371話 モブな主人公なんだぞっと
世界は崩壊していた。次元の壁は破壊されて、虚空の先に灰の世界が垣間見える。魂を凍らせるような冷たき風が吹き込んでおり、灰が粉雪のように降ってくる。
ヨルムンガンドと戦闘をしていたオーディーンたちも、ユグドラシルバグたちも動きを止めて、空中戦艦アースガルドへと視線を向けていた。
「アハハハハ! 神の力を取り戻したアタシに驚いたぁ? 認識できたかな? プククク、できないよねぇ。転生者とはいえ、ただの人間にはさっ!」
自分の優位を理解して、得意げに醜悪な嗤いを見せる神無月。女神『ヘルヘイム』の力を取り戻した今では美羽など相手にならないと確信しているのだろう。
「さぁ、不敬なアンタは魂を玩具にしてあげる。蝿にしたり、ダニにしたり、アリにしたりしてあげるぅ。楽しそ〜」
下品に大口を開けて、美羽を楽しそうに見ながら嘲笑う。この先のことを考えて笑いが止まらないのだろう。圧倒的な自身の力に酔いしれているようだ。
だが、その余裕の笑みは怪訝な表情に変わり、すぐに顔を歪ませる。
「な、なんだ?」
腕を引き抜くと、バッと離れて神無月は美羽を信じられないとばかりに顔を歪めて睨む。
震える人差し指を突きつけて、声を震わす。
「あ、アンタ。……アンタ、魂はどこにあるぅぅぅ! ない、ないぞ? どこにもないっ! 巧妙に魂があるように偽装されているけど……魂を扱う女神の目は誤魔化せないっ!」
甲板をヨロヨロと後退り、怒鳴るように尋ねてくるので、軽く肩をすくめる。
「見えてたんならわかると思うけど? 『ヘルヘイム』の力を持っているんだろ?」
「わ、わかる………見えるっ! アンタは生命体でもない。ただの人形。エネルギーの塊なだけの存在だっ! 転生者のフリをした偽物だっ!」
冷ややかに驚きの表情の神無月へと答える。神無月は正確に美羽の正体を見抜いてしまった。まぁ、本当の神には誤魔化すことはできないと思ってたよ。
そうだよ。鷹野美羽はただのエネルギーの塊だ。魂すら存在しないゲーム仕様のキャラクターだ。アストラル体だけで、周囲の黄金の糸を吸収していないと存在を維持できない。
本体と俺がデータを入力して作り上げた、ただの人形である。AI搭載の優れもののキャラクターだと言えよう。
維持するエネルギーが尽きると消失してしまう儚き存在なのさ。
たった一枚のフレースヴェルクの羽根を核として作られた存在なのだ。
この世界に潜入しても、ヘルヘイムに気づかれないように。みーちゃんを滅ぼせる存在とぶつからないように、入念に隠して人間に見えるようにした存在なのだ。
なにせ、潜入した当時はとんでもなく弱かったからね!
「『プレイヤーキャラクター』と言って良いよ。頑張ってキャラメイクしたんだ。強くなったよね?」
「あぁぁぁっ! そ、そうだとすると……そうだとするとぉぉ、お前の主は誰だっ! そこまで強い人形を作れる存在……。そんな馬鹿なっ。神は私以外は死に絶えたはず。オーディーンだって、復活はしたけど神の力は消えている! ま、まさか、まさか『ロキ』か? あいつが生きていたのか?」
頭を抱えて神無月は顔を引きつらせる。自分以外に神の力を持つ存在が生き残っていたのかと、焦りの表情で空を仰ぐ神無月。
慌てている理由はわかる。ヘルヘイムは戦闘能力が低い。戦闘能力が高い神が生き残っていた場合、排除される可能性があると考えているのだ。
「と、扉っ! 『次元の扉』を閉めないとっ! 他の神が入り込んでくる前にっ! 閉まれっ、『次元の扉』よっ!」
光の柱が捻り、カチリと音がすると光が消えて柱が霧散する。カチンと音がして甲板に手のひらサイズの黄金の鍵が転がっていく。
ホッと安堵する神無月だが、すぐにその顔は再び焦った顔になる。
なぜならば、世界を破壊して開かれた虚空の扉は依然として存在しており、閉まる様子を見せなかったからだ。
「な、なんで? なんで扉が閉まらないのっ! なんでよ、信じられないっ!」
「勘違いしているようだけど、その鍵は開けることはできても、閉めることはできないし」
ふぅと息を吐くと、教えてやる。転生者の仕様は次元の壁を壊すだけ。修復することも、塞ぐこともできない。
それにもう遅い。扉が開いた瞬間に入り込んだのだ。
「私の本体はもう来ているんだ」
「なっ! どどこに? どこに? 誰だっ、生き残っている神は誰だぁっ!」
美羽を凝視して、本体がどこにいるのか探してくるので、トントンと自分の頭をつつく。
灰色髪がもぞもぞと動くと、ぴょこんと顔を出す。
「じゃじゃーん。本体とーじょー」
つぶらな瞳を輝かせて、舌をちろちろと出して、ゆらゆらと身体を揺らす。ついでにコロリンと頭の上で転がっちゃう。
「最高にして最強のでんぐり返しです!」
その声は鷹野美羽とまったく同じだった。だが、その姿は少女ではない。
艷やかで白金の輝く鱗。縦に割れた白金色の宝石のような瞳。手乗りサイズの細長く小さな胴体。
「へ、へび? 蛇? 小さなヘビィィ?」
震える指を突きつけて、驚愕と混乱を混ぜて神無月が叫ぶ。
「当たりだよ! みーちゃんの正体は蛇でした!」
テヘヘと悪戯そうに笑うのは、鷹野美羽の本体。
小さな小さな蛇。鳥さんに簡単に捕食されそうな目立つ姿の白金の蛇であった。
世界の始まりから存在していた蛇だ。生まれてから、なにも考えることなく、ただ生きてきた。
仲間が大勢いる中で、私はなにも考えずに生きてきた。見上げても全長すら分からない巨大な竜『ニーズヘッグ』の下で生きてきた。
何をすれば良いのか分からないから、真似をしてカジカジとパフェを齧ってきた。『ニーズヘッグ』と比べると小さな小さな口でカジカジと。
ちょっとの力を吸収して、仲間が死んで新たな仲間へといつの間にか変わっても。
多くの神々が世界を作っていてもカジカジと。
『終末の日』が来て、世界が死に絶えてもカジカジと。いつの間にかあれだけいた仲間たちの姿が消えていても。
新たなる世界を目指し、『ニーズヘッグ』が飛び立っても。ついてくるかと聞いてきたが、カジカジは終わっていないので断った。
私はカジカジ食べていた。小さな小さな力を吸収して、永遠を一人で生きてきた。
「神話において曰く。『ニーズヘッグ』のそばには蛇がいる。蛇と共に生きている」
鎌首を傾けて、ちろりと舌を出す。
「神話において曰く。たった一行、たった一文字」
その白金の身体を耀かせて、くねくねダンス。
「神話において曰く。誰もが気にしない存在」
光は鷹野美羽を覆い重なっていく。
『完全同期』により、お互いの記憶が統合されていく。
私の神代から続く記憶と、この世界で暮らした私の記憶が合わさっていく。
さようなら、鷹野美羽。これまでありがとう。
『ううん、これで皆で暮らせるね!』
さようなら、おじさん。これまでありがとう。
『気にするなよ。それじゃまたいつか会おう』
二人の別れの声を聞きながら、私は一つとなる。全ての力は私となる。
ウェハースのような根っこ。生クリームの柔らかさをもつ葉っぱ。アイスのひんやりとした美味しさと同じの朝露。膨大な私の記憶が鷹野美羽の記憶を上書き……。
『なんだか全然自我が消えないよ?』
『……私の記憶って、パフェばかりだからね!』
膨大な観測データは記憶しているけど、いらない記憶として奥底に仕舞ってあるので、まったく自我に影響していなかった。
というか、10年程度しか生きていない鷹野美羽の方がたくさんの楽しい記憶があった。
あれれ、予想外だよ。私の記憶ってスカスカだったんだ! 何万年生きているのか覚えていないのにね!
とはいえ、共通部分はあるので、意識は一応統合された。統合というか共存みたいな感じ。
意識は統合されなかったが、その姿は大きく変わっていた。空中に浮くと、私は真の姿を取り戻す。
灰色の髪は白金に煌く艷やかな髪に。アイスブルーの瞳はどこまでも深い輝きを宿す白金の瞳に。白き肌には傷一つなく、その手は白魚のようで、スラリとした脚が伸びる。そうして身体が完全体に変化を終える。
トンッと床に足先から軽やかに着地する。『完全同期』は完了した。
ふわりと白金の髪が靡き、桜色の可愛らしい唇が微笑みに変わる。
「神無月ちゃん。私もこれを待っていたんだよ。これが私の完全体!」
可憐な笑みでお辞儀をして、ふふっと笑う。
もはや以前の私ではない。私とみーちゃんが一緒になった真みーちゃんなのだ。まさかのAIみーちゃんの自我が吸収できないとは思いもよらなかったけど、違和感ないからいっか。
私はみーちゃんで、みーちゃんは私だ。おじさんは精神世界にてさようならと、とっても良い笑顔で消えようとしていたから、みーちゃんタックルで動きを止めています。ナイス私。逃さないようにぐるぐる巻きのミノムシにしておいて。
『お前、ふざけんなよ! これからは悠々自適の生活を送れる約束だっただろ!』
『この電話は電源が入っていないか、聞こえないようです』
『きゃー、みーちゃんも聞こえませーん』
怒ったようなおじさんの声が聞こえてくるけど、きっと幻聴だよね。これからも三人一緒に決まってるでしょ。
白金の髪は流れる清流のように伸びていて、足元で広がっている。身長よりも長くなった美しき髪の毛は床に触れることなく、僅かに浮いている。
胸も大きくなって、腰にくびれができて、モデルのように背も高くなったのだ。
「大変! エンちゃんがちっこくなっちゃった!」
「11センチ小さくなってますね。それに体重も2.3キロ軽くなっています。でもあのみー様も可愛らしいです!」
どこからか声が聞こえるけど、比較対象は小さな蛇の時だから、嘘は言ってないもん!
「……わかります。姿が変わってもみー様なんですね?」
緊張した顔になり闇夜が尋ねてくるので、コクリと頷く。
「うん。私はみーちゃんです! 二つの人格がだいたい一つになったみーちゃんだよ!」
「良かったぁ〜。良かったよぉ。もしかして消えたのかと思ったよ〜」
「それでは、合わさった人格さんにも歓迎会をしますね」
玉藻がトスンと床に尻もちし、安堵の顔となる。闇夜も疑っていないようで、微笑みに変えて嬉しいことを言ってくれる。親友たちは本当に良い子たちだ。
「かみ……神ではなくて、………た、ただの蛇? なんの変哲もない、名すら存在しない蛇だとぉぉ! ふざけんなっ! 死ねっ!」
激昂し顔を怒りで真っ赤にすると神無月は神域を作り、世界を移動してくる。さっきまでは認識できなかったけど、今は見えているんだ。
「くらいなっ!」
神無月が目の前に現ると、顔を目掛けて殴ってくる。
ズンと音を立てて、神無月の拳は私の顔に入った。ニヤリとゲスな笑みになるが……。
「私の力の方が強いみたいだね」
「な、なんで? なんでよ!」
紙一枚の厚さで、私に拳は当たってなかった。皮膚に触れる前に、見えない壁が私を守っている。
純粋な力が障壁となっている。身体にはオーラも纏っておらず、その存在は威圧感もない。だが力を完全に内包しているだけだ。完全に把握しているだけである。
「ひっ、へ、蛇のくせにっ! 雑魚のくせにっ! うァァァァっ!」
神無月は顔を引きつらせて、恐怖の表情となり乱撃を繰り出す。だが、空気の破裂音はするが私には触れることもできない。
「なんで、なんでよっ! 力を、完全に、取り戻したのに」
面倒くさいので、神無月の拳を掴む。
「私は名前もない。ただの蛇だったんだ。でも、その流れを変えたのは、頑張ってパワーアップしたのは私自身の力なんだよ」
神無月の拳に軽く力を込める。完全体となったと言い張る神無月の拳は砂糖菓子のようにあっさりと砕け散る。
「うっぎゃぁぁぁっ」
拳が砕かれて、悲鳴をあげると神無月は後退る。その姿を見ながら、ニコリと私は微笑む。
「私はモブなんだ。一言しか出てこない蛇さんだ。でも頑張ったから、この世界で皆の力を借りて頑張ったから」
コテンと首を傾けて告げる。
「モブな主人公になったと胸を張って宣言します」
花咲くような笑みにて、涼やかな鈴の鳴るような声音で宣言しちゃうのであった。




