362話 緊急事態
弦神聖奈は帝城の会議室にて、なにが起こったのかを懸命に考えていた。伸ばした自慢の銀髪を人差し指にくるくると絡めて、魔神アシュタロトが倒されたことに戸惑いと警戒心を持っていた。
「魔神アシュタロトとやらを倒した者はまだ見つからないのかな? もしくは復活させた者だ」
皇帝であるお兄様が、深刻そうな顔で周りに座る自らが選んだ部下たちに問いかける。
あれから、『空間の魔女』とシンの計画を防ぐために魔神の存在をお兄様たちに教えたのである。
そのための緊急会議に集められた彼らは身分の貴賤なく選ばれた優秀な者たちだ。
とはいえ、『優秀』とつくものは、人脈や財力、武力なども含まれるために、高位貴族が多いのではあるが、それでも男爵や平民もいるので、だいぶ風通しは良くなった。
下級貴族たちも平民たちも、その話を聞いて出世ができると希望を持っているのだから、お兄様は優秀と言えよう。
「……はっ、はい……。現在調査しておりますが……その、調査しておりますが……。調査をする物質も無い状態でして……。何もないですからな」
順風満帆とはいえないが、それでも軌道に乗せようと頑張っている人たちだが、お兄様の質問に口籠り答えることはできなかった。
わかります。私も現場に行きましたが本当に何もなかった。いったいぜんたい何をすれぱ、あそこまで綺麗に学院ごと消滅するのか見当もつかない。
「し、しかし、本当に世界を滅ぼすレベルの魔物、『魔神』とやらが学院に封印されていたのでしょうか? 俄には信じられないのですが」
少し小太りの男性が、緊張した表情で問い返す。たしか男爵という低い地位にありながらも、抜擢された人だ。お兄様が洗脳されたときにも側にいた忠実なる男性である。
「うん……僕もそれを疑問に思い、帝城の禁忌の本も洗いざらい調べさせて確認したよ。たしかに『魔神アシュタロト』は封印されていたようだ。世界を滅ぼす強さを持っているかはわからない。誇張されて記載されているかもしれないからね」
口元を押さえて、厳しい目つきとなり、問い返してきた部下へとお兄様は答える。反論されても丁寧に返すのはお兄様の良いところだ。
「でも、文献に書いてあるとおりならば、国に大変な被害を出すレベルの強さであることは間違いないと言えよう。それほど強力な存在である封印されていた『魔神』を復活させたのか、倒したのかわからないが、その者には話を聞かないといけない」
「陛下。それについては倒されたものだと推測できますぞ。我が息子が命懸けで手に入れた情報によると、復活したのであれば『アシュタロト』とやらはコソコソ姿を隠すことなく、破壊を撒き散らして出現するらしいです」
燃えるような赤毛のおじさん、今や帝城王牙さんに続いて、ナンバー2となった粟国燕楽さんが手を挙げて発言する。
いつの間にか、勝利さんが手に入れた魔神の情報は命懸けの大変な冒険譚が一本書けるほどの苦労の結果となったらしい。
彼は未来の記憶を持っているから、魔神のことは知っていたとは説明できないし、さらにはあっさりと『空間の魔女』に騙されていたとは言えない。
私の隣に座る勝利さんは、燕楽おじさんが鼻高々に騙る息子の活躍に、顔を引きつらせてカチンコチンに緊張している。今ならつついたら倒れそうだと少し悪戯心が湧いて、フフッと笑ってしまう。
脇腹をちょんとつついたら、飛び上がりそう。つついてみても良いかしら。
「それならば、倒されたことを前提に話しても良さそうだね。では、誰が復活させたか? これは確実に『ニーズヘッグ』だと思われる。そして、誰が倒したかだ。誰か心当たりはないかい? 勝利君は思い当たらないかな?」
「は、はひっ。お、恐らくは神無シンかと。あいつは『魔法破壊』という魔神を倒す切り札を持っていましたから」
「でも、神無シンが魔神を倒す理由がない。正義のため、人々を助けるためかい? 正直言って、まったく信じられない」
「そ、しょうなんですが……。な、なんでですかね?」
自分に意見を求められて、緊張した表情で勝利さんがお兄様に返答する。たしかにそのとおりだと思う。勝利さんの言うとおり、『アシュタロト』の魔法障壁を破るには『魔法破壊』が必要だ。
だから、倒したのはシンで間違いないとは思う。………でも、本当にそうだろうか?
今回の世界では、彼は皇帝になるどころか、もはやお尋ね者だ。ならば『アシュタロトの首』を手に入れたら、即座に時間を巻き戻そうとするのではなかろうか? しかし、今は時間は普通に過ぎている。何も起こっていない。
と、するともしかしてシンではない? 信じられないことだが、だとすると倒せる強者が他にいることになる。
そんな人物は………今回の世界以外では見たことも聞いたこともないドルイドの大魔法使い……そして、ハチャメチャな力を持つみーちゃんしか心当たりはない。
なんだかみーちゃんならば、『アシュタロト』すらも倒せてしまう予想ができるのだ。彼女はあらゆる点で規格外だった。なぜ今までの世界ではあの娘が姿を現さなったのかわからない強さを持っている。
無邪気に笑う親友を思い出して、クスリと笑ってしまう。私が笑ったことに気づいたお兄様が視線を向けてくる。しまった、私としたことが失敗したわ。
「僕の妹は別の意見を持っているようだね?」
「大魔道士様とみーちゃんのどちらかの可能性はありますわ」
小首を僅かに傾けて、可愛らしく見える角度でお兄様に答えると、胡乱げな目でお兄様は周りを見渡す。
「シンが魔神を復活させて、倒すのは現状ありえません。メリットが全くないですからね。魔神を復活させた愚か者と詰られるのがオチです。功績にはなりえません」
「………とすると、やはり鷹野女王に話を聞かないとまずいわけか……」
そっと胸に手を当てて、穏やかな笑みで答える。勝利さんの視線が私の胸に注がれても、笑みは崩さない。
「うぬぬぬぬぬ。彼女はまったく召喚に応じることはないかな?」
「残念ながら、陛下の決めたことです。国政に女王を参画させないことは。あの時点では悪い取り引きではありませんでした」
頭を抱えるお兄様に、宰相が哀れみの混じった視線で答える。たしかにあの時点では、みーちゃんが怒りださないか不安な程な取り引き内容だった。
なにせ国政に関われないのだ。いかに財力を持っていても、貴族としては厳しい内容だ。
「鷹野女王は、国政にあまり関心がなさそうでした。若いですし、裏で資金援助などをして支援する者たちを国政に関わらせれば良い話でしたし」
ピシリと背筋を伸ばして、相変わらず厳格な空気を醸し出している帝城侯爵がお兄様を慰める。慰めているかはわからないかも。
「帝城侯爵。そういう正直すぎる返答は止めてくれないかな? それでもメリットはこちらの方が大きかったはずなんだ。それがこんなことに………。うん、誰が倒したかはおいておいて、もう追及する必要ないのかもしれない」
「ですな。これ以上、鷹野女王を召喚するとなると、契約内容を変更する必要もございますし」
皆がそうですなと頷き、お兄様の考えに同意を示す。まぁ、倒されているのだから、たしかに慌てる必要はないのかもしれない。
みーちゃんが倒したとすると、『アシュタロトの首』は彼女の手元にあるはず。でも、彼女がループを願うことはあり得ないし、思いつくこともないだろう。
知識の魔神に時間を巻き戻す方法を聞く理由がない。
とすると、ループは終わったのだろうか? 完全に私が望んだ世界とはなっていない。お父様は死んでしまったし、皇族の権威は地に落ちている。
でも、様々な謀略や、『空間の魔女』の正体、神無シンの狙いを防いだことを考えると、ベストではなくベターな終わり方だ。
ようやくループが終わったのだと考えると、胸にじんわりと喜びが宿る。これからは決められた運命などに縛られることなく、私は自由に生きることができるのだと思うと、嬉しさで顔が綻んでしまう。
「どうかしましたか、聖奈さん?」
「いえ、魔神が滅ぼされて嬉しく思ったんです」
私の僅かな表情の変化に気づいて、勝利さんが聞いてくる。色々と悪いところもあるが、優しい人だ。まさか、私があの勝利さんに恋することになるとは、前回までの私ならば信用しないだろう。
クスッと笑みを零すと、デレデレとして顔を真っ赤にしてくれる婚約者の耳元にそっと口を近づける。
「私に考えがあるのですが、良いでしょうか?」
「もちろん、僕は全力で支援しますよ。お任せください」
優しい勝利さんは、私の考えを聞くこともなく頷く。今後、魅音さん以外の女性は近づけないようにしないと、ハニートラップにホイホイ引っ掛かりそうな人だ。
了解を得られたので、私は挙手をする。
「お兄様、現実的な話をしましょう。第三学院は消滅しました。施設にあった膨大な蔵書や魔道具も、防衛魔法のかかった学舎や、結界の張られた訓練場すらもです」
「たしかにそうだね。これからどうするか話し合いをしないといけない」
「私にお任せを。学院復旧のために私の愛する婚約者の勝利さんが資産を投じてくれると言ってくれました。結婚前の共同事業ですね」
「復旧したあとは?」
お兄様が目をどんよりとした光で輝かせて、私の発言を聞く。
「もちろん、勝利さんが理事長を……あ、でも公爵の後継者たる勝利さんは理事長をするほど暇ではありませんよね?」
隣に座る勝利さんへと寄りかかり、うるうると目を潤ませて見上げる。手に手を重ねて、勝利さんの温かい手を握る。
「しょ、しょうかも?」
「なら、代わりに私が理事長をします。勝利さんは副理事長で良いですよね? 妻が夫を支える……夢だったんです。キャッ」
「お任せします、聖奈さん! ぼきゅのつみゃとしておにやむがいを」
蕩けた顔で、快く勝利さんは賛成してくれた。良かったです。さすがは私の愛する人。
「聖奈? 勝利君が……若い人材を抱え込んで、将来はなんて思ってないよね?」
「将来は勝利さんとの子供が、幸せに学べる学院を目指します」
呆れた顔でお兄様が尋ねてくるので、頬に手を当てて、テレテレと照れてしまう。そういう将来設計を語るのは恥ずかしいです。
今は自由なのだ。ループは終わり、私は昔通りに行動したい。
バタンと椅子がひっくり返り、幸せな表情で勝利さんが倒れていた。うへへ、子、子供……とか呟いている。
「粟国公爵? 勝利君の後継者教育はよーくしておいてくださいね?」
「ガハハハ。まぁ、そこまでではないですよ、陛下」
「粟国公爵のモットーを信じますからね?」
豪快に笑う粟国公爵に、お兄様は疲れたように息を吐く。頭を軽く振って、気を取り直し、これからのことを話し合おうとする。
が、唐突になにかが聞こえてきた。軽快で楽しいメロディの音が奏でられている。
「なんだ、これは? ハーモニカ?」
「猫踏んじゃったですな。しかし、どこから?」
「防音魔法のかかった部屋ですぞ。どうなっている!」
皇帝陛下の会議室は防音だし、遮音もされていて外からの音は聞こえない。それなのに聞こえてきたことに、皆が騒然となる。
音色ではなく、聞こえてきたことが問題なのだ。勝利さんもすぐに立ち上がると警戒の表情となり、私も部屋を見渡す。
音源はない。いや、絶対に外から聞こえてきている。
なにが起こっているのだろう? 不安が心に巣食い始める中で扉がノックなしに開かれた。
「陛下! カルト宗教『ユグドラシル』に潜入させていた者から緊急連絡です。孤島『ユグドラシル』が崩壊。島よりも大きな黄金の樹が島の中心から突如として現れて空中に飛んでいったそうです。黄金樹からは多数の魔物が出現!」
現れたのは焦った表情の後藤隊長であった。僅かに息を切らせて、顔を険しくさせている。
「さらには、監視していた鷹野家から大型空中戦艦が出現! 鷹野女王はどうやら戦闘準備をしている模様。恐らくは孤島『ユグドラシル』が自分の領地内、東京にあるからだと思われます」
「な、なんだって〜! うぬぬぬぬ、鷹野女王を呼んでくださーい! 契約内容は見直すと告げるのです!」
遂に耐えきれなくなったお兄様は、絶叫するのであった。
なにが起こったのかわからないが、私もみーちゃんの家に行かねばならないわ。勝利さん一緒に行きますよ!




