292話 その瞳には
「充分稼げたね、今夜は宴会だよ!」
「おぉ〜!」
空は暗くなり、夜の帷が舞い降りる中で玉藻は機嫌よく叫ぶと、焼けた肉にかぶりついた。
皆も一斉に肉にかぶりつき、夢中になって食べ始める。
廃墟ビルを根城にする玉藻たちは、大量のうりうり坊の肉を焼いて、バーベキューをしていた。
バーベキューと言っても、焚き火に串を刺した肉を置いて焼くだけだ。野菜も何も無い。
それでも皆は嬉しそうだ。
「美味しいね!」
「久しぶりのお肉〜」
「おいひいおいひい」
口々に美味しいねと言って、まだまだ幼い子供たちが笑顔で食べる様子を見て、少し心苦しい。子供達は幼い歳で捨てられたのだ。美味しい物を、いや普通の味を知らない。
今食べているうりうり坊が貧民の肉と言われていることも知らないし、血なまぐさくて硬いために、物凄い不味いことも理解していない。
玉藻は家族を殺されるまでは裕福な暮らしをしていたために知っていた。それが今の境遇では不幸なことでもある。本当の料理の味を知らないで美味しいと笑顔になる幼い子供たちを眺めて、心苦しい時があった。
新しく加入した鷹野美羽はどうだろうか。ハンバーグが好きだと語る幼女にとって、このお肉は食べられたものではない。
泣いてしまうかと、気になって鷹野美羽を探す。
と意外な光景があった。
「あまーい。美味しいね!」
「へ?」
なんと肉にかぶりついて、感想が「甘い」だった。
焚き火に直火で焼いており、焦げも多いし血抜きもできていないから獣臭い。それに筋肉質で筋張っているから硬い肉だ。
なのに、甘い? 何を言っているんだろう?
それに……。
「甘い食べ物はみーちゃんたくさんたべられるよ!」
硬い肉なのに、まるで柔らかいかのように、あっさりと食いちぎると食べてしまう。
驚愕の光景だった。どうしてあんな小さな娘がこの肉を簡単に食べられるんだ?
鷹野美羽がパクパク食べるその様子に、皆も驚きの顔になっている。
しかもだ。……あの娘は骨はどうしているの?
骨も多いはずなのに、全然吐き出さない……。
「ええっ! ちょっと鷹野美羽、あんたは骨を食べてるの?」
「ほね?」
肉を食べて、覗き見る白い骨。その太さは到底かみ砕ける大きさではない。なのに、不思議そうな顔で鷹野美羽が骨にかぶりつくと、不思議なことにさくっと噛みちぎられてしまう。
骨が砕けるバリッとした音ではなく、クッキーのような音だった。
あっという間に一匹を食べ終えると、次のうりうり坊に手を伸ばす。
「ちょっと、ちょっと、え? どうして骨ごと食べられるわけ? それに甘いって、苦いの間違いじゃないの?」
「甘いよ。それに骨ってなぁに? これ綿飴だよね?」
「はぁ? どこからどう見ても肉でしょう。どうして綿飴?」
予想外の答えをしてきた鷹野美羽に、ますます困惑して尋ねる。
「えぇ〜。お肉じゃないよ! 綿飴だもん。ね、うさぎさん?」
隣に立つ子供に話を向けるが、もちろんどこからどう見ても肉なので、どうしようかと声をかけられた子供はあたしを困った顔で見てくる。
正直、あたしに助けを求めないでほしいんだけど……。それにもう一つ気になることがある。
「なんで皆をうさぎさんと呼ぶんだよ。自己紹介したろ?」
「??? だってうさぎさんだよ。狐さん」
心底不思議そうな顔になる鷹野美羽。意味がわからない。
「それじゃまるでぬいぐるみじゃないか。あたしの名前は油気玉藻。玉藻だよ?」
腰を屈めて目線を合わせると、鷹野美羽に言い聞かせるが、コテリと首を傾げてしまう。
「……ここはぬいぐるみさんの世界なんだよね? 狐さんは狐さんだよ?」
アイスブルーの瞳が薄闇の中に焚き火の光を受けてキラリと輝く。
そしてその瞳に映るあたしの姿は………。
「え? は? そ、そんなわけないじゃない。あたしは人間だかんね!」
あたしは顔を引きつらせて、後退り身体を震わす。
見間違いだ。そう、見間違いだ。
鷹野美羽の瞳に映るのは………。いや、そんなはずはない。
動揺するあたしを気にせずに、鷹野美羽は焚き火の横で焼いている肉にかぶりつく。
たった数口で骨すらも食べてしまい、どんどんうりうり坊の数を減らしていった。
「とっても甘いよ、狐さん!」
「話の内容がさっぱりわからないんだけど? あたしは玉藻って言ってるでしょ?」
「玉藻ちゃんはね〜、みーちゃんのお友だちなんだ! えへへ。とっても悪戯っ子なんだよ!」
でれでれと嬉しそうな顔をする鷹野美羽に、なぜか不安が心に渦巻く。おかしなことを言う娘だ。おかしなこと……だ。
「全力で食べたらお腹空いちゃった」
山のようにあったうりうり坊の肉がいつの間にかすっかりと無くなっていた。全部食べてしまったらしい。
しかも信じられないことに、クゥとお腹を鳴らしていた。
「早くママ迎えに来ないかなぁ。でも、みーちゃんはここに何かをしに来たような?」
「鷹野美羽……あんたは何者なの?」
周りの皆はあたしたちの会話を聞いておらず、賑やかだ。その中であたしは鷹野美羽を睨みつける。
なにかこの子は変だ。どこが変かと言われたら、全て変というしかないけど……。
何かを思い出そうとするかのように、しかめっ面となる幼女。さらにあたしは追及しようとするが、荒い足音がして、血相を変えた男が入ってきた。
「姉御っ、大変だ! 魔物の死骸を回収しに行った仲間が殺された!」
「なんだって! どういうこと?」
「きっと明智の奴らだ。あいつらは最近ちょっかいを出してきていたから」
「こっちが手加減してやれば、調子に乗りやがって! やり返しに行くよ!」
仲間が殺されたとの報告を受けて、怒りに燃える。あたしの仲間を殺すなんてふざけやがって!
「皆っ! 報復に行くよっ!」
「おぉ〜!」
皆も食べるのをやめて、鉄パイプや金属バットを持ち出すと、慌ただしくアジトから出発する。
「きゃー、みーちゃんも。みーちゃんも劇に参加するね!」
幼女のはしゃぐ声に足をピタリと止めると振り向く。
「駄目だって! ここから先は命のやり取りがあるんだ。死ぬかもしれないよっ!」
「劇にみーちゃんも参加したい……」
「……劇って……さっきも言ってたよね? 鷹野美羽。ここは劇じゃないんだよ」
「? ぬいぐるみさんたちの劇じゃないの?」
「もういいっ! ついてきたら命の保証はできないかんね!」
現実を現実と自覚できない可哀想な娘なんだ。危険だけど、説得できないのだから仕方ない。
「急ぐよっ!」
周りの仲間に発破をかけて、スラム街を駆け出す。
とてとてと走ってついてくる鷹野美羽を極力気にしないようにして、仲間が殺されたという場所に案内してもらう。
廃ビルに囲まれて、ぽっかりと空いた土地。たまに現れる魔物の死骸を解体したりするのに使う場所だ。
今日も仲間の何人かが解体していたはずだ。金目の物だけを取って、あとは捨てる。バーベキューに後から加わると言っていた仲間が血溜まりの中で倒れていた。
「な、何をしたんだよ!」
そして、その横には黒いローブを着込んだ奴らが佇んでいた。どう見ても奴らがやったようにしか見えない。
「明智って、言ってたじゃないか! なんだ、こいつら?」
「……明智と思ったんだ。あれ……どうしてそう思ったんだろ?」
呼びに来た仲間へと尋ねると、困惑した顔であたしを見てくる。自分でもなぜそんな言葉を口にしたのかわからないようだった。
………なにか変だ。何が変かと言われても答えられないが、どこかが変だ。
だが、疑問は黒いローブを着る男の声で霧散した。
「ようやくなんちゃらの額冠を持っている奴を見つけた。まったく参ったぜ」
その声は聞き覚えがあった……。忘れもしない、家族が殺された時に襲撃に来た男だ。
「お、お前……まさかぁっ!」
「お、俺を覚えていたとは嬉しいね。少し優しく殺してやるよ」
ローブを脱ぐと、土色の魔導鎧をきた男の姿を現す。ニヤニヤと小馬鹿にした表情の筋肉ダルマのような金髪の大男だ。
「俺の名前は『ニーズヘッグ』のフルングニル! てめえが持っている額冠の取り立てに来てやったぜぇ〜!」
ゲハハと醜悪な顔になり、フルングニルとやらは嗤う。あたしはその言葉に青褪めた。
「………やっぱりこの額冠が目的だったんだな! 父さん母さんに逃げるように言われた時……。探しているって聞いたからね!」
懐から大事に仕舞っていた錆びた額冠を取り出す。大切に隠し持っていた額冠だ。なんの役に立つかはわからなかったけど、復讐の相手を探すためにずっと持っていた。
「それだぁっ! ったく、面倒をかけやがって。野良狐、それを渡せば命だけは助けてやるぜぇ?」
「……誰が命乞いなんかするもんか! ここでお前を殺す! あたしの名前は油気玉藻。両親と弟の仇を取らせてもらう!」
怒りと憎しみが炎のように熱を持って身体を駆け巡る。待ち望んでいた相手を前に喜びで身体が震える。
「きゃー! みーちゃんは鷹野美羽です。熊さんめ、みーちゃんが倒しちゃうよ!」
木の枝をブンブンと振って、鷹野美羽が嬉しそうに名乗りを上げるが無視する。今はそれどころではない。
「くらいなっ!」
『狐火』
手のひらから小さい火球をいくつも生み出すと、フルングニルへと放つ。火球は矢のような速さでフルングニルの身体に命中した。
だが、魔法障壁が魔導鎧の表面に現れて、あっさりと消えてしまう。炎が消える中で、フルングニルの身体には焦げあと一つない。
「プッ、魔導鎧にその程度の攻撃が効くかよっ!」
ゲラゲラと嗤って、構えもとらない。完全に舐められている。当然だ。こちらは魔導鎧も着ていないし、魔法の教育も碌に受けたことはない。
だが、だからこそ狙っていた。
「くっ、もう一回」
『妖炎幻葉』
先程と一見同じに見える炎を生み出して、フルングニルに向かって撃つ。
「おいおい、無駄だって言ってんだろ? 屑魔法なんかな」
フルングニルは嘲笑するが、今度は炎は消えずにフルングニルの眼前でゆらゆらと幻のように揺れる。
あたしは物音を立てずに、静かに飛翔する。これを狙っていたんだ。
今のフルングニルには、私が無駄に炎を撃っている幻影が見えているはず。幻影は魔法障壁に影響されないからだ。
フルングニルの頭上を越えて、背後に立つと全力のマナを手のひらに込める。
両親と弟の仇を倒すために作った魔法だ。
『妖刃』
紙よりも薄く、剃刀よりも鋭く、魔法障壁を貫ける魔法の刃。ガラスよりも脆く、一撃で壊れる儚き剣。あたしの必殺の魔法。マナの全てを込めて、嘲笑っているフルングニルの首元に向かって斬りかかる。
気配なく、その死の刃はフルングニルの首元に迫る。
「死ねっ!」
首を切り落とすべく、狂気にも似た笑みを浮かべて横薙ぎに振るい
チン
と音を立てて弾かれてしまった。
「え?」
これまで練習してきた必殺の魔法が、ガラスの破片のように粉々になって溶けるように消えていく。
呆然として立ち尽くすあたしを前に、フルングニルはゆっくりと振り返ると、心底楽しそうにニヤリと嘲笑う。
「残念だったな。俺の魔法障壁は10あるんだ。そんじゃあばよ」
『剛拳』
フルングニルは腰を落として拳を引くと、突風の速さで拳を繰り出す。シンプルであるが強力な一撃に、身体を貫かれる。
その威力は内部で爆発して、胴体は吹き飛ばされた。
「グウッ……こんな……」
これまで復讐のために全てを投げ捨てて生きてきたのに、簡単に終わることに絶望する。
涙が頬を流れて、鮮血が口から吹き出す。身体が冷えていき、死が訪れてきた。
「ねーねー、これでおしまい? へーまく?」
「に、逃げな……」
あたしの前に鷹野美羽が座って聞いてくる。危険を感じていないような呑気さだった。
早く逃げないと殺されてしまうだろう。あいつらは容赦しない奴らだ。仲間も皆殺しにあうに違いない。
「ねーね、劇はおわり? ぬいぐるみ劇は終わりなら、みーちゃん帰るね。ママのハンバーグが待っているんだ!」
「なにが劇だっ!」
激昂して立ち上がり、怒声をあげる。この子は本当にふざけて……あれ?
なんで致命傷のはずなのに立ち上がれたんだと困惑するあたしを、小さな幼女は抱えあげる。
「皆、みーちゃんのおうちに来る? 持って帰っていいのかなぁ」
なぜか抱き上げられている。
何がどうなっているの? 周りを見ると空き地にいたはずなのに、闇だけが存在していた。いくつものぬいぐるみが立っており、その頭からは黄金の糸が天へと伸びている。
ナニガドウナッテ……。
少女の瞳がどこまでも深い深淵の光を宿しているのを見つめて、狐のぬいぐるみは動きを止めるのであった。




