314話 わんこなんだぞっと
闇の息吹は直線状に全てを消滅させた。床はくり抜かれたようにつるりとした断面で、壁は最初から存在しなかったかのようだ。
外壁も消滅したために、夜空が広がり風が流れてくる。
「ほぅ……。昔よりも強くなったか? それとも我の力が衰えているせいか」
「両方だと思いますよっ!」
『シールドバッシュ』
闇がかき消えて、中から盾を構えてフレイヤが飛び出し、フェンリルの鼻面へと盾を押し付けて吹き飛ばそうとする。
「良い判断だ! しかし!」
『瞬烈影光』
眼前に迫る盾に対して、フェンリルは両前脚を振り上げる。と、前脚は消え失せるかのような速さで、フレイヤを切り裂こうと振り下ろされた。
「たっ」
フレイヤは盾をフェンリルへと投げつけると、フリーとなった両手を、迫るフェンリルの前脚へと向ける。
クルリと螺旋の動きで、闇の爪へと手のひらをつけると軽やかにその軌道をずらす。
頭上を通り過ぎるフェンリルの爪をかいくぐり、フレイヤは両手をフェンリルの懐にピタリとつける。
「はっ!」
『双手発勁』
触れた箇所から、波紋のようにエネルギーが伝わっていき毛皮が逆立つ。フェンリルの体内に平凡な魔物なら木っ端微塵になるほどの強烈な衝撃が駆け巡り、大きく後ろに後ずさりをした。
フレイヤはフェンリルが耐え抜いたことを見て、鋭き呼気を吐くと、両拳を握り締める。
「シッ」
『乱打』
拳が霞み、フェンリルの胴体にいくつものへこみが生まれ、神速の拳撃が叩き込まれた。よろけてくの字に身体を折るフェンリルへと、しなやかな伸びをみせて、綺麗な動作で蹴りが放たれた。
「ゴフッ」
苦悶の声をあげて、フェンリルの巨体は壁まで吹き飛びもんどりうって倒れ伏す。
「狼さん、狼さん、貴方の大きな図体はなんのためにあるのですか?」
フレイヤはつまらなそうな目をして、クイクイと挑発的に手のひらを振る。
「お、お前、こんなに強かったのか?」
「アルコールと知識中毒のお爺さんよりは、実戦に慣れているかと。狼さんはそんな哀れなお爺さんを食べて良い気になっていたんですよ。どうりで、お爺さんを呑み込んだあとはあっさりとやられるはずです」
容赦なく煽るフレイヤ。どうやら戦闘モードに切り替えたらしい。みーちゃんと同じく性格が変わる戦乙女である。
「お手とおかわり以外に芸はないというのならば、そのまま頭を垂れて死を待ってください」
「わうわう。笑えるな、たしかに貴様の言うとおり少し良い気になっていたかもしれないが、ここからは少し違う我をみせよう」
フェンリルは身体を起こすと、魔法の力を闇のオーラとして展開する。
「わうわう、我はヘルヘイムの誘いに乗り、フリューなんちょらの椅子を守ることにした。死せし我はヘルヘイムがこの世界の扉を開けるまでの暇潰しとしてな」
含み笑いをするフェンリル。その身体が縮まっていき、毛皮が消えて青い鎧へと変わり、鋭き爪と雄々しい脚は人の手足になっていく。
そうして、闇のオーラが消え失せた後には、一人の人間が立っていた。
「むむむ、その姿は?」
フレイヤが僅かに顔をしかめて、フェンリルへと声をかける。
「ふふふ。驚いたか? これぞ誰もが思いつきも、考えもしなかった驚異の魔法『人化の法』! 鷲になったり、馬に変身しても、神々の誰も人型へと変身する魔法は思いつかなかった!」
「そりゃ、皆は元が人型だからね」
みーちゃんのツッコミをスルーして、得意げに胸を張るフェンリル。その手は紅葉のようにちっこくて、足も細く短い。背丈も140センチ程度の人間となっている。
青色の髪をポニーテールでまとめており、好戦的な鋭い目つきに、口元からは牙がチマっと覗いていた。
狼の耳がピンと立っており、尻尾は狐よりも細く滑らかそうな毛皮だ。
お肌はぷにぷにで柔かそう。筋肉がまったくないように見える。
ふんすふんすと鼻息荒く、拳を握りしめてフェンリルは構えをとる。
「我はフェンリル改め、終焉のリル! 長き時を過ごして、最強の身体とはなにかを考えていた」
声高にワンワンと子犬のような可愛らしい声で、リルは説明を始めてきた。
「まずは身長! 小さければそれだけ素早く小回りがきく! だから、この身長なのだわう!」
小さな拳をフレイヤにつきつけるように伸ばすリル。なるほど、素早さ特化にしたのか。
「小さいからこそ、凝縮されたバワーは圧倒的だわん!」
摺足で油断なくリルはフレイヤへと近づく。たしかにさっきよりも魔法の力は凝縮されたためか、大きい感じがするな。
「そして殴ったら罪悪感が湧きそうな可愛さ! これこそが最強の肉体だと結論づけたのだ! 最後にあざとい語尾! 完璧だわんわん!」
キャンキャンと話を終えるリル。最後が物凄いセコい考えなのは気のせいだろうか。
「まずいわ、お嬢様。この娘、アホだわ」
「狼さんだしね。考えたほうなんじゃない?」
フェンリル改め、リルはどこからどう見ても可愛らしい少女へと変身していた。もう少しフェンリルとしてのプライドを見せてほしかったよ。
「おいおい、フェンリルって、こんなアホだったのか。それじゃ僕がサクッと倒しておくよ」
少女型へと変身したリルに、弱くなったと思ったヘイムダルが余裕の態度で、フレイヤの横に立つ。
「ふっ、神の橋を守りし、このヘイムダルの力を見せてあげよう」
「ふん、この我を見かけで舐めると大変なことになるぞ?」
牙を覗かせて、ニヤリと嗤うリル。対してヘイムダルもリルを見下ろすと、笑って構えをとる。『千里眼』を持っていても活用しない男である。
「ヘイムダルキーック! ごっばァァァァ」
一応神であるヘイムダルが蹴りを繰り出すが、リルはぴょんと跳ねると蹴り足にそっと足を乗せて、クルリと回転すると、蹴りをヘイムダルの頭に叩き込んだ。
頭がもげるかのように、勢い良くヘイムダルは飛んでいき、手足を伸ばしながら、愉快な転げ方で床を転がっていき、先ほどフェンリルがブレスで作った穴から落ちていくのであった。
「なんだろう………ヘイムダルって、本当にヘイムダルだね」
「それはともかくとして、この娘、強そうよ?」
まったくヘイムダルのことは心配せずにフリッグお姉さんが言う。どうやら、宝物庫が開かなかった模様。たぶんフェンリルの結界なのだろう。
「たしかに。フレイヤとフリッグお姉さんの二人がかりなら勝てるかなぁ?」
ピピッと解析するが、リルの解析は不可能だった。神である証拠だ。まずいことにみーちゃんは絶対安静。
「みーたん、子犬の一匹や二匹。私一人で大丈夫です」
タワーシールドを拾い上げて、フレイヤが言う。
「はっ! 全員でかかってきても良いのだぞ?」
「それじゃ遠慮なくいくわね」
『月光弾』
リルが余裕の笑みで口を挟み、フリッグお姉さんは容赦なく銃口を向けた。
月光を凝縮したかのような、光の弾丸が放たれて、リルへと向かう。
「のわっ! ひきょーだわん!」
タンと床を蹴って慌てて下がるリル。その懐に突進するかの勢いで、フレイヤが入り込む。
「時間がないですし、諦めますか」
『シールドバッシュ』
タワーシールドをリルの顔へと叩きこもうとするフレイヤ。
「そうはいくかっ!」
『受け流し』
壁の如し厚さの魔法障壁を纏ったタワーシールドに対して、リルは掬い上げるように手を振るう。
タワーシールドは滑らかな動きで、上へと軌道を変えられて武技は不発に終わってしまう。
「むっ?」
「ふん、最強になるために、基本技も鍛えてきたのだわん! 脳内で!」
体勢の崩れたフレイヤに、右足からのソバットをリルは繰り出してくる。
「シッ」
ソバットに合わせて、フレイヤが右足をあげて受け止めるが、僅かに後ろへと押し下げられてしまう。
「この至近距離で剣をふるえるかわん?」
「仰るとおりです」
タワーシールドを投げ捨てて、剣を抜くことを諦めると、フレイヤは両手を前に構えて、リルを迎え撃つ。
リルが右手からの突きを繰り出すと、フレイヤは左手を返して突きを受け流す。脇腹へとフレイヤが右拳を叩き込ませようとすると、肩から体当たりをしてきて、距離をゼロにして威力を打ち消してくる。
「その重装甲が貴様の戒めとなるわん!」
「素早さで勝っていても、技の差はどうでしょうか?」
「技でも負けないわん!」
二人は高速で動き、残像が無数に生まれる。拳と拳がぶつかりあい、蹴りでのフェイントから、体当たりでの体勢崩しを狙う。
しかし、お互いの技は同等なのか、掠りはするものの決定打はなく、終わりがないように戦い続けるのであった。
「これはまずいかな? お互いに近づきすぎて、掩護できないよね?」
いつの間にかお互いの位置を変えて、激しい戦闘を続けるフレイヤとリル。遠距離からの掩護は無理だ。
とはいえ、フリッグお姉さんではあの高速の近接戦闘にはついていけない。
このままでは戦いが終わるまで一週間とか、神話の戦いになっちゃう。その場合、ママにまたもや怒られちゃうよ。
「そうね、お嬢様。でも、フレイヤはあの重装甲で軽装甲のリルと互角の戦闘をしているわ」
「先に力尽きるのはリルって、言いたいんでしょ? それまでに何日かかるかが問題だよ! みーちゃんの良い子レベルが下がっちゃうよ!」
「違うわよ、お嬢様。重装甲なのが決め手なのはたしかだけど」
シャコンと銃をスライドすると、弾丸を装填させるフリッグお姉さん。んん? 何をする気なのかな?
「巻き込んでも大丈夫よね、最近新たなスキルを手に入れたの」
『FF有効』
『遠距離攻撃2倍化』
『獣特効付与』
『クリティカル率5倍化』
『攻撃3倍化』
『力を溜める』
フレイヤとリルがバトルしているのを見ながら、次々と支援魔法を自分に掛けていくフリッグお姉さん。『FF有効』って、初めて聞くスキルだ。なんだろう?
「『FF有効』は味方にもダメージは通るようになるけど、ダメージが5割増になるの」
フゥと一息ついて、妖艶なる笑みを浮かべて銃を構える。
「さて、わんちゃんはこれに耐えられるかしら?」
『至高の月光弾』
フリッグお姉さんは躊躇いなくフレイヤたちへと銃口を向けると、あっさりと引き金を引いた。
カッと激しい閃光が発生し、膨大なエネルギーが籠められた極太の光線が銃口から放たれた。その大きさは銃口から放たれた瞬間に膨れ上がり、部屋のほとんどを焼き尽くす大きさであった。
「な! オマエラひきょーわん!」
「何人でもかかってこいと、言ったはずです」
ようやく気づいて、驚いて逃げようとするリルの腕をフレイヤが掴んで制止する。そうして二人は光線に呑み込まれる。
光線は一直線に壁を貫くと薙ぎ払われて、城を綺麗に分断して、空へと水平に飛んでいった。
光線が消えてなくなり、その後には倒れこんでいるリルと、黒焦げの装甲を着込むフレイヤだけが立っていた。それ以外は壁も天井も跡形もなく消滅していた。
「パージ」
フレイヤの言葉に着込んでいた鎧が分解して床に落ちていく。フレイヤは『大治癒』を使い、身体を癒やす。
「この娘はアホだったわね」
「い、犬ではなく、鶏の化身かもしれません。基本技を極めれば強いと勘違いして、周囲を見てませんでしたよぉ」
「二人いるのにね……残念な狼さんだったよ」
ふぅと息を吐き、黒焦げのリルを見る元の性格に戻ったフレイヤ。フリッグお姉さんは呆れているが、この娘はたしかに視野狭窄すぎだ。
リルはぷるぷると震えると、ぽふんと煙を生み出して……。
ちっこい子犬に変わった。ポメラニアンの子犬だ。片手で持てるほど小さい。
「あら? 最強を目指すだけはあるわね、この娘。たぶん緊急避難モードよ、これ」
何ということだ。最強とは伊達ではなかったのね。生き残るための保険もかけておいたと。みーちゃんはよろよろと子犬に近寄ると抱えあげちゃう。
「た、大変だよ。ママにどうやって説明しよう?」
もう一匹ペットを飼っても良いかなぁ。
モブな主人公。ムゲンライトノベルスから書籍で発売されてまーす。よろしかったら、おひとつ手にして頂けると、みーちゃんは大喜びしちゃいます!




