273話 カレー
まな板に乗せた人参をトントンと切る。小さい頃から手伝いもしていたので、料理は手慣れたものだ。
食べ甲斐があるように、孤児院では大き目に切る。ざく切りで良いから簡単だ。
「ふんふんふふーん」
鼻歌を歌い、どんどん切っていく。大勢の子供たちの分を作らないといけないから、かなりの量だがいつものことなので気にもならない。
コンクリート打ちっぱなしで、古ぼけたコンロに、少し錆びた蛇口がシンクについており、換気扇がガタつく音を立てて動いている。
そんな実用性第一の厨房で、何人かの子供たちがせっせと料理を作っていた。
「魅音ねぇさん、ご機嫌だね?」
今年で10歳になる女の子が鼻歌を歌う少女へと不思議そうに尋ねる。
「ん〜、そ、そうかな? あたしそんなに機嫌が良さそう?」
「うん、いつもは元気一杯だけど、今日はご機嫌な感じ」
つぶらな瞳で尋ねてくるので、ウッと言葉に詰まる。瞳に映るのは茶髪をショートヘアにして、顔にはそばかすが薄っすら残るこのあたし、明智魅音だ。
「ま、まぁ、今日はご馳走だからね! ほら、お肉たっぷりのカレーだから!」
アハハと笑って、目をそらして答える。
「そっかぁ。私もカレー楽しみ!」
魅音の言葉に素直に目を輝かせる。カレーは皆大好きだけど、お肉たっぷりのカレーはめったにない。
最近の孤児院は予算が増えたので、もう少し贅沢もできるが、これは昔からの備えのようなものだ。贅沢に慣れないようにするためだ。
なぜなら予算が増えたのは、貴族様からの寄付が増えたからだと知っているからだ。
昔から時折あるのだ。奇特な貴族様から大金が寄付されることが。でも、継続的なものではなく、すぐに寄付を止めてしまう。だから、警戒をしなければならない。
まぁ、最近は聖花を簡単なアクセサリーにしたり、農園の収穫手伝いなど、バイトが増えているから、寄付が止まっても、前よりも遥かにマシだとは思うけど。
予算が増えた証拠にあたしたちは、孤児院を追い出されることなく、進学もできた。幸運だと思っている。
その幸運の一つが今日来るけど、それが理由でご機嫌なわけではない。決してない。
「馬鹿だなぁ、魅音ねぇは今日あの人が来るからご機嫌なんだよ」
「そうそう、最近は色気づいているからなぁ」
「おしゃれしないの? その古ぼけたエプロン姿だと幻滅させちゃうよ」
同じくカレーを作っていたメンバーが口々にからかってくるので、頬が知らず赤く染まる。
「ちがーう。カレーだからご機嫌なの! まぁ、あいつが来るのも少しは嬉しいけどね。それよりも手を動かしなさい!」
パタパタと手を振って、笑いかけると皆は顔を凍らせて、すぐにそれぞれの分担に取り掛かり始める。
「魅音ねぇの般若モード……」
「うるさい」
ぽそりと呟く男の子の頭をぽかりと軽く叩く。
玉ねぎと小麦粉はよーく炒めて、お肉は崩れないようにさっと焼いておき、ざく切りの人参と一緒にお鍋で煮るとカレー粉をバサリと入れる。
あたしの孤児院はカレー粉の方が大量に作るには良いと、市販のルーは使わないのだ。
「魅音ねぇ、カレー粉はたっくさん入れてね!」
「そんなことをしたら辛くなっちゃうでしょ。程々にね」
年少組の子供たちが目を輝かせて注文してくるので、苦笑いをしながらバサリとカレー粉を入れていく。
うん………カレー粉にする理由は食費が厳しい時に少な目に入れることができるからなんだよね。
以前はカレーと聞いて、ワクワクしていたらカレーの匂いがするだけのクズ野菜のスープの時があったから……。
それを知っている子供たちだから、念を押してきたのだ。だけど大丈夫。今日のカレーは具沢山な美味しいカレー。
「か、辛くならないように、りんごをすって入れてみる?」
さらに美味しくできるかもと、ゴクリとつばを飲み込み、禁断の隠し味を提案してみる。
「おぉ、まろやかになると言われてる……」
「今でもたまに挑戦する勇者がいるよな」
「やめておこうよ。りんごはそのまま食べよう?」
皆は反対と遠回しに言ってきたので、諦めることにする。何度か試したけど、りんご一個だとほとんど変わらないからだ。
大鍋にりんご一個……もっと入れようとすると、もったいないと止められて、これまでは本当に隠されてしまう味になってしまっている。
「今日はたくさんりんごあるけど」
「デザート付きだ〜。やったぁ!」
やっぱり駄目みたい。残念。
美味しいカレーを作って、あいつを驚かせたかったんだけど……あたしもデザートに食べる方が嬉しいから仕方ないか。
「それじゃ、あとは煮込めば………ああっ!」
「ど、どうしたの魅音ねぇさん?」
「あたし、今カレーの匂いが全身から漂ってない?」
自分の手を鼻に近づけると、プーンとカレーの匂いが凄い漂ってくる! 盲点だった!
「あぁ……たしかにカレーの匂いすごーい。美味しそうな匂い」
「馬鹿っ、魅音ねぇちゃんは好きな人にカレーの匂いをプンプンさせて出迎えるのははずかしーんだよ」
「乙女だ〜!」
ワイワイと皆がはやしたててくるが、気にするどころではない。どうしよう。孤児院のお風呂はまだ沸いていないし、自腹で銭湯に行くべきだろうか?
でも、銭湯は高い。貯めているお金を使うのはなぁ………。
どうしようかと、腕組みをして迷うが、やはり銭湯に行こうと決意をした時だった。
厨房にバタバタと足音を立てて、慌てて数人の仲間が入ってきたのだ。
「ねぇーちゃん、ねぇーちゃん、大変、変な人たちが来てるよ!」
「これから来る人はたしかに変だけど?」
「あのにーちゃーんは変だけど、そうじゃなくてもっと変な人たち!」
焦った顔の仲間へと顔を向けると、訪問予定のあいつは変だよと言うが、勢いよく首を横に振られて否定されてしまう。
「今院長先生が相手をしているけど、すっごい変なかっこうの奴ら。たしか……『ユグドラシル』って言ってた!」
「あぁ、あの『ユグドラシル』かぁ。あの人たちは騒がしい人たちだけど、聖女様の信徒だから変じゃないでしょ?」
「えー、変な人たちだよ。あのローブ姿が変!」
フンスと鼻息荒く男の子が断言する。ローブを着込みフードを深くかぶる姿が、よっぽど『ユグドラシル』の信徒たちが変に思えるらしい。
「こら、失礼でしょ? あの人たちは変じゃ……変? う、うん、たしかに変かも」
「ほらぁ〜! 僕のいったとおりじゃん!」
「そうね……あんなローブを着ていたら変に思われるに決まっているよね」
男の子を窘めようとして、フト気づいた。たしかにあの姿はない。一人きりの虚無僧だって怪しく思えるのに、大勢の信徒があの白ローブ姿で練り歩いているのだ。
冒険者と違い、新興宗教団体の信徒という点もクローズアップされて、たしかにかなり怪しかった。
目の前を歩いていれば、道を変えようと思うぐらいには怪しい。
なぜ、先程までは怪しく思わなかったのだろうか。警戒心を持ってもおかしくないのに。
まるで霧が晴れたかのように、急に気になり始めたのだ。
「その訪問してきた人たちはどこにいるの?」
「え〜と、応接室に院長先生が案内していたよ」
返ってきた言葉にムクムクと警戒心が湧いてくる。
「詐欺師かも! ちょっと見に行こう!」
「うん! 皆で行こうよ!」
「残る子はカレーを煮込んでおいて! カレーのつまみ食いは禁止だかんねっ!」
駆け出すと仲間たちが一緒に駆け出す。古くて汚れが落ちなくなり黒くなった床を踏み、応接室に向かう。キィキィと床の軋む音がドタドタと走り出すと聞こえてくる。
いくつかの蛍光灯が切れており、薄暗い廊下を進む。先にある応接室扉に近づくと、喋り声が聞こえてきた。
皆に向けて、静かにするようにシーッと人差し指を口元に立てる。
なんとなく気分は冒険者、いや探偵団みたいな気分となり、少しは楽しくなってきて、お互いに頷きあうと扉には耳をつける。
木製の扉は薄い厚さのために、簡単に話し声が聞こえてきた。
「ですので、私たちは新たなる希望の子を求めているのです! どうでしょうか、今なら入信して頂ければ、孤児院に対する『ユグドラシル』の支援が行われるでしょう。一考をお願いしたい」
なにやら甲高い声が聞こえてきて、内容に眉をしかめてしまう。宗教の勧誘らしい。
「なんだ、よくある勧誘じゃん」
「怪しい奴らだろ」
盗み聞きがバレないように、ヒソヒソと話をする。
なにかとんでもないことでもあるのかと思えば、蓋を開けば単なる勧誘だった。
「孤児院に勧誘なんて、馬鹿な人たちだね、魅音ねぇ」
「たしかに。お金がないから新聞屋の勧誘だって来たことないのにね」
仲間たちとお互いに顔を見合わせて、哀しいことを口にする。だって孤児院は常にカツカツなのだ。どんな営業もうちの孤児院は素通りしていく。
「なんか支援とか言っているよ? 寄付とかしてくれるかも」
幼少組の女の子が少し期待をして口にするので、苦笑で返す。そんなうまい話があるわけない。
「残念でした。こういうのは現物や肉体労働で支援をするから、いくらかのお金をとか言って結局相手が寄付を求めてくるんだよ」
「そっかぁ。今日のご飯におかずが一品増えるかと思ったのに〜」
めったにないが、大口の寄付があったらその日は夕食のおかずが一品増えるのが、うちの孤児院のルールだ。だいたいデザートとなるために、女の子はしょげていた。
残念でしたと、厨房に帰ろうとすると、もう老齢に入る人の良いお婆ちゃんといった感じの院長先生の声が聞こえてくる。
「申し訳ありません。うちは大勢の子供たちを抱えて、苦労しながら生活を営んでおります。宗教に入信している暇もなくて。貧乏暇無しと言いますからねぇ」
一見人の良い。お婆ちゃんといった院長先生は、私たちを守るために、現実を知っているし強かだ。
「どうでしょうか、入信はできませんが、その優しき心を見せて幾ばくかの寄付をお願いできませんか?」
宗教の勧誘に来た相手へと反対に寄付を求めるぐらいだ。うちの孤児院に営業や勧誘が来ないわけである。
クスリと笑って、きっと相手は困って逃げ帰るだろうと思っていたが、意外にも同調するような返事が返ってきた。
「そうですか。やはり孤児院の経営は大変なご様子。ですが私たちの財産は全て教祖様の物。う〜ん、そうですなぁ……」
考え込むような間ができる。もしかしたら、少しは寄付をしてくれるのかもと、少しだけ期待感を持っていると、また声が聞こえてくる。
「どうでしょうか。入信しては頂けなかったですが、ご縁を作れればと、聖餅をお渡ししましょう」
なんだ、お菓子で誤魔化すつもりかと、がっかりしてしまうのであった。




