274話 聖餅
「これが『ユグドラシル』の配っている煎餅なのかよ?」
つまらなそうに皿に乗っている味も素っ気も無さそうな不味そうな煎餅を手にとって、勝利はテーブルを挟んで頬杖をついて座っている魅音へと尋ねる。
最近は強くてかっこよくて気前が良くて、押しに弱いと噂される燃えるような赤毛の少年だ。最後の噂はいらないのだが、火消しをしてもこの噂は消えないので困っていたりする。
「うん、それ味が無いんだよね。煎餅じゃないみたい」
「あぁ、聖餅ってのは神様のお金らしいからな。なんだっけかなぁ……死後赦しを得るために使うもの……だったかぁ? だから味なんてないんだよ」
首を傾げながら説明するが、正直記憶はうろ覚えだ。聖餅の知識も映画かなにかでの知識からだ。
「ふ〜ん、お金なら本物が良いのにね。食べてみたけど、美味しくなかったよ」
「だろうなぁ………えぇっ、これを食べたのか?」
何気ないセリフの内容に気づいて、目を剥いて驚き魅音を凝視してしまう。
勝利の驚く様子に、魅音は動揺しておろおろとする。
「え、不味かった? たしかに味は不味かったけど、毒とかじゃないよ。さすがに名前を知られている宗教が毒とか配るわけないし」
「そうだが………」
なんとなく嫌な予感がしたのだ。原作では聖餅にまつわるストーリーは無かった。だが……なんとなく敵組織の行う食料配布には嫌な予感がしたのだ。
これまで多くのアニメや小説を読んできた勝利は、このようなパターンで悲惨な話になる展開を数多く見てきたからである。
だが、どうやら気分が悪いとかはなく大丈夫のようなので、考えすぎだったかと安堵する。さすがに毒を配れば大騒ぎになるので当たり前か。
それにしても、変な話もあるもんだ。不思議に思いながら、魅音を見つめると口を開く。
「………なぁ、『ユグドラシル』って、そんなに有名だったか?」
「そりゃ、島を持っている宗教団体だし、聖女がいるし有名じゃん」
「そうなんだが、いや、たしかにそうなんだが……」
なにせ希少なる回復魔法を使う聖女が教祖であり、島一つ持つ教団だ。有名にならない訳がない。しかもローブ姿で、信者が行動しているし。
むしろ目立たない方がおかしい。
だが、原作では目立たなかったのだ。魔法使いでもほんの一握りが知っている秘密結社のような教団だった。
なにか最近はおかしいと、真剣な顔になる。
「どうしたん、勝利。にらめっこしたいの? 笑えるか微妙な顔だよ?」
「真剣な表情をしてたんだよ! なんだよ、微妙な顔って! こんなかっこよい男なのに」
「こぉんな顔? へんにゃお〜」
頬をむにゅうと押さえて、変顔をする魅音を睨むが、楽しそうな様子に呆れて座り直すと、膨れて頬杖をつく。
「一応心配しているんだからな、この勝利様が! 最近は群がってくる女子から逃げるのに忙しい勝利様が」
「……逃げてんの? 女子から?」
「あいつら、ハイエナなんだよ。最近は僕のライバルの調子が悪くて、ますます増えてきているんだ。群衆心理ってやつだな、あれは。皆で迫れば怖くないとか考えているんだぜ」
高位貴族の女子は怖いと身体を震わせる。聖奈さんがいるのに、まるでいないかのように襲いかかってくるのだ。
通路の角には体当たりをするべくクラウチングスタートをしようと身体を屈める女子たち。ハンカチをダース単位で目の前で落とす子もいる。
手作りお弁当といった可愛らしい方法を取る子は皆無である。とりあえず、ポケットに招待状をねじ込むのは止めてほしい。
からかわれているのだろうか、それともイジメだろうかと本気で考えたが、相手も極めて真面目に考えているらしい。からかわれている方がマシな状況だった。
ジト目の魅音に顔を引きつらせて説明する。
「だから、僕が心配するのは珍しいことなんだ。少しは有り難く思えよな」
「へへー、ありがとうございます勝利さま〜」
ジト目だったのが、ニヤニヤ笑いになって頭を下げるフリをしてくる魅音。このやろうと、聖餅とやらを投げつけてやる。
「おっとっと。一応食べ物なんだから、投げないでよね。ん? あれ、あんたなにかした?」
「は? なにもしていないぞ。どうかしたか?」
「ほら、これを見てよ。煎餅が崩れていく」
勝利が投げつけた聖餅を魅音が不思議そうな顔で、手のひらに乗せて見せてくる。
硬いだけだったはずの聖餅は、勝利と魅音が見つめる中で、形が少しずつ崩れていっていた。
あっという間に砂のように崩れて、ただの粉と変わってしまう。
「なんだこれ? ……あれ?」
完全に崩れる前に、キラリと何かが見えた。光る糸のような物が見えたような………。
「どうしたん?」
「いや………なんか光る糸が見えたような? 気のせいか?」
魅音の手のひらに乗る粉を指でなぞるようにさわさわと触るが、なにもない。
「う〜ん、なにもないなぁ。ん、なんだよ?」
なぜか魅音がぷるぷると震えているので、怪訝に思う。なんでこいつ顔を赤くしているんだ?
「え」
「え?」
「えっち!」
「ブハッ」
そして粉を思い切り顔にぶつけてきやがった。
不意打ちだったので、気道にまで吸い込んでしまい、ゲホゲホと咳き込んでしまう。
「なにすんだよ、テメー!」
「なんか触り方がやらしかった! 女の子の手のひらなんだかんね!」
「ば、やらしかったって……そ、そんなふうには触ってな、ないよな?」
魅音の意外すぎるセリフに動揺して、どもってしまう。た、たしかに女の子の手のひらを触るのはあまり良くなかったかもしれない。
女子にモテモテの勝利だが、その経験は逃げ回ることに特化していて、あまり経験はない。聖奈さんとのデートや、魅音と遊ぶぐらいであった。
「わ、悪かった。うん、たしかに悪かった。すまん」
前世で女子にあんなことをすれば、確実に自分は平手打ちをされるか、変態と罵られていたはずと簡単に想像がついただけあり、魅音へと素直に謝る。
「あ、あたしも大袈裟に反応したかも……なんかごめん」
「いや、ああいう触り方が許されるのは恋人同士だもんな」
「え……こ、恋人? そ、そうかなぁ……」
「………」
なぜかお互いに顔を見見合わせてから俯いてしまう。なんだよ、この雰囲気は? 僕はこんな雰囲気を知らないぞ。なんとなく気恥ずかしい。
沈黙する二人に、生暖かい目で周りが見ているのはまったく気づかなかった。
だが、その空気を破ってくれる子はいつでもいるもので、クイクイと裾を引っ張られる。
「ねーねー、カレー食べよー、カレー」
「あん? カレー? あぁ、カレーなのか。そういや魅音から良い匂いがすると思ってたんだ」
カレーの匂いがすると思っていたんだと、魅音へと言う。腹が空いてくる匂いだ。
小さな男の子たちがご馳走だよと目を輝かし、周りの子供たちもそういえばそうだったとざわつき始めた。
「アハハハ、まぁ、勝利ならそう言うよね! 今日はなんか勝利が歓迎しろとか偉そうに連絡してきたから、カレーなの。さ、食べよっか」
なぜか大笑いする魅音だが、なにか変なことを言ったか? どうして女子たちは哀れな奴を見るような視線を投げかけてくるんだよ。
まぁ、どうせくだらないことだろうと気を取り直す。
「おぉ、僕は中辛でよろしく」
「味に違いはありませーん」
今日は聖奈さんは一緒にはいないので、素で大丈夫だよなと、座り直して偉そうに胸を張る。
「はいはい。それじゃ、用意してあげるよ! なんかいいことあったみたいだしさ」
「いいことがあったんだよ。フハハハ」
そうして、皿にカレーが盛られてサラダが置かれる。カレーの匂いが食堂に広がる。
「ふむ。なかなかうまそうだな。褒めてつかわす」
「それじゃいただきまーす」
「いただきまーす」
「カレーカレー」
「ウマー」
せっかく褒めてやったのに、ガン無視して食べ始めやがった。そりゃないぞ。ここは皆が注目するところのはずだろ。
「おい、無視すんなよ、ここは僕がなぜここに来たのか、皆に説明してからだろ?」
「勝利のことだから、どうせ自慢話でしょ?」
「う、ち、違うかもしれないだろ?」
カレーを食べながら、魅音が言ってくるので、口を噤んでしまう。ちっ、読まれてやがる。
だが、秘策はあるのだ。この勝利様はチートな力を持つ転生者なんだぜ。
「実は執事にケーキを買ってこさせたんだ」
「皆〜。ちょっと勝利の話を聞こっか」
あっさりと手のひらを返す魅音たち。シンと静まり注目してきた。現金なやつらだ、まったく。
「まぁ、たいしたことじゃないんだけどぉ〜、僕なら当然なんだけど〜。どうしても聞きたいか?」
「ねぇ、誰か執事さんからケーキを受け取ってきて〜」
「少しは自慢させろよ!」
早くも裏切りを見せる魅音へと慌てて抗議する。
「あ〜、はいはい。ケーキ分は聞くから安心しなよ」
「わかった。では教えてやろう」
口を歪めて、うへへと自慢げな自分では凛々しいと信じている表情で咳払いを一つして、もったいぶるように口を開く。
「実はなぁ……俺は学校の武道大会の選手に選ばれたんだ。すげーだろ? しかもフリークラスだぜ」
なんとシンと僕は選抜選手に選ばれたのだ。学校でたった二人のフリークラスだ。
原作ではシンのみがフリークラスだった。やはりイベントはあったのだが、その時の勝利は邪魔をするザコキャラモブと化していた。
決してフリークラスの選手に選ばれることはなかったのだ。
しかし転生者でこの世界の設定を読み込んでおり、隅から隅まで知っている神たる僕は、その知識を駆使して主人公のようにフリークラスに滑り込んだのである。
皆が凄いなと喝采してくるのを今か今かと、チラチラと見て待つが、顔を見合わせて特に驚く様子はない。
学校では皆が褒めてくれたのに、なんだってこいつらは微妙な顔なんだ?
「えーと、武道大会ってなに?」
「え? お前ら武道大会知らないの? ほら、テレビでやってるじゃん。『浮遊板』でレースをしたり、ダンジョンアタックの時間を競ったり、トーナメント戦をしたり」
「あぁ、あれかぁ。え、でもあれってもっと大人が出るんじゃないの?」
魅音がぽむと手を打って思い出すが、大人が出るものだと思っていたらしい。たしかに中学生で出場するのは珍しい。原作でも高校生になってからだからな………。
「まぁ、僕が優秀だからだな! 学校で二人しかフリークラスはいないんだぜ!」
「おぉ、おめでとー」
ようやく拍手をしてくれる魅音たち。ウムウムと満足そうに頷き、考えていたことを言う。
「夏休みにやるからな。この勝利様の応援に来ても良いんだぞ。フハハハ。あ、旅行券は奢ってやるよ。ホテル代、食事代は全部僕持ちだ」
その言葉に皆が静まり返るので、不安になって周りを見る。応援に来ても良いんだぞは偉そうすぎたか? でも、僕の晴れ舞台だから、見てほしかったのだが……。
お願いしますに言い換えようかなと考えていたら、皆がどっと騒ぎ始めた。
「やったぁー! 旅行だ〜」
「何泊なの?」
「りょこうはじめてー」
どうやら旅行という言葉に驚きすぎて静まり返っていたようだった。ホッと内心安堵する。
「ありがとうね、勝利。………でも良いの? 皆なんてすごい金額だよ?」
「僕にとっては端金だ。その代わりに横断幕を用意して、法被も着るんだぞ。声を枯らして応援をしろよな」
「了解、了解。それじゃ皆で全力で応援してあげるよ! 旅行なんて初めて!」
飛び上がるように喜び、魅音が輝くような笑みを見せる。
孤児院では旅行なんかする余裕はないんだろう。僕が気恥ずかしくなるぐらいに、魅音たちは喜びの笑顔を浮かべていた。
僕の取り巻きの貴族はジャッカルだからな。普通の応援団が欲しかったんだ。ジャッカルだと、さり気なく要求してくる物が婚約とか婚約とか結婚だから、遠慮したいんだ。
とりあえず応援団は確保できたなと、すぐに気にするのはやめて、大笑いをする勝利であった。
床に零れた聖餅の粉がサラサラと飛んでいったが、気にすることはなかった。




