331話 憂鬱な聖奈
酷いことになっていると、聖奈は窓の外を見ながら疲れた溜息を吐く。
窓の外には曇天が広がり、粉雪がチラチラと降ってきている。そろそろ本格的な冬になるだろう。年末前に大雪になるかもしれない。
雪の積もった後は要注意だ。冬の魔物は、他の季節よりも厄介なので、田舎などでは人死にが多い。
雪の中に隠れて近づいてくる魔物は気づきにくく、魔法を使えない平民では、魔法使いにとっては容易い相手でも危険な猛獣と同じで、簡単に殺されてしまう。
「今頃、魅音さんたちは聖花のお守り作りで大忙しでしょうね……」
低位の魔物を寄せ付けない聖花のお守りは、他の季節よりも遥かに需要があるに違いない。
魅音たちが大忙しだと頑張る姿が容易に思い浮かぶ。その顔は必死な形相ではなくて、楽しそうな笑顔であるだろうとも思い、クスリと笑う。
こういう時に勝利さんが差し入れに行きませんかと、連絡をとってくるのがパターンなのだが……。
通信用バングルをこっそりと見るが、通知は何もない。
「むぅ………。なんだか反対の立場になっています」
以前なら自分から連絡をすることはほとんどなかったのにと、口を尖らせて不満げに思う。
きっとまた訓練に行っているのだろう。そろそろ頭にネギを乗せて、グワッグワッと鴨の真似をしても良いぐらいだ。
みーちゃんなら、きっと喜んでやってくれるだろう。もしかしたら着ぐるみまで用意して鴨の真似をするかもしれない。
勝利さんは、自分から見たらかなり危うい状況にある。シンの仲間になるなんて、なにを考えているのだろうか?
………いや、その理由には見当がついている。きっと前回のループ前の記憶を持ち越しているからだ。前回の歴史と同様に、シンは最終的に皇帝まで登り詰めると信じているに違いない。
勝利さんはきっと前回の記憶を持っている。だからこそ、あれだけ性格が変わったのだろう。それにいつも言ってはいけないことを呟いているし。
隣で聞いていて、こっちがヒヤヒヤするぐらいです。何回フォローをしてあげないといけなかったか。
でも、本人に前回の記憶を持っていますよねと尋ねることはできなかった。いや、少し前ならできたかもしれないが……。
そうなると、なぜ私がそのことに思い至ったのかを考えるはず。そして、すぐに悟るだろう。
弦神聖奈も前回の記憶を持っていると。
……それは嫌だった。記憶を持っているということは……あのシンの恋人だったことも記憶にあると気づかれるからだ。
乙女として、何もなかったですよと強弁はしたいが、それ以上に知られたくなかった。
「う〜ん、私も拗らせてますね……」
馬鹿なことはわかっているが、言えないのだ。本当は伝えれば解決する問題なのに、言えなかった。
だからこそ、よくわからない存在のみーちゃんに頼んだのだ。前回は存在すらしていなかった少女は、存在していなかったのだから、記憶があるわけがない。
なのに、これだけ歴史を引っ掻き回している。謎の少女なのだった。
「聖女様、お加減でも悪いのでしょうか?」
隣に座る中年男性が気遣いの言葉をかけてきて、ハッと気を取り直す。いけない、こんなことを考えている状況ではなかった。
「余の妹は恋人からの連絡を待っているのだろう。何回もバングルを見ているようだからな。しかし、忠告しておくと、あまり粘着質なのは嫌われるぞ? 一日に何通連絡を送っているのだ? 百通か?」
対面に座るお兄様がからかってきて、カァッと顔が赤面してしまう。見ると、他の貴族たちもクスクスと笑っており、とっても恥ずかしい。
我ながら迂闊だったと思う。こんな恥ずかしいところを見せてしまうなんて、昔なら考えられなかった。
とりあえず、誤魔化すためにもコホンと咳払いをすると、私は気を取り直す。そしていつもの感覚を取り戻すべく、ゆっくりと息を吐くと、柔らかい笑みを浮かべる。
「申し訳ありません、お兄様。少しだけ浮かれていたのかもしれません」
周りを見渡して、特に気にかけるような意味ありげな表情をしている者がいないことを確認しておく。皆、生暖かい表情で見ているだけだ。
「よろしい。空気が和んだところで、会議の続きといこう」
お兄様が楽しげに言うと、すぐに皆は顔を引き締めて、お兄様へと顔を向ける。
私も同じくお兄様の方を見つめる。今はこれからの日本魔導帝国の未来を考えるというお題目の会議の最中だ。
信長お兄様がもっとも信頼しているメンバーのみが、この会議に出席している。円形のテーブルを囲んで座っており、まるで円卓の騎士のようだ。
とはいえ……信長お兄様と私以外はたった8人。しかも伯爵が二人で、他は子爵や男爵たちだ。
身分で差別するつもりはないが、これが皇帝の側近たちかと思うと涙が出るほど情けない。
お父様が亡くなった後は潮が引くように、側近たちは距離をとってしまった。いや、忠誠を誓う者はいたのだが、お兄様が拒絶したのだ。
駄目元とはいえ、再度献言をする。
「お兄様、会議の前に帝城侯爵は呼び戻すべきではないでしょうか? あの方が加わってくだされば、距離をとっている者たちも戻ってくるでしょう」
「おぉ、聖奈様のお言葉、全くそのとおり。私も同意致します、陛下。かの者は忠義厚くその力も大きい。再びお声をかければ、戻ってきてくれるのは間違いありません。そして、陛下の強き剣となってくれるでしょう」
宰相が頬を緩めて嬉しそうに同意の言葉を紡ぐ。他の貴族たちもその言葉に乗って、戻すべきだと口々に言う。
だが、それもお兄様の不機嫌そうな顔を見るまでだった。
「余の力が足りないとでも言うのか? 帝城家が後ろ盾にならなければ治世ができないとでも?」
「いえ、そうではなく………人手不足であるのです」
宰相がとりなそうとするが、テーブルに置いてある水のペットボトルを苛立ちと怒りで顔を歪めて握り潰す。
ペットボトルが粉々になり、水がバシャンと吹き出すが、そのことを気にせずにお兄様は大声で怒鳴りつけてきた。
「黙れっ! 余が先頭に立ち治世を行えば、憂国の士が自然と集まってくる! もはや古き貴族たちはいらんっ! そろそろ新たなる風を呼び込んでも良いはずだ」
激しく怒るその姿に溜息を禁じ得ない。まるで暗愚で傲慢な無能に見えてしまう。おかしい。お兄様はここまで酷くはなかったのに。
一通り罵ると、落ち着いたのか息を整えて、お兄様はニヤリと嗤う。
「大丈夫だ……大丈夫である。なぜならば余には神無公爵の資産がある! あの膨大な資産があれば、軍は立て直すことができるし、様々な画期的な政策も打ち立てることができる。見ているが良い。余は歴史に残る名君となるであろう!」
その言葉に感銘を受ける者はここにはいなかった。皆は有能でおためごかしの言葉に騙されるほど、純粋でもない。海千山千の強者たちばかりなのだ。
白けた表情で、誰一人お世辞を口にすることもないところから、お兄様が集めていた側近のレベルの高さがわかる。だからこそ、今のお兄様の愚かな態度には疑問を禁じ得ない。
「お言葉ですが、陛下。神無公爵の資産を使うのは考えものかと。資産の中には企業が多いですが、高位貴族たちを処断したために、魔法を使う経営ができておりません。いち早く貴族に売り払い、現金化を目指すのが得策かと提言致します」
「ならぬ! 未来ある資産を多く持つ者ほど、将来の強者だ! それに魔法使いのあてはある」
「あてがあるのですか、お兄様?」
まったく話を聞かないお兄様だが、どうやら秘策を持っているらしい。どんな秘策だろうか?
「鷹野侯爵を取り潰すのだ。かの者は、『ニーズヘッグ』を裏で支援している可能性がある。それを理由に取り潰せば、ドルイドを始めとする多くの有能な魔法使いが余の手に入るであろう」
「お兄様! お父様が戦死されたあとに助けてくれたのは鷹野侯爵ですよ! ドルイドの大魔道士を連れて救援に来てくださったのを忘れたのですか?」
「そうですぞ、皇帝陛下。お考え直しを!」
「今、鷹野一門を敵にするのは時勢が悪すぎます!」
予想をしていなかった言葉に、声を荒らげて睨みつける。他の貴族たちも仰天して口々に諌めようとするが、手を振ってお兄様はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべる。
「話を聞け。余も鷹野家の力は知っておる。だからこそ今なのだ。未来において、鷹野家が東京を、ひいては関東全域を開発し、莫大な財力と武力を手に入れる可能性がある。そう思わないか?」
「……たしかに鷹野侯爵なら、やるかもしれませんけど、それは数十年後の話でしょう?」
みーちゃんならやるかもしれない。もしかしたら数十年とは言わずに十年ぐらいで開発しちゃうかもと、薄っすらと親友の笑顔を思い描く。
「しかして、今なら初期投資で莫大な資金を使っているはずだ」
「財力が目減りしている今がチャンスだと言うのですか?」
「そのとおりだ。財力がなければ、振るう手の力も衰えるというものだ。……そうだな、それに秘策を思いついたぞ! 東京開発を前に、滅んだ当時の東京の民たちのために、鎮魂のための寺社を建てるように命ずるのだ! さらに金を使わせて、身動きがとれないようにしようではないか!」
フハハと得意げに笑うお兄様。皆が私に助けを求めるように視線を送ってくる。
「聖奈様……。陛下はお疲れの様子。どうか回復魔法をかけては頂けないでしょうか? 聖奈様の癒やしの魔法は以前よりも遥かに力を増したと聞き及んでおりまゆえ」
遠回しに、お兄様が精神操作されているのではと、危惧しているのだ。私もそれを疑って最近は毎日何回も回復魔法をかけているが、ちっとも効果がない。
………そうなのだ。毎日回復魔法を使っても、私は身体に負担がかからなくなっていた。
お見舞いでみーちゃんの不思議な回復魔法をかけてもらってから。噂の『マナ』を覚醒させるという回復魔法なのだろう。魔法使いの底力も引き上げるとはとんでもない魔法をみーちゃんは使うものです。
「さらなる天啓が降りてきたぞ! 魔法金属を利用した巨大な鐘も作らせよう。そして資金が尽きたところを叩く! これにて余の治世は絶対のものとなるであろう」
フハハハと笑い続けるお兄様。このおかしな状態を治すには私では無理だと悟る。みーちゃんなら治せるかもしれない。
だが、敵意を丸出しにしているみーちゃんの回復魔法を受け入れるだろうか……。
憂鬱になる私だが、バングルがピコンと鳴って通知が来たことを示す。
「勝利さんですね、まったく連絡が遅いんだから……あら?」
慌ててバングルの連絡を確認して、少しだけ驚く。
『雪まつりのお誘い。みーちゃんは雪が積もったら東京で雪祭りを開きたいと思います。来てね! 日時はクリスマスかな?』
予想外の連絡に、ちょうど良いかもと狂ったように笑うお兄様を見て思うのであった。




