254話 瑪瑙フェン
新型魔導兵器『クイーンアント』に搭乗している瑪瑙家の当主である瑪瑙フェンは気が狂いそうなほどに怒り狂っていた。
レバーを握る手は震えて、顔は引きつり、血走った目でモニターに映る敵を見て、食いしばった唇から血が流れても気にならないぐらいであった。
なぜならば、自分が当主になってからの、これまでの苦労が全て無と化したかのような気がしていたからだ。
いや、現実に無と化していた。
自らが引き継いだ『犬の子犬』商会を日本一、そして世界一へと躍進させるべく頑張ってきた努力と野望は、あっさりと泡のように消えたのだから。
ここに来ることを決意した一つが、分家が裏切ったことであった。
その時の事を思い出すだけで、腸が煮えくり返る。
「手持ちの株を手放しただとっ! 鷹野家に売り払ったということなのか!」
鷹野家が組んだ連合による買収を防ぐために、家門一同を集めて会議を行おうとする時であった。
気まずそうな表情で、いや、既に決意した表情で分家たちが裏切りの報告をしてきたのだ。
「いえ、さすがに我らもそこまで厚顔無恥ではないですよ。鷹野家とはまったく関係ない企業に売り払いました。ただ………このまま『犬の子犬』商会の株を持ち続けても、先はない。そう思った次第でして」
「さようさよう。今は買い占めにより株価は上がっておりますが、この騒動が終われば切り分けられたピザのように、商会は分離されて主要部門は売り払われる。……そう思った次第」
「我らも家を守らなければならぬゆえ………今手放すしかなかったのです。苦渋の決断だったのですよ。せめて正直に話すことが、我らの誠意」
口々に謝罪の言葉を口にするが、ようはドブネズミのように危機を感じて逃げ出しただけだった。
「馬鹿がっ! 技術などは日進月歩。今は負けていてもすぐに取り返すこともできた。買い占めも敵は簡単に瓦解するだろう薄い絆で作られた連合。粟国家辺りに話を持っていけば、すぐに株を取り戻すことは可能であった。皇帝陛下も恐らくはその程度の認識だったはずだ」
ワナワナと手を震わせて、馬鹿なドブネズミたちを睨みつける。
「たんに瑪瑙家の力を抑えることができれば良いという策略。たしかに危機ではあるが、未来においてはそこまで危機感を持たなくとも良かったのだ……それを……株を手放しただとっ!」
神無家の力を抑えるための買収劇。所詮は10%にも満たない株を各家門ごとが持っている程度。現在においては神無家の支援ができなくなるために、神無家は困るが瑪瑙家としては、未来を見据えて動けば問題は少なかった。
皇帝陛下もそこまで瑪瑙家が弱体化して、勢力図が大きく塗り変わるのは避けたいはず。だからこそ、連合などという迂遠な策をとったのだ。
正確に現状を理解していた瑪瑙フェンは、だからこそ予め分家にもその旨を伝えておこうと集めたのだった。
先手を打たれた。恐らくは手放した株は鷹野家が裏で手を回し保有するだろう。
皇帝陛下の策を理解せずに、己の勢力を貪欲に増やしていくあの鷹野家ならばやる。
なぜ今まではそこまで危険視をしていなかったのか。運送業以外に手を出した時に警戒をして、潰そうと考えなかったのか………。
まるで認識できなかったかのように、他人事として聞き流し、台頭を許してしまった。
事ここにいたり、瑪瑙フェンは悟った。
遠回しの策略では、もはや瑪瑙家は潰されると。
最後の逆転の一手をするしかなかった。
鷹野家の躍進のきっかけにして、中心人物。
鷹野美羽の暗殺をするべく、自らが直接手を出すことを決めたのだった。
たとえ、実の娘を犠牲にしても。
大型魔導兵器『クイーンアント』に搭乗している瑪瑙フェンは先日のことを思い出し、レバーを強く握りしめる。
暗いコックピットに、各種機器のライトが点滅し、240度モニターに映る鷹野美羽を見て、ゴクリと息を呑む。
「殺してくれるわっ、小娘。この『クイーンアント』の力と、我が秘奥魔法『人魔一体』にてな!」
僅かに手が震えるが、気がつかないふりをして、強気で告げる。
「『人魔一体』? あぁ、だから自分で出張ってきたのか。聞いたことがないけど、魔導兵器のポテンシャルを引き出す能力だな?」
「そのとおりだっ! 俺の乗る『クイーンアント』は、次元の違う戦闘能力を発揮する世界最強の魔導兵器。貴様の命運もここまでだ!」
瑪瑙家の秘奥魔法『人魔一体』の能力をあっさりと看破してきた鷹野美羽が、つまらなそうな目を向けてきていた。
特に見抜かれたことには動揺はない。名前から推測するのは簡単であろうし、相手にバレても対抗されない自己強化魔法だからだ。
いや、自己強化ではない。操る魔道具の能力を数段引き上げる最強の支援魔法だ。
故に対峙する小娘は死ぬ。そう理性は判断しているが、なぜか手は動かずに攻撃をしようとしない。
感情が年端も行かない小娘に畏れを抱いているのだと、冷静な部分でフェンは理解していた。
「イミル……あいつは……人間か?」
マイクを切って、複座式のコックピットの後部座席に座るイミルに声が震えないように気をつけながら尋ねる。
「………恐らくは人間です。魔神などではないはず。そのような存在に出会ったのは一度だけですしね」
「ならば……痛覚がないのか? あの姿で現れても平気そうだったぞ?」
「そのような噂も聞いたことはありません」
「く、黒焦げの身体で現れたのだぞっ! 消し炭が歩いていたっ。か、回復魔法使いとは皆ああなのかっ!」
怒りで恐怖を誤魔化すかのように、怒鳴りつける。
黒焦げ。……黒焦げであったのだ。服や魔導鎧は新品同様であったために、鷹野美羽の黒焦げの身体は一際異様な姿としてフェンの視界には映った。
最初はなにかわからなかった。灰が炎に巻かれて人のような形をとって飛んでいるのだろうとも思ったのだ。
なにせ手足は炭化して、いや頭すらも黒焦げで、突けば崩れて舞い散っていくだろうと思ったほどに、ただの黒焦げの灰としか目には映らなかったのだから。
「私もあれだけの傷を負って、平気な様子で歩く人間は見たことがありません。……いったいどうなっている?」
「そうだろう、そうだろう。あれだけの怪我を負ってしまえば、魔法を発動させる集中力などないはずなのに………。あ、あっさりと回復した!」
燃え尽きて指すらなかった。灰がその体から落ちていき、激痛が走っているだろうに、簡単に治したのだ。
まるで怪我など負っていないかのように。
「と、トリックだ! そ、そうだろう? トリックに決まっている。不死者でもない限り、いやたとえヴァンパイアでも、もはや回復などできん! 俺を混乱に陥れて、怯懦を齎すつもりなんだ!」
叫びながら、佇む少女を睨みつける。灰となった身体は既に元に戻っており、焦げ跡一つない。
わかってみれば簡単だった。奴は恐らく火炎耐性の魔道具や幻影の魔道具を持っていたのだ。
必殺の『魔法破壊』が通用しなかったのも、それが理由だ。躱されてしまったのだろう。
だから、小娘は新品同様の魔導鎧を身に着けているのだ。
「正体バレたり枯尾花。ゆくぞ、鷹野美羽!」
身体を押し付けるようにレバーを倒して、『クイーンアント』を操作する。フェンと同化でもしたかのように、『クイーンアント』は眼前に佇む少女へと猛然と襲いかかった。
「ボス戦も頑張っちゃうよ!」
「『クイーンアント』の威容の前に、気でも狂ったか!」
既に意識は『クイーンアント』と融合しており、まるで自身の身体のように滑らかに動く。紅きルビーのような外骨格に守られた前脚が美羽を狙う。
全長30メートル。前脚だけでも少女の身体よりも大きく、殴れば必ず潰れたトマトのように肉塊に変わると、フェンは狂気の表情を浮かべる。
「みーちゃんの可愛さの前に、見惚れないようにするんだな!」
荒ぶる少女はニヤリと笑うと、小さな手を構えて迎え撃ってくる。
「死ねぇぇっ!」
「シッ」
喉が枯れるほどに絶叫するフェン。『クイーンアント』の前脚が美羽に振り下ろされようとした。
ガキィンと辺りに響き渡る金属音。
「なにっ! 耐えたのかっ!」
「まずは力比べだね!」
少女は可愛らしい声音で、恐ろしい結果を見せつけてくる。驚くことに、美羽は光る長剣をどこからか取り出すと、ギロチンよりも巨大な前爪を受け止めたのだ。
前爪に比べると、電柱とマッチ棒のような比較にもならぬ大きさであるのに、受けとめた姿は楽しそうに笑みを浮かべており、微動だにしない。
「馬鹿なっ! この魔導兵器の力に人間が勝てるはず、か、勝てるはず……」
顔を真っ赤にさせて、フェンは美羽を押し潰そうと力を込めていく。
だが、美羽は地面にめり込むこともなく、その体幹が揺らぐこともなく、前爪を平気な顔で受け止めている。
いや、それどころか押し返されていく。
「そ、そんな、そんなっ!」
「てーい!」
まるで遊んでいるかのような可愛らしい掛け声とともに、前爪は弾かれて前脚は跳ね上げられ、大きく『クイーンアント』の巨体が押し下げられてしまう。
「ぐぉぉぉっ! どんなトリックを!」
フェンは『クイーンアント』の体勢を素早く立て直し、4本の前脚を振り上げる。
『狂爪狂刃』
暴風が巻き起こったかのように、美羽へとマナの力を宿して、4本の前脚は連撃を繰り出す。
「ていてい」
だが、狂ったかのように繰り出させる暴風の如き連撃を、美羽は光の剣を鞭のように変えると迎え撃って弾き返していく。
その剣は光の螺旋を描き、空中を美しく舞いながら、前脚に斬りかかった。
火花が散り、衝撃波がお互いの攻撃がぶつかり合うたびに発生する。
そのたびに、『クイーンアント』の前脚がビリビリと震えて、その振動がコックピットまで揺らしてきた。
『光蛇乱打』
うねる光の鞭が蛇がのたうつかのように、くねり襲いかかる。『クイーンアント』はその攻撃を防ぐことができずに外骨格に傷をつけられて、ありえぬ威力により吹き飛ばされた。
地面に脚をつけて、擦るように押し下げられてしまい、コックピットが激しく揺れる。
信じられない思いで、フェンは罵る。
「と、トリック! トリックだ。ど、どんなトリックなんだ? イミルお前もあのトリックの正体を考えろ」
「………」
黙り込むイミルは無視して、フェンはモニターに映る少女を睨む。
トリック、そう、きっとトリックだ。
あの化け物じみた力もトリック。
魔法の力によるものだ。
だから、あの瞳の光もトリックだ。
蒼く美しき宝石のごとき瞳。
瞳の中心に光る深淵の光。魂を鷲掴みにして引きずり込むような恐ろしい瞳も。
きっと魔法によるトリックに違いないと、ガチガチと歯の根を震わせて、フェンはそう思い込もうとするのであった。




