66話 原作の描写の意味を勝利は知る
鉄蜘蛛が動き出す。これはありえないことであると、ストーリーを知っている勝利は驚愕していた。その様子を気づかれないようにさり気なく見ている聖奈には気づくこともせずに、原作のストーリーを思い出す。
原作のストーリーでは、開始時、神無大和公爵は貴族の中で最高の勢力と権力を誇っていた。皇族を上回る力をともすれば持っていた。その権勢を以て、主人公のシンへと色々と嫌がらせを行い、皇帝の座を奪うために、様々な謀略を計画する。
それだけの力を持っていたのだ。主人公の最大の敵にして、物語のわかりやすい悪役。それが神無大和公爵であった。
なぜそれだけの力を持つに至るかというと、その理由が原作が始まる四年前。即ち、この年であり、このパーティーがきっかけだった。
皇帝が主催する10歳を祝うパーティー。よりにもよって、皇城で行われていたパーティーで、魔物が大発生し、多くの人々が死に至る。しかも殺されたのは、平民だけであり、貴族は怪我人すらも出なかった。
死亡した平民は約5万人。怪我人を含めると、その数は倍以上となった。かなり盛っているとは思うが、作者はインパクトを与えたかったのだろう。現実であれば、途方もない犠牲者の数だ。
本来は国民を守るはずの戦車は動かずに、戦車兵はいち早く逃げてしまう始末。警護の武士団はやる気もなく、弱兵であった。その隊長だけは真面目で腕が良く、武士団を率いる中核となっていた人物であり、シザーズマンティスの数の暴力の前に死んだのである。その場にいたまともな武装すらしていなかった多くの冒険者たちと共に。
このことを契機に、平民や平民の冒険者たちは皇族への不満を爆発。各地にてデモが始まり、それを抑えるために、神無公爵が鎮圧を開始した。
混乱する貴族を纒め、魔物を倒す専門部隊『須佐之男』を設立したのである。
『須佐之男』は歳は関係なく、実力のみを基準として選ばれた精鋭部隊であり、原作開始時、魔導学院の生徒会も入っていた。魔物を討伐するためとして、超法規的活動を許された部隊は、魔物を退治するよりも、主に神無公爵の政敵を倒すことに使われた。
腕のよい魔法使いたちを前に貴族は逆らうことができずに、段々と神無公爵一党のみとなっていった。
そうして、皇族の力が失われて、神無公爵の最盛期となり始めた頃に、魔導学院に入学するのが、神無公爵の元嫡男であり、放逐された主人公の神無シンなのである。
『ニーズヘッグ』、『神無公爵』、『須佐之男』が主に主人公の相手となるのだ。他にも、様々な組織がでてくるが、強大な敵はこの3つであった。
主人公は辛うじて勢力を保っている皇族や、他の貴族も味方につけて、最後は父親である神無大和公爵を倒す。燃える展開であり、古典的王道の話であった。
だからこそ、ここで戦車が動くことはおかしい。神無公爵は手を回し、戦車兵を率いる大隊長を取り込んでおり、本来はエンジンを完全に停止しているはずであった。
シザーズマンティスが現れても起動できずに、大隊長たちは逃げて、他の戦車兵たちは起動を諦めて、外で戦い儚く散るはずであった。
「こちらは皇都防衛隊所属鉄蜘蛛騎兵団です。魔物の群れが発生したことを確認しました。すぐに排除いたしますが、念の為皆さんは避難をお願い致します。慌てず騒がずに、落ち着いて移動してください」
戦車のスピーカーから、冷静な声が聞こえてきて、戦車砲を撃っていた。ミサイルを発射し、シザーズマンティスたちの群れを撃退している。
武士団も変だ。やる気もなく、シザーズマンティスたちの数の多さに恐れをなして、逃亡しているはずだ。孤軍奮闘して隊長は死に、邪魔な武士団の人間を排除していたはずであった。これも神無公爵が手を回して、警備の数を減らしていたことが起因であった。
しかし、武士団はやる気がないどころか、戦意に溢れており、その魔法の腕も、発動させた『火球』が、全て同じ大きさで同時に生み出されたことから、練度の高さが推し量れる。
数が少ないのは、神無公爵が手を回した結果だろうが、それ以外は勝利が知っているストーリーと全く違った。
何故だと混乱して、ハッと気づいた。転生者の闇夜のせいだ。あいつの存在がストーリーを変えている。
本来は一人娘の闇夜がいないために、武士団のトップである王牙はやる気を失い勢力を狭めており、その意識が影響し武士団もやる気がなく、汚職が広がり始めていた。コネで入る者も多くなり、練度の高かった武士団は見る影もなく弱体化していたと、裏設定で読んだ覚えがある。
しかし、今は違う。転生者である闇夜は幼い頃に殺戮を繰り広げることはなく、そのために分家に放逐されることもない。その結果、王牙がやる気を失うこともなく、その勢力も狭めていることもない。
以前からの質実剛健であり、精強で鳴らす武士団が存在しているのだ。
「そうか。神無公爵の企みがこんな形で防がれたのかよ」
蝶が羽ばたけば、ハリケーンが起こるバタフライ効果ということを聞いたことがあるが、まさにそのとおりだと勝利は慄然とするのだった。
「勝利さん、見てください! 鉄蜘蛛があれだけの攻撃をするのを私、初めて見ますわ!」
はしゃいだ声で、自分の腕を掴む聖奈の声にハッと気を取り直す。まずいことを呟いたかと、勝利は聖奈の顔色を窺うが、無邪気にワァワァとはしゃいでおり、聞いてはいなかったようだと、ホッと胸を撫で下ろす。
「聖奈さん、ここは避難致しましょう。ここは危険だと思います」
シンがはしゃぐ聖奈を窘めて、その手を掴む。女の子の手をああやって、サラリと掴めるところが、主人公だよなと、嫉妬を覚えながらも勝利も同意見だと頷く。
本来はシザーズマンティスたちが、戦車や武士団に妨害されることなく、雪崩の如く平民たちに襲いかかるイベントだったのだ。
今は話が変わっているように見えるが、原作ストーリーの大筋は変わらないだろう。
この先のストーリーでは、シザーズマンティスにシンと聖奈が襲われて、シンが『虚空』の片鱗を見せて撃退。そうして聖奈は助けてくれたシンに淡い恋心を抱くというストーリーだ。
そこを勝利は変えようと企んでいた。即ち、シザーズマンティスに襲われたら、自分が素早く倒すのだ。そのため密かに戦闘用のインナーを服の下に着込んでいるし、魔法の発動体として、魔法の腕輪もつけてもいた。『魔導鎧』よりは遥かに弱い装備だが、それでも今の自分ならシザーズマンティスなど楽勝だとの自信があった。それだけの努力もしてきたのだ。
あの聖奈が自分に恋心を抱く。フヘヘと顔が緩みそうになるのを我慢して、避難しようと聖奈たちの後に続く。
「おい、魅音! たらたら見学なんぞしているな! 死ぬぞ! さっさと逃げるんだよ!」
ピザの礼だと、まだ料理を食べている馬鹿な少女たちへと怒鳴る。タッパーに今がチャンスと料理を詰め込んでやがったのだ。
「あ〜、うん、危ない……かなぁ?」
「食いもんと命のどっちが大切だ、この馬鹿!」
「わ、わかった。皆行くよ!」
最後に大皿の切り分ける前のローストビーフの塊を紙で包むと懐に仕舞い、魅音たちも避難を始めるのであった。
後ろでは戦闘が開始しており、怒号と魔法の爆発音などが聞こえてくるが、人々は整然と歩いていた。混乱することもなく、避難しているために、押し潰されて死ぬような人間もいない。
「なんだ、これ? こんなんで本当に起こるのか?」
「なにが起こるのでしょうか?」
俯き歩きながら呟いた勝利に、その真下からニュッと聖奈の可愛らしい顔が出てきて驚く。変装していても、可愛らしいと思うのは原作ファンだからだろうか。
「え、いや、あれだけの魔物です。抜けてくるのもいるのではないかなぁと」
「わぁ、確かに怖いですね。……その時は守ってくださいますか?」
「もちろん、この僕が命に替えても守ってみせますよ」
恐怖の色を顔に表す聖奈に、ドンと胸を叩き勝利は好感度を上げるチャンスと笑いかける。シンがその様子を見て、にこやかな笑顔で口を挟む。
「そうですね。たしかにその危険はあります。ですが、大丈夫でしょう。僕たちの後ろには平民が大勢いますし。彼らがやられている最中に逃げ切れるかと。聖奈さんは必ず守りますので安心してください」
「フフッ、私には頼りになるナイト様が二人もいるのですね」
「え?」
可愛らしく両手を胸の前で合わせて喜ぶ聖奈。何やら変なセリフが聞こえてきたような感じもしたが、気のせいだろうと、勝利も合わせるようにハハと愛想笑いを返した。
しかし、この状況ではシザーズマンティスはここまでは来ないだろう。原作は変わったのかと、段々と疑心暗鬼になっていた時であった。
「きゃー! 魔物よ!」
「なに!」
その声で慌てて振り向くと、信じられないことに真後ろにシザーズマンティスが立っていた。しかも5体もいる。
「な、なんでだ? だって、後ろにまだ人がいるじゃないか!」
群衆の真ん中に現れたシザーズマンティス。どうしてと疑問に思い叫んでしまう。本来は後ろから、雪崩のように襲いかかってくるはずなのだ。
だからこそ、戦車や武士団に守られているこの状況では、ストーリー通りにならないと考え始めていたのだ。
なのに、忽然とシザーズマンティスたちは現れた。これが原作の強制力かと戦慄しながらも、チャンス到来だと、勝利は嗤う。ここで華麗に助けて惚れられるのだ。
「逃げましょう。ついてきて!」
シンが聖奈の手を握り走り始める。ストーリー通りだ。このまま逃げようとするが、途中で追いつかれてしまう。そこでシンは魔法を一瞬だけ、本人も気づかずに使う。
『群衆はシザーズマンティスの振るう死神の鎌の餌食となり阿鼻叫喚の世界に変わる。人々は恐怖で混乱して走り始める。シンは血の臭いと生者の断末魔の中で、懸命に走り続けるのであった。その手に守らなければならない皇女の温もりを支えにしながら』
原作のとおりだ。文章だって、一語一句間違えずに覚えている。ここで、主人公のヒロインを奪い取るのだ。
「きゃー、真美しっかりして!」
悲鳴の中に魅音の声が聞こえてきて、足が止まった。
「は?」
後ろを恐る恐る見ると、魅音が仲間であろう友人を抱えて、立ち止まり泣いていた。なぜかシザーズマンティスは殺すのではなく、障害物でもどかすように鎌を振るっているが、それだけでも平民には致命的だ。
「は?」
勝利の記憶にある小説の一節。
『群衆はシザーズマンティスの振るう死神の鎌の餌食となり阿鼻叫喚の世界に変わる。人々は恐怖で混乱して走り始める。シンは血の臭いと生者の断末魔の中で、懸命に走り続けるのであった』
彼女はモブだ。阿鼻叫喚の世界の住人。断末魔をあげて、危機感を煽るBGM役のモブだ。
だから、自分は聖奈を助けるべく、追いかけねばならない。
「は?」
だが、初めての人間の死を前に、勝利は足を止めてしまったのだった。
読んでいた小説の中の世界が、急速に現実となって、勝利へと襲いかかっていた。




