76話 深淵なる女神
困惑するロキ。確かに変身したはずなのに、力をちっとも感じないのだ。『ヘラクレスナイト』と互角に戦える身体能力も、短剣技も、攻撃が通用しない不可思議なる秘密の力も。
一般人であった。容姿は美女だが、ロキはそんなものを求めていない。謎の美女の能力が欲しかったのだ。
「い、今まで『変身』に失敗したことなどなかったのに!」
「いえ、貴女は成功しているわよ? 絶世の美女に見事に変身しているじゃない」
ふふっと、妖艶なる笑みを浮かべたまま、ロキをフリッグは褒め称えるが、皮肉だとロキは思ったらしく、激昂する。
「ふざけるなっ! 見掛けだけ変身しても意味がない! なんだ、お前は何をした?」
ロキは、フリッグが何かしらの魔法を使い、変身を防いだと考えているのだろう。だが、変身は成功している。フリッグは素直に称賛の言葉をかけたのだ。
フリッグの力をコピーできない理由は簡単な話であった。
「ねぇ、貴女は土を舐めれば大地に変身できるのかしら? 海水を舐めれば海になれるの?」
「は? そんなことができるはずないだろ! 神様にでもなれというのか!」
そんなことができるわけがない。神でもなければ、不可能だと、ロキは今までの余裕の態度をかなぐり捨てて、怒鳴り散らす。
「そうよね。つまりそういうことなのよ」
「はぁ?」
「だから、私は神なのよ。この身体は人間でも、中身はまったく違うモノなの。ただの自然現象とでも思えば良いわ。貴女が惑星に変身できるレベルなら、私の力をコピーできたかもね」
肩をすくめて、フリッグは真相を伝える。予想通りの結果であった。これで知りたいことは知れた。もはやロキに用はない。神を名乗る愚かな人間には、そろそろ退場の時間だ。
「な、……そんなバカな……ふざけやがって! 仕方ない。ヘラクレスナイトに変身して、倒してやる!」
『変身』
再び『ヘラクレスナイト』に変身すれば、負けはないと考えたのだろう。ロキの言葉には怯えが混じっていることを、フリッグは見抜いていた。自身の変身魔法に絶対の自信があるからこそ、フリッグの言葉が真実ではと、畏れを覚えたのだ。
だが、もはや遅い。運命は決定している。
「もうその手品はいいわ、見飽きたから」
『消失』
パチリと指を鳴らすと、変身していたロキの姿が仄かに光り、元の女性の姿へと戻ってしまった。
「は、な、なにが?」
「私はね、支援魔法のスペシャリストという設定なの。で、今のは、セイズ魔法『消失』。あらゆる魔法効果を打ち消すのよ。ねぇ、全くセイズ魔法と関係ないのよ、これ。酷いと思わない?」
「ひ、ひいっ!」
ロキはフリッグの不満そうに唇を尖らせる表情を見ずに、身体を翻して脱兎の如く逃げ出した。自分の変身を解くことができる魔法など、『変身』を覚えて18年間、誰もいなかった。
それなのに、目の前の女性は、当然とでも言うように、自然な口調で告げてきた。まさに『魔法』だというのに、驕ることもなく。目の前の女性が人知を超えている者だと理解したのだ。
「駆けろ!」
『天翔る靴』
ロキの履いている靴が魔法の力を発動させる。以前に手に入れた古代の遺物だ。不思議な遺物はなぜか自分に合わせた大きさに変わるため、どんな生物に化けても、ずっと履ける代物だ。しかも、マナを隠蔽しているために、パッと見では普通のスニーカーのような靴にしか見えない。
その効果は、空を駆けることができ、マーキングしている場所に自由に転移ができる。ただし弱点もあり、24時間に1回しか使えない、ロキの切り札であった。
自分の目の前の空間が裂けて、『天翔る靴』が神々しい光を放つ。ロキは安堵を覚えながら、振り返ると、不敵な笑みを見せる。
「さようなら、謎の美女さん。君と君のいる組織を必ず調べてみせるからね。次に会う時を楽しみにしててよ」
「お別れね」
「そうだね。それじゃ、またね!」
空間の裂け目に飛び込むと景色が揺らぐ。元の空間に戻った時は、自分の隠れ家の一つにいるはずであった。
「まずは探偵事務所を閉めておかないと。それにあのミステリアスな美女。何者なのか必ず調べてみせる。あぁ、楽しくなってきた」
未知の謎に挑む探検家の気分を覚えて、ロキは嗤う。当初とは違う展開になってしまったが、こちらの方が面白そうだと、ニヤニヤと嗤い、空間の歪みが元に戻った。
「また会ったわね」
「へ?」
タンと床に足をつけると、石の感触が返ってきた。魔物や人間の死体が転がり、財宝が光り輝き、そして、あのミステリアスな美女が悪戯そうに笑っていた。
「へ? は? な、なんで」
転移をしたはず。魔法は発動し、自分は隠れ家に逃げることができたと考えていたロキは呆然とした顔になる。
「言ったでしょう? 私はね、初心者救済のスキルを持っているのよ。経験値が高い者や、お金をたっぷりと持つ者を逃さない魔法を使えるの。さっき伝えたと思ったけど、聞き流したのね、残念だわ」
フリントロック式の短銃に、弾を込め終わったフリッグが一層妖艶なる笑みになる。
「だから、私からは逃れられない。逃げるなら、出会った瞬間に逃げるべきだったのよ。女神からは逃れられないの」
当然とでも言うように、自然な態度で告げてくるフリッグに、遂にロキは、いや、小鳥遊冴子は心が折れて、床に這いつくばった。
「す、すまない。許してくれ! 貴女の力はわかった。わかったよ。もうこれからは悪いことはしない。こ、この変身の力で困っている人々を救おう! 貴女の組織の配下になっても良い」
ここに至り、冴子は全面降伏をした。額を床に押し付けて、命乞いをするが、フリッグの笑みは変わらない。
「なるほどね。お嬢様が殺せと言うはずだわ。主人公は貴女を許したらしいわね。『魔法破壊』で、変身を解いた貴女を赦し、以降は重要な情報屋キャラとなるとか」
またもや意味のわからないことを話してくるフリッグに、だが冴子は言葉を発さずに聞く。その様子を見て、フリッグはコテリと首を傾げた。
「そのイベントを見て、なんで殺さないんだよと、お嬢様は憤慨していたらしいわ。イベントバトルで、ある程度ダメージを与えたら戦闘終了となってしまったらしいのよ。きっと原作でもそうだったのでしょうね」
美羽はゲーム画面を見て、不満に思ったらしい。殺す展開なのだろうと思っていたら、倒しても倒した判定とならずに戦闘が強制終了したからだ。所謂イベントバトルというやつだ。どう見ても、殺しただろうという攻撃を仕掛けたのに、なぜか少し傷ついただけの様子でバトルは終わる。ゲームあるあるの展開だと言えよう。
「ゲームや小説なら良いと思うの。仲間を殺した相手だろうと、数え切れぬ程の人々を殺した相手だろうと、ライバルキャラが改心して仲間になる展開は燃えるもの」
フィクションなら、別に良いのよ。でもね、と短銃をロキに向けて、フリッグは美しき唇から、言葉を紡ぐ。
「貴女、現実にいるんだもの。原作ストーリー通りなら、改心するんでしょうけど、お嬢様は見過ごせないらしいわね。きっと放置すれば、名もしれぬモブの人々を殺していくと。だって、大量の蟷螂を解放しても、どれぐらいの人々が死ぬのか、欠片も気にしていないでしょう? 貴女は相手の力に対して降伏しただけで、今まで殺した相手に罪悪感を持って改心したわけでもなさそうだし。一線越えたというやつ。殺すなら悪人だけにしておけば良かったのよ」
「ま、待ってくれ! これには理由が――」
「孤児だった自分は虐げられていたから? だから力を手に入れて自由に過ごすことにした? なら、悪戯程度で抑えておけば良かったのよ。貴女はこの世から自由となった。相手を生かすも殺すも自分次第。そう思った」
謎の美女が語る内容は全て真実であった。自身の心の中でさえ知っているこの者は人ではないと理解して、身体は恐怖で動けない。
「貴女は自由となった。おめでとうと言わせてもらうわ。でも、何にも縛られない貴女は相手に殺される自由もあるの」
「そんなへんてこな、り、りゆうが」
「ふふっ、そうかもね。本気で話しているわけでもないし。一応こういうのってテンプレでしょう? ザマァと言うのかしら」
震える頭を持ち上げて、なんとか謎の美女の顔を見て、その目を見て、絶望に冴子は襲われた。
その瞳は相手に対して、憐憫も同情も怒りも、何も感じさせなかった。ただ、演技をこなすのも面倒だという瞳だけがあった。
ロキを見つめる瞳の奥には深淵があった。覗いてはいけない、触れてはいけない輝きがそこにはあったのだ。
「それじゃさようならね、小鳥遊さん」
「ま、まってく――」
命乞いの言葉を紡ごうと必死になる冴子の様子を気にもせずに、フリッグはフリントロック式の短銃の引き金を引いた。
「これはレベル99の『月光銃』。そしてレベル1の消費しない『尽きぬ弾丸』。あわせた攻撃力は大したことがないのだけれども、さて、貴女は自身を鍛えていた? もしかしたら耐えられるかもね」
『小鳥遊冴子:レベル5』
他者の力を借りるのみで、自身を鍛えることのなかった冴子のレベルを見て、フリッグは薄く笑いながら、最後の別れの言葉を告げた。
そうして、月光銃の銃口から、極大のビームが放たれた。銃口から発せられるビームが巻き起こす熱風により、フリッグの髪は靡き、服がバタバタとはためく。空間が真っ赤になり、恐ろしい程の熱量を放出する。
冴子はなんとか逃げようと立ち上がるが、ビームに身体を貫かれた。一撃で燃え尽きてしまうだろう威力だと感じたのだが、ビームに貫かれても身体に穴はあいておらず、返ってきたのは強い衝撃のみ。
なぜだと疑問に思う間もなく、今度は後ろから、ビームが身体を通過していった。次は横から、斜め前からと、高速で移動するフリッグが、銃を撃ち続けていた。舞うように、踊るように。美しき女神は、黄金の髪を靡かせて、妖艶なる笑みで月光銃を撃ち続ける。
冴子の周りを踊るようにして、銃を撃ち続け、そのたびに衝撃が冴子の身体を貫き、空へと浮かせていく。
「あ、あ、そ、んなばかな」
迷宮の天井は10メートルは高さがあったが、不思議なことに冴子はそれを超えて、闇の世界へと飛ばされていた。
いつの間にか、眼下には地球が見えて、宇宙に冴子は浮かんでいた。幻想的な光景であった。月が見え、なぜか太陽系の惑星が直列に並んでいるのがわかる。
「これで終わりよ」
『星砕』
フリッグが、自分の銃にチュッとキスをするのがなぜか見えた。そして、月よりも大きな魔法陣がフリッグの目の前に展開されていくのが見える。
「こんなの……こんなことって」
『魔法』だと、言葉にする前にフリッグは銃口を冴子に向けて引き金を引いた。自分が砂粒に感じるほど巨大な魔法陣から、極光が放たれる。莫大なエネルギーが冴子をあっさりとかき消して、後ろに存在する惑星すらも全て打ち砕き、大爆発が起こる。
太陽系が爆発し、光のみが残って、粒子となって散っていき、冴子はその身体を欠片も残さずに、光の中に溶けていき、消滅させられるのであった。
そうして、光が収まった後には、フリッグが立っていた。いつの間にか、周囲の光景も宇宙空間から、迷宮へと戻っている。
「最大MPの5割を消費する絶対必中の必殺技『星砕』。楽しんでもらえたかしら」
くるりと銃を回転させると、フリッグはアイテムボックスに仕舞いこみ、笑みを見せる。時間にしてコンマ数秒の世界であった。
『小鳥遊冴子を殺した!』
ログが表示されて、ドロップアイテムが記載されるが、気にせずにフリッグは財宝へと歩み寄ると、小判を一枚手に取る。
「背景画ではないようね。良かったわ」
もはや倒した冴子のことは、記憶から消して、真剣な表情で財宝の価値を金額に換算する。その目つきは先程小鳥遊冴子と戦った時よりも、遥かに真剣だ。
「ざっと3000億円といったところかしら。これを皇帝に渡せば良いのね」
作戦どおりに動くべくフリッグは思念を美羽に送る。
『お〜、終わった? 今、俺はフリッグお姉さんに教えてもらった車のトランクに入っているところなんだけど。お昼寝の準備してる』
ちっこい身体を丸めて、美羽はトランクでお昼寝をしようとしていた。疲れているので、ぐっすりと眠れるだろうと、小さくお口を開けてあくびをする。
『えぇ、終わったわ。ざっと見て財宝は2000億円程度はあるわね』
『そっか。それじゃ手数料を貰って帰還してね。魔道具は全部回収しておいてよ』
『えぇ、少しもらって帰るとするわ』
フリッグは頷くと、帰還するべく財宝をちょっぴり貰うこととした。スタンピードを防いだ代金他諸々だ。
「さて、それじゃ、少しだけ貰うことにするわね。200億円も、あれば良いかしら」
フリッグは、財宝をアイテムボックスにせっせと入れ終わると、スキップをしながら去っていった。
そうして、優しいフリッグは少しだけ手数料を貰い、宝物庫には200億円相当の金塊が残ったのだった。




