251話 監視できない場所はルール無用だぞっと
そよそよと気持ちの良い春風が湖の畔に吹く。灰色髪をふわりと浮いて靡かせながら、みーちゃんは岩の上でお昼ごはんを食べていた。
ママの手作りおにぎりをモキュモキュと頬張り、おにぎりのおかずに、甘い卵焼きをパクリ。タコさんウインナーをむしゃむしゃ食べて、あったかお味噌汁をクピリと飲む。
ミニトマトは少し苦手だなぁと顔を顰めながらゴクンと呑み込み、口直しに麦茶をコクコク。砂糖を入れたことにちょっぴり後悔しているのはナイショだ。
そうして、お昼のお弁当を食べ終わるとお弁当箱の蓋を閉めて、満足げに息を吐く。
「ごちそうさまでした! やっぱりママのお弁当はいつも最高だよね」
どんな高級料理も、ママの手作りお弁当には勝てないのだ。パタパタと脚を振ってご機嫌だ。
このままお昼寝をしても良いかもと、サワサワと草が揺れる平原を眺めて、フワァとあくびをする。
さすがにお昼寝していたら、ウサギさんは抜かれてしまうだろう。しかも相手は亀ではなくて、狼なのだから。
「次は問題の第三チェックポイントか……」
第二チェックポイントの出口を見て、まだエリザベートは現れそうにないなぁと思う。どうやら苦戦しているらしいと、親指についた米粒をぺろりと舐めとると、真剣な表情へと変える。
琵琶湖レースは、5つのチェックポイントがある。4つは様々な危険な地形のコースであり、湖をぐるりと周るように配置されている。
チェックポイントを通過していけば、自然に湖を周回できるという具合だ。
しかし、第三チェックポイントだけは別だ。
『霧のダンジョン』
琵琶湖の中心に存在する管理ダンジョンである。
特徴は5階層で霧煙る世界であり、中に入ると一寸先も見通せないほどに、霧が充満しているのだ。
しかもダンジョン内の霧は弱い魔法阻害の効果を持っており、監視、転移、探知系統などの魔法を妨害する。
しかも霧の中に多くの魔物が隠れ潜んでいるため、科学の力による監視カメラもすぐに破壊されてしまう。
まったくダンジョン内を映すことはできないのだ。それが意味するところはというとだ。
即ち、御意見無用、反則推奨の危険なダンジョンなのである。
フリークラス以外は、この『霧のダンジョン』は使わない。フリークラスだけが用意されている死人が出るかもしれないコースなのである。
原作では、楽勝でエリザベートがクリアしていたが、現実ではそう上手くはいかないだろう。
罠が用意されているのは間違いない。このダンジョンは罠があるのが当たり前の環境なので、皆が警戒する。だいたい罠からのバトルが始まるのが普通だ。
しかし、エリザベートはまだ追いついてこない。みーちゃんに追いつくために、無理をしてもおかしくないのにね。
罠があるから追いついてこないのだろう……。
「あれ、追いついてきた」
と思ったら砂煙をあげて爆走してくるエリザベートが見えてきた。
ドリルロールももみくちゃで枝葉が絡みついており、顔も泥だらけで毛皮ビキニもボロボロだが、まだまだ戦意は充分そうで、凶暴な笑みを浮かべていた。
少し予想と違うね? 罠にかかりましたわねと高笑いコースだと思ったんだけど。
「クッ、だいぶ後れをとりましたわっ」
みーちゃんを確認すると、『浮遊板』から飛び降りて、すぐに自身のお昼を食べ始める。
チューブタイプの栄養食を一気に吸引すると、自身の『浮遊板』のマナドライブを開いて、テキパキと魔石を交換し、座禅を組むと瞑想を始める。
疲れた身体を癒やして、マナを回復させているのだ。このレースは気合いだけでは優勝できない。しっかりとマナを回復させつつ、レースに挑まないといけないのだ。
みーちゃんだって、お昼ごはんを食べて一休みをしなくちゃいけないのだ。ママのお弁当を食べたかったからだけじゃないんだよ。
ジャーキーをフリフリと振っても、まったく気にせずにじっと呼吸を整えるエリザベート。
その姿は真面目なレーサーであった。
その様子を見て苦笑しつつ、エリザベートの評価を改める。
狡猾だと思ったけど、見た目通りなのかもしれない。少し絡んでみるかな。
「エリザベートちゃん、もしかして、私が出発すると同時に休憩を終了させる?」
「……えぇ。貴女の力は凄まじいものです。ですが、短期決戦タイプで消耗が激しいと見ました。狼は一度狙った獲物は逃さないのですわ。しっかりとついていき、チャンスを狙います」
「なるほどね。エリザベートちゃんは高潔なんだ」
みーちゃんが話しかけると、片目を開けて答えてくれるエリザベート。なんか原作通りの狼娘だ。
その様子からは真摯な空気しか感じられず、狡猾さは欠片もない。
う〜ん、前言撤回かなぁ。実力はあれど、単純で素直で喰い物にされる箱入り娘みたいだよ。
……今回の派閥云々騒ぎは誰かに唆されたか……。
とするとだ……。あぁ、最悪な未来が予想できて、げんなりしちゃうよ。『魔導の夜』は容赦ないからなぁ。
「お昼ごはんを食べて、お腹いっぱいだから少し昼休み!」
「ハンデのおつもりかしら? その余裕が貴女の弱点となると告げておきますわ」
ぽてりと岩に寝そべって、10分程休憩する。エリザベートはその間にマナを整えて、やる気に満ち溢れ始めた笑みを浮かべた。
「それじゃあ、改めて『霧のダンジョン』に突撃〜っ!」
「フンッ、余裕か策略か見定めて差し上げます」
どうやら一緒に出発しても気にならないらしい。やっぱり狡猾とは縁が遠いワンコだったか。
『浮遊板』に飛び乗ると、みーちゃんは発進する。
憎まれ口を叩きながらも、エリザベートもすぐにあとに続いてきた。
身体を休めてほしかったんだ。なにせ、ここから先は危険地帯だと思うから。
絶対にみーちゃんを害そうとする敵が隠れているはずだからね。
水面を疾走して、『霧のダンジョン』に向かう。中心にあるダンジョンは、周囲が霧で覆われているので、見逃しようがない。
すぐに霧煙る一帯を発見した。
みーちゃんもエリザベートも、水飛沫をキラキラと輝かせて、恐れることなく霧の中に突進した。
「わぷっ、こんなに霧が凄いんだ!」
「そのとおりですわ! このダンジョンでは視界は利きませんの。鋭敏なる聴覚と嗅覚が物を言いますのよ」
霧に突っ込むと、五里霧中という名前が頭に浮かぶほどに、一面が霧で覆われていた。
まったく視界が通らない。こんなに凄い霧は前世で山頂の山小屋に泊まった時以来だ。
本当に一寸先も見えない。先行しているエリザベートも霧に消えそうである。
とはいえ、このダンジョンは詳細な地図が公開されている。地形だって確認すればわかるのだ。
なので、地形を目印に方位を確認して慎重に進めば階段は見つかるし、迷うこともあまりない。
ただし、慎重にとの但し書きがつく。下手に速度を出して突き進めば、あっという間に迷子になっちゃうのは確実だ。
しかし、先行するエリザベートは違う。霧の中でも優れた聴覚と嗅覚、そして狼の鋭い野生の勘は迷うことなく突き進む。
高速で走るエリザベートは突如として霧の中から現れた岩を見ても、予想していたのか体をひねり華麗に躱す。
みーちゃんも気配を感じるために、深呼吸をすると自らのマナを薄く周囲へと広げていく。そうして周囲の様子を確認するのだ。
突如として岩が目の前に現れても、落ち着いた表情でフッと笑う。
「あいてっ」
そして岩に激突して、くるくると回転して吹き飛んじゃった。
「やっぱりだめかぁ。気配を薄く広げるなんて、どうやれば良いかさっぱりわからないしね」
よくある小説の主人公の真似をしたけど、そもそもマナを持っていないみーちゃんなのだ。まったく使えなかったです。
せめて『戦う』を使えれば、気配を感じることは容易いんだけど、パフェを片手にレースをするわけにはいかないしね。
さすがにみーちゃんだって、少し不自然だと思うんだよ。
「おーっほっほ、ハンデを与えたことを後悔しなさいな」
霧の中から現れる魔物たちを鉄爪にて切り裂いて、危なげなく倒しながら、高笑いをするエリザベート。
「先程のお返しに、ダンジョンから出たら、10分だけ待って差し上げますわ」
「頑張って追いつくから大丈夫!」
どうやらプライドの高いエリザベートは、みーちゃんがハンデを与えたと思ったらしい。みーちゃんとしては、エリザベートの態度からその性格を測ろうと思っていただけだから、少し罪悪感が湧くや。
とはいえ、岩に激突して体勢を崩したみーちゃんを置いて、エリザベートは霧の中に消えていった。
この霧をクリアする一番簡単な方法はエリザベートのように、野生の獣のような能力を持っていることだ。実際に武道大会では獣人タイプのレーサーばかり。
次は風の魔法で霧を吹き飛ばす。極めてシンプルな対応方法だが、魔物蠢くこのダンジョンで霧を吹き飛ばすということは、暗闇に明かりを灯して狙ってくださいというようなもの。
マナの消耗も激しいし、この対応方法はあまりとられていない。
みーちゃんはというと、これらの対応方法はとれない。『戦う』を選ばないと、攻撃魔法は使えないしね。
なので、きりりと凛々しい表情をとって、次案をとることにする。
「ガイドビーコンを見ようっと」
レース時に迷わないように光るラインが目の前に表れるのだ。ゲームだと当たり前の仕様だよね。
「待て待て〜」
なので、ガイドビーコンに従い突き進む。障害物には対応できないので、ガスンガスンとぶつかるけど、この際仕方ない。
エリザベートは獣のような直感はあれど、魔物たちが行く手を阻むので、速度は出せない。
さしものエリザベートも霧の中を逃げながら進む危険性を理解しているのだ。
いつの間にか大量の魔物をトレインしているといった可能性もあるからね。
だから、追いつけると思ってたけど……。
「グルオゥッ!」
霧の中から、大きく口を開けて牙を剥いて狼が奇襲を仕掛けてきた。
みーちゃんよりもその体格は数倍はある狼だ。一口で食べようと涎を撒き散らして襲いかかってくる。
『戦う』
「てい」
「ギャンッ」
魔物の奇襲により、バトルモードへと変わったみーちゃんは、狼の鼻面をペチリと叩く。
爆発するように頭が吹き飛び、首無しとなった狼が崩れ落ちる。その様子を尻目に、腰を屈めて右脚を繰り出し回転蹴りを放つ。
蹴りに合わせるように、他の狼たちが現れるが、戦闘機のプロペラに巻き込まれたように、その身体は回転蹴りに巻き込まれてバラバラに粉砕するのであった。
肉片が鮮血と共に地面に落ちていくのを見ながら、ふむぅと目を細める。
「みーちゃんと戦おうとする魔物か……。どうやら虫がいるようだね」
虫取り網を持ってきて良かったよと、猛禽のように目を光らせて、ニヤリと笑うみーちゃんであった。




