270話 泉を作るんだぞっと
『マイルーム』の庭は常に穏やかな春のような気候だ。芝生の上に寝っ転がり、すやすやと昼寝ができちゃうぐらいに心地良い空間である。
青々とした平原と、緑溢れる森林が広がり、採掘用の岩山や農園に使う田畑が『マイルーム』の周囲には設置してあり、少し離れた所には浜辺があり、海がその先に広がる。
完璧なる世界として作られた『マイルーム』の泉の前にみーちゃんは立っていた。
隣には知識を追い求めるオーディーンのおじいちゃん、宝石を磨いている妖艶なるフリッグお姉さん、気弱そうな顔のフレイヤがいる。
「さて、それじゃやってみて良い?」
「あぁ、やってみるが良いお嬢」
みーちゃんが隣に立つオーディーンのおじいちゃんに顔を向けると、隻眼を興味深そうに光らせて、うむと頷く。
「でも、それって温泉の素みたいよね?」
「は、はい。私もそうとしか見えません」
フリッグお姉さんがみーちゃんの手元にある小さな四角い袋を見て、疑いの表情で尋ねてくる。フレイヤも微妙な表情でフリッグお姉さんの言葉に同意していた。
「たしかに………温泉の素だねぇ」
袋を振るとカサカサと中に入っている粉が音を立てる。お店で売られている温泉の素の袋にそっくりだ。
袋にプリントされている文字も『フヴェルゲルミルの素』だしねぇ……。
「ゲームではなかったアイテムなのだろう?」
「うん、こんな面白いアイテムがあったら、たぶん忘れていないよ」
たぶんね、と一応予防線は張っておく。もしかしたらあったかもしれないし。
『フヴェルゲルミルの素:フヴェルゲルミルを生み出す』
使用効果はというと、『フヴェルゲルミル』を作れるらしい。
あの藁人形じゃないよ。たぶん泉の世界のことだ。
「もしかしたら藁人形が現れるかもしれないけど………そもそもあの藁人形の名前は『フヴェルゲルミル』じゃないと思うんだよね」
「同感だ。儂もあれから調べてみたが、不思議なことに今まではなかった情報がいくつか手に入った。同じ調べ方をしたのに、だ。まるで儂らから隠れていたかのように」
オーディーンのおじいちゃんが面白そうな表情で口元を歪めて、フリッグお姉さんとフレイヤが話に加わる。
「隠れていたんでしょ。お嬢様や私たちに見つからないように」
「せ、世界が揺れて、この地の理にヒビが入り始めたのだと思います。神の介入を防ぎ切ることができなくなったから、隠れることができなくなったんでしょう」
「そのとおりだな。調べてみたが、御神木と呼ばれる物は世界各地に存在していた。やはり同じように穀物地帯に多い。どうやら魔物を防ぐ隠された効果があるようだ」
ぼさぼさの白髭を扱きながら、オーディーンのおじいちゃんが教えてくれる。
「儂らの目から隠されていた理由は恐らくは……その『フヴェルゲルミルの素』にある。使ってみよ」
「ふむ……りょうかーい。それじゃさらさらっと」
封を切って、泉へとサラサラと入れる。金粉のように輝きながら、泉へと粉は入っていき……。
カッ、と眩い閃光が走った。
「まぶしっ」
僅かに目を細めて、強烈な閃光を眺める。
「むぅ? 『マイルーム』が揺れる?」
オーディーンのおじいちゃんが周囲を見て、鋭き声を発する。フレイヤがコテンと転がって、尻餅をつく。
「わ、わわぁっ」
大地が激しく揺れて、空間が歪む。魔法の力が『マイルーム』を突風となって駆け巡っていく。世界が変わっていく感覚がして肌が粟立つ。
「ふふっ、どうやら面白い結果になったみたいね?」
激しい突風がようやくおさまり、世界が再び安定する。
落ち着いた表情で、腕組みをして妖艶なる笑みを浮かべるフリッグお姉さん。
「………そうだね」
みーちゃんは閃光が収まったあとの光景を見て、コクリと小さく頷く。
世界が変わった。いや、先程と変わらない世界に見えるが、違う。
風が、空気が、温度さえも。太陽から燦々と優しい陽射しが降り注ぎ、本物になった感覚がある。
紛い物のハリボテだった神域が、本物の神域に変わったのだと本能が理解した。
『フヴェルゲルミルが作られました。ここは貴女の完全なる神域となりました』
「おぉ、私の神域ができちゃったよ! やったね!」
バンザーイと両手をあげて、花咲くような満面の笑顔で喜んじゃう。
「私のおうちみたいに寛げちゃうよ!」
地面に手をつけて、コロリンとでんぐり返しをして、感激を表す。ふぅ〜、これが本当の神域かぁ。
「今までの神域は偽物だったんだね!」
「そうだな。見かけは変わらぬが、満ちる魔力が違う。この神域を破壊するには、かなりの力が必要となるだろう。もはや元の世界の理も手が出せまい」
「壊そうとする相手は退場してもらうから大丈夫!」
ふへぇと横になって、パタパタと脚を振る。えへへ、このまま寝ていいかなぁ。
「……探そうとは思わぬのだな?」
「誰を?」
オーディーンのおじいちゃんが、厳しい顔つきで尋ねてくるがここは私たちしかいないでしょ。変なことを聞くなぁ。
「いや、これで儂の推論は真実に近づいているとわかったから気にせずとも良い。それよりも御神木の正体について説明しよう」
「はぁい、聞かせて聞かせて!」
起き上がって、正座座りでオーディーンのおじいちゃんの話を聞く態勢となる。おじいちゃんの説明会が始まるよ〜。
フレイヤお姉さんとフリッグも同じように座って、話を聞く。
「御神木とは、恐らくは世界へのアクセスキーだったに違いない。理に入れる端末。例えて言えば根っこだったのだろう」
「根っこかぁ。たしかにあの藁人形は根っこの集まりみたいだったもんね。ネットと根っこをかけてる?」
親父ギャグかなとムフフと笑ってからかうと、ぽかんと頭を叩かれた。
「茶々を入れるな。だからこそ儂らには、いや、お嬢から隠されていたに違いない。侵入されては堪らんからな。しかし、その防衛は限界に来ているのだ」
「管理者権限のある端末を触られると困るものね、ふふっ、お嬢様なら壊しちゃうでしょうし。いえ、現に壊したみたいだしね?」
「えぇと、なぜ防衛が限界に? みーたんが大暴れしたから?」
「私のせいじゃないよ! おとなしみーちゃんはそんなことしないもん」
口角を釣り上げてからかうフリッグお姉さんと、責める目つきのフレイヤへと、プンスコと頬を膨らませて抗議する。
そんなことをするみーちゃんじゃないもんね。
「それもある。お嬢は経験値という形でこの世界のマナを吸収しているからな。だが、それは僅かな影響に過ぎぬと予想する」
みーちゃんのせいもあったらしい。
「でも、僅かなんでしょ?」
「そうだな、あと数万年かければ世界が崩壊する程度だ」
「なぁんだ。それじゃみーちゃんのせいじゃないね!」
オーディーンのおじいちゃんの言葉に、ほっと胸を撫でおろす。数万年先なら確実にみーちゃんは生きていないしね。
「本来ならばそうであったはずだ。しかし、この世界は既にボロボロであった。お嬢の言う黄金の糸。運命の糸が切れ始めているのだ。故にお嬢の行動は世界にトドメともいうべき致命的な影響を与え始めている」
「世界がボロボロ? 私の行動が致命的?」
「うむ、解れてボロボロの黄金の糸を、お嬢が千切り吸収しているのだ。そして、お嬢の周囲だけは限界が来て、端末が遂に姿を現した。それに気づいてしっかりと世界にアクセスするチャンスを逃さなかったわけだ」
「みーちゃんしーらない。私は無実です」
顔を押さえて、コロリンと寝っ転がりジタバタと手足を振る。
今回のことは偶然だ。偶然でなくても、ちっこい世界を作るぐらい良いと思います。美少女の秘密基地的な物だと思うし、この世界の神様も美少女ならばと笑って許してくれるよ。
「この世界を作成できた理由はそれで終わりだ。しかし、お嬢は予想しているだろうが、小さな世界だ。元の世界を支配する程の力は持たない」
「そうだよね! それじゃ今日はみーちゃん秘密基地作成記念におでんを作ろっか! パフェも作っちゃうよ!」
ガバリと起き上がると、フンフンと鼻を鳴らす。良かった。やっぱりみーちゃんのせいじゃなかった。
早くも台所に向かおうとするみーちゃんだけど、グングニルで頭をポカリと叩かれた。
「話は終わっておらぬ。前に黄金の糸が世界を作っているようだと教えてきたであろう?」
「うん。綿飴みたいに柔らかくて簡単に千切れちゃったんだ」
『蘇生』を使った際の黄金の糸について、オーディーンのおじいちゃんには説明しておいたのだ。
「そうだな。新たなる世界を作れるほどに、黄金の糸、即ち世界を構成する運命の糸が脆くなっていることが問題なのだ。運命を紡ぐ糸が解れる理由など一つしかない」
「なぁに?」
「解き直して、また紡いでいるのだ。同じ箇所を何度もな。脆くなるまで何度も何度も、恐らくは気の遠くなるような回数を繰り返しているに違いない」
クックックと面白そうに笑うオーディーンのおじいちゃん。ふむ? どういう意味だろ?
「即ち………この世界は時間をループしているかの如く、運命を繰り返すために何度もやり直しておる。糸が解れて、他の世界からの侵入を許す程に脆くなるまでな」
「繰り返す? そうか、永遠にロードをしていたってこと?」
「そうだ。しかし神はこの世界で行動を制限されておる。だから、人間がどういう意味を持つかも知らずに行っているに違いない。一度紡がれた運命の糸は以前と同じ形となるために、やり直すことは不可能ということを知らずにな」
はへぇ〜、さすがはオーディーン。よくもまぁ、そこまで思いつくものだ。知識の神なだけはある。感心しちゃうよ。
しかし運命を修正できると信じて、世界を繰り返していた人間がいたのかぁ。気の毒に、神の手のひらの上でコロコロと転がっているんだろう。
「でも人間にそんなことができるのかしら? だってやり直すということは、世界の全ての記憶を完全に正確に間違いなくなぞらないといけないのよ?」
「そ、そんなことは不可能だと思いますよ? それだけの能力を持つ者は神になります。そして神だとこの世界では制限を受けているから無理なんですよね? いえ、神でもそんな知識を持つ者はいないと思いますぅ」
眉をひそめて、フリッグお姉さんが疑問の表情となり、フレイヤもコクコクと頷く。
たしかにナーガラージャも世界を変えようとしたけど、すぐに元に戻されていたっけ。あれは制限されていたからなのか。
「………人間にも行える方法はある。恐らくは神の何者かが裏で誘導しておるに違いない」
「その方法は?」
みーちゃんの質問に苦々しい顔となって、舌打ちをするオーディーンのおじいちゃん。
「世界の隅々まで知っている、あらゆる知識を持つ神器がある。その神器の名前は『ミーミルの首』。その力を使い永遠に世界を繰り返しているはずだ」
圧を感じさせるほどの怒りを纏わせて、オーディーンは告げてくる。
「我らが『終末の日』にて滅んだ後に、儂の神器を手に入れた何者かが暗躍しているに違いない」
そうして、告げられた内容は衝撃的なものだった。
「『ミーミルの首』って、おじいちゃんが全知のミーミルの首を切って神器にしたんだよね? 腰にいつも下げていたやつ」
「そのとおりだ。あれを使えばやり直すことは可能だ」
怒りをすぐにおさめて、話を続けるオーディーンのおじいちゃん。
「『魔導の夜』の意味もはっきりと理解できた。繰り返しのループにて明けぬ世界のことを指しておる」




