241話 流れ
どこのニュースでも、魔導学院中等部のオリエンテーリングでの襲撃事件が大きく取り上げられていた。
傭兵団長であるイミルの右腕とも言えるアンナルは『ユグドラシル』の本拠地である島に戻っており、休暇をとっていた。
少し寂れた喫茶店にて、コーヒーを飲みながら、端末を操作して掲載されているニュースを少し疲れた顔で眺めている。
「神無シン。失われし魔法を使う……か。へぇ〜、失われしっすかぁ」
この間の任務時に出会ったオリエンテーリングの時の子供を思い出し、眉を顰めながら呟く。
たしかにエーギルが過剰とも言える罠を仕掛けていたにもかかわらず、全てを跳ね除けてしまうとは驚きであった。
刀の腕も戦闘センスもかなりの力だ。正面から当たりたくない相手だと、未だに子供でありながらかなりの強さを誇るシンを見ながら思ったものだ。
「エーギルの旦那には悪いことをしたっすけど、団長の言うとおりになったっすね」
窓の外へと顔を向けて、最近めっきりと『ユグドラシル』の本拠地であるこの島に訪れる船が大幅に減り、寂れた埠頭を見ながらテーブルに肘をつく。
団長は今回の作戦は失敗して、神無シンの力を目の当たりにするだろうと予言めいたことを口にしていた。
たとえ、エーギルの旦那が本気になっても、互角以上に戦えると話していたのだ。
たしかにあの強力なフレッシュゴーレムたちを全て倒した姿を見た時は、演技ではなく本当に驚いたものだ。
そのまま退却したので、まさかアンナルたちとの戦闘が、ヤラセだとは思われなかったに違いない。
「これで大金が手に入るっすかね〜」
神無シンの活躍。その義妹の月と婚約者のエリザベートがどこのニュースももちきりだ。
勢力を失いつつあった神無家には良い宣伝となったはず。これで皇帝派と拮抗できるようになったのだろうか。しかし、少し懸念がある。
「ただ、皇帝派の活躍もニュースになっちゃっているんすよね〜」
なぜならば、弦神聖奈と粟国勝利、帝城闇夜と油気玉藻、秋田セイなどの皇帝派も活躍したとニュースになっているからだ。
本来は神無シンたちの一人勝ちであったはずなのに、残念な結果であった。
マナを全て吸収されて死ぬはずだったのに、マナポーションを用意していたのだ。さらにマナを回復する回復魔法使いもいた。
なので、殺されるどころか、対抗してきたのである。仲間も何人も倒されて、痛い結果となってしまった。
「エーギルの旦那が支援してくれれば、それでも殺せたはずだったのに……。逃げる演技早すぎっすよ」
当初の予定でも、エーギルは様子を見て逃走するはずだったが、いきなり逃げ始めてしまった。
「……なんでエーギルの旦那は逃げたんでしたっけ……いや、予定どおりだったんすよね。融通の利かない骨なんすっから。しかも行方不明になってしまったし」
なにか忘れているような気がするが、気のせいだろうとかぶりを振って、コーヒーをコクリと飲む。
エーギルは逃げた後は行方不明となった。教主は気まぐれな魔骸なので、逃げるなどと屈辱的な演技に耐えられず、姿を消したのでしょうとあっさりと流したが……。
「これで幹部は残り二人。泥舟になってきたんじゃないっすかね」
『ニーズヘッグ』から、そろそろ距離をとるべきではなかろうか。幹部が逃げ出す組織は、遠からず崩壊するというのが、アンナルの持論である。
「泥舟とは酷い言いようだね、アンナル」
「あ、団長どうもっす」
「アホヅラでコーヒーなんか飲んでんのかよ、アンナル」
ニュースを見ながら、この先どうしようかと考えるアンナルに、テーブルを挟んで団長が座った。手をあげて、店員にコーヒーを頼んでいる。
団長を護衛するかのように、アンナルを馬鹿にしたような顔でエリも座ってきた。
軽く会釈を返すと、銀の仮面をつけた団長はコクリと頷き、椅子にもたれかかる。
アンナルには仮面をつけているのがわかるが、『変装』の魔道具のため、他人には平凡な顔に見えているはずだ。
「ここはお膝元だよ。言動には気をつけたほうがいいと思う。ただでさえ、最近はピリピリしているからね」
ちらりとカウンターでコーヒーを作り始めた店員を見て注意を促してくるが、頭をガリガリとかいてアンナルは大丈夫ですよと小声で答える。
「ここらへんの区画じゃ、『ニーズヘッグ』はいないっすよ」
「油断はしない方が良い。どこに耳目があるかは、我々には完全にはわからないのだから」
「はぁ、たしかに……気をつけるっす」
一応謝罪の言葉を口にしながら、アンナルは懸念を伝えることにした。
「団長。新しい戸籍も買えましたし、もうここから出ませんか? 大金手に入ったんすよね?」
今回は貴族の子息たちを襲撃するというかなり危ない橋を渡ることになったのだ。報酬も飛び抜けた金額だったと記憶している。
傭兵をやり始めて数年。危険な臭いは金にもなるが、命の危険も高くなる。今回はそろそろ割りに合わなくなりそうな予感がするのだ。
「少しこの組織から距離をとりましょうよ。使い捨てにされるのは真っ平っすよ?」
「……たしかにアンナルの言うとおりだ。だが、少し問題があってね。神無家からの支払いが滞っているんだ」
「はぁっ? どうしてっすか! 俺らは仕事をしたじゃないっすか」
予想外の団長の言葉に思わず立ち上がり、詰問してしまう。エリが危険な光を目に宿すが、それでも団長へ険しい顔を向ける。
「すまない。とりあえずは前金は全員に渡しておいた。だが後金は金を用意するのに時間がかかるらしい」
「だって天下の神無家っすよ? そんなことありえないんじゃ?」
たしかに今回の報酬は大金であったが、神無家にとっては痛くも痒くもないだろうと、任務前に神無家の資産を確認をしておいたのだ。
恐らくは表に出せない隠し金を使うのだろうが、隠し金がなくても支払えることができる余裕があった。
「それがこれを見てほしい」
団長は自分の腕輪型端末を操作すると、ホログラムを映し出す。
「これは……『犬の子犬』商会の株価……随分乱高下してるっすね」
株価がストップ安からストップ高にと乱高下を繰り返している。株はあまり詳しくないが、普通の株価の動きではないことはなんとなくわかる。
「あの……これが?」
「神無派閥でも、懐刀と呼ばれている瑪瑙侯爵家が所有する『犬の子犬』商会が、大規模な空売りをされた後に、買い戻しをされているんだ。それどころか買収を仕掛けられている」
「あれ? 瑪瑙家は息を吹き返してませんでしたっけ?」
なんでそんなことになっているのかと、首を傾げてしまう。団長は苦々しそうな声で答えてくれる。
「魔石を流用した魔法無効化技術が、あっさりと役立たずになってしまったんだ。驚くことにね。革新的な技術だと株を買い込んでいた投資家が一斉に手放してきた。それを狙うように琥珀家や帝城家、粟国家、油気家、鷹野家が『犬の子犬』商会株の買い占めに走り始めたんだ」
「あ、あぁ〜っ! 思い出したっす! 鷹野美羽が使ってたっすよ! それでエーギルの旦那は逃げ出したんだった!」
思い出した! 鷹野美羽が香水を振り撒いたら、粒子は消えてしまったのだ。エーギルの旦那はそれを見て、慌てて逃げてしまった。
たしか香水は定価1万円とか言ってた。300億円の魔道具に対して1万円。『犬の子犬』商会にとっては致命的だ。
自分に関係ないことだから、忘れていた。………覚えていても良さそうなものだが、スポンと頭から抜けていたのだ。
「はっ、頭がスカスカのあんたらしいね」
「くっ、流石に反論できねえ……」
馬鹿にした顔のエリに、悔しそうな顔になり椅子に座る。なんでこんな重要なことを忘れていたんだか、自分でも驚きである。
「買収を防ぐために、神無家も資金を投入しているんだ。だから、手持ちの資金が枯渇し始めている。この騒動が収まるまでは待つしかない」
「なるほど……でも、それなら俺たちも無茶苦茶な仕事は振られないすっね。しばらくはのんびり休暇っすか」
金が手に入らないのであれば仕方ない。それに金での戦いならば出る幕はないし、『ニーズヘッグ』も動けないから、この地に残っていても大丈夫だろう。
「そうだね………私は少しやることがあるから、しばらく不在となる。その間の傭兵団の統括はアンナルに任せるよ」
「団長、どこかに行くんですか? それなら、あっちもついていきます!」
団長大好きなエリが絶対についていくと、お願いを口にするが、団長は意外なことに首を横に振って断る。
「すまない。ここは私だけで動きたいんだ。エリたちはしばらく身体を休めてほしい。『ソロモン』との作戦で疲れているだろう?」
「あんな作戦、たいしたことないですよ。あっちなら疲れもないです!」
「それでも休暇を楽しんでほしい。長い休暇をとったことなどないだろう? お金もあるんだ。本土に行っても良いよ。戸籍は用意できたんだろう?」
「あ、そこは大丈夫っす。もう大手を振って街中を歩けます」
胸を叩いて大丈夫だとエリは答えるが、それでも団長は頷くことはなかった。それどころか、しばらくは休暇をとるようにとは珍しい。
「団長はなにをするんですか?」
「少し調べ物があるのさ。なに、危険なことはないからね」
「……むぅ、わかりました。なにかあったらあっちを呼んでくださいよ?」
「あぁ、約束しよう」
不満そうだが、それでもエリは渋々頷き返す。団長は多彩な魔法を使い、身を隠すことにも長けているっすからね。自分が足手まといになると考えたのだろう。
「しかし、神無家も大変すね〜。今回の成功がぜーんぶおじゃんになるぐらい大変じゃないっすか?」
「……たしかにそのとおりだね。どうも……なぜか鷹野家の介入を私たちは考えない傾向にある。これまで以上に気をつけないといけないだろう」
そのセリフに違和感を覚えて、僅かに眉を顰める。
私たち? まるで団長が神無家と関係しているかのような口ぶりっすね……。
それならば、神無家に肩入れする理由もわかる。
団長の過去は聞いたことがない。傭兵は過去を詮索しないのが暗黙の了解だ。
だが、もしも神無家の一員だとしたら貴族である可能性もあるのだろうか?
団長が貴族……。どことなく不安が胸に生まれる。
「何かが変だ……。蝶を見つければ終わりではないのか?」
ポソリと団長が呟くが、不安を感じて考え込むアンナルは聞き流したのであった。




