360話 ヘルヘイムと神無大和
神無大和のマナの力により、黒曜石の広間は震動する。宙に浮く砂埃がバチバチと弾けていき、暴風が広間を駆け巡っていく。
神無大和は、黄金のオーラを身に纏い、持つ力を全開にすると、キッと鋭い眼光でヘルヘイムを睨む。ヘルヘイムはその力を感じて、僅かに驚きで感嘆の息を吐き、パチパチと拍手をした。
「素晴らしいですよ、神無大和。その人間の枠を超えた力。保険をかけておきましたね?」
「ふっ、誤算だったか? 今のシンには魂は一つしかない。『ドラウプニル』を操作して、この身体に残りを集めておいたのだ」
本当に人を信じることはない神無大和は、常に保険をかけていた。特に『空間の魔女』との契約は一歩間違えば破滅に陥る結果となるからだった。
密かに神器『ドラウプニル』の操作方法を学び、『空間の魔女』、いや『ヘルヘイム』が裏切った場合に備えて、残りの5個の魂のうち、4個を集めておいたのである。
魂が集まれば強くなれる。そして神無大和にとって、4個の魂を集めるというのは自我を保ち操れる最高の数であった。
「自身の力に絶対の自信を持っているのですね。ですが、既に鷹野美羽に倒されているのを忘れましたか? そして、私は鷹野美羽よりも強いのです」
「コピー人形程度と比べられては困るな。今の私がコピー人形と同程度の力しか持たぬと思っているのか?」
自信に満ちた神無大和の返答に、薄笑いでヘルヘイムは答える。
「たしかにコピー人形よりも強い。ですが、根本は同じ。愚かなる人間に相応しい力と言えましょう」
「ほざけっ!」
黄金のオーラをさらに活性化させて、神無大和は膨大なるマナを刀へと送り込み抜き放つ。
鋭き眼光でヘルヘイムを睨みつけ、数メートルの間合いを一瞬で詰めると武技を使用する。
『音速剣』
キンと鞘から抜き放つ音がすると、ヘルヘイムの首元へとその鋭き刃は迫っていた。
風切り音すらも置き去りに、衝撃波により破壊の力を撒き散らし、ヘルヘイムが反応もできないうちに、首を落とす。
つもりであった。
「なにっ!」
だが、神無大和は予想と違った光景に目を見開き驚きを見せる。
「アハハハ、驚きましたかぁ? 驚きましたかぁ?」
ヘルヘイムの手のひらが刀を押さえていた。神無大和の目には挙動のおこりすら視認できなかったにもかかわらず。
しかもオリハルコン製の装甲すらも切り裂く一撃は、ヘルヘイムの柔らかそうな肌の手のひらにかすり傷一つ負わせることはなかった。
「チッ、たしかに力を持っているようだな」
『音速連刃』
舌打ちをしつつ、身体を傾けて腰を屈めると、刀を切り戻し、右からの打ち上げ、左胴の切払い、袈裟斬りに弾丸をも超える速さの突きを繰り出す。
ギキィン
音速の剣はその連撃を一瞬のうちに放ったが、その結果はたった一つの金属音になって返された。音速の連撃が速すぎたために、一つの音として認識されてしまったのだ。
ヘルヘイムは繰り出す刀の前にいつの間にか手のひらを向けていた。全ての攻撃は棒切れを押さえるかのように、ヘルヘイムの手のひらにぶつかり弾かれてしまった。
「アハハハ、これ手品ではないですよ?」
「大人しい知恵ある賢者のフリは止めたのか、『空間の魔女』よ!」
ゲラゲラと笑うヘルヘイムに、顔をしかめて後ろへと下がり、神無大和はこれまでの様子と違う女性の姿に問いかける。
「当たり前ではないですか。この口調だと神秘性が失われてしまうでしょ? なので、少しばかり頑張ったのですよ。本来の私はもう少しやんちゃだったのです」
「もはや猫を被る必要は無くなったと言うことだなっ!」
「にゃにゃにゃーん。アハハハ」
馬鹿みたいに大口を開けて笑いながら、招き猫のように手のひらをクイクイと動かして、あくまでも神無大和を小馬鹿にするヘルヘイム。その態度に苛立ちを覚えて、歯を食いしばる。
これまでここまで馬鹿にされたことは人生の中で初である。腸が煮えくりかえる思いだ。
「では、私の番ですね」
『呪怨殺』
笑いながらヘルヘイムが翳す手のひらから、瘴気の波動が放たれる。人程の大きさを持つ紫色の悍しい波動が通り過ぎた地面を腐らせて、神無大和へと迫ってくる。
命中したら、魔法障壁すらも食い破り全てを腐らせて死を齎すだろう。
「舐めないでもらおうか」
『疾風』
だが神無大和は僅かに息を吐き気を落ち着けると、冷静に回避に移る。
風を巻き起こし、神無大和の身体が瞬時に瘴気の波動の軌道から消えるように移動する。僅かに床を叩く音を残して、ヘルヘイムの真横へと移動した。
「アハハハ、中々の速さ。もしかして前世は蝿です?」
『呪怨陣』
ヘルヘイムは魔法を取り消すと、次の魔法に移行する。ヘルヘイムを中心にして、瘴気のドームが広がっていき、空気を腐らせて、床を溶かし天井を砕いてゆく。
広間全体を包むかのように広がっていく瘴気のドームの中心でヘルヘイムは調子にのった子供のように得意げに言う。
「全方位のこの魔法は回避しきれませーん」
「たしかにそうだな。だが、貴様が私に齎した力を忘れたか?」
『魔法破壊』
しかし神無大和は動揺することもなく、指先を迫る瘴気へと向ける。空間を僅かに歪めて透明な波動が放たれて瘴気へとぶつかる。
瘴気の波動は神無大和の放った『魔法破壊』により、抵抗することもできずにあっさりと打ち消された。
「あらゆる魔法を破壊する『魔法破壊』。たとえ貴様が神とか名乗ってもこの魔法から逃れることはできまい?」
「そうですね。それこそが私の計画のかなめでした。幾万、幾数十万の人間の魂を弄り、体の構成を変えて、ようやく作り上げた理を破壊する魔法。それが『魔法破壊』です」
「運命すらも破壊する。この魔法を貰った時には狂喜したものだ。希少性と神秘性、皇帝すらもこの魔法の前に敵わぬ。私を皇帝に押し上げる大義ともなった」
「フフフフ、貴方は子供の頃から暗い目をしていた。なぜ皇帝になれないのか、なぜ自分は公爵家の生まれなのかと。子供の頃から可愛げのない姿でしたよ」
頬に手を添えて、当時のことを思い出すように言うヘルヘイム。神無大和もはっきりと当時のことを覚えている。
『素晴らしい力です。貴方は今まで出会った人間の中でも、一際強く輝いている。どうでしょう、私と組みませんか?』
庭で鬱屈した思いを持ちながら訓練をしていた神無大和の前に、突如として『空間の魔女』は姿を現した。公爵家は最高のセキュリティを誇っており、護衛もいたにもかかわらず、誰にも気づかれずに。
『空間の魔女』は当時から伝説であった。その力は途轍もないもので、できないことはないと噂されていた。薄く笑い手を差し出す生きる伝説の女性に、神無大和は運命だと感じて手をとったのだ。
「不老不死を目指す貴様。皇帝の地位を目指す私。お互いに必要だと思っていた」
不老不死には資金も希少なる素材も非道なる実験も必要だ。その支援をする代わりに、皇帝の地位へと神無大和をつける契約であった。
「力もあり、皇帝の地位を目指す強き意思も持ち、だけれども皇帝にはなれなかった神無大和。大義を作るためにループの時は苦労しましたものね。邪魔な貴族や軍、武士団を殺していき、最後には自身を悪役にして討たせる」
「ループなどしなければ、あのまま皇帝となった。ここまでの苦労をっ………!」
「黄金の糸を効率的に集めるためには、大きな力の持ち主がぶつかり合うことが必要だっただけです。その方がより多くの黄金の糸を集めることができましたからね。弦神聖奈にループを願わせるように誘導するのは苦労したものです」
「全ては貴様の手のひらだったということか。しかし『魔法破壊』は防げぬようだな?」
激昂しながらも冷静に気を落ち着けて、ヘルヘイムの態度を観察する。
「その魔法は黄金の糸を破壊し、次元の壁を揺らすために作り上げたものですからね。残念ながら、私でも防ぐことはできません」
「余裕のその態度を崩させてもらおうか!」
嘘を言っているようには見えないと、神無大和は推測し、戦闘を再開する。
「私が『魔法破壊』をそのままにしていたと思うか?」
『神殺し』
右手に刀を持ち、左手にマナを集めると密かに研究していた新魔法を発動させた。その左手の中に目には見えないが、僅かに空間を剣の形に歪ませた物が生み出された。
「むんっ!」
床を蹴って駆け出すとヘルヘイムへと見えない剣を振るう。ヴンと音が震えるとヘルヘイムへと迫る。
ヘルヘイムは先程と同じように手のひらを翳して、見えない剣を受け止める。
だが先程とは結果が違った。
手が切り落とされて、地へと落ちていったのだ。
「へぇ?」
切り落とされた腕先から血が噴き出して、地へと流れ落ちるのを見て、ヘルヘイムは意外な結果に目を丸くする。
「どうやらこの技ならば通用するようだな!」
「『魔法破壊』は魔法を破壊できても物理的攻撃力はなかったはず。なるほど、ループ前とは違う行動をとっていただけはあります。このような結果になるとは……。いわゆる強くてニューゲーム状態だったからですか」
「感心する暇はないぞ、ヘルヘイム! 防ぐことが不可能なこの『神殺し』の力により死ぬが良い」
特性上、武技を重ねることはできないが、あらゆる魔法、存在すらも切り裂く必殺の魔法剣。対アシュタロト戦に考えていた奥義を見せて、神無大和は追撃をする。
「魔法障壁も、ローブも紙のように切り裂きますか」
神無大和の攻撃に、ヘルヘイムは防ぐこともできずに、身体を切り裂かれていく。スパッと綺麗な断面を見せて身体に深い傷を負っていき、感心の声をあげる。
「これでも駄目ですかね?」
『死のアギト』
ヘルヘイムが残った手をくるりと回すと魔法を発動させる。マナの力が神無大和の足元に広がり、床が黒曜石から肉へと変貌する。
そして、肉と変貌した床に一筋の線が亀裂のように生まれると、バカリと開いた。
その中身はゾロリと生えた牙を持った口であった。神無大和をひと呑みできる大口が足元に開くと、飲み込もうとしてくる。
「ふっ、『神殺し』と伝えたであろうが」
床が開きふわりと宙に浮き、落下をする神無大和は、『神殺し』を口に向けて軽くトンと叩く。『神殺し』が触れた箇所がブルリと震えると瞬時に塩へと変わり、邪悪なる死の口を塩の塊へと変えた。
「たしかに誇るだけはありますね〜」
「後悔しても、もはや遅いっ!」
魔法を破壊されて驚くヘルヘイムへと、摺り足で神無大和は間合いを詰める。
「これで終わりだっ!」
再度ヘルヘイムの首元を狙い、必殺の一撃を神無大和は繰り出すのであった。




