320話 皇帝と公爵
内装から調度品まで全てが超一流であり、人々が一度は宿泊したいと考える神無家のホテル。しかし、あれだけ見事だったホテル内は今はめちゃくちゃとなっていた。
サラリーマンの平均年収はするだろう壺は砕けて、それ一つで一軒家を買える金額の絵画は焼け落ちている。フロア内に設置されている木目が美しい重厚な木の扉は跡形もなく、床はヒビだらけ壁も穴だらけだ。
もはや廃墟一歩手前となっていたホテル内では爆発音が響き、炎や雷が飛び交い、銃弾が雨のように放たれている。
今、弦神皇帝率いる集団と、神無公爵の私兵との壮絶な戦闘がホテル中層で行われていた。
多くの兵士が床に倒れ伏し、それでも倒れている兵士を気にせずに新たなる兵士が先に立ちはだかってきており、皇帝の方が押されている。
「やだねぇ、こんなにも命を軽く見る輩がいてさ」
皇帝である刀弥は嘆息しながら、目の前に立ちはだかる敵兵へと刀を向けて言う。
「そうは思わないかい?」
「民を考えぬ皇帝よ、ここで死んでもらう!」
人の話を全く聞かずに、兵士は斬りかかってきた。まずは牽制と脇を締めてコンパクトな動きで刀を向けてくる。
威力よりも速度を重視し、防がれてもすぐに対応できるようにとの考えからだ。しかも兵士の周りには他にも数人仲間がおり、フォローをしやすい戦い方であった。
練度の高い軍の兵士には、並みの兵士ならば詰め将棋のごとく動きを抑えられていき殺されてしまうだろう。
「おっさんが誰かを覚えているのかなぁ」
だが刀弥は並みの戦士ではない。
『光輪剣』
刀からチリリと鈴の鳴るような音がすると、刀弥の腕がかき消える。
そして、兵士は刀を振り切る前に、その身体を光輪で分断された。分断された兵士の肉塊が地面に落ちる僅かな時間に、他の兵士たちも同様に光輪が身体を通り過ぎ、肉片へと変わるのであった。
魔法障壁をあっさりと破壊しての強力無比な一撃だ。
「おっさんの力を忘れたようだから教えてあげるよ。光速の剣は躱せない。わかってくれたかな?」
血の一滴もついていない刀を持って、特に高揚することもなく、淡々と呟く。
「あ〜、でも、少しまずいかなぁ」
だが、階段から新たなる兵士たちが援軍で駆けつけてきたのを見て、嘆息する。
「何人倒せば良いことやら」
「陛下、一旦お下がりを!」
『闇剣一式 巨骸剣』
王牙が刀弥の横を通り過ぎると、構えをとり刀へとマナを送り込む。刀を骸骨が覆ってゆき、天井まで届くほどの巨大な骨の剣へと姿を変えた。
「フンッ!」
「グハッ!」
裂帛の叫びをあげて、王牙が骨の剣を横薙ぎに振るい、新たなる援軍をその巨大な質量で叩き潰す。兵士たちは骨に押し潰されて断末魔の声をあげるのであった。
「王牙君、ありがとう〜」
「いえ、まだ突破には先が長いと思われます。少しでも休息をとりながら進みましょう」
ヘラヘラと笑って礼を言う刀弥に、真面目に答える王牙。どんな時でも堅物だなぁと刀弥は苦笑する。
「いやぁ〜、しかし高層ホテルというのは厄介だね。何階降りれば外に出れるのか、おっさん嫌になっちゃうよ」
「父上、かなりの兵力です。明らかに軍人ではない者たちも混ざっているようで、倒しても倒してもきりがありません」
息子の信長が額の汗を拭いながら、出口を見て眉をひそめる。たしかに敵兵は全てそこそこの腕前の者たち。
即ち、マナを消費して戦闘をしなくては勝てないギリギリの腕前の敵ばかりであったために、少しずつ消耗を強いられている。
「まだ半分といったところか……。参ったね、これは。皆のマナは大丈夫かい?」
「はい、陛下。まだまだ戦えます」
王牙の娘の闇夜が、疲れを見せずに気丈に答えてくる。他の部下たちも同意はしてくるが、疲れがちらほら見え始めている。このままでは、出口に到達する前に、皆はマナを使い切るかもしれない。
とはいえ打開策はない。一階ずつ攻略していくだけだ。休息できないダンジョンのようなものだ。
「いたぞ! 攻撃しろ!」
バタバタと新たなる兵士たちが階段を登ってくる。いったい何人いるのかとうんざりしてしまう。
「斬って斬って突き進むのみかぁ、おっさんの歳では厳しいかもなっ!」
鋭き眼光を飛ばし、刀弥は兵士たちの中へと一拍で間合いを詰めて飛び込む。
『光剣乱舞』
刀弥の身体が霞み、踊るように光条が舞い、敵兵を貫き通り過ぎる。敵兵は一撃も攻撃することもできずに、鮮血を吹き出して倒れ伏す。
あっさりと倒せたかと思えば、刀弥の表情は優れなかった。刀身を見て、怪訝に思う。
「先程から手応えがおかしい……。どこがどうとはわからないけど、違和感を覚えるねぇ」
「陛下もですか。たしかに私も先程から違和感を覚えておりました。手応えが少し変なのです」
「幻影や魔物、呪いとかではないと思うんだけど……。なにか変だ。皆、気をつけよ」
脳裏に嫌な予感がよぎるが、どうしようもない。敵兵の不自然な多さと、この感触。神無公爵がなにかを仕掛けているのだろう。
「陛下、階下に降ります」
斥候役の部下の近衛兵が階段を注意深く降りていく。
部下が戻るまで、多少は休めるかと息をつこうとするが……。
「き、貴様はっ! ガハァッ」
階下からの近衛兵の悲鳴が聞こえて、すぐに気を引き締め直し、落ちるように階段を一気に降りる。
ダンッと強い音をたてて、刀弥が床に降り立つと、部下の近衛兵が袈裟斬りに肩から切られて、床へと崩れ落ちるところだった。
「最近の近衛兵は質が悪い。そう思いませんか、陛下」
「いや、そなたが強すぎるだけだろう、そうではないか、神無公爵?」
手に持つ剣から血を滴らせて、薄笑いをするのは、反乱を起こした神無大和であった。隙間のない完全に身体を覆う黄金の魔導鎧を着込んでおり、マナを活性化させているために、その身体に黄金の粒子を纏わせている。
黄金に煌めく装甲はオリハルコンで作られているのだろう。一目で内包するマナの力を感じ取れる。魔導鎧の装甲はぶ厚そうに見えるが、動作に阻害を見せないようで、神無公爵の歩みは滑らかだ。
準備万端で姿を現した狐目の痩身の男を前に、刀弥はゆっくりと剣先を向ける。
「まさか神無公爵自身が来るとはね。自分の力を自覚しての行動かな?」
「かもしれません。私は強くなりすぎたのでしょう。皇帝の地位を求めてしまうほどにね」
「強いからと欲しがるのはガキ大将と同じだぞ、神無公爵。軽蔑されてもおかしくない」
皮肉げに言う刀弥の言葉を気にしないかのように、神無公爵は肩をすくめるだけで、薄笑いは変わらない。
昔からつかめない男だとは思っていた。謀略に長けて、人心掌握術の巧みな男ではあるが、その性格は昔からわからなかった。
貴族の好みは様々だ。武を好む人間、酒や女だけではなく、本が好きだったり、人には言えない趣味を持つ者など。
皇帝として、貴族の好みや趣味などは掴んでいて損はない。皆を調べたが最後までわからなかったのが、神無公爵だ。
得体のしれない男。それが神無公爵であった。その男が今反乱を起こし目の前に立っている。
「一対一なんて、随分と自信があるねぇ? 余は舐められているのかな?」
「ふっ、いえいえ舐めておりません。そろそろ決着をつけないとまずい状況になったものでして」
その言い回しに、眉をピクリと動かして刀弥はニヤリと笑う。
「おっと、もしかして帝国軍が余を助けに来てくれたのかな?」
どうやら運が向いてきたらしいと確認するが、予想に反して神無公爵は首を横に振って否定してきた。
「帝国軍などは相手にならない者たちですよ。予想外に行動が早い。読み合いで後れをとるとは思いませんでしたが、少し作戦が早まるだけのこと」
ヒュウと鋭い呼気を吐くと、神無公爵の気配が殺気立ったものに変わる。殺気だけで物理的圧力を持ち、身体が押し付けられるようだ。
「ここで死んでもらいます、皇帝陛下!」
「そうそうおっさんの首をあげるわけにはいかないんだよ!」
剣を構えて、爆発するように床を踏み込み、突風の速さで神無公爵は突撃してくる。
対して刀弥も刀を構えて迎え撃つ。
ギインと金属音が響き、火花が散る。お互いがぶつかり合い、睨み合う。
「神無公爵っ! そなたを反逆罪にて死罪とする!」
「『ニーズヘッグ』と鷹野家と手を組み、悪戯に国を混乱させたあなたこそ、国への反逆!」
弾かれた剣を引き戻して、右からの袈裟斬り、左に返しての横薙ぎをする刀弥。
「そんなスカスカの建前で民が信じるとも?」
鋭い剣撃を見せる神無公爵へと、刀弥は刀身を合わせて袈裟斬りを受け流し、横薙ぎには間合いを離して振り下ろす。
「信じても、信じられなくても良いのです」
「? それはどういう?」
「この舞台から退場する貴方には知らなくとも良いことです!」
ますます剣速を早めて、神無は連撃を繰り出してくる。歯を食いしばり、刀弥も攻撃を防いでゆく。
「むんっ!」
「くっ」
剣での打ち合いに集中しすぎた隙を狙われて、神無公爵の蹴りが腹に食い込み、刀弥はフロア内に吹き飛ばされてしまう。
ゴロゴロと床を転がり、その勢いを利用して立ち上がる。
「最近訓練をサボりすぎたかね」
苦笑いをして立ち上がったが、フロアを見て眉を潜める。
「なんだここは? 何もない? 壁もなにもない?」
外壁以外は壁がない。床もめくりあがって、到底ホテルには見えなかった。
罠なのかと警戒する。
「ここは私と貴方との試合場。せっかく用意したのですから、存分に楽しんでください」
神無公爵は楽しそうに顔を歪めさせながら、手にいつの間にか持っていたボタンを押す。
床が爆発して、地震のように大きく揺れる。
「こ、これは?」
「10階層分のフロアを破壊しました。これで思う存分戦えるでしょう」
床が崩れて落下を始める。崩壊して次の階層に降りるかと思えば、次の階層の床も破壊されて、落ちていく。
「どうやら本気でおっさんの力を見たいようだ!」
「本気を出してなお、私には敵わないことを自覚して死ぬが良い!」
崩れ落ちる瓦礫を足場に空中を駆り、皇帝と公爵の意地と力がぶつかり合う。
どちらも引くことをせずに、激しい戦闘を繰り広げるのであった。




