290話 母
立食パーティにはこの数年で、今まで生きてきた年数を軽く超える回数出席してきた。というか、立食パーティなど出席したことはなかった。
美羽が伯爵になってからは、頻繁に出席することになった鷹野美麗は、慣れてきたと考えていたのは間違いだったと痛感していた。
日本を支える高位貴族、36家門が集まる立食パーティは正直娘を出席させたくないと思うほど、醜悪なものであった。
「これは美麗さん。そのドレス、今年の流行のものですわね。とても綺麗でお似合いですわ」
「本当ですわね。その布はオメガスパイダーの糸では? 1メートルの布地が百万はくだらないという」
「さすがは今や誰もがその名前を噂する鷹野家ですわね。そのネックレスもマナが満ちていて素晴らしいですわね」
この立食パーティに出席する予定ではなかったが、念のために持ってきていたドレスを着込んで、美麗は出席していた。家族ぐるみの立食パーティは昨日夫に聞いて驚いた。美羽はそんなことは一言も言ってなかったからだ。
あの娘はいつも私たちを守るために、こっそりと行動していることが多いんだから……まったくもぅ。
美羽が出席できない以上、皇帝陛下に失礼がないように出席するしかないし、油気家を攫った人たちの尻尾を掴めるかもしれないから出席することにした。
危険だと言われたけど、美羽と連絡がとれない以上、少しでも手伝いたい。パーティーに出席する程度で手伝えるなら、お安い御用よね。
そうして今は高位貴族の奥さんたちと談笑している。
一見、にこやかな笑みで褒めてくれるが……。
「羨ましいわ。平民では見ることどころか、聞いたこともない高価な布地を使ったドレスを着ることができるなんて」
「本当に。うちの召使いが聞いたら仰天しますわよ」
「マナの輝きがみれない方ではそのネックレスの価値はわからないと思いますけど、どう思います?」
扇で口元を隠しながら、ホホホと笑う奥さんたち。ここまで遠回しに嫌味を口にする人たちを私は見たことがない。
さっきから同じような言い回しで馬鹿にしてきている。要は私は平民で、マナの光もわからないと蔑んでいるのだ。
自分が今まで出席してきたパーティーなどはだいぶ厳選されていたのだろう。恐らくは皇帝派の人たちばかりだったから、私をあからさまに蔑む人はいなかったのだ。
しかし今は貴族派と呼ばれる人たちも出席しており、全ての家門は力を持っているために、鷹野家の力を恐れる様子もない。
そして迂闊にも私は貴族派の奥さんたちに捕まっていた。
正面に立つのは、10代のお嬢様に見えるほどに若々しい可愛らしい女性だ。顔立ちは可愛らしく清楚そのもので、腰まで伸ばしたストレートのクリーム色の髪、スタイルもモデルのようだ。
自分の魅力をよく知っているのだろう、自分の魅力を際立たせるために、髪飾りからネックレス、ドレスまで考えられた清楚なお嬢様のコーディネートだった。
しかし、本来は愛らしかったであろうエメラルドグリーンの瞳は憎々しいと語ってきていた。
神無公爵の妻である神無典子だ。その清楚な姿を瞳の輝きが台無しにしていた。
「ねぇ、貴女? 今はどんな気持ちなのか教えてくださる? 数年前までは、普通のドレスすら見たことがなかったのよね? 立食パーティーの作法ってわかりまして? よろしかったら教えて差し上げるわ」
チョコフォンデュ用の流れるチョコレートへと扇を指差す。
「あのチョコレートはね、頭から飛び込んで飲んではいけないのよ? ちゃあんと文明の利器を使うの? おわかり?」
「ほほほ、そのとおりですわね」
「ププッ、そういえばどこかのお猿さんが飛び込んだらしいですわよ」
取り巻きの人たちがニヤニヤとこちらを馬鹿にした顔で一斉に笑う。ひどく醜悪な笑みで、うんざりしてしまう。
以前に美羽がチョコフォンデュに頭から突撃したことをからかっているのだ。小さな子供のやったことをネチネチと言ってくるその姿は大人には見えない。
「私の娘は好奇心旺盛です、少しヤンチャなところがありますが、そういったところも可愛らしくて良いではありませんか、子供の頃の楽しい思い出の一つになると思います」
「……あら? 羨ましいわ。私の息子はそういった遊びはしたことがないのよ」
「おとなしい子供も良いですが、ヤンチャな子供も親としては楽しいものです」
頬に手を添えて、おっとりとした口調で答えると、ムッとした顔になり、神無夫人は顔を背ける。きっと期待していた反応がなかったからだ。
きっと貴族であれば誇りを傷つけられて激昂したりするんだろうけど、元は平民の自分には嫌味にもならない。
「面白くなさそうな顔をしていますし、これで失礼しますね」
それでも疲れはするので、軽く頭を下げて神無夫人たちから離れる。
ますますムッとした顔になる貴族の方々を横目に、会場を歩き、夫を探すと同じように貴族たちに囲まれていた。
しかし、私と違って卒なく対応しているようだ。夫は私と違って、敵の多いパーティーにも出席しているので慣れているみたい。
ため息をつきつつ、化粧直しをすることにして、トイレへと向かう。
所々に警備員が立っている以外は、豪華だが普通のホテルの通路だ。
「みーちゃんは大丈夫かしら………」
洗面台に手を付き、娘のことを思い浮かべる。心配だ。きっと油気家は攫われたのだろう。そして美羽が助けに行った。……行く前に頼ってくれれば良いのに……。
「そんなにママたちは頼りにならない?」
美羽の強さは知っている。これでも美羽の親なのだ。
娘が無邪気でなにも考えていないように見えて、大人顔負けの頭の良さを持っていること。
決断力が高く、身内を助けるのに躊躇いを見せないこと。
そして、心がとても強いところ。恐らくは私よりも遥かに強い。
だからこそ、両親に守られるのではなく、護ろうとするのだろう。
それでも親としては娘は守る対象なのだ。どんなに自分が子供よりも弱くとも。永遠に子供を親は守るものなのだ。
……それに私は知っている。美羽は物凄い寂しがりやなのだ。いつも私たちに抱きついてくるし、寝る時はぬいぐるみを必ず抱えている。
「美羽………美羽!」
洗面台に取り付けられている鏡を見て、目を開いて驚く。
『パパ〜、ママ〜、どこ〜? お腹空いたよ〜』
鏡に美羽が写っていた。なぜか昔の頃のように小さな身体で。薄汚れたボロ布を纏って、どこかの廃ビルに座って泣いていた。
「みーちゃん! みーちゃん!」
美羽が泣いている! 血相を変えて、鏡に手を付けて叫ぶ。さっきまで自分よりも強いと思っていた娘が、私のことを悲しげに呼びながら泣いている!
「みーちゃん、ママはここよ! みーちゃん!」
鏡に向かって必死になって声をかける。魔法だろうか、幻影だろうか、どちらにしても関係ない。娘が泣いているのだ。
娘は私の声に気づいたのだろう。キョロキョロと周りを見渡す。
『うぅ……ママ〜? ママ、どこ〜? みーちゃんね、お腹空いたよ』
涙を拭いながら、美羽は口元に笑顔を浮かべるので、ボロボロの姿なのに健気な姿に胸が苦しくなる。
「今どこにいるの? すぐに助けに行くわ!」
『よくわかんない。ボロボロのおうちにいるよ。狐さんと一緒なの』
どこにいるのかしら……。魔法で伝えているの? なぜ小さくなっているのかしら。
『みーちゃん、お腹空いちゃった。ママのハンバーグ食べたいな』
泥だらけで汚れた顔でお腹を押さえる美羽。早く助けないと!
「えぇ、とっても大きなハンバーグを作ってあげるわ! 目玉焼きも2個つけちゃうから。それでね、みーちゃん、お迎えに行くのに場所を教えてほしいの。なにかわかりやすい目印はあるかな?」
『んとね……。えーと……わかんない。たくさんこ――』
そこで鏡に映った美羽の姿が消えてしまった。焦った顔の私の顔が映っている。
「みーちゃん? みーちゃん! 美羽!」
私は鏡に映った美羽が消えてしまい、焦ってしまう。なんで急に消えたの?
「鏡を叩くなんて、やはり平民なのね。荒っぽいわ」
後から女性の嘲り声が聞こえてくるので振り向く。
「……神無夫人……」
「娘の名前を叫んで鏡を叩くなんて頭がどうかしたのかしら? もしかして娘さんは遠く離れたお星様になりました?」
なぜ消えてしまったのか分かった。この人がトイレに入ってきたからだ。
思わず怒鳴ろうと思うがグッと我慢する。今はそれどころではない。早く旅館に戻ろう。美羽が鏡に現れたのはなにか意味があるはず。
「申し訳ありませんが、用事ができたので失礼しますね」
「あら、図星だったのかしら? 鷹野伯爵はお亡くなりになったというのは?」
「みーちゃんは生きています」
そんな噂がもう広まっているのかと、苛立ちを覚えながら横を通り過ぎようとして
グッと喉がつまり、トイレの壁に叩きつけられた。
「ううっ………なにを?」
胸に仕舞ってあった身代わりの符が熱く感じる。怪我を負わないように発動したのだ。
「ごめんなさいねぇ〜。軽く肩を引っ張っただけだったのに、平民には強すぎたようね」
「何をするんですか!」
口を歪めて言ってくるその姿は人間というよりも、魔物の類に近い。叩きつけられて座り込む私に顔を近づけてきて、憎々しげに罵ってきた。
「何をするんですか? それはこちらの言葉よ! 貴女の夫と娘が何をしたか知っている? 栄華を極めてきた神無家への度重なる嫌がらせ! 神無家の企業を潰そうと暗躍しているのよ!」
「い、嫌がらせ? 神無家の噂は聞いています。敵が多いからでしょう? 聞くところによると皇帝と敵対していたからとか。いつか起こってもおかしくないでしょう?」
神無家の話はよく知っている。その悪辣なところも、パーティーなどで普通に過ごしているだけで耳に入っていた。それだけ酷かったということだ。
「ぽっと出の癖に! そのお陰で、私のドレスは貴女よりも質が劣るし、ネックレスの輝きも負けているわ! 平民のくせに、私を馬鹿にして!」
「あぁ、わかりました。貴女の誇りはお金に守られているわけですね。それだけの美しさを持っているのに残念な人。ウグッ」
私の一言が心に刺さったらしく、首根っこを掴まれる。息ができなくなり苦しい。
「美しさだけでは駄目なのよっ! 高位貴族の夫人はね、湯水の如くお金を使ってこそ認められるの。貴女や貴女の娘のように! 私よりも金を使っているんじゃないわっ! 平民上がりのくせに!」
悲しい人だ。これが高位貴族の筆頭と呼ばれている公爵の奥さんなのね……。
「さすがにトイレまでは、警備員も入ってこれないわ。普通の魔法使いなら、この程度は簡単に防げるし、警備員が異変を感じるまで時間は稼げる」
ニタァと嗤って、更に掴んでいる首に力をこめてくる。顔を怒りでどす黒くして、まるでお伽噺の山姥のようだ。
「ちょっとした事故で貴女が大怪我を負ってしまったらどうなるのかしら? 大丈夫よね? 貴女には優秀な回復魔法使いがいるんだもの。治らない場合は、ねぇ、娘が死んだことがバレてしまうわねぇ」
「し、死んでなんかないです。この手をは、離してください」
「わかったわ。私も暴力に訴えることはしたくないし」
狂気に満ちた笑顔を浮かべているのに、素直に手を離してくれる。そのことに驚きつつも、咳込み声を出せない。
「ちょっとトイレに虫が現れたから、魔法を使ってしまった。大丈夫、魔法使いならちょっとした衝撃しか感じないから」
神無夫人は手のひらに氷を集めはじめた。バレーボール大の氷球を作り出すと、こちらへと向けてくる。
私にぶつけるつもりだ! 平民の私では致命傷となってしまう。身代わりの符は耐えられるだろうか。
美羽を助けに行くためにも、ここで倒れるわけにはいかないと、ギュッと目を瞑り身体を抱える。
「アハハハ! いい気味ね、大丈夫少し冷たいだけよ。魔法使いならグヘッ」
『稲妻鶴』
そしてその顔に折り鶴が食い込み吹き飛んだ。トイレのドアを壊して便器に顔を突っ込む。
「醜悪な虫がいましたので、思わず魔法を使ってしまいました。大丈夫です。魔法使いなら少し痺れるだけですので」
そして、淡々とした口調で言いながら、トイレに巫女服姿のマツさんが姿を現す。
「申し訳ありません、美麗様。助けるのが遅れてしまいました」
頭を下げてくるので、礼を返す。頼もしい護衛のマツさんだ。
「ありがとう、マツさん。大丈夫。それにタイミングをはかっていたんでしょう?」
「はい。魔法を使おうとしたところを記録しておきました」
苦笑しながら首元をさすり、壊れた便器から吹き出た水をかぶって、気絶している神無夫人を一瞥する。
「神無夫人。私は平民ですが、頼りになる人たちが大勢いるのが私の誇りです。では失礼しますね」
そう答えて、私は足早にその場を去るのであった。




