75話 フリッグはロキと戦う
フリッグは、ロキへと恭しく頭を下げて、誰もが見惚れてしまうだろう美しき笑みを魅せる。その妖艶なる微笑みに、僅かにロキは身じろぎした。人と思えぬ妖艶な美しさ。なにか、不吉を本能が感じたのだが、ロキは本能の警告を気のせいだと無視してしまった。
無視してしまった。ここで、警告に従えば、なにかが変わったのかもしれないが、運命は決まった。
「私の手からは財は決して零れ落ちない」
『フリッグの御手』
フリッグは、あらゆるものが聞き惚れる美声で、詠唱を口にすると、片手をふわりと舞うように動かす。キラキラと黄金の粒子が迷宮に舞い散り、空間がキンと冷たい音を立てた。
「ん? 今なにを?」
ロキは面白そうにフリッグを見る。その余裕綽々な態度を見て、可笑しそうにクスリとフリッグは笑って口元を押さえた。
「ふふ。今のは初心者救済の私のセイズ魔法よ」
「初心者救済?」
意味がわからないと、首を傾げるカブトムシの化け物へと、口端をあげると教えてあげる。もう終わった話だ。知られても問題はない。
「レベル上げのために、いくつか用意されていたの。その一つ、『フリッグの御手』は、メタリックな足の速い敵の逃亡を防ぐのよ。絶対に倒せるようにってね。制作会社は頭が良かったのよ」
「どういう意味だい?」
ますます困惑するロキ。それでも自身の優位を信じているのだろう。余裕を未だに見せている。
いや、この態度こそが、『魔導の夜』の『道化師』である『ロキ』に相応しいのだろう。その姿を、多少憐れに思い、その愚かさにフリッグは嗤う。
「貴女は死ぬ。ということなのよ」
フリッグの告げた言葉に、ロキは黄金の外骨格を震わせて、可笑しそうに笑い始めた。
「そうかい。神無公爵はそうすることにしたのか。確かに死人に口なし。殺した方が良いと思ったんだね。アハハハ、でも、僕を殺せると思うほど愚かだとは思わなかったよ。これまで同じことを考えた者の末路を教えてあげないといけないようだね」
「ふふっ、まさにテンプレ。聞いたことがあるセリフね。ストーリーをかき回す謎の強者。面白好きのキャラクター。あまりオリジナル性を感じないセリフね、ロキ」
腹を抱えて、オーバーリアションで笑うロキへと、冷笑でフリッグは答える。なるほど、ある意味わかりやすいキャラだ。『道化師』に相応しい姿だわ。
フリッグの態度に、気を悪くしたロキは剣先を向けてくる。僅かに苛立ちを見せて口を開く。
「どうやら君一人。僕を倒す自信がある魔法使いなんだろうけど、残念でした。今の僕は神話の怪物『ヘラクレスナイト』の姿を手に入れたんだ。簡単には負けないよ?」
負けないよと、戯けるように言うロキ。言葉では殊勝なものだが、負けるつもりなど、さらさらないようだ。哀れすぎて、フリッグは失笑してしまう。
「そう。そうね。可哀想すぎるから、教えてあげる『道化師』さん。貴女の命が欲しいのは、神無公爵ではない」
「……なんだって?」
意外なセリフに笑うのを止めるロキ。それはそうだろう。この迷宮のことを知っているのは、今しがた殺した魔物使いたちと、神無公爵たちだけだ。他の勢力が現れるとはロキは予想もしていなかった。
「貴女の肩書きが欲しいのよ。『道化師』の『ロキ』の肩書きがね。えぇと、本名は小鳥遊冴子さんね」
「なっ! なぜ僕の名前を!」
余裕の態度を打ち消したロキ、いや小鳥遊冴子は驚愕の声をあげる。まさか自身の名前を知られているとは思わなかったのだ。
フリッグとしては、ムニンの解析で本名は見ておいたので、簡単な話であった。そのレベルも履歴も称号も全て読み終えているのだ。
「小鳥遊……憐れね。鷹がいないからこそ、遊べたのに、ね」
「………どうやら殺しておかないといけないようだね」
悪ふざけはやめて本気となったのだろう。空気を重くするようなオーラを身体から噴き出す冴子。もはやロキと呼ぶ価値もないと、フリッグも宝石が散りばめられた短剣をアイテムボックスから取り出す。
「貴女の真の姿は、原作では2名の人間に知られている。だからこそ、良いのよ。これから先、お嬢様がロキを演じても、真の姿を知るものがいれば、その矛先はお嬢様には向かわない。姿を消した貴女を探すでしょうからね、貧乏な女探偵さん?」
たとえ、迂闊なお嬢様の正体がバレても、ロキだと言い逃れることができる。なぜならば、ロキは使い勝手の良い人間に度々変身するからだ。回復魔法使いのお嬢様に変身することは、多いに違いない。
なぜならば、ゲームではロキと戦闘することがあったが、多彩な変身をする中で、かなりの頻度で聖奈に変身して、自らの傷を癒していたからだと、お嬢様は言っていた。
「訳がわからないなぁ。気持ち悪い程、僕のことを知っているようだね。悪いが君の背後を調べさせてもらおう」
「あら? 女性を調べるなんて不粋よ、冴子さん」
ロキは焦りを覚えて、絶対に目の前の妖艶なる美女を捕まえようと決意した。自身のことを知りすぎている。この女性だけではなく、絶対にバックの組織がいるはずだ。
『雷光撃』
剣を構えて、雷光を発してロキはフリッグに斬りかかる。光速の剣撃は一瞬の間に、フリッグの足を通り過ぎていった。
『ヘラクレスナイト』の厄介な武技だ。凄腕の剣士は雷属性を使いこなし、雷の速さで敵を切り裂く武技を使用するのである。
反応すらできずに、脚を斬り飛ばしたフリッグへと振り向き、余裕の笑みをぶつけてやろうとして、ロキはギクリと目を見開く。
そこには傷一つないフリッグの姿があった。確かにこの女性の脚を斬り飛ばした。その手応えもあったはずだと、ロキは狼狽えるが、すぐに剣を構え直す。
『雷鳴剣』
剣が震え雷が発せられて、フリッグの体を貫く。老魔法使いの高弟を簡単に殺せた魔法だ。これならばダメージが入っただろうと、フリッグを見るが
「斬、雷ね。単純すぎる魔物よね。本当に神話の魔物なの? 弱すぎるわ」
やはり傷一つ負っていなかった。埃でも払うように、パンパンと服を手ではたいている。
「馬鹿な! どんな手品なんだ!」
「『道化師』なのでしょう? 考えてご覧なさい?」
手品の種は簡単だ。シンから譲り受けた錆びた指輪をフリッグは覚醒させており、『次元の指輪』へと変えていた。
『次元の指輪:万能属性威力100%アップ。使用時に万能属性以外の属性を一つだけ無効化できる』
この『次元の指輪』を使い、斬属性を無効化した。それと同時に、属性魔法を一つだけ無効化できる支援魔法最高の『雷属性障壁』をフリッグは使っていたのだ。
ヘラクレスナイトの戦闘をしばらく観察して、フリッグはロキがどう出るか予想していたのだった。無論、そのことを教えるつもりもない。平然とした表情で嘘を吐き、フリッグはロキと戦っていた。
「くっ! 『道化師』だ!」
その戯けた様子に、怒りに満ちて、ロキは再度剣で躍りかかる。フリッグは短剣を構えて迎え撃つ。ロキの魔剣が閃き、フリッグの身体を捉える。袈裟斬りに入り手応えも感じるが、目を凝らすと薄皮一枚、何か障壁があるようで剣はその上を滑っていた。
「ふふっ」
防御をとらずに攻撃をしてくるフリッグの短剣が黄金の外骨格に命中する。だが、カチンと音がして短剣の刃先をロキは弾く。
「あらら?」
「どうやら、お互いに傷をつけることはできないようだね!」
『ヘラクレスナイト』の防御力に少し安堵をして、余裕を取り戻したロキは、軽口を叩き剣を連続で振るう。
『雷剣』
剣に雷を宿し、フリッグへと攻撃を繰り出す。分裂するかのように、高速での攻撃をしていく。だが、やはり傷一つつけることはできなかった。
「硬いわね。あら、今の言い回しはお子様の教育に悪いかしら?」
「軽口だけは僕を上回っているようだね!」
妖艶なる笑みを崩さずに、フリッグはロキへと攻撃を繰り出す。
それはロキにとってかなりの、いや、見たこともないほどの短剣の腕前であった。変幻自在、防ごうと剣を振るえば、くるりと回して避けてしまう。フェイントが混ざった一撃は、本命だと思い弾こうとすれば、そちらがフェイントで、フェイントだと思った一撃が身体に命中する。
『ヘラクレスナイト』でなければ、倒されていたかもしれないと、ロキはゾクゾクとして嗤う。
お互いが高速で動き、攻撃をくり返し、二人とも傷つかず、終わらない輪舞が続く。剣撃が響き渡って、雷の轟音が響く。
「素晴らしいや、『魔導鎧』を装備していないのに、その強さ! 確かに貴女の武具は魔力を感じるけど、そこまで強くはない! それなのに『ヘラクレスナイト』と互角に戦えるとは!」
「そうなのよ。私たちって一つを残して弱い武具なの。課金しているのに酷い話と思わない?」
「また、軽口かい? だけど、僕は理想的な身体を手に入れられる!」
タンッと、大きく後ろに飛び退るロキ。追撃をすることもなく、フリッグは哄笑をあげるロキを面白そうに見つめる。どちらにしても、ダメージが入らないので、飽きてきたところだったのだ。
密かにフリッグはロキと話し合う前に、たっぷりと支援魔法を自分にかけておいた。『戦う』を選んで隠れており、準備万端で話しかけたのだ。さすがにあのレベルの魔物と素で戦えるほどレベルは高くない。
本当はそんなことをしなくても良かったのだが、戦闘時の支援魔法の効果と、身体の動きを確認したかったのである。だが、もう充分。後はロキを殺して終わりにしようと考え始めていたので、ちょうど良い。
彼女が何を考えたのか、フリッグにはわかりすぎるほど、わかっていた。それに興味もあった。彼女が本当に狙っていることができるのかを。
『変身解除』
ロキの姿が粘土細工のように崩れていく。ここで攻撃をすれば、終わるだろうが、フリッグは冷たい笑みでその様子を見つめていた。
粘土細工が変形すると、その姿が変わる。皮肉げな25歳の女性に。どことなくユーモアがあり、憎めないタイプだと、ゲームでは説明されていたとお嬢様は言っていた。ゲームで散々メインストーリーに絡んできたのだと。
「驚かないんだね? そりゃそうか。僕の本名すら知っているのだものね」
一見するとどこにでもいそうな、平凡な女性であった。モブ役にいそうな、ちょっと可愛らしい女性だ。事実、そのような扱いだったのだとか。
いつもは情報屋として、貧乏な探偵を装う。それが小鳥遊冴子という女性らしい。原作ストーリーでも、女探偵は、ちょこちょこと主人公に絡み、お金がなくてお腹が空いたと、奢ってもらうコミカルな立ち位置だったとか。ゲームで初めて正体を知って驚いたよとお嬢様は言っていた。
ロキと知っているのは、原作ストーリーでは二人。ゲームで二人のどちらかに教えてもらったのだとか。原作ストーリーでは、どちらに教えてもらったかはわからないらしい。
一部に正体を知られている『道化師』だから、ちょうど良いのだ。
「降参してもだめよ? 貴女は殺すように言われているから」
「冷酷なボスがいるんだねぇ。でも、そう簡単にはいかないと思うよ?」
「冷酷な……ねぇ」
お嬢様の姿を思い出して、クスリと笑ってしまうフリッグ。その様子を見ても、気にせずにロキは手のひらを向けてきた。
『吸血』
魔法が発動し、フリッグの身体から一滴の血が滲み出るように現れると、ロキの手のひらに収まった。
「抵抗したんだ。やはり君は良い。『魔導鎧』を着てもいないのに、その力は素晴らしい。この僕の唯一の弱点。変身して潜入することが殆どだから、『魔導鎧』持ちの魔法使いには苦戦するところがカバーできる!」
手のひらに付いたフリッグの血を、舌を突き出してペロリと舐めるロキ。その表情は歓喜に満ちており、ようやく理想の身体を手に入れたと笑っていた。
「僕はね、相手の血を飲むことによって変身可能となるのさ!」
「そう。なら変身してご覧なさい?」
フリッグはアイテムボックスに短剣を仕舞うと、新たに単発式の大昔の短銃を取り出す。宝石が散りばめられた黄金のフリントロック式の短銃だ。
何もないところから現れた、恐ろしい魔力の銃を見て驚くロキだが、それでも気にせずに自身の固有魔法『変身』を使う。
『変身』
その姿が粘土細工のように崩れていくと、再びより集まりフリッグへと代わる。妖艶なる美女へと変身したロキは余裕の笑みを浮べようとして、ギクリと身体を強張らせる。
すっ裸だからではない。古代の不可思議な指輪『幻想なる装い』をロキは身に着けており、人間体に変身をすると、指輪の効果で簡素な服が現れるのである。都合の良いアイテムだが、小説には年齢制限がないため、原作者も裸では困ると考えたに違いない。
簡素な装いといえど、世界一の美女であるのは変わらない。
「あら? おめでとう。世界一の美女になれたわね」
褒め言葉をフリッグは送るが、ロキは余裕なく冷汗をかき始めた。
「な、何もない。何もない! 魔法の力も、身体能力も! 一般人だ、なぜ、なぜなんだ!」
冷静さを失い、混乱の声をあげるロキへと、フリッグは妖艶なる笑みを向けるのであった。




