49話 異常なる少女
風道はお猪口を取り落とし、燕楽の顔を凝視してしまった。魑魅魍魎の徘徊する貴族の世界にて、珍しく驚きを、狼狽を態度に出してしまった。
先程の演技ぶった怒りの姿ではなく、心底驚いてしまったために、素直すぎるほどに態度に出してしまった。
「今、なんと言ったのだ?」
聞こえてはいた。耳に入ってはいた。しかし、その言葉は虚言であり、単なる冗談であろうと、拒否から入ってしまったために、再度尋ねる。理性では、この男は最大限に風道を驚かそうと考えており、その言葉は真実だと悟っていたが、それでも尋ね返してしまった。
燕楽はニヤリとエサを前にした肉食動物のように凄みを見せる笑いを浮かべる。その顔は風道の驚愕を喜んでいるようで、忌々しい。
「言ったとおりだ。あんたの孫娘は孤児院でチャリティーイベントを行なった」
「そこはどうでも良い。問題はその後だ」
目を細めて、息を整えて、驚きの心を奥底にしまい込み、風道は再度の説明を求める。美羽という孫娘は善良だ。人の良い芳烈たちの娘として育てられたのだから、当然とも言えるが、それは調べてわかっている。
学校でも、多くの子供たちから、男女問わず人気があるらしい。銀髪に似た灰色髪の少女は無邪気に笑い、可愛らしい姿を見せる。しかし時折グイグイと人を引っ張っていくカリスマを見せており、いじめを見ると、即座に助けに行くらしい。
なので、チャリティーイベントを行なっても、あの娘ならばやるだろうと、大して気にしなかった。あの孫娘ならばやるだろう。そう考えた。驚きはない。問題は次の言葉であった。
「美羽は帝城家の助力もあって、チャリティーイベントを行なった。まぁ、所詮は子供。スラム街の連中を助けたいと言ったのを孤児院のチャリティーに話をすり替えられたらしいが、あっという間にイベントを開催した」
「たいした大きさの孤児院ではないのだろう?」
「そうだ。小さな個人経営の孤児院だ。子供の気まぐれに付き合うにはちょうど良い」
ニヤニヤと笑って、侍女がテーブルに置いたスペアリブに、手が汚れることも気にせずに、燕楽は手で乱暴に掴み取り、大口を開けてかぶりつく。
ムシャムシャと肉食動物のように肉を齧りながら、話を続ける燕楽。貴族と言っても、欧米とは違い、うるさい礼法はそこまでは存在しない日本の貴族ならではの態度だ。燕楽のその仕草はぴったりその表の性格に相応しい。
「孤児たちの歌で、多少なりとも寄付があればと、美羽は考えた。王牙は違った。自分の権力基盤の少しでも足しになればと、軽い病の貴族たちを集めたんだ」
「ふん、数十人呼んで、一人の病を治す。後は数人に回復魔法をかけて終わり。参加者は次のチャリティーで治癒を受けられるかもと、帝城家に尻尾を振るわけだな」
忌々しいと風道は酒をぐい呑みする。本来、それは鷹野伯爵家が行うことだったのだ。権力基盤を広げて、落ち目の家門を再興させる。
老人や病人ならば1000億稼げる資産よりも、1億で健康を維持できるならば、そちらを選ぶ。特に、貴族はそうだろう。誰しも、老いを感じたら、次は金よりも健康を目指すものだ。
チャリティーイベントなど、帝城家にとってはどれほどの良い話であったか、簡単に想像がつく。
「あんたの孫娘の回復魔法の威力は低いと言われていた。なもんで、そこまでは期待はしていなかったのかもな。だが、予想以上のことが起きちまった」
「………本当に真実なのか?」
ゴクリと知らず、風道は息を呑む。冗談ではないと理解しているが、それでも信じられない内容だったからだ。風道の言葉に、信じられないのも無理はないと燕楽は頷く。自分もその話を聞いたときに驚愕して、嘘ではないかと、何度も手の者に確認させたのだから。
「真実だ。美羽は参加者全員に『病癒』をかけた。30人いる参加者全てに。まぁ、何人かは治らなかったらしいが、その後も範囲回復を何度も使用したらしい」
「ありえん! 病や毒を癒やす回復魔法はおいそれとは使えないはずだ! 今の聖女だって病気を治すのであれば一回使えば、数日は休まないといけないはずだ!」
バンとテーブルを叩き、怒鳴るように風道は言葉荒く燕楽へと詰め寄る。それだけ信じられないことだったのだ。
『状態異常回復』。それは言うほど簡単ではない。魔法などといっても、万能ではないのだ。特に回復魔法はそうだ。
攻撃魔法などなら、なんとなくのイメージで『力ある言葉』を口にすれば、適性がある者なら発動できる。
しかし、『回復魔法』は別なのである。毒はまだ簡単だ。毒を打ち消すイメージで治せる。病の場合、癒やす対象の身体の状態をマナによりスキャンして、どこが悪いのか? どのように治すアプローチをかければ良いのか、極度の集中力を必要とする。マナの多寡ではない。精神力の問題となるのだ。
一度病を癒やすと、しばらくは疲れて身体はだるくなる。それが常識であった。
今までは。
「あんたの孫娘は、特に極度の集中力を必要ともしていなかったらしい。これはうちの研究者の予想だが、恐らくは単純に『状態異常』を治すとしか、考えていないのだろうということだぜ。本人はそれだけ回復魔法を使ってもケロリとしていたらしいからな」
「………そんなことが………その所業はまさに『魔法』ではないか。本物の聖女というわけか? しかし、それだけの魔法を使わせるなど、芳烈め、なにかあったらどうするつもり……。そうか! あやつは魔導学院に進学しておらん」
なぜ芳烈は美羽が魔法をそれだけ使うのを止めなかったのかと思い、すぐに気づく。回復魔法の常識は貴族内だけだ。しかも自分たちにはほとんど縁のない魔法のために、魔導学院で教わらなければ、口に上ることはない。聞く内容はといえば、回復魔法使いは他者の体を癒やす。ただそれだけだった。
なので、平民たちは勘違いをしていた。回復魔法使いは希少だ。しかも、その魔法の回数はマナの量によると。ただでさえ回復魔法使いは極めて少数のために、貴族たちにしか回復魔法は使われないのだろうと。
芳烈は『マナ』の多さで魔法の回数が変わると考えているのだろう。しかし、回復魔法使いだけは例外であると知らないのだ。貴族たちは知っているし、自分たちにはほとんど関係ない魔法の話だ。噂に上るのは、誰それが回復魔法使いだ。そんな話だけなのである。魔導省に勤めておきながらと思うが、話題に上らないのも無理はない。
「帝城は青褪めただろうよ。きっと裏で誰を治すか決まっていたはずなのに、予想外にも全員に使っちまったからな」
「………だろうな。口止めするわけにもいかぬ。敵対派閥に見せつけるために、招待した貴族の中にも他の派閥の者がいたのであろう?」
そうでなければ、燕楽がこんなに早く知るわけがない。そして、すぐに燕楽が自分に会いに来た理由も理解できた。海千山千の貴族たちだ。謀略を考えるにも早い方が他を出し抜ける。
「これはチャンスだ、燕楽殿。儂の孫娘はあまりにも規格外。他家の下に付くのをもはや見逃すわけにはいかぬ」
「そうだな。子爵になったといっても、鷹野芳烈には金も権力もない。たかだか魔導省の一役人にすぎない。これは異常なことだ」
皇帝と貴族の支配する日本魔導帝国。平民には国民の意見を反映させると、選挙権を与えているが、実質は昔と変わらぬ貴族政治だ。魔導省の木っ端役人とは格が違う。法律は皆に平等に適用されるわけではないのである。
貴族は没落貴族以外は、必ず大なり小なり会社を持っている。税金対策に必要なのが貴族という称号なのだ。貴族は平民より遥かに税金対策で優遇されているのだから。
故に鷹野芳烈は異常であった。帝城家が囲っているのだから、それ相応の会社の一つでも渡す扱いをすれば良いのにしていない。鷹野美羽という逸材の力を搾取しているのだ。
と、表向きは言えよう。たとえ、実質は違っていてもだ。お人好しで善人の芳烈がぽんと会社を渡されても受け取らないことは簡単に想像がつく。
だが、それは風道だからこそわかることだ。他者から見たらどうなるかという点が重要なのだ。
「帝城家がいかに鷹野美羽をいいようにこき使っているか、それを儂が涙ながらに訴えればどうなるのかわかりますか?」
「もちろん俺は風道殿の辛い境遇が痛いほど解る。たった一人の孫娘が搾取されているのを傍観するしかなく、会えないのは辛いでしょう。ここは仲直りをするべきと、仲介を申し出ようじゃないか。なに、他の公爵、侯爵、伯爵たちも同意しよう」
この日本の有力な家門、即ち3公爵3侯爵30伯爵の36家門。他にも伯爵家などはあるが、古くからある名門にして、財も力もあるのが36家門だ。まぁ、例外はあり、没落した家門と入れ替わる伯爵家は存在するが。
そして、その中でも頭一つ抜けて力を持つのが、公爵、侯爵。彼らはそれぞれ他の家門を派閥に組み入れている。だが、帝城家がこれまで以上に力を持てば、警戒する派閥も現れる。いや、既に警戒しているだろうことは想像に難くない。
派閥に入らずにいる中立の家門も、伯爵家同士で同盟を結び、派閥に対抗している家門も、これ以上帝城家が力を持つことを容認することはないに違いない。
鷹野伯爵家は中立だ。最近は粟国公爵家に近づいているが、独立独歩の家門である。それほど力は持っていない。
だからこそ、狙い目だ。鷹野伯爵家では、美羽を手に入れても、そこまで勢力を広げることはできないと思われる。少なくとも、帝城家の下にいさせるよりはマシだと各家門は考えるはずだ。
「今度の新たなる子息・息女の貴族としてのお披露目の皇族の主催するパーティー。多くの家門が出席する。もちろん、芳烈も出席する。多少の話し合いをしてみようと思う。今度は友好的にする予定だ」
「たまたま俺は側でその話を耳に入れてしまうだろう。その時は俺の性格的に、仲直りしろと仲介をしてしまうだろうよ」
豪放磊落で、熱血漢の燕楽はつまらない喧嘩など許さない。そういうシナリオだ。両人の肩を抱き、仲直りしろとカラカラと笑うつもりだ。
「ふふ、その時はよろしくお頼みしますぞ。仲直りの代価として、儂は芳烈を次期当主にする予定ですからな」
「思い切ったな、風道殿」
「なに、儂もまだまだ若い。芳烈の手伝いもできますからな」
にやりと嗤う燕楽に、同じように悪党のように口元を歪めて風道は嗤う。
謀略を練るのに、慣れている二人の狡猾なる姿がそこにはあった。狙うは皇族のパーティー。帝城家も皇族のパーティーで騒ぎ立てることはできない。それも計算のうちだ。パーティーの一隅で多少の話し合いで終えるつもりだ。
そうして、美羽を自分の家に引き入れようと、風道は考えるのであった。
………風道は一つだけミスがあった。
それは息子の嵐だ。嫡男を外されようとしている男は金遣いが荒かったが、一つだけ長所があった。
それは部下に対して、太っ腹なところである。貴重な情報を集めてくる者には大金を渡していた。
そして、風道たちが意識もしていなかった壁際に立つ侍女は、こっそりとこの後に嵐の所に行く。
様々な思惑が皇族のパーティーに集まることになる。どのような結果になるかは、神すらもわからないのであった。




