30話 娘の才能
陽が落ち始める。そろそろ夕方となるだろう。差し込む陽射しはオレンジ色に染まり、リビングルームを染めていく。暗くなる前に電気を付けておこうと、芳烈は立ち上がり、部屋の電灯を点けた。
ぱちりと音を立てて、ボタンを押すと、リビングルームに明かりが灯る。夕方前なので少しもったいないかもしれない。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、トトトとコップに注いで、居間へと移動し、ソファに深く座り込む。
「ふぅ、まさかうちの娘がそこまでの魔力を持っているとは思わなかったな」
困り顔で、芳烈はコップを傾けると冷えた水を飲む。冷えた水は興奮していたのだろう火照った身体に気持ち良い。気づかずに緊張していたのだろう。
ふと、ミネラルウォーターを飲み始めた時のことを思い出す。思えば、3年前に美羽がミネラルウォーターを美味しい美味しいと、笑みを浮かべて飲んでいたのが、きっかけだった。
それまでは、コーヒーや紅茶を飲んでいたのに、心の底から美味しいと花咲くような笑みに釣られて、自分と妻もミネラルウォーターを飲み始めたのだ。
ミネラルウォーターは高価で美味しいねと、笑顔で言う美羽はとても可愛らしく、その言葉には笑ってしまったが、愛らしくコクコクと飲む姿を見て、自分たちもミネラルウォーターを飲み始めたのだ。
小さな習慣にも、愛しい娘の記憶があると、芳烈は口元を綻ばせる。
聖属性に目覚めて、回復魔法使いとなった娘。確かに希少だが、実はそこまでの魔力は持っておらず、軽い傷を治せるぐらいだろうと考えていた。
なぜならば、美羽は回復魔法を3回使うとマナが尽きたと聞いていたからだ。回復魔法使いでもピンキリだ。美羽はキリのほうだったのだろうと、多少安堵していた。
強い力は幸福にも不幸にも誰かの人生を変えてしまう。多少の回復魔法を使える娘。その程度で良かったのだ。娘には不幸になってほしくない。この程度の魔力ならば鷹野家も無理をすまい。芳烈は貴族の世界がどれだけドロドロとしたものかを、詳しくはないが、元伯爵家次男として知っていた。
あの純粋で、正義感の強い美羽が貴族の中に放り込まれて、苦労するのは防ぎたい。悲しい想いをして泣いてほしくないと、妻と共々考えていた。
だが、その予想は大きく変わってしまった。美羽はこの才能を開花し始めている。ストーンゴーレム事件におけるマナの大きさ、そしてまさか『魔力症』を治せる程の回復魔法使いになるとは思わなかった。
しかも、あの娘はこんな簡単な魔法は誰でも使えると、その表情が如実に表していた。
今回の一件、表向きには油気春は『エリクシール』の力で治癒したことにしている。しかし、いつまでも隠せないだろう。家族が黙っていても、使用人がいる。護衛の者も。春が検査に行く病院先にもバレるだろう。
どこからか、美羽の話は広がる。防ぐことはできない。『エリクシール』はただの魔力緩和薬だと、既にわかっている。美羽から半分貰い、魔導省で調査した結果だ。
『魔力症』を治せる画期的なポーションだと思われたが、その素材は貴重で作れるものは極僅かな回復魔法使いだとも判明している。過去に存在している既知のポーションだったのだ。
恐らくは『ユグドラシル』は油気家が、さらに『偽のエリクシール』を欲しがってコンタクトをとってくるとでも思っているのだろう。悪辣なことだ。そうして、骨も残らないぐらいに相手からむしり取るのが『ユグドラシル』のやり方だ。未認可のために、偽物だと訴えることができない。
しかし、魔導省としてはこの悪辣な商法を見過ごすことはできないために、近々監査に入る予定となるだろう。『ユグドラシル』の法人は無効にできなくとも、暫く静かにさせることはできるはずだ。
しかし、『エリクシール』が偽物だとわかれば、油気家の息子はどうやって治したか、目敏い者ならば、美羽が出入りしていることから、何が起こったのか、すぐに理解するはずだ。
美羽を守るとは言ったが、自分自身、現実的に考えて、守りきれる可能性は低い。自分は平民で権力も財力もないのだ。美羽を危険から守るため、命を投げ出す覚悟はできている。
だが、現実は命を投げ出す覚悟だけでは、巧妙に張り巡らされた謀略には対抗できないのだ。きっと力ではなく、他の方面で美羽を囲おうとしてくる者がいるはずだからだ。
その筆頭が元実家である鷹野伯爵家だ。今は帝城侯爵家の後ろ盾で護られているが………それでは、親として実に情けないし、美羽を守りたい。愛する家族を守るのが自分の役目であり、自分の願いでもあるからだ。
明晰な我が娘は、私たちが守ると伝えても、守りきれない可能性があると考えている。可愛らしい顔の美羽は眉を顰めて、不安そうにしていたからだ。
「パパ、ママ、私強くなる! 皆を守るよ。ししょーを探してしゅぎょーする。500円払ってお願いする!」
幼いながらに、強い決意をした娘。反対に私たちを守ろうとする健気な美羽の優しい心を感じて、頭を撫でて、ありがとうと伝えたが、自分が頑張らねばとも、強く決意するきっかけとなった。
美羽が500円玉を握り締めて、魔法使いの所に弟子入りしようとする姿を想像すると、その健気さにますます愛しく思ってしまう。
方法はある。少なくとも平民では防げない貴族の横暴を防げる方法が。
今は妻と美羽は夕ご飯の買い物に行っている。今日はベーコンハンバーグにしましょうと妻が言って、美羽が笑顔で飛び上がって喜び、二人仲良くスーパーへと行ったのだ。
既に妻には相談しており、気は進まないけど、美羽のためねと同意してくれた。なので、あとは自分の決意だけだが、意思は固まった。
スマフォを手に取り、帝城家に電話をする。しばらくコール音が響くと、相手が出てくれた。
「はい、帝城でございます」
相手のスマフォへ直通の電話ではない。スマフォの電話番号も伝えられているが、正式にお願いをしたいので、訪問するためのアポイントメントをとるために、家の方へと電話した。
相手は聞き慣れた声音の老齢の男性だ。帝城家の執事だろう。
「鷹野です」
「これは鷹野様。いつもお世話になっております」
丁寧な物腰での挨拶をお互いに繰り返すと、用件を伝えることにする。
「実は帝城さんに折り入ってお願いがありまして。お訪ねしたいのですが、ご都合の良い日時はありますでしょうか?」
「……ご訪問なされたいと? なにかありましたか?」
まだ美羽の話は伝わっていないらしい。護衛の人も遠巻きに守っているために、『魔力症』を美羽が治したことを知らないようだ。
油気子爵家は古くからの名門で、小さい家門だが、魔導具作りの名門だ。先代から引き継いでいる魔道具も数多く、『ユグドラシル』が魔道具を狙う動きを見せていたので、警備を厳重にしていたと、訪問時に教えられた。
なので、おいそれと美羽の護衛も近づけなかったに違いない。
「実は美羽のことで一つお伝えしたいことがありまして、なので、この間のお話を受けたいと思います」
「ほう……左様ですか。少々お待ちください。当主様はご在宅ですので、ただいま代わります」
執事さんは、なにかを感じ取ったのか、すぐに王牙さんへと繋いでくれることとなった。
自分の決意が変わらないように、ゴクリと息を呑み、私はスマフォを強く握り締める。
「お待たせした。王牙です。鷹野さん、どうしましたか?」
相変わらず落ち着いた声音で、重々しい貫禄のある空気を感じさせる人だ。
「実は美羽が『魔力症』を治しました」
「……『魔力症』を? それは真ですかな?」
私の言葉に、ハッと息を呑み、王牙さんは驚き真剣な声音で聞いてくる。王牙さん自身も予想していなかったに違いない。回復魔法使いの師匠を探すつもりでいたが、どこも回復魔法使いは囲い込んでおり、困難だと言っていた。なので、美羽は今の回復魔法以外は使用できずに、成長は難しいと思われていたのだ。
それが誰にも教わらないで、『魔力症』を治せる魔法を使えたのだ。驚くのも無理はない。
「むぅ……美羽さんは『オリジナル魔法』を創造できる才能が高いのかもしれません」
「『オリジナル魔法』ですか?」
「はい。どんな魔法も、起源があります。最初の魔法は『オリジナル魔法』を創造した者が広めたのです。今でも『オリジナル魔法』はあります。闇夜も2つ3つの『オリジナル魔法』を創造しているので、珍しくはありません。誰しも自分の切り札として『オリジナル魔法』は持っています」
「一族の秘伝や奥義ですね?」
鷹野家にもそのような魔法は存在した。『マナ』に覚醒しなかった自分は、詳細は知らないが、他家も同様に奥義などは存在している。
珍しくはないのかと、ホッとしてしまう。美羽の才能の高さは危険と繋がっているからだ。我が子の才能よりも、安全を望むのは親としては不甲斐ないが、今は注目されるような力を持ってほしくなかった。
だが、王牙さんの続く言葉は、芳烈の望みを壊してしまった。
「そのとおりです。ですが、問題があります。大体の者は一族の秘伝や、これまでの魔法を参考に『オリジナル魔法』を創造するのです。ですが、美羽さんは誰からも教えられていないにもかかわらず、『魔力症』を治癒できる魔法を創造してしまった。これは驚異的な才能です」
「そうなると、美羽は他者からどう思われますか?」
「ストーンゴーレムを倒した際のマナの多さ。そして、『魔力症』を治せる魔法を使えるようになったことから、他の回復魔法を使用できるようになるかもしれません。………欠損を治せる魔法を使えるようになる可能性があります」
「欠損をですか……!」
あり得ると、私は唇を噛む。『魔力症』を簡単に治せた娘だ。欠損を治せるとすると……。
「今の日本には3人のみですな。一人は『ユグドラシル』の教祖、残りは一人は皇族、一人は日本各地を放浪している魔女と呼ばれる人ですね」
美羽は4人目の欠損を癒せる回復魔法使いとなる。なんとしても手に入れようとする者は、あとを絶たないに違いない。
「帝城さん、この間のお話を受けようと思います」
それならば、もはや時間は残り少ない。美羽は将来、魔導学院に入ることになるだろう。美羽の力は世間に広まる。その時に慌てても、もう遅いのだ。
王牙さんから、たびたび爵位を受け取るようにと言われていたのだ。
「わかりました。陛下に鷹野さんの爵位の奏上をします。回復魔法使いを守るために必要であれば、子爵程度ならば問題はないでしょう」
「子爵? この間は男爵との話だったと記憶しておりますが?」
「将来的に欠損を癒せる回復魔法使いになる可能性があるとすれば、子爵家レベルは必要です。下位貴族でも、有象無象の男爵と子爵家では天と地の差がありますからな。子爵家ならば、昇爵して伯爵にもしやすいですし、高位貴族との結婚も可能です」
結婚………美羽には恋愛結婚をしてほしいが、それはとりあえずおいておく。婚約の申込みは全て蹴るつもりでもあるし。
「子爵ですか……わかりました。お願いします」
「お任せを。すぐに行動に移りますので、次にお会いした日には良いご報告ができるかと」
「ありがとうございます」
話は終わり、スマフォを切る。とんでもないことになってしまった。ヨーロッパと違い、日本の貴族は礼儀にうるさくないが、それでも覚えることはたくさんあるし、仕事場での立場も変わるだろう。何よりも魑魅魍魎の渦巻く貴族の世界へと飛び込まなくてはならない。
「ただいまー! はんばーぐの材料買ってきたよ」
ふぅと疲れて椅子に凭れかかり休んでいると、ドアを開けて、勢いよく美羽が飛び込んでくる。
「ふふ。それじゃあママはこれからハンバーグを作るわね」
後から入ってきた妻がおかしそうに笑いながら、買い物かごをテーブルに置く。
「私もお手伝いする!」
手を洗ってくるねと、洗面台へと駆けてゆく娘。優しい娘だと、芳烈は癒やされて、疲れていた心が暖かくなる。
妻に先程のことを伝えなければならない。
だが、この優しい家庭を守るためなら、どんなこともしようと芳烈は微笑むのであった。




