242話 聖奈の歓喜
帝都中心の地上に聳え立つ皇城。天空の城では生活するのに不便だからと、皇族たちが住む城内で、最上階にある直系の皇族しか住むことが許されない部屋にて、弦神聖奈は笑っていた。
いつもの楚々とした上品な笑いではなく、腹を抱えてアハハと大笑いしていた。
礼儀作法に煩い乳母や家庭教師ならば、眉を顰めて、そのような笑い方はしないように注意をしてくるに違いない。
だが、今は寝室にて天蓋のついたベッドに一人きりだ。注意をする者は誰もいない。
「はふぅ〜、やりました!」
ひとしきり笑い転げた後で、コロンとベッドの上に横たわり、聖奈は落ち着きを取り戻した。
さらりと銀髪がベッドの上に広がり、ルビーのように美しき紅き瞳が嬉しそうに細められる。
手触りの良いシーツを触りながら、桜色の唇を笑みに変えて、枕に頭を押し付けると、足をパタパタさせる。
「ようやく違和感を覚えることができました。長かった……」
聖奈は仰向けに転がると、天蓋を見ながら嬉しげに呟く。
腕輪型端末をポチポチと操作して、自分が機嫌が良い理由をもう一度読み直す。
『瑪瑙家の危機! 『犬の子犬』商会、買収の危機か!』
「ふふっ。こんな展開はやり直した中で初めてです。まさか瑪瑙家が潰れる危機があるなんて!」
別にエリザベートが悪いわけではなく、憎いわけでもない。だが、瑪瑙家は邪魔だったのだ。
瑪瑙家は神無公爵に支援をする重要な家門であった。それなのに、婚約者のエリザベートがシンに力添えをする。
どちらに転んでも、神無家の躍進を支えるダブルスタンダードをとる厄介な家門であったのだ。
豊富な資金と強力な魔導鎧。それにより、シンは大活躍をする。防ごうにも相手は大企業。防ぐことはできなかった。
「いえ、防ごうとも考えたことはありませんでした」
これまでの記憶を思い出し、苦笑混じりに呟く。
そう、私は一度も防ごうとも思わなかった。シンが皇帝になる手伝いをして、さらには愛していたのだ。
家族が全て死んでしまい、唯一の味方だと感謝と信頼を持っていた。
それが全て嘘だと気づくまでは。
スウッと冷たい視線になり、顔を顰める。
全てが茶番であったのだ。神無家の仕掛けた一世一代の劇であった。仕組まれた謀略であったのだ。
それを私はシンの即位式前日で知った。
どうしてだろうか。今思い出しても、なぜ宝物庫に向かったのか理由を思い出せない。
ただ、宝物庫に仕舞われた『アシュタロト』の首に話しかけていた。
私たちが力を合わせて、なんとか倒した魔神『アシュタロト』。青黒い肌に、二本の角を生やし、いかにも悪魔といった邪悪な様相だ。
あらゆる知識を持ち、知りたいことは全て教えてくれる魔神の首。
これからの未来で、幸福な人生が待っていると、ウキウキしながら尋ねた覚えがある。
ヒンヤリとした宝物庫。皇帝になるシンのために、保管してあった貴重なる魔道具や、様々な宝石や調度品を売ってしまったために、ガランとして寂しい光景の宝物庫。
スラム街を領地としたが、お金のないシンを支援するために地盤固めをするために使ってしまった。
皇帝となったシンは、神無家の跡継ぎとなった月とも結婚することになったために、資金は溢れんばかりとなった。
その時には聖奈の持つ資産は大きく目減りしており、皇族として活動する資金すらも厳しい状態となっていた。
皇族の力を削ぐためだと気づいたのは、『アシュタロト』の首に尋ねた時だった。
「『アシュタロト』よ。これからは私たちは平和で幸せな生活が待っていますか?」
それは単なる確認だった。兄が亡くなって以来、野心を持っていたことについて後悔し、品行方正な聖女を目指していた私は、お花畑となった頭で気軽に尋ねたのだ。
宝物庫の奥に鎮座している『アシュタロト』の首はゆっくりと目を開き、期待に満ちる私の顔をその瞳に映し口を開いた。
『そのような未来は存在しない』
たった一言かえされた言葉に戸惑い、困惑した顔で私は尋ね返す。
「な、なにか厄災があるということですか? でも、私たちにはシンさんがいますし、頼りになる仲間もいます! どんな困難も乗り越えてみせます!」
その時はそう考えていた。仲間の皆と力を合わせれば、どんな困難にも打ち勝つことができると。
心の底から、そう信じていた。
拳を握りしめて、真剣な私を見ながら、『アシュタロト』はせせら笑う。
『思い出すが良い。何度この話を繰り返したのかを。初めての会話でなにを知ったのかを』
「な、なにを……うぅっ!」
『アシュタロト』の言葉を聞いたとたんに、カチリと歯車が合うような音が聞こえた。
そして奔流の如き記憶が私を襲ってきた。
「こ、こんなことがっ! そんなっ、全ては嘘だった?」
『アシュタロト』は全てのことを教えてくれる。「本人が知りたくない、知らない方が良い」知識も伝えてくれる。
初めて『アシュタロト』と話した時のことが思い出される。シンの行動に僅かな欺瞞を感じて、即位式中にこっそりと『アシュタロト』に尋ねに行ったのだ。
その時に知った。神無大和公爵と組んで、神無シンが大勢を犠牲にして、私の家族も殺して、皇帝となったことを。
私はそんなことも知らずに、はしゃいでいたのだ。愛しているとシンを心の底から信頼して寄り添っていた。
ガタガタと身体が震え、床に蹲る。震えは止まりそうもなく、私は絶望の表情で『アシュタロト』の首を見つめる。
『記憶が戻ったのであろう? ならば、貴様は次に同じことを口にするのだろう?』
小馬鹿にしたように『アシュタロト』は声をかけてくる。
そうだ。私は願った。願ってしまった。
「アシュタロト……これを……いえ……やり直せるのですね?」
『知っているはずだ。我の残りし力を全て使えば、この世界を書き換えることができる。一瞬ではあるが神域を創り出し、始まりの時間と同等の世界を構築できるであろう』
その言葉は繰り返された内容であり、真実だと理解はしているが、それでも躊躇いを持ち、ゴクリと唾を飲み込む。
あらゆる知識を持つ『アシュタロト』は神域というものを創り出すことができる。世界を上書きできるのだ。
今生きる人々も死んだ人々も関係なく、新たなる記憶を上書きする。
ゲームのように、今ある世界をロードする。
過去に向かうのではない。現在の世界に過去の世界の全ての記憶を正確に上書きをするのである。
それは過去にループすることと同義ではあるが、酷く残酷なことでもあった。
今を生きる人々の記憶を全てなかったことにするのだから。
『何度目かはわからぬが、無駄であると告げておこう。記憶された通り、決められたことを繰り返しなぞるだけだ』
「……それでも……お願いしますっ!」
私の記憶も上書きされて消えてしまう。この話も全てなかったことになり、生まれた時に世界が書き変わるのだ。
そして、また同じことを繰り返す。
シンを助けて、愛してしまう。大勢の人々が死に、茶番だと気づくときまで。
即ち、『アシュタロト』の首と話した時に、上書きされた記憶が元に戻るまで。
人形劇の人形のように、一言一句同じ会話、同じ行動をとるのだ。
この会話も何回目かはわからない。なにせ同じ行動をしているので、何回目かはわからないのである。
百回繰り返しているのかもしれない。千回かもしれない。もしかしたら、途方もない回数をやり直しているのかも知れない。
それでも私のお願いは変わらない。それでも今度こそと願うのだ。
それはきっと何度やり直しても、その記憶が寸分違わず最初と同じだからだろう。精神的な疲労を感じることがないために願うのかもしれない。
でも、奇跡があるかもしれない。誰かが世界を変えてくれるかもしれないし、私が変えることができるかもしれない。
「お願いします。世界を書き直してください!」
『承知した。哀れなる娘よ、汝の願いを叶えよう』
『アシュタロト』の首が輝き始めて、世界が変わることが感じられる。
また私はやり直す。今度こそと願いながらも叶わないことを知りながら。
そう思っていた。今まではそうだった。
「世界を変えるだって? それは困るな」
「えっ!?」
宝物庫の扉からシンが入ってきた。怒っている。どこまで話を聞いたかはわからないが、能面のように無表情でも纏う空気でわかるほどに、静かに激昂していた。
「これから、僕は皇帝として生きるんでね。神無家の時代が始まるんだ。全ての富と力を集めて、ようやくのこと神無家が日本を支配する。そんな薔薇色の幸福な未来を途切れさすのは酷いんじゃないかな?」
薄笑いを浮かべて、カツンカツンと足音を立てて近づいてくる。
これがシンの本性だったのだ。力を求め、富を独占し、皇帝を目指していた男。
だが、なぜここに来たのだろうか? そんなことは今までで一度もなかったのに。
「『空間の魔女』が、君の挙動がおかしいと忠告してくれたのさ」
得意げに手を翳してくる。どうやらやり直しても同じことになるとの会話はちょうど聞こえなかったらしい。
ここで邪魔をしなくても、同じ結果になるというのに、声音に焦りが少し混じっていることに気づく。
「『アシュタロト』の首を残しておいたのは失敗だったよ。ここで破壊させてもらう!」
「な! やめてっ!」
「すまないね。君は幽閉した後に病死したことにさせてもらうよ。愛する『聖女』が病死。ふふっ、残る反対派に冤罪をかけることもできる」
『魔法破壊』
その手から、あらゆる魔法を破壊するとシンの得意魔法が放たれる。光弾は聖奈が反応する前に、輝く『アシュタロト』の首に命中した。
「なんてことを!」
「君の行動は全て無駄だった。いつだって無駄な行動なのさ」
その光景に青褪めてしまう私と、侮蔑の嗤いを見せるシン。
だが、『魔法破壊』で破壊されたはずなのに光はおさまることはなく、『アシュタロト』の首はガラスでも砕けたかのような音を立てると姿を変えた。
それはしわくちゃ顔の老人の首だった。『アシュタロト』の首はゲラゲラと狂ったように嗤う。
『ハハハ、見事。あやつの願いがようやく叶ったのか。繰り返されたことにより、この世界はボロボロだ。儂をよくもまぁこのような使い方にしたものだ』
初めて見る『アシュタロト』の真の姿に混乱する中で、全ては真っ白な光に覆われて……私はまた世界を書き換えた。
そして、今度の世界では意外なことに、数年前の大晦日に記憶が戻ったのだった。
なぜかはわからない。しかし、勝利さんの記憶が残っていることはわかった。
皇城と学院の往復しかしていない自分よりも遥かに色々な記憶を持つ勝利さんは、強くなり頼りになる。
なぜかこの間、記憶の揺り戻しのような行動をとってしまったが、その記憶も違和感と共に覚えている。
そして、この世界では神無家は追い詰められており、シンは余裕がなくなり、放逐などという茶番劇をしていない。ざまあみろです。
「瑪瑙家が潰れれば、神無家はいよいよ追い詰められます。記憶の通りにシンが皇帝になることは不可能なはず!」
既に死ぬはずだった多くの人々が助かっている。歴史は大きく変わっている。このまま神無家諸共シンたちを潰すのだ。
「粟国家も今回の『犬の子犬』商会買収に加わっていますよね。勝利さんに進捗を聞きに行くとしましょう」
ベッドから飛び降りると、すぐにダインを使って連絡をとる。
『勝利さん、今から遊びに行っても良いですか?』
『勿論です。歓迎のしゅんひひひをしておつますれ』
慌てて返してくれたのだろう。途中から文字がめちゃくちゃで押し間違えたのだとわかる。
勝利さんらしいですねとクスリと微笑むと、寝室から出る。
「これは姫様。どこかにお出でですか?」
「はい、勝利さんの所に行く予定です」
外で待機していた侍女が話しかけてくるので、ニコリと微笑み伝える。
「まぁ、それではおめかしをしませんと。ささ、こちらへ」
侍女たちが楽しそうに、わぁっと集まってくる。
「ふふっ、姫様は粟国のご子息と会う時は本当に楽しそうで、ようございます」
「……可愛く見えるようにお願いしますね?」
侍女の言葉に頬を僅かに赤く染めて、髪を弄りながら顔を俯ける。
昔と違い、今の勝利には感謝をしている。
だから少しだけおめかしをしても良いと思う。
その様子を侍女たちは微笑ましそうに見つめて、腕によりをかけて聖奈を美しく着飾るのであった。




