302話 いしんでんしん
人気のない森林の隙間を縫うようにぽつんと猫の額ほどの空き地があった。
道もなく、木々に囲まれて鬱蒼と草が繁茂している。人の手が入っていない場所に見えるのに、不自然にも小さな石碑が立っていた。
昔に建てられた物にしては、汚れもなく綺麗なものだ。石碑にはびっしりと文字が描かれている。
どのような文字か理解できる者なら、それがルーン文字だとわかるだろう。
静寂が支配して、小鳥のさえずりすらも聞こえない。不可侵の空気を醸し出している空間だったが、突然石碑が光り始める。
石碑から漆黒の粒子が無数に生み出されると、一つへと集まって人型をとっていく。
闇の粒子は人型を作りおわると空気に溶けるように消えていき、中から人骨が現れた。
ヒビだらけで今にも朽ちそうな人骨で、骨以外には目玉も内臓もなく、胸の中心に脈動するように輝く光球が納まっている。
カタカタと骨は重なり合う音を立てて、ゆっくりと歩き出す。
「お、ぁぁ……」
声帯すらないのにもかかわらず、地獄の底から響くような苦しげな声をあげて、ひたひたとスケルトンは歩き、周りを見渡す。
「は、早く伝えなければ……」
その声は女性の声であった。美羽が聞けば驚いたであろう。その声音は滅ぼしたはずのヘルヘイムのものであったのだ。
「『魂分与』を使ったにもかかわらず……この身体は限界ダ」
ヘルヘイムは臆病者である。自身でもそれを自覚しており、かつての『終末の日』でも死者の軍勢は向かわせたが、自身は『ニブルヘイム』に閉じこもっていた。
今回も鷹野美羽の魂を回収するには、自身自らが出向かないといけなかったために戦ったが、万が一のためにこの石碑に少しばかりの『魂分与』を使用して、倒された時のための保険としていた。
保険としていたはずであった。しかし、なぜかこの魂も崩壊を始めている。時間がない。魂が崩壊すれば力だけが漂うことになるだろう。
その前に伝えねばと、強い想いで砂へと変わろうとする骨の体を維持する。
この情報は絶対に伝えねばならぬ。その想いだけで存在を保っていた。
「やれやれ、無様な姿になったものですね、『死のヘルヘイム』」
草むらが僅かに揺れると、フードを被った白いローブの女性が姿を現す。その口元には嘲笑があった。
「オォ…………『生のヘルヘイム』。き、キタカ………」
「もちろんです。せっかく賭けに勝ったのですからね」
肩を竦めて、煽るようにクスクスと嗤うローブ姿の女性。フードを深く被り、口元しか見えないが、『魔導の夜』の関係者ならばその姿を見て、正体を察するだろう。
『空間の魔女』。シンの師匠にて、ミステリアスな謎多き女性である。
彼女はヘルヘイムから、『生のヘルヘイム』と呼ばれて薄く笑う。
「だから言ったでしょう? 人間が神殺しを成す可能性を伝えたはずです。なのに、貴女は私を出し抜くために、鷹野美羽を『生贄の法』にかけた。その結果がその姿とは無様なものですよ、まったく」
皮肉げに顔をしかめさせて、『空間の魔女』はスケルトンと成ったヘルヘイムへと近づく。
「あの少女の成長は目を見張るものがあります。私たちが完全なる力を取り戻したあとに倒そうと言ったではありませんか」
「………」
押し黙るヘルヘイムへと呆れたように肩を竦めて…『空間の魔女』はこれみよがしにため息を吐く。
「無駄なことをして、敵に力を与える機会を与えるとは愚かとしか言いようがありません。この後、鷹野美羽を殺すのには苦労しそうです」
『生のヘルヘイム』は苦労するだろうと口にはするが、絶対の自信が垣間見えた。負けるつもりなど毛頭ないに違いない。
その姿は少し前の自分を鏡に写したようだった。
「『転生者』が予想以上に力をつけたからと、欲をかいたものです。これまで長い間地道にやってきたではありませんか。成功は目前だったのですよ?」
わかっていると、死のヘルヘイムは頷こうとするが上手く身体が動かない。
遥か昔。『終末の日』を乗り越えたまでは良かった。
だが、スルトの炎により神々が死に絶えて、神力も魔力も全て消えてしまい、死者すらも産まれぬ壊れた世界で『ニブルヘイム』だけが無事なはずはなかったのだ。
徐々に『ニブルヘイム』は崩壊していき、ヘルヘイムも自身が遠くないうちに滅びると悟った時に、新たなる世界を得るための行動に出た。
その際に万が一にも未知の敵に滅ぼされないように、『魂分与』で同等の力を持つ二人へと分かれたのだ。魂を操るヘルヘイムにとって、二人に別れることは造作もないことであった。
『死のヘルヘイム』、『生のヘルヘイム』とは便宜上呼んではいるが、二人は元は一つ。最初はお互いに協力して行動をしていた。
だが、永遠ともいえる長い間二人に分割して生きてきたために、性格に差異が現れてしまった結果、融合後の主導権をとるために争うようになってしまった。
『死のヘルヘイム』は作戦が成功する寸前。『転生者の魂』の召喚に成功した時に、次の『転生者の魂』が恐ろしい早さで力を手に入れる姿を見て確信した。
『生のヘルヘイム』を出し抜くことができると。
『転生者の魂』、即ち鷹野美羽の存在は千載一遇のチャンスであった。かの者ならば、短時間で生贄と育つと考えたのだ。
成功すれば、『死のヘルヘイム』が融合後の主人格となり、完全なる神としてこの世界に降臨できると考えていた。
だが………。
「だ、ダメダ」
駄目なのだ。間違っていたのだ。
「ダメナノダ」
「ふふふ、そう言うと思っていました。最後ぐらいは神としてのプライドを見せてくれませんか? 往生際が悪いですよ。せめて散り際は美しくあってください」
『空間の魔女』が近寄ってくるのを見て、なんとか声を出そうとする。
「マチガッテイル」
「貴女にとってはそうでしょう。ですが約束しましたよね? 今回の作戦が失敗した時は私を主人格として受け入れて、貴女は消え去ると」
「ダメダ……ダメダ……」
そういう約束であった。『死のヘルヘイム』も神としてのプライドはある。失敗したら約束通りに消えさろうと考えていた。
命乞いをしていると『生のヘルヘイム』は考えて、蔑む声音で言ってくるが違うのだ。
勘違いをしている。
「ダメダ……」
なんとか言葉を絞りだそうとするが、なぜかセリフが声からでない。視界にチラチラと映るものが酷く苛立たしい。
「やれやれ。それでは無理やり回収させて頂きます。もはやそのボロボロの姿では私に対抗する力もないでしょう」
フードを取り払うと、漆黒の長髪を伸ばし、冷たき灰色の瞳と他者を見下すことになれた歪んだ唇を持ち、美しくも残酷そうな空気を醸し出す顔立ちの美女の顔が露わになる。
「どうですか? 貴女は外に力を使っていたので、化け物の容姿ですが、私は自身の内に力を使いました。今の私は世界の神となるのに相応しい美しい姿ではありませんか?」
唇を綻ばせて、嬉しそうに髪をかきあげて、自画自賛する『空間の魔女』。元は半分腐った顔だったから、変貌したものだ。
「美しさを持つ私が主人格となるのは決定していたのですよ。化け物の『死のヘルヘイム』」
得意げに滔々と語る『空間の魔女』。どうやら顔がコンプレックスになっていたようだ。
艷やかな白い肌を持つ右手を掲げると、黄金に輝いていく。
「さようなら、『死のヘルヘイム』。貴女の力は有効活用させてもらいます」
『魂収奪』
『空間の魔女』の右手が半透明のアストラル体へと変わり、躊躇いなく『死のヘルヘイム』の鳩尾に食い込ませる。
ズンと強い衝撃が『死のヘルヘイム』の身体を駆け巡り、自身が滅びると悟った。
「ダメダ……ア、ア、ダメダ」
「安心してください。元の世界の扉は私が完全に開き、残してきた力も回収いたしますので」
嘲笑う『空間の魔女』。この先の成功した世界を夢見ているのだろう。
駄目なのだ。それでは駄目なのだ。
力を振り絞り言葉にしようとするが出ない。
その理由もわかってはいた。
目の前に映る半透明の不可思議なるボードが伝えてきている。
『だが、返事がない。ただのしかばねのようだ』
アレに敗れた自分はもはや意思を伝えることも制限されていた。何度口にしようとも、駄目なのだ。
『だが、返事がない。ただのしかばねのようだ』
繰り返されるこの表記が邪魔をしてきていた。
なぜ気づかなかったのか。
ただの置物だと思っていた。
ただの風景だと考えていた。
だからこそ……。
言葉が口にできなければ、思念にして伝えるしかない。最後の力を振り絞り、思念を送ろうとする。
元は一人であったのだ。仲違いをしても思念は送れる。
そう信じて、消えゆく意思を掻き集めて、思念を送る。
『世界の門を開けてはならぬ!』
たった一言であった。だが、全ての力を『死のヘルヘイム』は注ぎ込んだ。
これで気づくだろうと安堵して、『死のヘルヘイム』は自身の片割れに視線を移すが
「さようなら、私。これで終わりです」
まったく思念は届いていなかった。その顔は平然としており、先程までと変わりはない。
何故だと絶望するヘルヘイムは、儚く消えてゆく中で『空間の魔女』の瞳を見て……理解した。
「ソウカ……ワレラハ……スデニ……」
そうして最期の言葉をも口にできず、『死のヘルヘイム』は『空間の魔女』に吸収されて、その存在を消滅させるのであった。
『空間の魔女』は手を握りしめて、自らの力が先程とは比べものにならないレベルで増大したことに、機嫌よく嗤う。
「これで私の負けはなくなりました。ご苦労さまでした『死のヘルヘイム』。これからは私が……おっとっと」
歩こうとして、身体がよろけてしまう。
「ふむ……力を同化させるのに時間が多少必要のようですね。まぁ、こちらも最後の準備をしなくてはなりませんし。それまでは隠れているとしましょう」
空を仰ぎ、清々しい笑顔になると、両手を広げて誰に告げることもなく呟く。
「あぁ……世界はとても美しい。この世界は素晴らしい。力に満ち溢れた世界。これは全て私の物」
再び歩き出して、ニヤリと微笑む。
「あと一歩。遂にあと一歩ですね、ふふふ」
そう呟くと、その姿はかき消えて、その場には誰もいなくなり静けさが戻ると、チチチと小鳥の鳴き声が響くだけとなった。
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