67話 勝利は現実を実感した
「何をしているんだ! 皇女様を連れて早く逃げないと!」
シンの誠実そうな声が耳に入ってきて、固まっていた勝利は気を取り直す。いつでもこの主人公はたとえ命の危機であっても、相手に不快を感じさせるような声を発さないのだなと、ぼんやりと思いながらも、蚊のような囁く声で答えた。
「いや、だってよぉ、ほら、周りの奴らが………」
人が死にそうだろ。今まで召使いに暴力を振るい、魔法の試し打ちで、大怪我を負わせ、闇夜にちょっかいを出そうとした時は、冒険者が死ぬ可能性があっても気にもしなかった粟国勝利はそう口から言おうとした。
自分自身、その言葉を口にしようとして、ギクリとした。今、何を言おうとした? なぜ、罪悪感を、後ろめたさを感じている?
その言葉の意味。勝利は自分自身の心の中を覗こうとしていた。
初めて、この世界で、自分自身の心の中を覗こうとしていた。
深淵を覗くが如く。見てはいけない。知ってはいけないことを知ろうとしていた。
目を背けていた真実を覗こうとしていた。
神たる自分が感じてはいけないことだ。意識してはいけないことだ。
「どうしたんだい? 早く行こう!」
シンは仲間を決して見捨てない。勝利が脚を止めているため、歩みを止めて注意を促してくる。主人公は善人なのだ。
「キャァー!」
冷汗をかく勝利に魅音の悲鳴が聞こえてくる。見ると雑草みたいに刈り取られるように、シザーズマンティスに魅音は薙ぎ払われていた。鮮血が散り、魅音が倒れる姿がスローモーションのように目に映る。
「さぁっ! 今のうちだよ、急ぐんだ!」
なにが、今のうち、なのだろうか?
彼女は所詮BGM役だった。そういうことだ。悲劇を演出するための背景画。それが死ぬモブ役の役目だ。そういうことなのだろう。
神たる自分はこの世界を神の視点で見ていた。今までは画面に映る者たちを見ている気分であった。自身はこの世界の住人であって、住人ではない。どこかでそう考えていたからこそ、召使いに暴力を振るい、火傷を負わせ、冒険者たちを殺そうと考えても平気だった。
元はオタクのニートである勝利はいくら力を持っていても、本来は他者に暴力を振るえるほど、強い精神は持っていなかった。
人を傷つけるには、鈍感さと、殴っても罪悪感を覚えない悪い意味で強い精神が必要だった。そんな強い精神を勝利は持ってなどいない。ゲームではカオスルートでNPCを殺戮できても、同じような力を持っているから、同じことを現実でできるかといえばできない。きっと罪悪感の意識に悩まされるに違いない。
今まではゲーム感覚だったのだと、10年、この世界で生きてきて、初めてその真実に気づいてしまったのだった。
だが、さっき親しげに話していた少女が死ぬ姿を見て、真実を知ってしまった。他者の断末魔の悲鳴を聞いて、多くの人々の血を見て、ようやく悟ってしまった。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
このことはおそらく、以前に冒険者を殺していたかもしれない時に意識していたはずだ。殺したあとの、リアルな死人の姿を見て、ここは現実だと改めて自覚して、罪悪感に打ちのめされたに違いない。
勝利は小物であった。小物だからこそ、人の死を背負うことなどできる強い精神などは持っていなかったのだ。
力を得て、人を虐めることはできても、殺せるかといえば、ノーだ。力を得ても、現実だと理解した今は人を殺すなどということはできない。どこまでも小物であるのが、粟国勝利という男だった。勝利は自分自身でそのことを自覚してしまった。
「は、はは」
この展開を知っていて、何もしなかった自分は間接的に人を殺したことと同義だと考えると、悍ましさから吐き気がした。
現実だと自覚しなければ良かったのに。
親しげに話しかけてきて、ピザをくれた魅音の悲鳴が聞こえた時に、ここは現実だと認識してしまった。
「くそっ、くそっ、くそぉぉ!」
両手を胸の前に突き出すと、集中する。周りの声が、悲鳴が、耳に入らなくなる。この魔法を使う際の弱点だ。全ての意識を魔法の発動に使うので、周りへの注意がゼロになってしまう。護衛がいれば、まだ安心できるが、今の状態では、無謀な賭けであった。
だが、勝利は賭けに勝った。誰も勝利の邪魔をすることがなかったので、魔法を発動できた。
『紅蓮水晶』
身体から一気にマナが抜けていき、虚脱感が襲う。ふらりと身体が倒れそうになるが、歯を食いしばり耐えると、口を開く。
目の前にはサッカーボールほどの大きさで32面体の紅き結晶体が浮かんでいた。
勝利が対主人公用として開発した必殺のオリジナル魔法だ。今回聖奈を助けるために使用する予定であった魔法でもある。
『ミサイルモード』
勝利は片手を振り、結晶体に思念を送る。結晶体はそれぞれの面を底辺として、錐の形となってバラけて浮かぶ。
人々へと攻撃しているシザーズマンティスへと、顔を向けて観察する。シザーズマンティスは逃げ惑う人々を攻撃しているが………。
「なんだ? なんであんな動きなんだ?」
まるでブリキ人形のような動きだ。鎌を使わずに、腕をぶつけるように振っているし、ぎこちない動きのため、違和感を覚える。
怪訝に思ったが、すぐに気を取り直して、次の行動に移ると、5体それぞれを目標とした。
『マルチロック』
5体をターゲットにすると、自身の周囲に浮かぶ結晶体に命ずる。
『ホーミングショット』
その言葉に合わせて、32個の結晶体は5体のシザーズマンティスへと紅き軌跡を残して飛んでいく。直線上に飛翔していくのではなく、空中で鋭角に曲がりながら、敵に軌道を読まれないように接近していった。
「チチチチ」
鳴き声をあげて、シザーズマンティスはまるで正気に戻ったかのように、鋭い動きで鎌を振るい、1発、2発と『紅蓮結晶』を弾く。だが、高速で飛翔してきた魔法のミサイルを弾くのは、2発までであった。残りの3発は身体に命中して胴体にめり込む。
胴体に深く食い込んだ紅き結晶体は、内部から焔を噴き出して、あっという間にシザーズマンティスを燃える薪へと変えていった。
ゴウッと、炎が渦巻き、シザーズマンティスはその身体を焼かれると黒焦げとなって倒れ伏すのであった。
『戻れ……ウッ!』
勝利は結晶体を戻そうとするが、その途中で集中が尽きて魔法が解けてしまう。結晶体は溶けるように消えていき、『紅蓮結晶』は解除されてしまった。
「まだこの魔法は訓練しないとな………」
集中しすきで、ズキズキと頭痛を感じながら、勝利はよろよろと倒れている魅音に近づく。
倒れている魅音のそばに近寄ると、座り込み魅音を抱き上げる。
「はは……そうだよな、やっぱりそうだよな」
魅音は死んでいた。瞳孔は開いており、息をしていない。まだ体温は感じるが、動くことはない。袈裟斬りに身体を斬られたのか、半ばまで切り裂かれていた。抱き上げた手にべっとりと血がつく。
「小説のように、都合良くはいかないよな………」
勝利はもしかしたら、魅音が生きているかもと考えていた。もしかしたら、ローストビーフの塊を懐に入れていたために、塊が切られて、本人はケロリとしているのではないかと、小説のように、ご都合展開が発生するのではと期待していた。
よくあるではないか、コインが胸のポケットに入っており、銃弾を防ぐ。雑誌を腹に入れていたから、ナイフは刺さらなかったなどのテンプレだ。
だが、魅音は死んでおり、ローストビーフの塊は真っ二つになっていた。
「はは、主人公じゃないからな、僕は……」
主人公とヒロインならば、そんな展開もあっただろうが、自分たちはモブだ。そのようなご都合的な展開は発生しようもなかった。
項垂れてしまう。もう少しまともな行動をしていれば良かったと思うが、所詮はモブ。この程度なのだろうと、涙を魅音に落とす。
だが、救いの手はまだ残っていた。
「むぅ、まだ生きているな」
「な、誰だ!」
項垂れる勝利に、やけに低い声がかけられた。慌てて顔を上げると、キョロキョロと周りを確認しているローブ姿の小柄な者がいつのまにか立っていた。
「まだ生きてるぞ」
「はぁ? どう見ても死んでるだろうが!」
「魔法使いならそうだろう。だが平民はダイレクトに魔法が効くからな」
どういう意味かと怪訝に思い、眉を顰める勝利に小柄なる者は、ちっこい手を翳す。
『範囲小治癒Ⅱ』
パアッと地面に純白の魔法陣が描かれると、光が倒れている人たちを包み込む。白き光が人々の身体を包み込んだ後は驚愕の光景が待っていた。
「な! なんだ?」
死んでいると思われた人々の身体は傷一つなくなり、傷を負ったと思われる証は血と破れた服のみとなっていた。だが、今更傷を癒やしても、死んでいることには変わりはないと思ったのだが
「ケホッ、ケホッ」
抱きあげていた魅音が咳き込む声が聞こえて、慌てて顔を向けると、顔を顰める魅音がいた。
「あー、なんか鉄臭い味がする……なんかあった?」
「は? え? 生き返ったのか?」
小柄なる者へと信じられない思いで尋ねる。見ると、周りの人々も生き返っており、不思議そうに身体を触っていた。全員が癒やされたようだ。
「まだ肉体は生きていたんだよ。魔法使いなら抵抗力があるから癒やす前に完全に身体は死ぬが、一般人はこの程度の魔法でも完全回復できるからな。欠損している者はいないようで、何よりだ」
ちこんと肩をすくめて、小柄なる者は告げてくる。マスクをして、サングラスをかけて、フードを深くかぶっているために、誰かはわからないが、なるほどと勝利は納得した。
たぶん数分間は肉体としては生きていたということなのだろう。魔法使いはその抵抗力でほとんど傷は癒やされないが、抵抗力の無い一般人は完全に傷は癒やされる。完全に肉体として死ぬ前に癒やせば生き返るということだ。
理論ではわかるが、まさしく『魔法』だと、改めて魔法の凄さに驚く勝利を一瞥すると、小柄なる者は後方へと顔を向ける。
「さて、俺はまだやることがある。じゃあな」
後方からは数百体のシザーズマンティスたちが近づいてきていた。小柄なる者はその姿をいつの間にか消していた。
そうして、先行しているシザーズマンティスの後ろに現れると首を切り裂き、またもや姿を消す。そうして朧気になったかと思えばいつの間にか移動して、シザーズマンティスたちを倒していくのだった。
「あー……あんたが助けてくれたん?」
「いや………ピザの礼程度だ。助けてない」
気まずそうな魅音の問いかけに、勝利は素直に答えるのであった。




