一気にクビになったのだろうと、夫は苦笑いを浮かべる。だが、その口元が僅かに引きつっているのを、私は見逃さなかった。まだあるらしい。
「隠し事はなしよ、あなた?」
多少子供っぽく、頬を膨らませて尋ねると、ポリポリと頬をかいて、また遠い目をした。
「どうやら、私は会社で『魔法を使えない魔法使い』と言われて恐れられているようなんだ。放逐された恨みを返し、鷹野家を奪いとるために暗躍していた、魔法のような凄腕の持ち主なんだって」
なにせ、役員どころか、皇帝陛下が出向させてくれた人材も排除したと思われてるようだからね、アハハと空笑いをする。
………う、うーん。コメントに困っちゃうわ。慰める……のも違うと思うし、やったわねと褒めるのも、なんとなくおかしい。この場合はどうすれば良いのかしら。
そうね。こういう場合は……。
「今日はハンバーグにしましょうか」
「私はみーちゃんじゃないんだけど」
パンと手を叩き笑顔で告げると、夫は可笑しそうに笑ってくれる。
「ハンバーグじゃ誤魔化されないよ」
「ほうほう。それでは私の旦那様はなにが良いのかしら?」
戯けて夫の顔を覗き込むと、ふむと顎に手を当てて真剣な表情となる。うぅむと、見ているこちらが恥ずかしくなるほどだ。子は親に似るとはよく聞くが、なるほど、たしかに美羽は夫の子供だ。
「そうだ! それじゃカツカレーにしよう!」
指を鳴らして満面の笑みで、これだと嬉しそうな口調だ。どうやら、今のところは大丈夫みたいと、内心で安堵する。仕事は大変なはずだと思っていたので、拍子抜けであるが、辛い思いをしていないようで良かった。
「カツカレー……。あ、そういえば、もう食器……」
今まさに仕舞っているのが食器だったと、気まずい顔になってしまう。もう段ボール箱を開けるのも無理だ。
「そういえばそうだった……ふふっ、抜けているなぁ。美羽はお母さん似だね」
「私は貴方の子供と思ったわよ?」
お互いが顔を見合わせて、クスクスと笑い合う。こういうなんでもない話が大好きだ。幸せだと感じて嬉しくなる。
「それじゃ、今日は外食だね」
「そうね。そういえば、美羽はちゃんと箱に詰めているかしら。少し様子を見てくるわ」
美羽も部屋で片付け中だ。大丈夫だろうか。しっかりしているけど、たまに抜けている娘なので、様子を見に行くかと立ち上がる。
残りはやっておくよと、夫が箱に詰める作業を再開するので、私は頷き美羽の部屋に行く。
本当は鷹野家の召使いさんや、引っ越し業者に任せれば、もっと楽をできた。けれどもどうしても家族だけで引っ越しの準備をしたかったのだ。この家での暮らしは最後となるだろうし、思い出として、この引っ越しも記憶しておきたかった。
それだけ寂しく思っているのだと、僅かにため息をついて、美羽の部屋に入る。
「みーちゃん、お片付け進んでるかな?」
「うん! 今はお友だちを仕舞っているの!」
アイスブルーの瞳を輝かせて、私の可愛らしい娘はぬいぐるみを掲げる。愛しい我が娘だ。
しかし、警戒心が私の中に生まれる。遂に尻尾を掴んだのかもしれない。ずっと警戒していたのだ。
「みーちゃん、ぬいぐるみたくさん仕舞っているんだね」
「うん、うさちゃんはここ〜。狐さんはこの箱」
ぬいぐるみを分けて、段ボール箱に笑顔で仕舞う、無邪気な我が娘に癒やされるが、首を振って気を取り戻す。いけない、いけない。罠だわ。
最近気付いたのだが、美羽は無邪気だが、狡猾なところもある。
「ぬいぐるみたくさんだね。みーちゃん」
「えへへ。パパにたくさん買ってもらったの」
娘はぬいぐるみが大好きだ。部屋にはぬいぐるみがたくさんあり、可愛がっている。とても子供らしい娘だ。
ふわふわの綿菓子みたいな微笑ましい笑みのみーちゃん。でも私は警戒していたので違和感に気づいた。
「ねぇ、なんで壊れ物注意の箱にぬいぐるみを仕舞っているのかな?」
壊れ物注意のシールを、いつの間にか持ってきたのだろう。段ボール箱の一つに貼ってあった。そして、なぜかぬいぐるみが詰めてある。
「んと、一番大事なわんちゃん!」
「ふーん?」
遂に尻尾を掴んだわ。私は微笑みのままで箱を開ける。中には前脚で顔を覆った可愛らしい子犬のぬいぐるみが2体入っていた。見たことのないぬいぐるみだ。
「みーちゃん?」
「か、可愛いよね。壊れ物注意!」
「ほほ〜?」
挙動不審となる我が娘に苦笑しながら、子犬を持ち上げる。随分とさらさらの毛皮だし、獣臭くない。きっとこっそりと洗っていたんだわ。
子犬のぬいぐるみを顔の前に持ち上げて、じっと見つめるが、ピクリとも動かない。よく躾けたものだと、感心しちゃうわ。
「そういえば、ママは偶然にもわんちゃんが大好きなおやつを持っているんだ〜」
最近いつも持ち歩いている子犬用のビーフジャーキーをポケットから取り出す。子犬は匂いに気づいたのか、尻尾をぶんぶんと振ってきた。
「みーちゃん?」
「さ、最近のえーあいは凄いね! たぶん言葉に反応するタイプ!」
まだ誤魔化そうと、ワタワタと手を振って懸命になる美羽を見て、笑ってしまう。段ボール箱に入っていたもう一匹の子犬が飛び出して、私の足に顔を擦り付けてきた。
「クーン」
「鳴き声もするぬいぐるみなのかしら?」
「さ、最新型?」
コテンと小首を傾げて、まだ誤魔化そうと頑張る美羽に、遂に堪えきれずに笑ってしまう。
「もはや無駄だ、ルパンくん。もう君の企みはバレているのだよ」
「おのれ、ワトソン君!」
「もうっ! みーちゃんったら」
捻りを加えた返答に笑いながら、コツンと軽くみーちゃんの頭を叩く。
「ずっと探してたのよ。ようやく見つけたわ。隠して飼ったら駄目よ?」
壊れ物として、運ぼうなんて本当に無邪気で抜けているんだからと、愛しい我が娘の髪をくしゃくしゃと撫でるのであった。
ペットについて、話し合わないとね。




