226話 神無家の宴
神無家はその日、ささやかだが宴を開いていた。
元がつくが今でも神無家は力を保持している。宴とあれば大規模なものであり、一晩で億単位の金額が使われてもおかしくない。
しかしながら、今は上品な内装ではあるがこじんまりとした部屋で、神無大和公爵を含めて数人がいるだけだ。
寂しい限りだが、本人たちは機嫌が良くその顔には笑みが浮かんでいる。
「いやはや、ようやく『ウルハラ』、いや鷹野家への反撃ができますな」
小肥りでブルドッグのような顔の中年の男がワイングラスを揺らして、嬉しそうにグフフと嗤う。
「そうだな。この2年間でだいぶ瑪瑙家は圧されておりましたからね。本当に今回は良かったですよ、瑪瑙侯爵」
狐のように細目を薄っすらと開けて、目の前の男を瑪瑙侯爵と呼び、神無公爵はゆったりとソファにもたれかかる。
その余裕な態度と言葉に、ムッとした顔になる瑪瑙侯爵と呼ばれた男。
瑪瑙フェン。魔導兵器の大手メーカーで『犬の子犬』商会を率いる瑪瑙家のトップである。
ブルドッグのような顔立ちと小肥りの体格、そしてタレ耳とブルドッグのような尻尾を持つ男である。
「2年前のお披露目会が没落のきっかけだと言うのですか? たしかにロビンの間抜けが負けたために、『ウルハラ』の『ウォータン』の宣伝になりました。しかし、その後に売り上げも負けたのは相手の技術の為です」
「そちらの方が恥ずかしいのでは? 長きに渡り君臨してきた魔道具製造メーカーの言葉とは思えませんね」
窓際に佇むフードを深く被る女性が、馬鹿にしたようにクスクスと笑う。
「あの企業の技術は異常ですぞ! 天才的な魔道具作りがいるはず! 恐らくは噂されるドルイドの魔法使いでしょう!」
「たった一人の天才により、世界が変わる……。歴史にて稀に見られることですね。ですが、天才が常にその時代の勝者になるというわけではないでしょう」
「我が社の損害がどれだけあったのか知らないから、その余裕な態度をとれるのですぞ! たった2年間でどれだけのシェアを奪われたか……」
顎をさすり、神無公爵は余裕の態度を崩さない。対して、イライラとした顔になり、乱暴にワインを飲む瑪瑙侯爵。
小物じみた瑪瑙侯爵と、格の差がわかりますねと、対照的な二人を見て、フードを被った女性は紫色の唇を歪める。
「まぁまぁ、瑪瑙候爵。これからは反撃の時間です。『ウルハラ』はたった2年程度の天下だったんですよ」
唯一の子供が、空気が悪くなったので、とりなすように口を挟む。
この部屋にいるのは、神無公爵、瑪瑙侯爵、フードを被った女性、最後に神無シンであった。
瑪瑙侯爵もそれもそうだと、フンと鼻を鳴らすとテーブルに置いてあるローストビーフをフォークでグサリと刺す。
「『属性魔法無効化』技術。素晴らしいものです。あの技術があれば特化型の魔法使いなどは簡単に駆逐できる。これから残るのは固有魔法『狼化』などの使い手だけでしょう」
「あの試合を見て、目端の利く者は既に『ウルハラ』の株を手放し、『犬の子犬』の株を買い始めています。僕にもあの魔導鎧はどこで手に入れたのかと尋ねてくる人が多いですよ」
シンが瑪瑙侯爵に追従して、にこやかに笑う。
「そうでしょう。出力勝負を捨てて、魔法耐性に力を入れたのは間違いではなかった」
「どこからの技術か、私は興味があるのですが?」
フードを被った女性の問いかけに、ニヤリと瑪瑙侯爵は笑い、一口でローストビーフを口へと放り込む。
「それはもちろん我が社の天才魔法使いのおかげです。この技術により、世界は新たなる革新に入ったと言えるでしょう」
クッチャクッチャと汚らしい食べ方をする瑪瑙侯爵は、得意げに言う。
汚らしい食べ方であるが、これが神無公爵への嫌がらせだとわかっているので、皆は表情を顰めることすらしない。
いつもは貴族然とした上品な所作で瑪瑙候爵は食べるが、相手を苛立だせたいときや、なにかを遠回しに言いたい時には、自分の容姿を利用した汚らしい食べ方をしてくるのだ。
それは神無家の勢力が大幅に減じられていることに非難の声をあげているということだった。
「これで瑪瑙家は立ち直れるでしょう。後は神無公爵の勢力になりますが?」
小物なりに、鋭い目つきで睨むように見てくる瑪瑙侯爵に、神無公爵はワイングラスのワインを燻らせて僅かに沈黙する。
「現状で、我が家を監視してくる者は増えたか、シン?」
「はい。どうやら皇帝陛下直属の諜報員が数人。あからさまなので、本命は他にいると思われます。どうやら聖奈さんはいつでも遊びに行けるとアピールしているようですよ」
神無公爵がシンへと問いかけると、戯けるように答える。シンが試合に負けたことにより、堂々と監視をつけることにしたらしい。
「ふ。それで私の動きを止めたと考えているのならば楽観的すぎる。彼らが反対に我が家の潔白を証明してくれるだろう」
シンが負けたことは想定外ではあったが、それすらも利用すれば良い。第一目標であった新型魔導鎧の性能のお披露目は終わったのだ。
粟国家の炎を封印したことにより、その性能に太鼓判が押されたようなものだ。
第二目標である粟国家を取り込む作戦は失敗したが、全ての作戦が上手くいくとは考えていない。
謀略とはいくつも計画して、失敗の可能性を考えながら行うものだ。
息子であるシンは悔しそうだが、若いとしか言えない。挫折や失敗を知らずに育ってきたために、今回の敗北を気にしているようだが……。
「私がこの屋敷に訪れたことを知る者はいませんからね。今は瑪瑙侯爵との小さな祝賀会となるのかしら」
「『空間の魔女』と呼ばれる君は、誰にも気づかれることはないからな」
「『瞬間移動』は疲れるので、代金はその分上乗せでお願いします」
「もちろんだ。次の作戦は既に準備は終わっているのですよね?」
「もちろんです。準備は終わっておりますわ。後は作戦の開始を待つだけとなります」
『空間の魔女』と呼ばれた女性が、クスクスと笑う。その姿を見て、神無公爵は満足そうに頷く。
この女の仕事は完璧だ。これまで失敗したことはない。その分、金はかかるが信頼できる。
「それはどのような作戦なのですかな? 私もお手伝いできるかもしれませんぞ?」
興味深げに身を乗り出してくる瑪瑙候爵。目を爛々と輝かせて、美味い話ならば一口噛ませてくれと、その醜悪な笑みを見せてきた。
「単純な作戦ですわ。魔導鎧がさらなる活躍を見せる作戦とだけお答えしますわ」
そっと頬に手を添えて、怪しげな笑みを作る『空間の魔女』。
「おぉ、それは素晴らしい。そこには神無公爵の復権も含まれている?」
「ノーコメントと答えましょう。知らないならば、尋ねられても問題はないでしょうからね」
瑪瑙侯爵は、その作戦内容が気になったようだが、神無公爵は肩を竦めて、答えることはしなかった。
「秘密の作戦は、知っている人が少なければ少ないほど良いんですよ、瑪瑙侯爵」
シンの言葉に、ううむと黙り込み追及をやめる瑪瑙侯爵。たしかにそのとおりだと考えたのだろう。
作戦がバレても、知らぬ存ぜぬを貫き通せる。その方が良いだろうと瑪瑙侯爵は判断した。
どうやら成功すれば、またも魔導鎧の宣伝になるというのだから、果報は寝て待つことにしよう。
「賢明なご判断、ありがとうございます、瑪瑙侯爵」
頭を下げてシンがお礼を口にすると、瑪瑙侯爵は頷き返すのであった。
そうしてささやかな宴はしばらく続き、これからは瑪瑙家の反撃だと叫びながら、ご機嫌で酔った瑪瑙侯爵が帰宅する。
神無公爵とシン、そして『空間の魔女』だけとなる。
「やれやれ、ブルドッグ侯爵は騒がしくて困りますね父さん」
瑪瑙侯爵を蔑むシンを、神無公爵は睨みつける。
「口を慎めシン。どこで人が聞いているのかわからぬのだ」
「大丈夫ですよ。その場合は実は僕は死んだはずの太陽だったということにします。どうやら勝利君はそう考えているようですし。となると同じことを考える人たちは少なからず存在するかもしれません」
シンは勝利の推理を正確に読み取っていた。あの少年は顔に出やすいので、なにを推理しているのか、決闘をいきなり持ち込んできたことから、明らかだったのだ。
「油断は禁物ですよ、シンさん? 貴方が放逐されることから始まる遠大な作戦は、開始前に終わってしまったのですからね」
「鷹野家か………あの家門があれだけの力を持つとはな。我々の作戦が裏目裏目に出てしまっている」
本来は既にシンは『マナ』に覚醒しなかったと放逐する予定であった。しかし、その全てがおじゃんとなってしまっている。
「魔法が使えないように演技をしていたのが、全て無駄になりましたからね。僕としても大ショックですよ」
軽口を叩いて笑うシンの姿にはショックを受けたようにはとてもではないが見えない。
だが、神無家が十年をかけて計画していたものが、全て無に帰したのは間違いなく痛手であった。
「シンさんは、善人の方がよろしいと思いますわ。決闘でも余計な一言を粟国勝利に言ったのでは?」
「太陽だと思われているから、その推理に裏付けを与えたんだよ。計画通りだから大丈夫」
『空間の魔女』へとウィンクをしてシンは戯ける。その軽い態度を見て、クスリと『空間の魔女』は微笑み返す。
「ならば、今回のオリエンテーリングも大丈夫なのですね?」
「もちろん。父さんお任せください。既に『ニーズヘッグ』にも渡りはつけていますから」
「これが終れば『ソロモン』との作戦を開始する。シン、『空間の魔女』よ。二人とも任せたぞ」
「任せてよ、父さん」
「はい。全ては上手くいくことでしょう」
得意げにシンが礼をして、『空間の魔女』もコクリと頷く。
「これからの作戦が上手くいけば、『協力者』と行動を起こすつもりだ。その日を楽しみにしている」
神無公爵が立ち上がり、部屋から出ていく。シンも同じく立ち上がると『空間の魔女』に顔を向けて挨拶をする。
「それじゃあ、よろしくね師匠」
「? 貴方の師匠になった覚えはありませんが?」
「おっと、そうだったね。間違えたよ。おやすみ〜」
可笑しそうに笑うと、手をひらひらと振って、シンも部屋を出ていく。
ポツリと残った『空間の魔女』はクスクスと笑う。
「師匠になった覚えはありませんよ、シン。えぇ、弟子だと思ったことは一度もありません」
そうして『瞬間移動』の魔法陣を描くと、部屋の扉をちらりと見る。
「だって弟子にすると生贄にするのに罪悪感が湧きますからね」
魔女の姿はかき消えて、その呟きは誰にも聞かれることなく空気に溶け込み消えるのであった。
原作において、お人好しの正義感の熱いシンと、隠されしシンの才能を見抜き鍛え上げた『空間の魔女』。
そのような姿はどこにもなかったのである。




