5話 しんのモブキャラだと知ったぞっと
闇夜の動きは決して速いものでも、力が籠もっているものでもなかった。だがしかし、俺は軽く触れただけと感じただけなのに、闇の剣にざっくりと腕を斬られちまった。
「いだっ!」
痛みに耐えかねて、俺は仰け反り後ろに転がる。正直失敗した。痛みに耐えて、闇夜をそのまま取り押さえるべきだったのだ。だが、俺は殴り合いの喧嘩も中学生まで。後はおとなしくおっさんになるまで暮らしていたのだ。今でも殴り合いの喧嘩なんかあまりしたことがない。
そんな俺が刃物で切られたのだ。しかも幼児だ。痛さで仰け反っても仕方ないだろう。その隙を狙って力任せに跳ね起きる闇夜。俺はコロリンと後ろに転がったが、すぐに立ち上がろうとした。やってて良かったでんぐり返しの練習。マナには覚醒せずとも、命は救われた。
小さい手を床につけて、俺は立ち上がる。幼児はイカ腹でバランスが悪い。なので懸命になって立ち上がった。相手も幼女だ。力は無いので頑張って立ち上がろうとしていた。
傍から見たら間抜けな光景だっただろう。二人の幼児が床に座り込み、体を丸めて、なんとか立ち上がろうとしているのだから。運動会とかなら頑張ってと声援があっても良い光景だろうが、俺は命がかかっていたのだ。
闇夜よりも早く立ち上がり、なにが起こったのか観察し理解した。
「『魔法武器創造』かよ。ゲームでは無かった魔法だな」
小説ではあった。ゲームでは無かった。それが『魔法武器創造』だ。小説ではトドメだとか、主人公たちを殺そうとする敵が手のひらから創り出していた。ゲームでは装備品があるから実装されなかった魔法だ。しかも、闇夜の手にある剣は闇属性っぽい。
「そうか。闇夜は闇属性に覚醒してやがったのか」
鴉の濡れ羽のような美しい艷やかな髪の毛。ブラックダイヤモンドのような綺麗な瞳。トリートメントを頑張っているんだろうなぁと思っていたが違ったのだ。闇属性に覚醒していたので、あんなにも美しい黒髪黒目だったのか。
助けに来たことを深く後悔した。来なけりゃよかった。幼稚園児なんか簡単に制圧できると思ったのが間違いだった。後悔先に立たずってやつだ、ちくしょうめ。
ボタボタと斬られた左腕から血が流れていく。服は真っ赤に染まり、直に失血死しちまうだろう。覚醒すればなんとかなるんじゃないかと思うが、全く俺の身体に未知の力は満ち溢れない。モブだからなぁ。
辺りから悲鳴や怒鳴る声が聞こえてくる。先生が来たんだろう。しかし俺の耳にはグワングワンと鐘が鳴り響き、よく聞こえない。これはヤバいぜ。
「来るんじゃねぇ!」
ぼやけ始めた視界に先生たちが近づいてこようとするのを怒鳴って制止する。幼女だと甘く見れば、サクサクと切り裂かれる。抵抗なく切れることを、よくバターを斬るようにとか言うだろう? だが、甘かった。バターにだって抵抗感はある。意外とバターの塊を斬るのは苦労するもんなんだ。
しかし闇夜の剣は全く抵抗なく俺の腕を切り裂いちまった。斬られた俺も斬られたことに気づかなかったぐらいだ。
魔法の力がこれほど凄いとは思っていなかった。大人たちも想像していないに違いない。その場合、先生たちはサクサクとスライスされて床に転がる未来が待つことになる。
「そうはさせないんだぜっと」
俺は死ぬかもしれない。ならば最後の親孝行をして、先に死ぬ親不孝なことに謝罪しよう。
俺は頑張って闇夜を止めました。勇敢な子でしたってな。
「おりゃ!」
水道が並ぶ洗い場の下に置いてあるバケツを掴んで、闇夜に投げる。幼児の力だから弱いものだが、闇夜は反応して剣を振るう。
普通ならば剣に当たるとバケツは弾かれて落ちる。だが闇夜の作り出した剣は切れ味が尖すぎた。なんとなれば、人間の腕を骨ごと抵抗なく斬ってしまうくらいに。
バケツは真っ二つになり、慣性に従い、分裂したまま、闇夜に当たった。中に入っている僅かな汚水と濡れ雑巾も一緒に。
「キィィ!」
金切り声をあげて、闇夜があばれて顔に付いた濡れ雑巾を剥がす。その間に俺は幼児用の踏み台を利用して洗い場の上に登る。もはや息は切れて限界だ。身体が冷たくなっていくが、歯を食いしばり、闇夜を睨む。
「かかってきな!」
「シネシネシネ」
乏しい語彙で挑発すると、バカにされたと『死霊』も考えたのか、濡れ雑巾を顔に当てられた恨みかはわからないが、闇夜はめちゃくちゃに剣を振って俺を追いかけてきた。
スパスパとまるで抵抗なく洗い場のコンクリートの台座が切られていく。その様子にどうなったら、あんな切れ味を出せるんだよと、俺は脅威を覚えるがそれでも予想通りだとニヤリと獣のように笑う。
なぜならば、闇夜は蛇口もあっさりと切り裂いたからだ。スパッと切れる蛇口だが押さえつけられていた水はそうはいかない。噴水のように噴き出すと、闇夜に降り注ぐ。
「ギャッ!」
勢いよくぶつかってきた水の攻撃に耐えきれず、闇夜は慌てて剣を消し、顔を拭こうとジタバタと暴れ始める。それこそが俺の狙いだ。
死霊には水は通じない。だが子供には効く。反射的に剣を手放して、顔を拭こうとすると信じていたんだぞっと。
「ウォぉぉっ!」
裂帛の声をあげて、俺は痛みに耐えて足に力を込めるとジャンプした。体を投げ出すように、足場から飛び降りる。
幼稚園児のジャンプだ。普通ならば、飛び降りるなんて無理だ。しかし、自分の身体が砕けるつもりなら別だ。闇夜まで一気に飛び込み体当たりをした。
「ギャッ」
「ぐふっ」
二人の幼稚園児は倒れ込み、俺は闇夜をクッションに覆いかぶさる。奇跡的に上手く行ったかと、闇夜の腕を押さえようと朦朧としながらも、手を伸ばす。
闇夜が剣を持たなければ、先生でも押さえられる。そう考えていた。正直、この時の俺は失血で意識が朦朧として正常な判断ができていなかったと言うしかない。
なぜならば、魔法の真価は武器創造ではないからだ。
それは闇夜が暴れながら、俺に指先を向けてくることで気づいた。苦し紛れにジタバタと暴れているだけだろうと思っていたが、その指に黒いオーラが集まっているのを見て顔色を変えてしまう。
「マジかよ」
魔法だ。そりゃそうだ。魔法攻撃をするのが普通だよな。失敗したと俺が絶望に襲われる中で、闇夜の指に収縮された黒いオーラが一瞬光る。
『闇矢』
光は闇の矢へと形を変えて飛んでくる。身体を捻って躱そうとするが、時すでに遅し。右肩に命中して肉が抉られる。その反動で俺は吹き飛ばされてしまうのであった。
「ぐうっ……」
小柄な俺の身体は転がり床にうつ伏せに倒れる。もはやどこが痛いかわからない。そこらじゅうが痛い。
「くそっ、死霊如きに俺が……」
もう死ぬと悟り歯軋りする。ゲームと混同していたこと。小説の中なら俺でも覚醒とかするんじゃないかと、実は考えていたこと。馬鹿な考えをしていたと俺は泣きたくなった。
ここは小説の世界といえど現実、俺はモブ。明日のニュースで死んだ幼稚園児と流される程度のモブだったのだ。失敗したなぁ。
もはやピクリとも動けない。終わりだと俺は意識を失おうとして、フト思った。
ゲームならば、タッチボタンを押してステータスを開き、アイテムボックスからポーションを取り出すのにと。
前世のゲームを思い出す。小説が完結したと同時に発売したゲーム。コントローラーを手に、年甲斐もなくやり込んだものだと。
コントローラーを手にして、操作ボタンを押す。
想像した。
想像したんだ。
そしてわかった。俺はモブだって。
思い知らされた。
なぜならば
『ジョブを決めてください』
意識の中に、眼前に半透明のボードが現れると、おかしなメッセージを表示させていた。いや、おかしなではない。これは見たことがある。
ゲーム開始時のキャラメイクだ。名前やキャラの容姿を決めて、最後にジョブを決める。それで、キャラメイクは終わりだ。
「そ、そうか。やっちまったぜ。俺はキャラメイク中だったのか」
薄れゆく意識を保ち、俺はコントローラーを想像する。いや、思っただけでカーソルが動く。
知り尽くしたジョブがいくつも現れる。隠しジョブはないが、基本ジョブと課金ジョブは表示されていた。
今選ぶのは一つだけだ。俺が助かる唯一のジョブ。
「決定だ」
俺はぼそりと呟く。ボードのメッセージが切り替わる。
『キャラメイクを終了しました』
『あなただけの魔導の夜を楽しんでください』
「あぁ、楽しんでやるよ。魔導の夜を。夜が明けるまで」
俺はニヤリと笑う。反撃の時間といこうかね。
死霊は生者への憎しみと殺意だけを持つ魔物だ。最近できた不死のダンジョンから漏れでた魔物は、弱い精神と強い魔力を持つ最高の体に憑依できて満足であった。この体ならば、多くの人間を、生命を殺して喰らうことができると、愉悦に塗れ、周りの人間を殺そうとしていた。
この死霊は他の死霊よりも知性があった。なので、ダンジョンが産まれると同時に知性ある死霊は抜け出してきたのだ。
予想外に小さな人間に手間取ったが、もはや倒れ伏して動かない。その身体は血溜まりに倒れ伏して、もはや死んだのだろう。
この体の持ち主がそのことに気づき、悲哀の悲鳴を頭の中であげているが、それも死霊にとっては愉しみにしかならない。
老婆のような顔が恐怖を覚えさせる不気味なる笑みに変わり、他の人間たちを殺そうと周りを見渡す。まだまだ大量の人間たちがいる。魔力を感じないものばかりだ。殺し尽くすことも容易だろうと。このまま殺し尽くせば、上位への進化も可能だと本能が囁く。
しかし、その歩みはピタリと止まることになった。先程まではこの小さな人間にしか感じなかった魔力を感知したからだ。
「?」
死霊は魔力に敏感だ。微かなる魔力でも感知できる。それなのに、先程までは欠片も感知していなかったにもかかわらず、新たなる魔力を感知したことに戸惑う。
視界を巡らせると、死んだと思われた小さな体の人間からであった。小さな魔力であるが、たしかに魔力だ。あり得ない。魔力が突如として生まれるのはあり得ない。魔力というものは突如として宿るものではないからだ。魔法を使えなくとも、魔力は最初からあるものだ。それを死霊は感知したのだ。
『小治癒』
ポツリと死んだと思われた人間から呟きが聞こえる。『死霊』にとっては天敵の光。パアッと白い穏やかなる光がその身体を覆い、みるみるうちに身体を癒やしていく。切り裂かれて骨すら覗いていた左腕。『闇矢』により抉られた右肩の光がおさまると、傷一つない綺麗な皮膚に戻っていった。
そして、倒れている人間の髪の毛が黒髪から、灰色へと変わっていく。純白の粒子が煌めき、銀色にも見える美しい髪の毛。
小さな手を床につけると、その人間は立ち上がる。
「あ〜ひでえめにあっちまったぜ。そっか、モブってそういうことなのか、なるほどねぇ」
小声で訳のわからないことを呟くと人間は死霊へと目を向けてきた。
「さて、チュートリアルじゃないけど、てめえは殺す。最初の俺の獲物になってくれ」
小柄なる体躯の人間は、まるで猛獣のような笑みを見せて、死霊へと対峙するのであった。




