281話 夢から醒めた夢
「予選は楽々だったよね〜」
悪戯っ子な狐っ娘の油気玉藻は使い魔のコンちゃんを頭に乗せて、広い湯船の中をスィっと泳ぐ。
玉藻は鷹野家が建てたばかりの新築旅館にいた。広々とした温泉に浸かって、のんびりと疲れを癒している。
何十人も入れる温泉なのに、高価な魔木であるエルダーヒノキ製の温泉で、エルダーヒノキの香りが漂う。この温泉だけで作るのに数億円はかかっているだろう。
お湯は温泉に聖花の匂いもして、良い香りだ。効能はMP回復らしいけど、マナのことに違いない。
エンちゃんと闇夜ちゃんが身体を泡だらけにして洗っている。
それを見ながら、身体をお湯の中でぷかりと浮かせる。
疲れた身体がお湯でじんわりと温められて気持ち良い。ふにゃあと顔を緩めてあくびをした。このままだと寝ちゃいそう。
「そうですね、予想以上に私たちは強くなっているようです。玉藻さんの斥候や敵を混乱させる幻影魔法のお陰ですよ」
闇夜ちゃんがエンちゃんの髪の毛を優しく洗いながら答える。
「にひひ〜。闇夜ちゃんの正面突破できる攻撃力があったからだよ〜、敵を倒してくれたからだよ〜」
ご機嫌で玉藻は犬歯をちらりと覗かせて笑う。二人の魔法が噛み合ったお陰だと思う。
そうでなければ、探知しにくいダイヤウルフを気にせずに走り抜けることはできなかった。
他のパーティーのように、注意しながらゆっくりと進むことになっただろう。
「私も出れればなぁ。闇夜ちゃんと玉藻ちゃんと一緒に出場したかったよ」
髪を洗われながら、しょんぼりとした口調でエンちゃんが言う。皆で大会に出るつもりだったのだ。
「エンちゃんは、なぜか敵に襲われないと魔導鎧を起動できないよね〜。なんでかなぁ」
その不思議な癖が無ければ一緒に出場できたから、とっても残念だ。なんで魔導鎧を起動できないんだろ?
エンちゃんは、戦えば強いと知っている。どれぐらい強いのかはわからない。本気で戦っているところを見たのはかなり以前の話だからだ。
あの頃のエンちゃんと同じぐらいの強さなら、追いついたんじゃないかなぁと思うけど、私が強くなったように、エンちゃんも強くなっているだろうからわからない。
「きゃー、ちべたい!」
「ごめんなさい、みー様。間違えてシャワーを冷水に変えてしまいました」
シャワーの温度を間違えましたと、慌ててエンちゃんの身体を擦って暖めようとする闇夜ちゃん。
ミスに見えるけど、玉藻の目は誤魔化せない。あれはわざとだ!
「温かいシャワーをくれれば良いよ。レバーどこ〜?」
アワアワなエンちゃんは、目が見えないので手探りにシャワーのレバーを探そうとするけど、なかなか見つからないようだ。
「しょうがないなぁ。玉藻が助けてあげるね〜」
『鉄砲湯』
ていやと魔法を使い、手のひらからお湯を生み出すと、エンちゃんに当てる。
「わぷっ、溺れちゃうよ〜」
「ちょっと多かったかな〜」
「だめですよ、玉藻ちゃん。このあとにトリートメントもしないといけないんです」
あははと笑って、3人で結局お湯のかけあいをして、少しして入ってきたお母さんに私たちは怒られてしまうのだった。
温泉から出たあとは、食事をとり、もう寝る時間となる。
もちろん私はエンちゃんと闇夜ちゃんと一緒の部屋だ。
畳敷きの和室にお布団が敷かれて、四人でお泊りである。もう一人は弟の春だ。春はオネムなようで、顔を真っ赤にしてもう寝ちゃった。
闇夜ちゃんは甲斐甲斐しくエンちゃんの髪の毛を乾かしている。お世話をすることに喜びを見出しているみたい。蘭子さんたちには私がやりますのでと伝えて追い出していた。
私も自分の髪の毛を乾かす。ふんわり艷やかな金髪を維持するには、結構大変なのだ。
魔法も使い乾かして、髪の毛を痛めないように枝毛がないかも確認して、気をつける。
結構時間をかけて金髪を整えると、ふぅと息を吐く。綺麗な金髪は私の自慢の一つなのだ。狐っ娘モードの時に、エンちゃんがもふもふしやすいようにふんわりとさせておくのだ。
「お肌も潤いを持たせないと」
「きゃー、くすぐったいよ、闇夜ちゃん」
「玉藻も参加する〜」
油気家がドルイドさんたちと共同で作ったお肌をぷるぷるにする『ぷるぷるポーション』を闇夜ちゃんがエンちゃんの頬につけていたので、私も加わる。
途中からくすぐり合いになって、笑いながらポーションを塗りあったのだった。
少しして落ち着いた後に、寝る準備が終わったのでお喋りタイムになる。
「明日からのダンジョンアタックは大変だね。決勝トーナメントだとダンジョンが変わるんでしょ?」
枕を抱えて、モーモー牛のパジャマを着た可愛らしいエンちゃんが布団の上に寝そべりながら足をパタパタと振って尋ねてくる。
「はい。ですが私と玉藻ちゃんなら問題ありませんよ。立ち塞がる敵は斬るのみ」
頬に手を添えて、うふふと微笑む闇夜ちゃん。自信満々な様子で、プレッシャーとかなさそう。
私は少し緊張気味だ。なにせ周りは年上ばかり。しかもベテランだからなぁ。
「玉藻ちゃん、緊張してるの?」
「うん、さすがに優勝を目指すとなると初出場だしね〜、ぷるぷる震えてるよ〜」
「そうだよね………。朝になったら『祝福』を二人にかけてあげるね! 虐めてくる人がいたら、やり返してあげるし、怪我をしたらドクターみーちゃんが駆けつけます!」
フンスと鼻息荒く、エンちゃんが言ってくる。エンちゃんが言う言葉は信用できるし、信頼できる。
弟の『魔力症』も治してくれたし、いつも一緒にいるから、お友だちを大事にしていることも知っている。もちろん私もエンちゃんを大事に思っている。
「うん、頼りにしているよ。玉藻もコンちゃんも! エンちゃんがピンチの時は玉藻が助けに行くよ!」
「コンコンッ」
「もちろん私も頼りにしてますし、みー様の危機に駆けつけます!」
コンちゃんが尻尾をふりふり振って、闇夜ちゃんも身を乗り出して手を振る。
エンちゃんが目を輝かせて、拳をかかげて言う。
「仲良しトリオだもんね!」
3人で顔を見合わせて、クスリと笑い合う。
「それじゃ、明日も早いし寝よっか」
「みー様、私も緊張してきたので、一緒に寝てよろしいでしょうか?」
さっきまで平然としていた闇夜ちゃんが、急に心細いと顔を俯ける。全然緊張していないって言ってなかったっけ?
「良いよ、闇夜ちゃん!」
無邪気に答えるエンちゃん。闇夜ちゃんは輝く笑顔になって、枕をいそいそとエンちゃんのお布団の隣にぽふんと置く。
「ありがとうございます。それでは枕を隣に置きますね」
コンちゃんがそれを見て、素早くエンちゃんの枕元でくるりと身体を丸めて寝始める。
「あ〜っ、玉藻も緊張しているよ。だから一緒に寝ていい?」
「うん、皆で一緒に寝よ〜!」
そうして川の字になって、皆で寝ることにする。3人で手を繋ぎ合ってクスクスと笑う。
えへへ、私はとっても幸せだ。
優しいお父さんお母さん、可愛い弟。そして親友の二人。こんなに幸せで良いのかなぁ。
心がぽかぽかとしながら私は目を瞑り、しばらくしたら眠気が襲ってきて、ゆっくりと眠りにつくのであった。
「…………」
「……………………」
「……………………………………」
暗闇の中でチリンと鈴の鳴る音がどこからか聞こえてきた。
「姉御、あーねーごっ!」
聞いたことのない男の子の声が聞こえてくる。とってもうるさいなぁ。テレビかな? まだ眠たいよ〜。
頭になんだかゴツゴツとした感触がする。お布団の上に寝ていたのに、畳の上に移動しちゃったかな?
「枕、枕はどこ〜」
目を瞑りながら、手を動かして枕を探すけど、全然見つからない。
「エンちゃん、今何時〜?」
もう朝かなぁ。眠いよ〜。
「姉御! 寝ぼけてんのかよ! 起きろってば! 大変なんだよ!」
遂にゆさゆさと身体を激しく揺さぶられる。絶対に起こそうというのだろう。
「もぉ〜! 玉藻は今寝てるの! 起こす人誰〜?」
不機嫌さを顔に表して目を開けると、身体を揺さぶってきた人を睨む。
そして、ぽかんと口を開けてしまう。
「君は誰? ………ここどこ?」
目の前には痩せている男の子がいた。私よりも年上だ。高校生ぐらいだろうか。
服はいつ洗ったのかわからないほどに真っ黒でボロボロだ。穴も空いており、雑巾にも使えなそう。
私のいる場所もヒビの入ったコンクリート床だった。周りは薄暗く崩れて半壊したコンクリートの天井、壁は今にも崩れそうで雑草が生えている。
壁際には空のペットボトルや空の弁当箱が放置されていた。他にもボロボロの漫画本や段ボールが乱雑に置かれており、呆れるほどに汚かった。
「何言ってるんだよ、姉御! 寝ぼけてんのかよ!」
「姉御って誰〜? エンちゃんのこと? エンちゃんなら姉御じゃなくて、エンプレスって言ったほうが良いよ〜」
なんだろう、夢なのかなぁ。変な夢だと、こしこし目を擦りあくびをした。
「ほんとーに寝ぼけてんのかよ。大変なんだよ、俺達の仲間が殺されたんだっ!」
眉を顰めて、つばを飛ばして男の子は怒鳴るように言う。
「殺された?」
「あぁ、放置されている魔物の死骸を回収していた仲間が殺されたんだよ。寝ている時じゃねーって!」
なにを言っているのだろうか? 誰が殺されたの? とっても変な夢だ。
よく周りを見ると、同年代の男の子や女の子たちが隅っこにいた。
皆、汚れた服を着ており、痩せこけている。怯えて震えている子や、鉄パイプを持って好戦的そうな子もいるが、揃って私を注視していた。
私の発言を待っているようだ。
なにか変だ。キョロキョロともう一度周りを見渡す。どうやら私はとりあえず布地だとわかるだけの汚れた布をかぶって、コンクリート床にそのまま寝ていたらしい。
「なにがどうなってるの〜? ………なにこれ」
自分の手を見るとカサカサで爪の間には汚れが詰まっている。半分割れた手鏡が横に置いてあったので手にとって、慌てて自分の姿を映す。
自慢であった髪の毛はまるでカラスの巣のようにボサボサで、汚れでくすんで金髪にはとても見えない。
顔も眉がよっており、険しい顔つきだ。いつも怒ってでもいたのだろうか。目つきがきつくて、自分自身の目なのに怖い。
鏡に映る私は私であって、私ではなかった。
なぜか頭が重い。気持ち悪い。クラクラする。
「きっと、隣のシマの明智だぜ! 奴ら遂に俺たちのシマを奪いに来たんだ!」
男の子が吠えている。シマ? シマって………。
クラクラとした頭で思い出す。そうだ、私のシマだ………。
なんだよ、なにか変な夢を見ていたぜ。
「シマって………明智たちがうちに手を出してきたのかよ?」
「あぁ、きっとそうだぜ」
「そう………あたしが優しくしていりゃつけ上がりやがって! 皆、やり返しに行くよ!」
歯軋りをして、怒気で顔を真っ赤にする。あたしのシマを奪いに来るやつは許さない。仲間を殺す相手は必ず殺す。
「ようやく目が覚めたのかよ。おっしゃ! 姉御が出てくれば安心だ。皆行くぜ!」
「おぉ〜っ!」
「やってやるよ」
「ぶっ殺す!」
皆が鉄パイプや棍棒を持って、雄叫びをあげる。
戦意は十分高いと、妖狐は牙を覗かせて駆け出すのであった。
何か夢を見ていたようで、とっても幸せだった夢のような気もしたが、戦いを前にその記憶は薄れていった。




