298話 不老不死はありがちなんだぞっと
若返った龍水公爵。おばあちゃんだったのに、今や若々しくヒロインを張れるぐらいの美しさを取り戻していた。
凛とした顔立ちに、切れ長の目。すらっとした鼻梁に、不敵な笑みを浮かべる唇。身長は170センチを超えて、出るところは出て、引き締まっているところは引き締まっている。
モデルも顔負けの美女がそこにはいた。羽織を模した魔導鎧を着込み、誰もが見惚れる美女であった。
みーちゃんに匹敵する美女だ。どちらが美しいか甲乙付けがたいだろう。紳士諸君は、みーちゃんに清き一票をくれるから、みーちゃんが僅差で勝つかな。
さて、それじゃこんなことをした理由を聞いてみるか。聞くまでもなさそうだけど。
「おばあちゃん……前々から行動が怪しいとは思ってたけど、単に若さを取り戻したかったわけ? なんかつまらない理由だけど」
「ははっ。あんたみたいな若い奴らにはわかるまい。歳をとるってのは残酷なもんなんだ。齢を重ねるってのは、心が死んでいくってもんなんだよ」
怒りもせずに、薄笑いで語り始める龍水公爵。張りのある手のひらを見せつけるように持ち上げて、嬉しそうに言う。
「この手のひらを見な。シミもない、皺もない、水をも弾く若い肌を。これがあたしの求めていたものさ。くだらないと非難するならしな。たしかにありきたりな理由だからね」
「公爵……貴女は皇帝の信も厚く重用されていた。それを若さのために裏切って、『ニーズヘッグ』と組んだのですかっ!」
油気父が怒りの表情で言うが、その言葉はまったく龍水公爵には届かないようで、軽く肩を竦めるのみだった。
「あたしは最強だ。金もあり地位もある。そして美しさもあった宝石のような輝かしい女だった。だが今やどうだい? 若さを失って輝きのくすんだあたしは、石炭よりも価値がない」
「そんなことはないでしょう! 皆が貴女を立派な人間だと」
「あるんだよ! 最盛期の輝きがあたしを苦しめる。最初に思ったのは、毎日の訓練を疲れたから今日は止めようと朝に考えた時だった。体から疲れがとれないことに気づいた時、あたしは老いを感じたのさ」
「誰しもが通る道ですよ、公爵」
油気両親がきつい眼差しで非難をするが、龍水公爵はヘラリと笑い返す。
「ふふふ。凡人はそこで諦めちまうんだろうさ。だがあたしは違う。日本最強にして最高の魔法使い。龍の血脈を持つ人間。選ばれし人間はね、考えが違うのさ。魔法なら叶えることができる。若さをとりもどすことができると考えたんだよ」
「ありがちだね、おばあちゃん! だいたいそーゆーのは失敗すると思うよ」
「あぁ、もちろんあたしもそう思う。だから慎重に動くことにしたのさ。非道なる実験をしても問題がない組織を作ったのさ。そこのスカジを教祖にして、孤島を作った。こいつは可能性を持っていたからね」
みーちゃんの言葉を返して、後ろにいるスカジを見る龍水公爵。
「はい。私は『生贄魔法』を使えますから。人の命を生贄に、若さを取り戻す実験をしていました。その代わりに私をこの国の頂点にして頂けるとのことでしたので」
「馬鹿なっ! テロリストカルト宗教を頂点に? 貴女はどれだけの危険を冒しているか、わかっているのですか!」
スカジがコクリと頷いて、相手を小馬鹿にした笑みを浮かべるので、油気父は龍水公爵に食いかかるように怒鳴る。
「まぁ、あたしも馬鹿じゃない。こいつらは裏で力を持たせる予定だった。これからも不老や不死を研究してもらわないと困るからね」
「貴女という人は……」
龍水公爵はまったく聞く気がないと悟り、歯を食いしばる油気父。
「全ては順調だったのに、鷹野美羽、あんたのお陰でめちゃくちゃさ。資金繰りが厳しくなり、生贄を集めるのにも苦労するようになった。そして、権力を手にすることもね」
「神無家を後ろで支援していたからだよ。因果応報だね」
「ぷわっはっは。たしかに厳しい目が続くよ。あんたのお陰で皇帝の力が強くなりすぎている。だが……あんたは急速に力をつけすぎだ。皇帝は今度はあんたを警戒し始めている。高転びをするって言ったろう?」
「……みーちゃんになにかした?」
眉をピクリと動かして、警戒をする。なんか嫌な予感がするな。
「あんたの家族に神無の馬鹿夫人をけしかけたのさ。今頃は神無家と鷹野家の全面戦争に入っているだろうよ。そして、どちらの家門も皇帝は制御できない。いや、ここで鷹野家の力を削ごうと考えるはず」
「………パパやママになにかしたの?」
「あぁ。そうさ。ちょっとしたことさ。大怪我を負って回復できずにいれば、あんたが会場にいないこともわかったのにね。そこは残念だった」
「へー、ソウナンダ」
ちょっぴり口調が固くなる。そういや、この婆さんは精神操作を得意としていたな。
なるほど。ナルホド?
「再びの大混乱となるだろう。いや、あたしがしてみせる。表に出ない資金を捻出するには苦労をするからね。貴族たちが混乱している方が良いのさ」
「お金のために、そーゆー事をするんだ?」
熱の籠もった言葉を吐く婆さんに、目を細めて淡々とした声音で答える。
ミステリアスな最強婆さんの正体は銭ゲバで、若さを取り戻そうと動き、人の犠牲を顧みないただの俗物だった。
「あぁ、如何せん金はいくらあっても足りなくてね。安心しな、あんたを殺して、鷹野家の余剰資金はアタシが回収してやるよ。どこかの家門が再び力をつければ、資金も入るし人には言えない実験をしても揉み消せるように戻るだろう」
スカジをちらりと見て、口元を歪めつつ龍水の婆さんはみーちゃんへと視線を戻す。
「あんたみたいな強力な魔法使いを生贄にすれば、不老への足掛かりになるらしいからね。確実にこの龍水巴がここで殺す。シンモラ!」
「金はしっかりと振り込んでくださいよ。それにレンタルするだけですからね?」
太っちょの男へと手を伸ばす婆さん。太っちょの男は渋々といった顔で、布切れに覆われた棒を手渡す。
婆さんが布切れをとると、中からルビーを削って作り上げたような美しい剣身の大剣が現れた。剣身にはルーン文字が描かれており、仄かに光っている。
「神剣レーヴァテインさ。レンタルってのが悲しいところだ。今の美しさを取り戻したあたしに相応しい剣なのにね?」
ぽんと剣身を叩くと、婆さんの腕がぶれる。一条の赤い閃光が太っちょの胴体を薙ぐように通り過ぎて、後ろの木木をもなぎ倒す。
「な、何を……ガハッ」
ズルリと胴体がずれていき、綺麗な切断面を見せて、驚愕の表情を浮かべ、太っちょの男は上半身と下半身が分断され地面に倒れ込む。
切断面から炎が吹き出し、一瞬のうちに灰へと変わるのを見ながら、婆さんはニヤリと嗤う。
「返す相手がいなけりゃ、あたしが貰っても良いと思ってね。シンモラ、素直に譲っとけば良かったんだよ」
シンモラか……。『ニーズヘッグ』最後の幹部だったはず。太っているが、その脂肪は溜め込んだマナの塊であり、無限の耐久力と尽きぬマナでの連続魔法を得意としていたな。
哀れ、みーちゃんと戦う前に死んだか。
でも、レーヴァテインといえど一撃で倒す程に婆さんとシンモラのレベルに差はなかったはずだけど?
訝し気なみーちゃんの視線に気づいたのだろう。婆さんは種明かしをしてくる。
「冥土の土産に教えてやるよ、小娘。『ニーズヘッグの加護』を得たあたしの力はね、『喰らう力』なのさ。こういうふうにね!」
龍水公爵の体が黄金に輝き、周囲の空間が歪みはじめる。
「こ、これはマナが吸い取られる?」
「魔導鎧が!」
「変身が解けちゃった! コンちゃん!」
「符も崩れちゃったよ」
油気家族たちが苦悶の表情で膝をつく。魔道具が次々壊れていき、符が灰へと変わっていった。
『ニーズヘッグ』の部隊も同じように膝をつく。
婆さんを中心に大地が腐り始め、木々が枯れ落ち、草むらに隠れていた虫や小動物たちが死んでいった。
「どうだい? あらゆる物を吸収する『ニーズヘッグ』のち――」
傲慢に顔を愉悦で歪める婆さんは、最後まで台詞を口にできなかった。
風が通り過ぎていった。
そよ風のように微風で、草木を僅かに揺らす程度な力の風。
龍水公爵の身体を撫でるように通り過ぎ、周囲の『ニーズヘッグ』の部隊も土も草木も全てをそよ風は通り過ぎていった。
だが龍水公爵の身体を風が通り過ぎていったあとに……。
口を開けたままの体勢で、砂のようにその身体はサラサラと崩れ去り、風に煽られて散っていった。
龍水公爵は何もすることもできずに、あっさりと死んだ。レーヴァテインだけが残り、主を失い地面へと落下していった。
最強とか言ってたし、『ニーズヘッグの加護』とか言っていた若さを取り戻した婆さんは、その力の一端を見せることもできずに、この世から退場したのだった。
「婆さん、あんたは練習試合の相手のままで良かったんだよ」
『神意』
『フレースヴェルグの風』
手のひらを消え去った龍水公爵へと向けて、美羽は冷たき声音で告げる。家族を狙う相手は殺さないとね。
そよ風のように優しい風だが、その威力は人間では到底耐えられない。
神術の一つ。『フレースヴェルグの風』だ。高い即死効果を含むこの魔法は全てを砂塵へと変えてしまうのである。
みーちゃんの逆鱗に触れたんだよ、婆さん。
そよ風の通り過ぎたあとは全てが砂のように崩れ去り、森林は抉られて、扇状にどこまでも続く深き渓谷が美羽の前には形成されていた。
いや、全てではない。
「哀れな婆さんだったよね。みーちゃんの家族に手を出すなんて命知らずだと思わない?」
教主であるスカジすら消え去ったのに、黒いローブを着込む単なるモブ戦闘員だけが残っており、空中に滞空していた。
「まぁ、若さに目が眩んだ老人の最期としてはありきたりでしょう。少しボケもあったと思いますよ?」
黒ローブのモブから紡ぎ出される声音は女性のものだった。仲間が全て倒されたにもかかわらず、冷静な、いや嬉しそうに答える黒ローブ。
「偽の教主の陰に隠れるなんて小物だね、スカジ」
「ふふふ。そうかもしれません。私は臆病者ですので。ですが、その甲斐はあったようです」
『フレースヴェルグの風』を受けても傷一つなく、そのローブに綻びもない黒ローブの人間。
「どうやら、貴女を成長させることに成功したようですね。実り多き者よ。その人外の領域へと達した力、見事です」
深くかぶったフードをとり、それは三日月のように口を歪めて嗤う。
「我が真の名は『ヘルヘイム』。死の神に魅入られし鷹野美羽よ。その魂を我に捧げるが良い」
どうやら黒幕っぽい。それなら、鷹野美羽神の力を見せてやろうじゃないか。
ぴよぴよってね。




