348話 本当の住所なんだぞっと
「わたくしは無実よっ!」
女性の金切り声が響き、ペイッとコーヒーカップが飛んできた。中身が入っているので、カップを躱してもびしゃびしゃになりそうである。
『氷矢Ⅲ』
なので、みーちゃんは汚れないように人差し指を突きつける。氷の矢が飛んでいき、宙を飛ぶコーヒーカップを中身のコーヒーごと、カチンコチンに凍らせるとそのまま跳ね返した。
「ぎゃぁぁぁ! 冷たいっ! 凍りつくわっ」
弾き返されたアイスコーヒーを頭からかぶり、床に転がり、大袈裟に絶叫する女性。毛足の長いフカフカな絨毯の上をゴロゴロと転がり苦しむ。
「あれ? 初級魔法なんか、高位魔法使いにとってはお遊びレベルじゃなかったの? おばさんがママに言ったんだよね?」
不思議だねと、コテリと小首を傾げて無邪気なみーちゃんスマイルを見せる。
みーちゃんのセリフを聞いて、絨毯の上を転がるのを止めて、悪魔のような憎々しげな顔で立ち上がる女性。やはり、ダメージはなかったらしい。髪が少し凍りついているだけだ。
「そのセリフ………貴女が鷹野侯爵ね! あの薄汚い成金の女の娘の!」
般若のような顔で見つめてくる女性。髪もしっかりとセットされており、自分の美しさを際立たせるためお化粧も上手い。少し派手だがセンスの良いドレスを着込んでいる。ネックレスや指輪などを身に着けているが、付いている宝石は大粒でかなり高価なものだった。
誰かというと、神無大和の妻である神無典子だ。清楚で若々しい雰囲気を纏う美女であったが、今の顔は醜く歪んでおり、美女どころか山姥に見える。
「こんにちは、おばさん。鷹野美羽、中学一年です。侯爵をやっています!」
「はっ! アホそうな面構えね。顔立ちもあの女に似て、貧相な平民顔なのね」
ニパッと笑顔で挨拶をすると、自殺願望丸出しのセリフが返ってきた。
「口を慎みなさい、元公爵夫人」
闇夜が一歩前に出てくると、優しげな笑みで注意をする。その目はまったく笑っておらず、暗い闇を宿していた。
「いいえ、黙りませんわ。だってここはわたくしの家ですもの。招かれざる客だとお分かりかしら、帝城侯爵のご息女?」
恐れを知らず、典子は胸を張って堂々と言い返す。
たしかに今いる所はどこだと言われたら、神無典子の住んでいる屋敷だった。古びたアパートではない。
屋敷である。数億円はするだろう庭付きプール付き、ジャグジーバスはあるかどうかは知らないが、かなりの敷地に建てられた二階建ての豪邸であった。
リビングルームだけでもホームパーティーが余裕でできる広さだ。そのリビングルームにみーちゃんたちはいた。
「ちょっと考えればわかることでした。本籍はあのアパートにしておいて、実際に住む場所は屋敷とは……」
額に手をあてて、頭痛をこらえるように後藤隊長が呟く。
そうなのだ。戸籍はアパートだったが、実際は違った。神無典子はお屋敷を建てて、悠々自適の生活をしていたらしい。
なにせ、壁際にはメイドさんが二人待機しているからね。平民っぽいけどメイドはメイド。雇用できるだけの余裕があるということだ。
「シン君は凄腕の魔法使いだもんね。いくらでもお金は稼げちゃうわけかぁ」
「はっ、そのとおりよ、鷹野侯爵。成り上がりの貴女とは違い、先祖代々から続く公爵家の人間は優秀なの。片手間で億の稼ぎを手に入れることなど、息子にとっては造作もないことよ」
オホホと高笑いする得意げな表情の典子。たしかにそのとおりだ。レベルの高い魔法使いはお金に困らないんだよね。財産を没収されても、この程度ならば簡単に稼げたのだろう。
シンか………。果たしてシンは今もシンなのだろうかと疑問符はつくけどね。
それでも金に困らないようにはしていたのか。
「ま、待てよ。この話はおかしいぞ?」
「どこがおかしいの〜? 高位魔法使いなら、簡単だよね〜? ジャラジャラってお金手に入るよね〜」
勝利が戸惑った顔で口を挟み、玉藻がコテリと首を傾げて、勝利の言葉に不思議そうにする。
勝利は皆へと手を振って、なぜか焦った顔となると言う。
「だって、シンは六畳一間のボロアパートに住んでるんだぜ? なにげにスーパーで特価品とか買って、節約上手の料理上手でハーレムメンバーに感心されるんだ」
「えっと……粟国さん、それが神無シンの暮らしなんですか?」
闇夜を始めとして、皆が戸惑ってしまう。あ〜、たしかにそんな描写あったかも。よく覚えているな、この男。
「そうだよ! こんな楽な暮らしをしていたらゲフゥッ」
「大変、勝利さんのリバーに蚊が! 大丈夫でしたか?」
脇腹を押さえて蹲る勝利に、聖奈が背中をさすって労る。その前に床が潰れる程の踏み込みと、閃光のようなリバーブローを勝利に叩き込んだように見えたが気のせいだよね。
「り、リバーに蚊ってなに……」
「疲れていたみたいですね。寝てしまいました」
勝利の頸動脈をさすってあげていた聖奈がニコリと微笑む。その横で勝利が気絶して横たわる。余計なことをこれ以上言わせたくなかったらしい。
たしかに、そろそろまずい領域に入っていた。後藤隊長が尋問を始めるところだったよ。
それはともかくとして、原作のシンはたしかに貧乏平民生活だった。まぁ、どん底に落ちたというわかりやすい描写が必要だったんだろう。
でも、現実となると途端におかしい話となるわけ。高レベルの魔物を倒せば、数百万円は簡単に手に入るのがこの世界だからね。シンなら億単位で稼げたのだ。
目の前で得意げな様子のシンの母親みたいに、楽な贅沢三昧の生活をすることができたわけ。
どうせイメージ戦略というやつに違いない。
「ふふん、犯罪などしなくても、私たちは安楽に暮らせるのよ。汗臭く働かなくともよいわけ。わかるかしら?」
悔しいでしょうと、みーちゃんの悔しがる顔をジロリと顔を見つめてくる典子。………ママに大怪我を負わせようとした女性だ。もっと悲惨な生活をしていればよかったとは思うよ。
だけどね。今からやり返すことはできるんだよ? それがわかっていないようだ。
「わかるかしら? もはやわたくしを罪に問うこともできないことはおわかりよね? 反乱を未だに目論んでいたとの証拠もどうせないのでしょう? オホホホ」
「グッ。しかしながらご子息は姿を消したようですぞ?」
「だから? ちょっと旅に出ているだけよ。それにわたくしの息子はお金も実力もあるけど反乱を企てるほどの力はもはやないの。わかる? 客観的に見ても無罪ね!」
悔しげに唇を噛む後藤隊長。たしかにこんな贅沢な暮らしをしていたとなれば、反乱を企てた家門の末路にしては極めて弱い。それに反乱の証拠がないから追及も弱い。
即ち、典子には手を出せない。
みーちゃん的にも酷い目にあってほしかった。死んでくれとまでは思わないよ。ママが悲しむからね。でも、六畳一間で暮らしていてほしかった。
「手を出すのかしら、鷹野侯爵? お偉い高位貴族が、落ちぶれた男爵家を虐めるのかしら?」
「そんなことはしないよ、キレーなおねーさん」
はにかむようなか弱い笑みで、典子に向き直る。呼び方を変えたみーちゃんを警戒して、ピクリと眉を顰める典子。
「それじゃ、シンの居場所を知っていますか?」
「さぁ? きっとのんびりと旅行でもしているのではなくて?」
「なるほど、ニムエ、小切手をください」
片手を後ろに待機するニムエへと差し出す。ニムエは胸の谷間からニュッと小切手帳を取り出すと、手渡してくる。
ありがとうと答えて、受け取ると小切手帳を開いて、サラサラ〜っと書く。
「居場所を教えてくれてありがとうおねーさん。これはみーちゃんからのお礼です!」
十億円と書いた小切手をビリッと小切手帳から破りとると、典子へと手渡す。ごく自然に渡した小切手を思わず典子は受け取り、その金額に驚きの表情となる。
「こ、こんな金額! わたくしはなにも話していないですわ!」
「そう? シンがどこにいるか教えてくれたでしょ? そのお礼」
「だから、なにも教えていないわよっ!」
怒鳴る典子へと、静かに微笑むと答えてあげる。
「そのお金があれば一生安楽に暮らせるでしょ。仲良しの平民さんたちとホームパーティーでもすれば良いよ。もしくは夜会とかね」
「平民とですって! 高位貴族のわたくしが平民と!?」
「そうだよ、元公爵夫人。だって、夜会を主催しても他の貴族は出席しないだろうし、夜会に誘われることもこれからはないだろうからね」
みーちゃんは普通に楽しいと思うけど、元公爵夫人は違うよね。
「うっ……そ、そんな、平民ごときと夜会ごっこなど、このわたくしがするわけが……」
エベレストのようにプライドの高い元公爵夫人。是非にみーちゃんのとろけるほどに甘い復讐を味わってくれ。ママにやったことを考えると、とっても優しい対応だ。
元公爵夫人ではなく、平民ならば飛び上がって喜ぶ程の金額だ。きっとこれからは安楽に生きていくことが想像できる。
でも、きらびやかな社交界に慣れた元公爵夫人は満足できない。それどころか、働く必要もないために、暇を持て余して不満しか生まれない。
この人になんて言えば復讐になるのかは、さっきまでの会話で理解できたよ。
「きっと平民の皆は喜んで神無元公爵夫人の主催するパーティーに出席すると思うよ」
貴族ならば絶対に出席しないだろう。
「そのお金があれば魔法のドレスとかも買えるから、付与されたマナの輝きについてお喋りできるかもね!」
マナを見れる人が出席者の中にいれば良いけどさ。
「お金に困らない生活を楽しんでね」
元公爵夫人。プライドだけは恐ろしく高い女は、今の生活が安楽であればあるほど退屈で屈辱を感じる。
働くこともなく、そして社交界に顔を出すこともできない悔しさを胸に一生を暮らすが良いさ。
きっと真綿で首が絞められるように、悔しい思いをしながら暮らしていくに違いない。
どれだけ渇望しても、もはや二度と手に入らない生活を夢に、札束のお風呂で溺れるが良いよ。プライドという重りを胸に頑張ってほしい。
「ぐぅ、この……グギギ……」
悔しさで表情を悪魔のように歪めて、典子はみーちゃんを睨む。その視線には殺意が籠もっているが、何もできない。
「さようなら、おねーさん。今日から安楽な生活をしてよ。シンの行方はこちらで調べるからさ」
さて、これでやり返すことはできたかな。くるりと身体を回転させて、みーちゃんは外に向かうのであった。
屋敷の外に出ると、ドロドロとした怨念の籠もった叫びが聞こえてきた。
みーちゃんも優しくなったものだ。かなり丸くなったよね。この世界の贅沢品とかは金額が青天井だから、どこまで安楽な生活をできるかはわからないけどさ。
社交界に出ることも叶わない元公爵夫人が、悔しがりながら暇を持て余して、浪費を繰り返し、あっという間に破産したと聞いたのはその次の月のことだった。
莫大な借金を抱えて、冒険者たちに混じって金を稼いでいるらしいが、プライドの高さと、戦闘経験の乏しさから苦労しているとか。




