340話 心配
鷹野美麗は深刻な表情でソファに座っていた。今いるのは自宅の自分の部屋だ。
伯爵家に引っ越した後の自分の部屋は広くて正直に言うと、あまり慣れなかった。侍女やメイドが側にいて、簡単なことでもしてくれる生活は楽というよりも息苦しかった。
夫にさり気なくそのことを聞いてみたが、彼はやはり元々貴族の出であり、部屋の広さも侍女たちがいることも違和感を覚えることはないようだった。
出自の違いを痛い程感じたが、それでも自分なりの線引きをして、なんとか妥協点を見出し慣れてきたのは、つい最近のことだった。
だからと言い訳をするつもりはない。しかし、今美麗は心の底から後悔していた。
なにを後悔しているのかというと、高位貴族に成り上がった大変さでも、慣れない生活をすることになったからでもない。
子供をよく見てあげられていなかったことについてだ。
対面のソファには可愛らしい自分の愛娘である美羽が座っている。なんの話かなと、ワクワクした顔で見てきていた。
残念ながら美羽が期待する良い話ではない。これから私は美羽と話さなくてはならない。
「みーちゃん、雪祭りでは大活躍したのね?」
「うん! ちょっと東京を浄化してきたの!」
褒められると思って、足をパタパタと振る美羽の姿はとても可愛らしく、これから言うことに心が痛むが、必要なことだ。心を鬼にして言わねばなるまい。
「たしかに、今や『東京魔石ラッシュ』と言われて、続々と人々がこの大雪の中でも移動しているらしいわね」
「うん! そこらじゅうに魔石が転がっているから、皆が落ち穂拾いみたいに訪れているみたいだよ。宿舎とかもバンバン建てて、建物が増えてきているんだ!」
エヘヘとはにかむ美羽。確かに素晴らしい話だ。数十年は開発にかかると言われた東京をたった数日でその下地を作ったのだから。
それは美羽の計画通りなのだろう。私の娘は天才だ。しかもとびきりの天才である。
しかし、不安のある天才であった。
「みーちゃん、そのことについてお話があります」
「はいっ! なになに?」
コテリと首を傾げる美羽に、真剣な表情で尋ねる。
「なぜ子供たちだけで、東京のしかも最悪と呼ばれているダンジョンを攻略したの?」
「んと、みーちゃんたちなら攻略できると思ってたの! 駄目なら逃げれば良いと思っていたし!」
「大怪我を負うことになっちゃったのかもしれないのよ? パパは子供たちだけで攻略に行ったことを聞いて落ち込んでいたわ。しばらく禁酒をするって言ってたの」
当時の大人たちは揃いも揃って、泥酔していたらしい。そしてその原因となるお酒は美羽が魔法で作ったとも聞いている。おやつを作ったやり方と同じだろう。
恐ろしく美味しかったに違いない。お茶会では皆が黙々と美羽の作ったお菓子を食べて、会話の一つもない静寂のお茶会で終わった。
美味しすぎるので、誰もがお菓子に夢中になり会話をする時間も惜しかったのである。
贅沢に慣れており、様々な料理を味わってきた貴族でもそうなのだ。その効果を考えると、きっとお酒も同様だったのだろう。
そして、美羽は自分の行動を邪魔されないように、お酒を配った可能性がある。娘はそれだけの狡猾さを持っていると今は理解しているのだから。
「大怪我をしても大丈夫! みーちゃんなら、簡単に治せるからね!」
美羽の答えは予想通りで、闇夜ちゃんたちが懸念している内容どおりだった。
「みーちゃん……、いえ、美羽。人はね、大怪我をしたら痛いのよ?」
「我慢すれば大丈夫!」
美羽にとってはそうなのだろう。その顔には嘘はない。本当にそう考えているのだ。
魔物との戦闘で大怪我を負ったのに、まったく自分の傷を気にしなかったことに、皆が心配をしていた。
「………美羽は本当に痛いと感じている? ここは大事なところなの」
「? うん、痛いよ。でも、すぐに回復魔法で治せるよ?」
「それはきっと痛みを感じることに麻痺しているのよ、美羽。それは危険なことなの。よく考えて、単なる痛みという記号で感じていない?」
私の言葉に、目を大きく見開いて美羽は驚いていた。
「痛みは危険信号なの。それが麻痺することは危険なのよ。痛みを感じても、危険を感じないということは自身にも危険だし……他人の痛みにも無頓着になってしまうわ」
自身が我慢できるのだから大丈夫だろうと、他人にも押し付ける可能性がある。いや、最近の美羽を見ると、そういった行動が端々に見える。
「そして、痛みを感じられなくなると、優しさもなくなるわ。美羽、今回の雪祭りは本当に成功したと思っている? 結果ではなく過程を見てそう思う? 怪我人も多く出たのよ?」
言いたくはないが、言わねばなるまい。
「美羽、最近のあなたは周りの人々を同じ人間だと思っているかしら? 駒のように考えていない?」
気にはなっていた。時折家族やお友だち以外の人に向ける娘の目を。人として見るのではなく、どこか人形でも見るような無慈悲なところが垣間見えていたのだ。
美羽は良い子だからと、目を逸らしていたのかもしれない。だが、今の時点で注意しないと、きっと将来は人を人と思わない傲慢な性格になってしまうかもしれない。
「……人を駒と思ってる? ママ、そんなわけが……。傷は我慢すれば良い訳で……」
ぽかんと口を開いて、予想外のことを言われたのか身体を震わす美羽。たった今そのことに気づいたかのように、衝撃を受けていた。
「そういえば……ダメージを受けても我慢すれば良いって思ったのはいつだっけ……最初は……痛くて……本当に我慢していたはずだったのに」
「美羽? 大丈夫? これからは気をつけてほしいの。自分の痛みにも無頓着にならないで、回復魔法で癒やせば良いやと考えないで、正面から痛みと向き合ってほしいのよ。……美羽?」
なぜか、美羽の様子がおかしい。たしかに衝撃的な内容で、子供に対して厳しすぎたかもしれないけど、それにしては様子が変だ。
美羽は顔を蒼白にして、ヨロヨロと立ち上がる。
「いつの間にか……あの時だ。ゲームをスタートするまでは、徐々に……それは駄目なのに……」
ぶつぶつと呟くと、美羽の姿はかき消えた。目の前からフッと消えてしまったのだ。
「美羽!」
急にいなくなった娘に驚いて立ち上がる。恐らくは『瞬間移動』というものだろう。
どこに行ったのかと心配するが、美羽が困った時に行く場所はたった一つだ。
足早に部屋を出て、美羽の寝室へと向かう。すぐに寝室の前に着くと、カチャリとドアノブを回す。
「美羽、いるの?」
寝室は真っ暗だった。キングサイズベッドには沢山の動物の人形が置かれており、その中に美羽が隠れるように蹲っているのが見えた。
「美羽、大丈夫?」
蹲っている美羽は顔をあげることはなく、呟くように言う。
「家族はサイコーだよね、ママ」
「そうね、ママもそう思うわ」
「愛情があれば、この世界に価値が生まれる。そう思っていたんだよ。でも違った。私は結局数値でしか見ていなかった。仲の良い家族というキャラを愛するだけで、本当は無頓着だったんだ」
「そんなことはないわ、美羽。美羽はそんなに冷たい娘ではないでしょう?」
美羽へと近づき、ベッドの端に座る。美羽はぶんぶんと首を振って悲しそうに言う。
「ううん、傷は治せば良いって思ってた。ゲームのようにダメージとして数値化するだけで、本当は我慢なんかしていないことに気づいたの。痛みがあると意識の片隅に持つだけだった。もう痛みを感じることがなかったから、他人に対しても危険なことをしてもなにも思わなかったんだよ」
「本当に痛みを感じていないの?」
美羽の頭を優しく撫でながら尋ねると、小さな声で返してくれる。
「自分自身で麻痺するように設定していたの。私はそういうことができちゃうの。前だったら酔わせたパパたちを危険な東京に行かせることなんか絶対にしなかったのに、痛みを感じなくしていたから、気にしなくなってた」
「そう……それじゃ、痛みを感じるように戻しましょう。美羽はそれができるのよね?」
「でも、それだと弱くなっちゃう。行動に阻害が生まれて戦闘時に隙を生むことになる」
「……弱くてもいいじゃない。美羽は人間なんだから、弱くて良いのよ? 困った時は皆に助けを求めなさい。頼りないママも助けるからね!」
美羽を優しく抱きしめて、頭を撫でる。艷やかな灰色髪を梳くように優しく。
「私が人間?」
「えぇ、ママとパパの可愛らしい娘よ」
「………人間………」
呆然としたように、美羽は言葉を繰り返す。
「そっか……そうなんだ。ゲームのように強くなるのは失敗だったんだ。全てを数値化するのは失敗だった。だからこそ家族の愛が本当は理解できていなかったのかもしれない」
グスグスと美羽は泣き始める。美羽が泣くのを見たのは初めてかもしれないと今更ながらに気づく。
「今もきっとわかってはいないかもしれないけど……。でも間違っていたのはわかるよ。最近の私は同期しすぎて、流されていたんだ。外から観察するように、人を人と思わず、大好きなパパたちを危険な目に遭わせても結果だけを見て、大丈夫だと考えていた」
「美羽?」
パァァァッと、美羽の身体が白金の光を放ち、ふわりと髪が靡き、その瞳が白金の色を宿す。
「失敗だった。家族愛だけでは不十分だった。全てが重なり合って、愛というものは生まれるもんなんだよね。他者を石ころのように思い、身内だけを愛することは間違っていた。他者にも想いを見いださないといけなかったんだ。それは憎しみであれ、怒りであれ、負の想いでも必要なことだった。関心を持たないと駄目だったんだ」
光り輝く美羽は呟くように言う。
「だから全ての感情を取り戻そう。思い出そう。楽しく生きるだけが人生じゃない」
『人間で在れ』
眩い光で、思わず目を瞑ってしまう。そうして光が収まったあとに、そっと目を開くと美羽が倒れて、すよすよと寝ていた。
「神様になる気はなかったんだよ〜」
むにゃむにゃと呟くそのセリフにクスリと笑い頭を撫でる。
なんとなくだが、もう大丈夫のような気がした。いや、また同じことがあったら注意をしよう。
何を言っているのかが少し分からないところがあったが、美羽にとってとても大事なことなのは直感的に理解できた。きっといつか話してくれる時が来るだろう。
それまで待つつもりだ。
なんと言っても、家族なのだ。娘を助けるのが母親というものなのだから。




