253話 でーぶいにはお仕置きだぞっと
エスカレーターは特に音はせずに、静かなものだ。
朝早くからの出勤は辛いなぁと、私はフワァとあくびをする。エスカレーターはやけに長くて、上まで到着するのに時間がかかりそうである。
このまま、上まで到着しなければ、会社に出勤しなくても良いんだがなぁと、いつも思うことを考えがえながらのんびりと乗る。
出勤時間なのに、珍しく誰も乗っていないエスカレーターは物音一つしない。真っ白な壁や天井には広告すらもなくつまらない。
とはいえ、スマフォを見ながらエスカレーターに乗るのも危険だ。やはり待つしかないなと、上へと顔を向ける。
先は見えない。いつまでこのエスカレーターは続くのだろうか。今日の仕事はなんだったか。
メールを確認して必要ならば返信をして、リモートでの会議をして……。
毎日同じ仕事の繰り返しだ。歯車の一つ、社畜となって何年か。つらつらと今日のやることを考えながら、上に着くまで待つ。
まだ、上に到着しないからエスカレーターに乗り続ける。
まだ、上に到着しないからエスカレーターに乗り続ける。
まだ、上に到着しないからエスカレーターに乗り続ける。
物音一つせず、人は誰もおらず、私は乗り続ける。
静かに乗り続ける。
上に到着するまで待たなければいけない。駆け上るのは危険だからと、待ち続ける。
今日やることを考えて、社畜だなぁと苦笑して乗り続ける。同じことを繰り返し考えながら、ずっと乗り続ける。
どうせ後数分もかからない。のんびりと待っていれば良いのだ。
『起きて』
「ん?」
誰かに話しかけられた気がして戸惑う。エスカレーターで声をかけられることなど初めてだ。
周りを見るが誰もいない。エスカレーターはまだまだ長く上まで続いており、下へと視線を向けても同じようにエスカレーターが続くだけだ。
「なんだ、気のせいか」
少し疲れているのかもなと、あくびをして
『起きて、起きて』
今度ははっきりと声が聞こえてきて、ギョッと顔を驚きに変えてしまう。
「なんだ? まさかの幽霊?」
まだ朝早いんだ。こんな時間に幽霊なんて勘弁してくれと、オロオロと周りを見渡して気づく。
横の壁がいつの間にか透明なガラスの壁となっていた。
『起きて〜。とっても危ないよ』
ガラスの壁の向こうに可愛らしい少女がいた。どこかで見たような覚えのある少女だ。
灰色髪は滑らかで艷やかそうで、天使の輪が作られている。くりくりとぱっちりとしたアイスブルーの愛らしさを感じさせる瞳が私を見ている。
1メートルにも満たない背丈の少女は、懸命に壁をペチペチと叩いている。焦った顔で小さな手でガラスの壁を叩いて、口をパクパクと動かしていた。
『起きて、私』
その小さな手では壊れないと思いきや、ガラスの壁はよくよく見ると微細なヒビがびっしりと入っており、少女が叩くたびにヒビが少し多くなる。
『起きないとパフェが食べられないよ!』
むふーっと鼻息荒く告げてくる愛らしい少女の思念が私に届く。
「本当に? 食べられない?」
『早く起きないと食べられないよ』
「それは大変だね!」
『うん、とっても大変だね!』
壁に小さな手をつけて、壁越しに私へと答える。
いつの間にか、壁に映る私の姿は壁越しの少女と同じ姿だった。
それよりも、なによりも、もっと大変なことがある!
「パフェ!」
『パフェ!』
お互いに声を揃えて、同じセリフを口にする。
「大変、大変! 行ってきまーす」
パフェが食べられないよ。大変だよと、私は起きることにする。
『いってらっしゃーい。気をつけてね』
私が笑顔でぶんぶんと手を振り返してくれる。
「うん、それじゃまたね!」
いつかのように見送ってくれる私へと、笑顔で手を振り返す。
私の周りの光景がガラスのようにパリンと砕ける。周囲の光景がガラス片となって散っていき、キラキラと光る中で光が世界を覆っていく。
そうして、私は目を覚ました。
ハッとして覚醒する。周りは轟々と唸る焔に埋め尽くされており、岩は溶けて土はガラス質になり、空気は酸素が無くなり、息ができない。
超高熱の炎魔法による攻撃だ。『魔法破壊』により、あらゆる魔法効果がなくなったあとの追撃の魔法。
実に効果的であると言わざるを得ない。
「むぅ〜、どれぐらい気を失っていたんだろ?」
口を尖らせて顔を顰める。歩き出そうとすると『魔法破壊』を受けた影響により、意識が薄れて身体がよろけてしまう。まさか、気を失わせる程の威力があるとは思わなかった。
というか、『魔法破壊』の効果だったのかな? なんだか違う感じもする。効果というか副作用というか……。
使ってはいけない魔法だったような感じがする。
『世界が揺らぎました』
ログが眼前に表示されるが、今はそれどころじゃないので、スルー。魔導鎧『ウォータン』は溶けてきて、服も燃え尽き炎に巻かれている。
「エリザベートちゃんは?」
同様に魔法を受けたエリザベートへと、慌てて視線を向けて顔を顰めてしまう。
「非道なことを……『魔法破壊』で魔法が消えた一瞬を狙って攻撃してきやがったな」
まさか味方ごと巻き込む強力な罠を仕掛けてくるとは思わなかった。予想が甘かったのだ。
エリザベートは単なる黒焦げの塊となって地面に倒れていた。何度かはわからないが、人体が耐えられる熱ではない。
魔法で強化されていなければ、エリザベートはただの人間。一瞬の内に焼かれてしまったのだ。
ピクリとも動かないので、既に死亡している。
久しぶりに『魔導の夜』の酷さを思い出したよ。ヒロイン役に見えても、あっさりと殺す展開が得意な小説だったからな。
「世界が変わったことによって、配役も変わったか………」
本来の原作ならば、聖奈、エリザベート、月がメインヒロイン役だった。最後のエンディングでもシンと結婚していたのに……。
どうやらエリザベートは捨て駒にされたようだった。
「罠を仕掛けてくるとは思っていたけど、娘を巻き込むことも気にせずに『魔法破壊』込みの即死トラップとは、さすがに予想外だった」
手を翳して、エリザベートの『黒焦げの死体』をアイテムボックスに収納する。
ただの溶けた金属塊となって、肌に貼り付いている魔導鎧『ウォータン』を無理矢理剥がす。
服も灰となってしまったので、ペイと捨てると、アイテムボックスをポチポチと押す。
瞬時にゲーム仕様の服を身に着けて、魔導鎧『ヤールングレイプル』へと装備を変更させる。
「さて、それじゃ誰が待っているか、見てみようかな」
炎逆巻く中で、美羽は凶暴なる獣のような笑みを作り、歩き始めるのであった。
炎で地面が溶岩のように溶けており、ベットリと足跡が残る。
一歩一歩進むごとにジュゥと煙が吹き出し、炎が身体を焼こうとしてくるが、多少炭化しても気にすることなく、敵のカーソルが浮かぶ場所へと進む。
もはや炎のせいで霧は無くなり、炎だけが視界に映っている。
と、楽しげな野太い中年の男性の声が聞こえてきた。
「ぶわっはっはっ! 見たか、成り上がり者めっ! 黒焦げ、間違いなく黒焦げ! 俺の勝ちだァァっ!」
喜びの声をあげて、醜悪な叫びを響かせている。
「まだゴールは程遠いのに、勝ちとは判断が早くないかな?」
炎の中でも凍える程の笑みを浮かべて、美羽は逆巻く炎からゆっくりと姿を見せる。
「ひ、ひいっ? な、なぜ生きているんだ?」
相手は美羽を見て、驚愕で目を剥きながら声を震わせて叫ぶ。
「この程度の魔法じゃ、焼き具合はレア程度なんだ。回復魔法使いを倒すなら、一瞬で殺すかMPがなくなるまで、長期戦を覚悟しないとな」
声の主へと眼光鋭く睨みながら、自身に回復魔法を使う。ポウと仄かな光が身体を覆い、一瞬で火傷を癒やす。
「で? まさか瑪瑙家のご当主様が直々にやってくるとは思わなかったけど、どうしてかな、瑪瑙フェン」
ブルドッグのような耳に尻尾を持ち、その身体もブルドッグのように弛んで小太りのおっさんへと尋ねる。
瑪瑙家の当主である瑪瑙フェンが、大型魔導兵器のコックピットに足をかけて高笑いをしていたのだ。
その周りには『ソロモン』と思しき魔法使いたちに、フェンの子飼いの部下だろう兵士もいる。
そして、顔の上半分をドクロの仮面を被っている黒ずくめの男もいる。
「それに、見たことのない魔導兵器も用意して、随分とサプライズを企んでいたようだな」
「グッ………まさか生きているとは……もう一撃だ、イミル!」
悔しそうに口を噛みしめると、フェンはイミルと呼んだドクロの仮面をかぶっている男へと指示を出す。
「わかりました。クライアントの依頼ですからね」
美羽へと手を翳して、イミルと呼ばれた男は薄笑いを浮かべるとマナを練る。
『魔法破壊』
空間が歪み、見えざる魔法が美羽を襲う。魔法を強制的に破壊する絶対の魔法は、美羽の身体を波動のように貫く。
「いまだっ! 小娘の魔法障壁はないっ。全員魔法攻撃をせよっ! 灰も残さずに焼き尽くしてやれ!」
「はっ!」
『火球』
『雷雨』
『氷槍』
フェンが顔を真っ赤にして叫ぶと、周囲の部下が魔法を放つ。
炎や雷、氷に闇と様々な魔法が美羽へと襲いくるが、回避することもなく、無感情な表情で全てを受ける。
轟音が発生し、土煙が視界を埋め尽くし、フェンは狂喜の顔を浮かべる。
「やったか!」
「無駄だよ。みーちゃんにはその魔法はもう効かない」
テンプレのセリフを吐くフェンを、砂煙の中で答えてやる。もう『魔法破壊』も慣れた。意識が飛ばされることも、存在が揺らぐこともない。しっかりと意識を保っていれば良いのだ。
「はあっ? なぜだ? イミル、貴様ぁっ手を抜いたのか?」
「……いえ、そんなことはありえない……なぜだ?」
戸惑い、驚愕の声をあげる二人を横目に続けて魔法を使う。
「とりあえず、雑魚には退場してもらおうかな」
魔法の力を手に集めると、素早く動かす。
ゴウッと突風が美羽の身体から吹き荒れて、砂煙が吹き飛び、莫大な冷気が周囲へと広がっていく。
『氷結龍Ⅲ』
魔法陣が空に浮かび上がると、氷の龍が魔法陣から抜け出てきて、周囲の温度を一気に下げていく。
劫火も『氷結龍Ⅲ』の生み出す氷により鎮火して、凍える程になる。
「てい」
軽い声で美羽が魔法を発動させて、氷の龍が敵へと襲いかかる。
「魔法抵抗せよ!」
「だ、駄目だ」
「身体が凍るっ」
「た、助けてっ」
雪の結晶を氷の龍は周囲へと残しながら、全てを凍りつかせていく。敵も魔法抵抗の障壁を作るが、障壁ごと凍らせて、氷像へと変貌させた。
吹き荒れる吹雪の中で世界は酷寒の地へと変貌するのであった。
「さて、生き残ることができたのはフェンとイミル? という人だけみたいだね」
吹雪の中で問いかけると、機械の駆動音が聞こえてくる。
「おのれぇっ! こうなれば瑪瑙家の当主である俺自身が殺してくれるわっ!」
大型魔導兵器が吹雪の中から姿を見せて、マイク越しにフェンの声が響く。
「新型大型魔導兵器『女王蟻』の力を見せてやろうっ!」
紅き外骨格を持つ女王蟻の姿をとる、全長30メートルはあるだろう魔導兵器が前脚をあげて威嚇してくる。
「懐かしい魔物だね。それじゃ今度はソロでの攻略といこうかな」
対して美羽は恐れもなく、対峙する魔導兵器を前に嗤うのであった。




