291話 昔の玉藻
なんだか騒がしい。この状況下で殺伐としているはずなのに、なぜか笑顔が絶えない。
玉藻はボサボサの髪の毛を押さえてジト目となり、最近変わった拠点の姿に戸惑っていた。
今は仲間が殺されて、敵対派閥と剣呑な状態だ。いつ抗争となってもおかしくない。おかしくないのだ。
仲間は不安げな顔をして、あたしを頼ってくる。リーダーとして、あたしは皆の先頭に立って戦う。そのはずだ。
そのはずだった。
「えとね〜。も〜すぐママが迎えに来てくれるんだ!」
「そっか。早く来てくれるといいね!」
「ハンバーグ作ってくれるって言ってた! ママのハンバーグは美味しいんだよ。皆にも作ってってお願いするよ!」
「わ〜い。ハンバーグ、ハンバーグ」
「うさぎさんたちも、ハンバーグを食べたら、きっと美味しいと思うよ!」
一昨日拾った捨て子が、笑顔で皆に話していた。さっきまでは泣いていたのに、母親と会う事ができたと言っている。
その笑顔は明るく癒やされる元気を持っており、仲間は皆少女に集まっていた。
その話を聞いて、喜ぶ小さな子供もいる。皆、こんな環境なのに良い子ばかりだ。
あたしみたいに大人はその話を聞いて、哀れみを持って幼女を眺めているかと思えば……。
「はぁ……なんか癒やされるよな」
「本当だよ。可愛らしいなぁ」
と、相好を崩して眺めていた。いつもはスリやかっぱらいをする奴らなのに毒気が抜けたようだった。
「違うだろ。あんたらこの幼女に現実を教えてやりなよ。ここはねぇ………」
玉藻はこれでもかなりの修羅場を潜ってきた。大人だって怯える荒々しい空気を纏っている。なので幼女へと顔を向けて、震えてもおかしくない威圧をしようとする。
「ここはなぁに?」
だがアイスブルーの瞳をキラキラとさせて、無邪気な顔で見てくる幼女に、ウッと言葉が詰まってしまう。
「ここは?」
「こ、ここは……」
コテリと首を傾げて、不思議そうにする幼女。本来は教えてやらねばならない。
幼女は捨てられたのだと。
薄汚れてボロボロの服ともいえない布切れを着て、裸足の幼女。
捨てられたのだと伝えるのだ。この服装から、捨てられてた事は明らかだった。
決して両親が殺されて、彷徨い歩いていたのではない。あたしと同じ境遇のはずがない。
復讐を胸に生きるようなことになるわけがない。あたしと同じ思いを抱いて生きていくわけがない。
だから前を向いて生きていけと、今は冷たい言い方だが仕方ないのだと心に決めて、口を開く。
だがどうしても声が出ない。会った時のあの悲しそうな顔。そして、少し気にして隠れて様子を見ていたら、壊れて真っ黒に汚れた鏡の破片を見ながらママと喜んでいた顔。
ここは他の子供たちと同じ境遇で、ハンバーグを作ってくれる親なんていないと告げる必要がある。
だが、その瞳は澄んでおり、なぜか心に突き刺さってくる。自分の考えが間違っていると伝えてくる光を見せていた。
「ここは働かない者は食べられない。働かざる者食うべからず? だからおちびちゃんも働いてもらうかんね!」
悲しむ顔が見たくなくて、顔を背けて誤魔化す。
働かないと食べられないのは本当だしね!
「わかりました! お手伝いは得意なんだよ。肩を揉む? お皿を運ぶ? 何でもするからね!」
わかったよと、ちっこい手をあげて可愛らしいことを言うので苦笑してしまう。
「パパがお迎えに来たら、良い子だったよって伝えるの。それで頭を撫でてもらうんだよ! どーしたの?」
「い、いや、なんというか………あんまりその…………頭はあたしが撫でてやるから、仕事に行くよ! ついてきなっ」
いじらしい言葉に、思わず胸を押さえてしまう。
この無邪気な幼女に、仕事をさせて良いだろうかと躊躇いを持ってしまうじゃない。
「さぁ、あんたの仕事を教えてあげるよ。ついてきな!」
「はぁい。頑張りまーす」
ぽてぽてと後ろを歩いてくる。まるでカルガモの親子のようだ。
「それじゃ金稼ぎだかんね、鷹野美羽!」
「うん!」
さっきまでは泣いていた癖にと、元気な返事の鷹野美羽に苦笑を浮かべて、玉藻は目的地に向かうのだった。
「お金って、どうやって稼ぐの? まほー? 狐さんのまほー?」
目的地に着いた途端に好奇心旺盛だと、鷹野美羽はあたしに聞いてくる。
「あたし、魔法を使ったところを見せたっけ?」
「? え? だってまほーだよね?」
「なにが?」
「まほー」
何を言っているのかよくわからない。鷹野美羽にとっては、当然なのだろう。首を傾げて心底不思議そうな顔だ。これ以上尋ねても埒があかない。どこかで使ったのかな?
「まぁ、良いや。あたしの魔法は攻撃系統が少ないし、バレないようにするから表立って魔法は使えないんだよ」
あたしは家族を殺した奴らに復讐するために生きている。だから、冒険者になったりして目立つことはできない。
こっそりと魔法を使う程度である。酷い使い方だが、ここの生き方を教えるために必要なことだ。
「ここは野良ダンジョンなんだ。ほら見てみなよ。ガランとしているだろ?」
スラム街の奥にあるダンジョン。昔から存在するダンジョンである。壊れた廃ビルや、焼け落ちた家屋、うず高く積み上がっている瓦礫の山の間にひっそりとあった。
土が盛り上がり3メートルほどの出入り口がぽっかりと開いていた。
廃ビルの陰に隠れて、二人で覗き見ている。
「このダンジョンは食べられる魔物がいるのさ」
「食べられるの? みーちゃんはお腹が空いたよ!」
ビルの陰から飛び出すと、そこらに落ちていた木の枝を持って、テテテとダンジョンに駆け出す。
いきなり駆け出す鷹野美羽に驚き、少しの間立ち尽くすが、ハッと気を取り直して慌てて止めに行く。
「魔物を倒しに行くんじゃないの! って、ちょ、ちょっと待ったぁ」
「ポヨポヨ退治はしたことあるもん!」
「駄目だって! ポヨポヨとはここは違うんだよ」
「だいじょーぶ! みーちゃんは強い子なの!」
「5歳児ぐらいなのに勇敢すぎる!」
ブンブン木の枝を振って、突撃しようとする幼女を後から抱き抱える。フンフンと鼻息荒く戦意も充分だ。本当に心だけは強い子である。
「ほら、隠れて! そろそろ来るからさ」
「はぁい」
おとなしくなったので、玉藻は鷹野美羽を抱えて慌てて廃ビルの陰に隠れる。ちょうど良いタイミングだったのだろう。ダンジョンの入り口から足音がしてくるのを、半分欠けてボサボサの狐耳がピクリと反応した。
「ほら、獲物が来るよ」
「えもの?」
「あぁ、獲物だよ」
口から牙を覗かせて、狩人の目となる。カチャカチャと金属ブーツの足音がして、大勢の人間がやってきた。
頑丈そうな革の服に、錆びた剣や鉄の盾。無精髭を生やした不健康そうに酒で焼けた赤い顔の男たち。痩せ過ぎた体格の男や、でっぷりと太った男。
冒険者だ。しかしその荒々しい様子はまともには見えない。
「見ろよ、大量だ、大量!」
「これだけあれば、充分だろ。半月は持つぜ」
「ここは楽なダンジョンだよなぁ」
ゲラゲラと笑いながら、男たちは出てくる。戦闘があったのだろう。返り血もあり、疲れてもいるようだ。
そして、男たちは後ろに振り向くと怒鳴る。
「おら、さっさと運んでこいや! 肉が腐っちまうだろ」
「そうだぜ、ポーターたちはしっかりと働けや! 金を払ってるんだからな」
後ろにいる人間がよろよろとよろけながら姿を現す。
まだ年若い12歳程度の子供たちが3人。それぞれ自分の背丈ほどの荷物を背負子に乗せて、息をきらせながら歩いている。
「豚さんにうさぎさん?」
「なんでそんな呼び方かはわからないけど、たしかにあいつらはうさぎかもね……」
ギリッと食いしばり、様子を見る。
「ポーターはあたしの仲間さ。そんであの冒険者たちはこのダンジョンに潜るのに雇ったんだよ。ここはうりうり坊の出るダンジョンだからさ」
「美味しいの?」
どっさりと積まれているのは、肌が緑でツルリとしている瓜のような猪のような魔物だ。身体は小さくて50センチほどの大きさである。
「小さくて血抜きも難しいし、味も悪いから人気はないよ。でも、スラム街では飛ぶように売れる。だから、ああいった実力もない魔法使いのなり損ないが狩りにくる。その際に荷物運びとして、スラム街の人間を雇う」
「おでむかえ? おかえりって言うんだよね!」
優しい言葉で返してくるもんだと、玉藻は苦笑して首を横に振る。そんな優しい関係なら良いのだが、世間はそう甘くない。
「あいつらは、魔法の力を持っているから増長して問題ばかり起こして冒険者ギルドから除名された奴らだよ。平民なのに魔法の力なんか持ってしまったから……。見てな、ここで約束通りに金を払うなら、おかえりって迎えて良いよ」
そうはいかないだろうと眺めていると、冒険者崩れたちはポーターの子供たちをニヤニヤと嗤って……。
いきなり子供たちを蹴っ飛ばした。
「あぅ!」
地面に転がって、背負子からたくさんのうりうり坊が零れ落ちる。
「おら、遅いからうりうり坊が腐っちまうだろ。あー、落としやがって売り物にならねぇじゃねぇか」
「え、だって………蹴って」
涙目になるポーターの子供たちに、冒険者崩れたちは下種な笑みでさらに蹴っ飛ばす。うめき声をあげて蹲る子供たち。
「あのなぁ、これぐらいの蹴りで倒れるポーターは冒険者にはいないの。わかるか?」
「あ~あ~、もっと汚れちまったじゃねえか」
「こりゃ賠償してもらわないとな。今日の報酬はこれで良いだろ」
ポケットから500円玉を取り出すと、子供たちへと投げ捨てるように放る。
「そんな! 一人3000円の約束だろ」
チャリンと硬貨の音が響き、プッと吹き出してゲラゲラと男たちは嘲笑う。
「スラム街の子供には3人で500円で充分だ。それともなにかぁ? 文句でもあるのか?」
余裕綽々で睨む男たちに、悔しそうに子供たちは顔を俯けて無言となる。
「やっぱりこうなったか。一日に数回しか魔法を使えない奴らのくせに………」
こんなことは日常茶飯事だ。スラム街の子供たちは食い物にされる。
「だけど、これで良心の呵責もなくなったよ」
手をひらひらと揺らして、玉藻はマナを手に集めていく。
「眠れ、眠れ、良い夢を枕に眠れ。うつろう影に抱かれて眠れ」
『妖葉良夢』
手のひらから木の葉が数枚生まれると、ひらひらと空を舞い、男たちにピタリとくっつく。
「なんだ? 眠気が……」
「おい、これはおかしい……」
「だ、だめだ……」
ふらつくと崩れ落ちて地面に寝そべる男たち。そしてイビキをかいて寝始める。
「よし。それじゃ金目の物を頂くとするか!」
玉藻は得意げに鼻を鳴らすと、冒険者崩れたちに近寄る。
「ヒャッハー、ナイス姉御!」
「おっしゃ! 身ぐるみ剥いでやれ!」
「まずはお財布からだよね」
さっきまで俯いていた子供たちがいたずらを成功させたかのように笑顔となり、冒険者崩れたちの身ぐるみを剥いでいく。
「こうやって盗みをして暮らすのさ。ダンジョンよりも儲かるよ」
玉藻は少し顔を歪めて、後ろにいる鷹野美羽を見る。
「おー、みーちゃんも劇に参加するね!」
予想と反して幼女は楽しげに冒険者崩れたちに駆け寄ると、お財布などを奪っていく。
その様子にチクリと胸が痛む玉藻であった。




