359話 シン
静かなる世界。黒曜石で天井も床も作られた部屋。天井からは結露が雫となって、ぴちょんと落ちてきて、床に僅かに溜まっていた。
壁際に設置されている古びた魔法光水晶の力で明かりが取られており、中心にある長方形の祭壇に眠る少年以外には誰もいない。
静寂の支配する広間にて、その静けさを打ち破るかのように、荒々しい革靴の音がどこからか聞こえてきた。
段々と足音は大きくなり、灯りの届く下へと姿を現す。灯りに照らされた足音の主は、仮面を被った男であった。かっちりとしたロングコートを羽織り、その下には魔導鎧の金属の光沢を見せる装甲がちらりと覗く。
苛立ちを示すかのように、敢えて足音を立てていた男は、祭壇に眠る少年の前まで近づき立ち止まる。
そうして、気を落ち着けるために、浅く深呼吸をすると呟くように言う。
「これはいったいどういうことかな? 話とだいぶ違う。君の言うとおりに動いたはずなのだが?」
「予測では役柄は変わっても結果は変わらないはずだったのです」
男と眠る少年以外には誰もいないかと思いきや、落ち着いた女性の声が返ってきた。
「予測では、ではない。これでは八方塞がりだ」
くるりと振り返ると、男は闇の中へとまるで見えているかのように視線を向けると、荒々しい声音となる。
「失礼、イミル。……いや、神無大和」
闇の中で姿を現したのは、まるで神官のように純白のローブを羽織った女性であった。フードを深く被っており、その顔は紅色の口元しか見えない。
「予測ではありません。言い方を変えましょう。本来の『運命』。修正された『運命』により確定されていたのです」
「ならば、この状況はどうなっているというのかな? 今や神無シンはお尋ね者だ。これではどうあっても皇帝になる道筋など無い!」
仮面を外すと、その下は死んだはずの神無大和であった。バッと手を振り上げて、眠る少年へと向けるイミル。いや神無大和。
そこにはシンの父親たる神無大和公爵が立っていた。
「私は成功していた。はずなどという楽観的な予測ではなく、事実皇帝となったのだ。最後の最後で、あの忌々しい聖奈がアシュタロトに時間のやり直しを願わなければ!」
「ふふっ、口調が乱れていますわよ、神無大和。たしかに時間のループを感じて、慌てて止めようとしましたが無駄となりましたね」
「そのとおりだ。あの時、最後の調整のために私が眠っていなければ……返す返すも口惜しい」
「仕方ありません。仮初の記憶を全て消し、一つに戻すために、貴方は眠らなければならなかった。そして、一番いらない役立たずの性格だけをダミーとして置いておきましたからね」
「アシュタロトの首など、なにかの役に立つかもと回収せねば良かった……。そして、やり直しをした結果がこれか? なぜこうなった? 『空間の魔女』よ」
頭痛を堪えるかのように、額に手を当てて忌々しそうに呟く神無大和。
その様子を見ながら、『空間の魔女』は不思議そうに頬に手を当てる。
「あの鷹野美羽という存在は、イレギュラーとして生まれてしまったのでしょう。ですが、悪役の神無大和公爵ではなく、彼女に役柄は代わったはずでした。事実、信長と敵対関係となり、お互いに争う運命のはずだった」
「そうだな。当初はそのとおりだった。そして、最後に鷹野美羽が魔神アシュタロトを復活させるところに介入し、悪事を暴き魔神を倒す。神無シンはそのまま汚名を返上し公爵へと爵位が戻った後に、聖奈と結婚し皇帝となる。そのはずだったのだろう?」
神無大和の言葉に、『空間の魔女』は頷き祭壇へと近寄る。
「鷹野美羽には『運命』は通じません。ですが、それならば周りを動かせば良い。道化の赤毛も上手く操り、全ては決められた『運命』へと収束するはずでした」
祭壇に眠る少年の顔をそっと撫でると、僅かに口角を釣り上げて、可笑しそうに嗤う。
「彼女の行動は人を人と思わずに、自らの目的のみに突き進むものでした。何万人、何億人が死のうとも、気にしないものと予想していたのですが………なにかがあったのです」
「なにかとはなんだ? なにが彼女の行動を変えたのだ?」
「……わかりません。この私にも予想できないことです。『運命の糸』は問題ないと語ってくれたのに。そしてアシュタロトは滅ぼされてしまった。私が気づいた時には終わっていた。僅かに気づくのに遅れただけであったのに………あれほどの短時間で倒すとは感心してしまいます」
自分の予測できないことがあったことに、『空間の魔女』は面白そうに口元を歪めて笑みを作る。眠る少年の髪の毛を手櫛で梳かしながら、神無大和に顔を向ける。
「本来であれば、アシュタロトとの戦いに介入し、道化の魂と、さらに力強くなった貴方を贄にするつもりだったのです。多少計画を変えねばなりませんね」
「………なに? 私を贄にするつもりだったと?」
何気ない世間話のように、極自然に語られる内容に、神無大和はピクリと眉を釣り上げて、警戒して身構える。
「……話と違うな。本来は『アシュタロト』を倒しその知を手に入れて、粟国勝利を贄に貴様と私は永遠の命を得る。私は永遠なる皇帝となる。そのような取り引きだったはずだが?」
「そのために、魂を9つも集めて人間を超えた力を手に入れたのに、と? フフフフ」
可笑しそうに嗤う『空間の魔女』へと、さらなる警戒心を持ち、神無大和は腰に下げる刀へと手を伸ばす。
「貴様はループ前も同じように私を手伝った。取り引きどおりのはずだったと記憶しているが?」
「フフフフ、アハハハ。そうですね。貴方の記憶は正しい。以前まではそうでした。数え切れないループを同じように手伝ってきました。神無家の直系の人間の中でも強大な力を持つ者たちを殺して、貴方自身の魂も含めて九つの魂を素材として、シンを創り上げた」
いつもの穏やかな雰囲気を壊して、まるで狂ったかのように『空間の魔女』は嗤う。笑い声が広間で山彦のように響き、不気味な雰囲気を醸し出す。
「何者にも負けず、死をも恐れない。そして、誰にも見抜かれないように記憶すら作り上げたシン。予定通りだったはず」
「そうですね。お陰様で世界の境界を少しずつ破壊する『魔法破壊』を使えるようになりましたね。その真の効果も知らずに嬉々として得意気に使う様は、見ていて笑いを堪えるのに大変でしたよ」
「世界の境界? ………何だそれは? 私は聞いていないぞ」
「それは当然です。だって説明していませんもの。世界の境界を破壊しなければ、『ニブルヘイム』に置いてきた私の力を取り戻すことができませんでしたので」
馬鹿にしたように、クスクスと嘲笑う『空間の魔女』にギリと歯を食いしばる神無大和。その顔は殺気に満ちて、視線だけでも物理的に人を殺せそうな圧力を持っていた。
「騙したのか? ならばなぜループ前は私との取り引きどおりに動いた?」
神無大和は公爵として海千山千の相手に様々な取り引きをしてきた。だからこそ、取り引きに対して信用をしたのは、前回は『空間の魔女』が取り決めどおりに動いたからであった。
だが、『空間の魔女』は嘲笑うのを止めずに、神無大和へと告げる。
「ふふふ、ごめんなさい、神無大和。少しだけ嘘をつきました。知ってのとおり、シンや貴方のスペアの体を創ってきたのは、黄金を作り上げる神器『ドラウプニル』の力です。それに私は『ロキ』の遺体を混ぜて、『黄金の糸』を操って好きな身体を創り上げるように改良しました」
眠りし少年の腕に嵌っている黄金の腕輪を人差し指で撫でながら、妖しく嘲笑う。
「その際にシンたちの記憶も作り上げるのですが……実は素体元となった記憶も弄れるのです。簡単に言うと貴方の記憶を弄りました」
「……私の記憶をどのように弄ったというのだ?」
「これが初めてのループだと思っているでしょう? 再び元の運命へと戻すために動いてきたと考えているでしょう? イミルとなってご苦労さまでした」
ぺろりと舌を出して、『空間の魔女』は馬鹿にするように僅かに頭を下げる。
「実はもう数え切れないほどループを続けているのです。『世界の境界』が破壊されて、『転生者の魂』が入り込んだ今回のループにて終わりとなったのですよ」
「か、数え切れない程に、ループをしているだとっ!?」
その衝撃の発言に、息を呑み言葉を詰まらせる神無大和。驚愕の表情で、しかしなぜそのようなことをしたのかを推測した。
「『世界の境界』とやらを破壊するためにループをしていたのかっ!」
「そうなのです。ループを繰り返すごとに境界は揺れて、『魔法破壊』にて破壊する予定でした」
『空間の魔女』は首を振って疲れた様子を見せて、肩をすくめてみせる。
「しかし、予想と違って『魔法破壊』は岩を穿つ雨粒程度の力しか持っていなかったので、本当に疲れました。当時の私の力の殆どを注ぎ込んだというのに、ゴミのような力しか持たなかったので、絶望したものです。まぁ、上手く行ったのは私の忍耐のなせる技でしょう」
フフッと自慢げに笑う『空間の魔女』の言葉に、遂に神無大和は睨みつける。
「ゴミだとっ? 私の『魔法破壊』がゴミだとっ?」
顔を怒気で歪めて、怒りに満ちた神無大和へと、ひらひらと手を振って嘲笑う。
「そのとおりです。ですが、もう一つ目的があったので大丈夫です。そちらも時間がかかったので」
「目的? 不老不死か?」
「あらあら、人間ではその程度の思考しかできないでしょうね。ですが違います。私は皇帝になりたいなどという幼稚な貴方とは違います」
神無大和の言葉を冷笑で返して、『空間の魔女』はシンを指差す。
「この世界を完全に操るための、強き黄金の力が必要だったのです。無限に広がるか細き黄金の糸の中で、太く柱のように強き糸が必要でした」
つんとシンの額をつつき、話を続ける。
「綿飴の棒が例えとして良いですかね。黄金の糸をループの中で少しずつ集めるためにシンは必要でした。集めて、集めて、黄金の柱を創り上げるために必要だったのです」
顔を神無大和へと向けると、ニヤァっと三日月のように口元を歪める。
「即ち、シンとは芯であり、ただの糸を集めるための道具にしかすぎなかったのです。ただし普通の魂では芯になれないために、九つの魂が必要でした。……本当はアシュタロトを倒す際の糸も集める予定でしたが、まぁ、無くとも充分です」
人間どころか、道具扱いの言葉に、神無大和は遂に怒りが限界を突破した。
「ど、道具? この私を道具扱いしたというのかぁっ! ウォォォ!」
怒りで吠えると神無大和の身体が黄金のオーラを纏い、途轍もないマナの波動が辺りへと暴風のように広がっていく。
「この体は鷹野美羽との決戦用に全ての力を最高に調整してある! この私を道具扱いしたこと、命で贖えっ!」
「ふふふ、アハハハ! たしかに人間としては途轍もない力です。吹き荒れるマナの力だけでわかります」
マナの暴風によりフードが吹き飛ばされて、美しくも邪悪なる空気を持つ美女の顔が露わになる。そして心底楽しそうに哄笑して、『空間の魔女』は手のひらを神無大和へと向ける。
「では『ヘルヘイム』の名において、人間よ、神との力の差を思い知るが良い」
そうして、二人は戦いを開始するのであった。




