261話 エリザベートの決意
エリザベートの発言にお兄様は目を剥いて驚く。
「な、なにを言ってるんだい、マイシスター? 他の商会を立ち上げる?」
「そのとおりですわ。だからこそ、『犬の子犬』商会の株は全てお兄様に譲ったでしょう? その代わりに日用品の魔道具を取り扱う子会社の『狼の子狼』商会の株を譲って頂いたはずです」
「そ、それはそうだけど、それは家門に混乱を齎さないためだろう? だからこそ『犬の子犬』商会の株は全て僕に譲ったんじゃないのか?」
困惑げな表情で、睨むように顔を近づけてくるので、呆れた表情でため息を吐いてみせる。
「もちろんそれも理由ですが、現在の家門の状況を見てみてください。お父様は心不全でお亡くなりになる前に、かなりの資産を使い込んでいました。新型魔導兵器にかなりの期待を込めていましたが……。その新型はもはやありません。事故が起きましたからね?」
皮肉げに口元を歪めて、髪をかきあげる。
瑪瑙家の宝物庫に長年蓄積されていたオリハルコンやアダマンタイト、各種魔法宝石や魔石。ダンジョンで手に入れた魔道具やもはや制作手段が失伝された神器とも言われる魔道具など、資産の中でももはや希少すぎて手に入らない物。
今はそれが空っぽだ。見事に何もない。全て新型魔導兵器に使用されたのだ。
今回の新型魔導兵器は、徹底的に秘密裏に製作されたために詳細は不明であり、設計図も製作者も不明だが、お父様が家門の復活をかけて製作していたのだろうことは間違いない。
だが、その魔導兵器は破壊されてしまった。わたくしが調べた限りでは、話半分にしてもとんでもない性能の魔導兵器であり、魔導兵器に革命が起きるのではと思った。
魔導兵器の製作に巨額の資金もかけられていた。それが失われたために家門の復活どころか、傾き始めているのだ。
「お兄様はお父様の製作していた魔導兵器の設計図や技術者を確保できまして? それがあれば、『犬の子犬』商会としては技術力があり、まだまだ健在だとアピールできるのですが?」
新型魔導兵器は失われたが、その際に使われた技術力は無駄にはならない。というか、お父様の製作した魔導兵器は販売不可能な金額だったはず。
元から技術力をアピールする目的もあったはずであった。
しかしながら、もちろん確保しているとは答えてこず、気まずそうにお兄様はウッと顔を引きつらせる。予想していたことなので驚きはない。
「それが設計図も技術者も見つからない。何人かは名前が判明しているが……皆が心不全で亡くなっていた」
「伝染性のある心不全が家門に吹き荒れたようですしね。それにしても、お父様はやらかしました。なので、『狼の子狼』商会を家門から独立させて、わたくしの新たなる商会とします。資産を保全しないといけないでしょう?」
「そ、それはそうだが……」
むぅと顎に手を当てて唸り声をあげるお兄様。わたくしに追従するように分家の者たちも手をあげて会話に口を挟む。
「た、たしかにお嬢様の仰るとおりかと。『犬の子犬』商会は黒字ではありますが、赤字になってもおかしくない程にシェアを『猫の子猫』商会や『ウルハラ』コーポレーションに奪われております」
「そ、それに……少し嫌な噂も聞いておりますゆえ。ここはエリザベート様のご提案は良きアイデアかと思う所存」
「さようさよう、ここは念の為に『犬の子犬』商会から切り離しておいた方がよろしいです。幸い上場しておらぬ『狼の子狼』商会の株の4割は本家がお持ちです」
口々に賛成してくる分家たち。だいたい7割ほどだろう。残りの分家たちは苦虫を噛んだかのような顔になっている。
「『犬の子犬』商会の保有している株も全てわたくしが個人的に買い取ります。その手筈は整っておりますわ」
「今の『犬の子犬』商会の議決をそんな簡単には取れるはず………鷹野家の助けもあるんだな!」
現在の『犬の子犬』商会は瑪瑙家の思い通りにはできない。鷹野家の連合が株を取得しているからだ。
議決権を行使されれば子会社の株を個人に売り払うなど、拒否されてしまうのに、その手筈は整っているとなれば、馬鹿でなければ連合の力を借りているとピンとくる。
責める口調で尋ねてくるお兄様に、胸元から扇を取り出すと、バッと開いて口元を隠す。
「決闘での条件ですわ。わたくしが勝ったら皇族派から距離をとる。鷹野美羽が勝ったら神無派からわたくしが距離をとる。これは極めて平等な提案だったと思いますわ」
「そ、そうだったのか……。だが、憎き鷹野家だぞ? それにシン君はエリザベートの婚約者ではないか」
「決闘の結果ですし、神無家と距離をとるからと、シン様と婚約を破棄するつもりはありませんでした。独立させた会社は神無家との取り引きを止めれば良いんですもの」
「それはシン君と結婚しても針のむしろとなる……そうか、エリザベートはそこまで覚悟を決めていたのか」
「負けるつもりはありませんでしたけど……負けてもこの提案に家門としては損はないと考えました。もはや落ち目の瑪瑙家の『犬の子犬』商会。神無派から距離をとり、独立させた日用品を扱う魔道具会社ならば、油気家とも提携できますしね」
「感情を抜きに考えれば、たしかにそのとおりだ……。『ウルハラ』コーポレーションとの取り引きもできる。その技術力を密かに『犬の子犬』商会に流せば、再び復活できるだろう」
「そこまで厚顔無恥ではありませんが、将来的には関係性も修復されて、『犬の子犬』商会も力を取り戻す機会はあるでしょう」
それに………と、わたくしは深くため息を吐くとお兄様へと告げる。
「シン様との婚約は解消致します」
「婚約解消だって! 君はあれだけシン君を好きだったじゃないか!」
ギョッとして驚くお兄様。分家の方々も驚きを隠さずにざわめく。
「……気が変わったのです。乙女心と秋の空、風が吹けばその心は簡単にうつろうものです」
「あれだけシン君のことを好きだった君が? はっ! もしや精神支配! すぐに精神状態を確認しよう!」
「別に精神支配魔法は使われておりません。というか、あの系統の魔法は伝説レベルのわりに簡単に破られるではありませんか」
「そうだが……あのシン君大好きマイシスターが!? 信じられないっ!」
「どうも…………シン様に疑問が湧きましたの。目が覚めたような気がします」
霧のダンジョンで受けた『魔法破壊』。別人が使っていたようだが………獣人としての第六感ともいうべきか………。
あの魔法の使い手はシン様だと、同じ人間が使ったのだと思うのだ。直感でしかないが、わたくしはこの直感を大事にしている。
そうなると、シン様はわたくしを殺しても構わないと考えたのだ。
それに理由はそれだけではない。
レースが終わったあとにシン様と話したのだが……。シン様への好意がさっぱりと消えていたのだ。
多少仲の良い友だち程度にしか思えなかった。
「なぜあれだけ好きだったのかわかりませんの」
「それは昔に魔物から救ってもらったからだろう?」
「そうですわね。そうなのですが……感謝はしても、恋心が何年も続きます? シン様はわたくしに誕生日プレゼントの一つも贈ってくれませんでした」
「いや、毎年贈ってきたじゃないか」
わたくしの言葉に反論してくるお兄様。たしかに贈ってくれなかったとは言い過ぎだった。でも、理由はあるのだ。
「本人の想いを感じさせないものでしたの。召使いに高価な物を贈っておけと命令したかのように、その年の流行の香水やアクセサリーでしたわ。あとのデートなどは月さんが一緒だったり、そもそもわたくしが誘ったものばかり」
その年のプレゼントにお礼を言うと、なにを贈ったのかも知らないことがあったのだ。
少しからかうように香水を貰ったのに、ネックレスをありがとうございますと伝えたら、たいしたことはないよと答えたことがある。
その時、ショックを受けても良いはずなのにわたくしは冷めぬ恋心を持ち、気にすることはなかった。
この一週間で思い出した不愉快極まる思い出だ。なぜ気にしなかったのかわからない。わたくしの性格から言って、烈火のごとく怒ってもおかしくないのに。
「それは………シン君は朴念仁だから、だろ?」
「優しさというものが感じられませんの。まぁ、政略結婚ですし、そこまで贅沢は言いませんが、それでもわたくしが盲目的に好意を持つには限界があります。もう心が冷めたんです」
心ではない。本当は何かの束縛から逃れたスッキリとした感覚があるのだが、それは秘密にして口にしない。
「そ、そうか……。まぁ………マイシスターの苛烈な性格は知っているからね。たしかに僕もよくあそこまで朴念仁の人間を愛せるよと思って、ゲフンゲフン」
「客観的に冷静に見るとそうなりますわね。そして、神無家と政略結婚をするメリットは今はありません。それどころかデメリットしかないでしょう。だからこそ婚約解消です」
そのとおりだ。あそこまで適当に扱われているのに、よくぞ恋心を持っていたものだ。
過去の自分を思い出して羞恥に塗れるが、それを隠すようにキッと目つきを鋭くして、話を続ける。
「わたくしは家門のことを考えて、これからの将来を見据えて、提案します。子会社を独立させる件よろしいですわね、お兄様? そして……わたくしがここまでするのにお兄様は復讐だとか逆恨みをしますの?」
冷たい声音で告げると、お兄様の手を強く握って威圧するようにマナを流し込む。
ここはビシッと言わないとと思って、マナを流し込んだだけのつもりだった。少し違和感を覚える程度のよく使われる悪戯のような技だ。
「グアッ!」
だが、お兄様の身体からバチリと放電が起こり、頭を揺らす。閃光が部屋を包み込む。
「お、お兄様? 大丈夫ですか? 申し訳ありませんでした。少し威圧を込めて流し込んだだけだったのですが」
予想外の状況に慌ててしまうが、お兄様は額に手を当てて制止してくる。
「だ、大丈夫だ…………なにか、いや、なんでもない。それよりもそのとおりだ、逆恨みをする暇があったら、家門の復活を考えないといけない。僕も神無家からは距離をとろうと思う。皆もそれで良いね?」
先程の怒気はすっかりと消え失せて、お兄様は周りへと告げると、あれだけお兄様に同意して復讐をと口にしていた分家の者たちも、キョトンとした表情で反対することなく頷き返す。
なにかが変化したような気がすると、エリザベートは不自然極まるお兄様の態度に少し違和感を覚えたが、すぐに気を取り直す。
皆も気にする様子はない。そう、気にすることなど何もない。なにかが囁いてきた感じがするが気のせいだろう。
そうですわ、そんなことを気にする暇はない。それよりも瑪瑙家の復興をさせなければならない。
「では、これからは独立した体制を取りましょう」
しばらくはシン様、いえ、神無君とも距離をとろう。
こうして、神無家から瑪瑙家は完全に距離をとることとした。神無君が何回かデートの誘いなどをしてきたが、きっぱりと断り婚約解消となるのであった。
原作でのメインヒロインである瑪瑙エリザベートは、その地位を降りたのである。




