286話 謎の少女
太陽の炎は、眼下の全てを燃やし尽くしていった。いや、地上だけではない。黒雲が広がる空へもその炎の力はおよび、天をも燃やす。
漆黒の世界は今や赤き炎の渦巻く世界へと変わり果てていた。
廃墟街は炎に呑み込まれて、今やマグマの海になっている。あれだけいたゾンビたちは、マッチ棒のように燃え尽きて、どこにもいない。
「こ、こんな力が……信じられない………」
世界が炎に呑み込まれていく様子を、口を開けて呆然とするヘイムダル。
昔の面影は顔立ちだけで、服装も神器も体の大きさすら変わってしまったヘイムダルはゴクリとつばを飲み込み、少女の顔を窺うように覗き見る。
少女は炎に照らされて、美しき滑らかな灰色の髪を靡かせて、宝石のように美しいアイスブルーの瞳には無機質な光を宿していた。
たった今世界を一つ焼き尽くしたというのに、その表情からは罪悪感も、邪悪な愉悦も存在しない。単に邪魔だから燃やそうと考えただけのようだ。
スルトよりも酷い。奴は世界を燃やす時に邪悪にして楽しそうな顔をしていた。
その時はなんと醜悪なと、死にかけながら思っていたが、それでもマシだったと今はわかる。
何も感情を持たない方がよっぽど酷い。
彼女もこの世界が作りかけなのはわかっていたはず。恐らくはこの世界を作った相手は神を支配下に置き、空を作り肥沃な大地を生み出し、充分な『黄金の力』で満たした楽園を作ろうと考えているはずだった。
今は死の世界だが、未来があったのだ。まぁ、ヘイムダルは部下になるなどごめんこうむるが。
この少女もそれがわからないほど愚かではないはず。なのに、無感情に焼き尽くした。
この少女は何者なのだろうと、心の片隅に恐怖が芽生える。たしか鷹野美羽と名乗っていたが、どう見ても人間ではない。
「よし、これでこの世界の綿飴は全部回収かな」
レディの瞳に感情が戻り、小さい手のひらを前に突き出す。なにをするつもりなんだろうかと見ていると、炎の中から『黄金の力』が現れて、その手のひらに集まっていく。
あれだけ渇望していたはずの『黄金の力』。それが全て少女の手のひらにおさまる。
「わわっ、おっきいね!」
集まった『黄金の力』は美羽の身体ほどもあったので、慌てて落とさないようにしっかりと抱える。どうやらこの世界の『黄金の力』全てを集めたようだ。
「疲れた身体には甘い物だよね!」
あ~んと小さな口を広げると、美味しそうに食べ始める。おやつでも食べるかのように嬉しそうに食べる姿は一見幼い少女にしか思えない。
だが、ヘイムダルは生来の千里眼の力を利用して、その様子をじっと観察していた。
そして、内心で驚愕していた。
食べている! まさしく消化している。口の中に入ると同時に『黄金の力』が消えてしまうのを感じていた。
自我を確保しても力のないヘイムダルは、この世界に漂いながら、この『黄金の力』は何なのだろうと考えていた。
そして結論はというと、創生の力『始原の力』であると考えた。『始原の力』は破壊不可能なエネルギーであり、消すことはできない。
一見、この黄金の糸に思えるこの力は、壊したように見えても、そのエネルギーは不滅。水が液体から気体に変わるように、姿を変えるだけだ。
どんな力でも破壊できないエネルギーだからこそ『始原の力』であるのに……この少女は何事もないように食べてしまっている!
そのありえない状況に、身体が心が震える。神でも不可能なことをこの少女は行っている!
何者なのだろうかと、むしゃむしゃと一心不乱に食べる少女を『千里眼』を凝らす。魂の光を見抜き、何者であるのか看破しようとするが……。
人間の魂の光だ……。たしかに人間にしては強き光を放っている。恐らくは魂の状態であれば世界を移動できる強き魂の持ち主だろう。
魂の輝きに違和感を覚えるが……。どこからどう見ても人間の魂だ。恐らくはヘイムダルのような『千里眼』を持つか、魂を操る神にしかわからないだろうが。
だからこそ、おかしいのだ。人間にしては力がありすぎるし、なによりも『黄金の力』を消化できる力を持つわけがない。
たしかに僅かに魂に揺らめきがあるから違和感を覚えるが……。
信じられないことに、少女は自分の大きさと同じ『黄金の力』を食べ終えて、ふぅと悲しげな顔になる。
「全力で食べたらお腹空いちゃった」
しょんぼりとして、ぺちゃんこのお腹を擦る少女。クゥとお腹が小さな音を鳴らす。
「あれだけ食べて、お腹が空いたのかいっ!」
「乙女は別次元に胃袋があるんだよ!」
ふんふんと手を振り、ムッと唇を尖らせて少女は言ってくる。
「本当にありそうで怖い………」
その無邪気でアホそうな姿からは先程の人形のような様子は欠片も見えない。
「さてと、この世界は消えることのない炎に埋め尽くされて、もうゾンビも生まれないだろうね」
「この炎が消えたら、また作り始めるだろうよ」
「いや、この炎はそんじょそこらの力では消えないんだ。敵を焼き尽くすまで維持される」
「ゾンビたちは燃え尽きたじゃないか。もしや、魂を滅ぼすつもりかいっ?」
「いや、私の敵はこの世界。この世界が燃え尽きるまで炎は消えることはないんだよ」
恐ろしいことを平然と口にして、にやりと凄みのある笑みを少女は見せるのであった。
どうやらこの世界は本当におしまいとなったらしい。信じられないことに。
顔を引きつらせるヘイムダルへと、少女は顔を真剣に変えて女神像から降り始める。
「この神殿には炎は入らないようだね。ゾンビを一掃はできたけどすぐに消えたし」
「あぁ、どうやら自分の神殿だけは強固に作ったんだろうね。レディの魔法の理が防がれている」
ぴょんぴょんと降りる少女の揺れる肩にしがみつきながら、ヘイムダルは神殿へと顔を向ける。
炎は女神像を舐めて、外へと向かったが神殿には焦げ一つない。まるで見えない壁でもあるかのように、灼熱の炎は入り込めなかったのだ。
「それじゃ、魔法は使用不可能かぁ。せっかくウェハースを大量に手に入れたのにね」
「ウェハース? なんのことだい?」
「遠足にはお菓子は必須ということだよ。それで、この神殿の奥に脱出するための扉があるの?」
神殿正面に立って少女が言う。黒曜石を削って作られたかのような大木のような太い柱が並びたち、床も天井も全て漆黒の神殿だ。
上を向くと、百メートルはあるだろう高さがあり、巨人たちが横に並んで入っても余裕の通路の広さと高さを持って建てられている。
柱には消えない青白い炎を燃やす松明が括り付けてあり、神殿内を照らしていたが、あまりにも広いために照らされている部分はほんの少しだ。
「そうだ。魂状態となっても僕の『千里眼』は少しは使える。その力を使ってみたところ、最奥の祭壇に僅かに空間のヒビがあったんだよ」
まぁ、魂状態となった自分では神殿にたとえ入れてもヒビを広げて外に脱出するのは不可能だったろうけど。
「ふ〜ん。そこまでの道案内をしてくれるんだよね?」
「あぁ、任せてくれ給えよ、レディ。最短で安全な道を案内しよう。この神殿は罠だらけだからね」
ヘイムダルの力を見せようと、フッとニヒルな笑みを見せる。昔はこの笑みで多くの女神を虜にしたものだ。
「ふ〜ん、それじゃよろしく」
だがまだ少女は幼いし、そもそもヘイムダルの身体がちっこいので効果はなかった。
がっかりしながらも、道案内をするべく指示を出す。
カツンカツンと少女の足音だけが、ガランとした広大な神殿内に響く。
静寂と死の臭いに満ちた神殿の通路を歩きながら、少女は怪訝な顔になる。
「守護的な魔物がたくさんいると思ったんだけど、誰もいないね? 四天王とかいないわけ?」
「この世界は作りかけなのさ。アミューズメントパークだって、建設を終えたあとに従業員を雇うだろう?」
「なるほど。だから重要な自分の神域なのにセキュリティがガバガバとなっていたから、潜入できたのか」
ホウホウと頷き、少女はぽてぽてと歩き続ける。
壁画は凶暴なる巨人が神々と戦う場面が彫られている。青白い炎が少女の影をゆらゆらと揺らして、酷く不気味で嫌な空気を醸し出している。
「そもそもレディはなぜこの世界に入り込んだんだい?」
「親友を助けるためだよ。この世界に来たのはセキュリティカードを盗むためかな」
「作りかけとはいえ、神域に入り込むとは勇敢だね。助ける相手はどんな神なのかな?」
『千里眼』にて、ある程度外の世界は見れたので、セキュリティカードの意味はわかった。そうか、本来ならばこの神域には来る予定ではなかったのか。
「ん? 神じゃないよ。ふつーの人間だね。使い魔の狐さんと合体すると可愛らしい狐っ娘になるんだよ! それにとっても優しくて面白くて悪戯好きで、私はだーい好き!」
ふんふんと興奮気味に嬉しそうに語る少女。心底その彼女が好きらしい。だが、その言葉は信じられなくて、思わず声を荒らげてしまう。
「でも人間かい? どこの神域に入ろうとするかは知らないけど、この世界以上に力を制限されて、命の危険があるだろう? レディのような力ある存在が人間を助けるために?」
ヘイムダルはその言葉を口にして後悔した。少女の瞳が凍えるような冷たい瞳へと変わったのだ。
「は? なにを言ってるのかみーちゃんはサッパリわからないや。人間でも神でも巨人でも関係ない。みーちゃんの好きな人は必ず助けるの。わかる?」
「わ、わかったよ。失言だったレディ。謝ろう。すまなかった」
顔を近づけてきて睨みつけてくる少女から、物理的なオーラを感じて、慌てて謝る。
「まったく、神は仕方ないなぁ。許してあげるよ」
角を曲がり、隠し扉を開けて進み、ジャンプして壁を乗り越えてと、暫く歩き続ける。
1時間は経過しただろうか。そろそろ最奥に辿り着きそうだとヘイムダルは少女の肩を叩く。
「そろそろだレディ。最奥の間は近い」
「誰もいないんじゃないの?」
不思議そうな顔になる少女へと苦笑いをして答える。
「いや、守護者はたしかにいなかった。だが、持ち前の嗅覚とでもいうのか、この世界を脱出しようとして、出口である最奥に居座る者がいるんだよ」
「それって、だぁれ?」
コテリと首を傾げる少女へと真面目な顔で告げる。
「誰よりも強かった者さ。今は自我のない化け物と化しているけど……」
はぁ〜と深く嘆息する。
「我らの中でも最強と呼ばれた『トール』。その成れの果てがいるはずだ」
少女の気配を感じたのだろうか。通路の奥から、身も凍るような咆哮が轟くのであった。




