217話 2年後なんだぞっと
2年後である。
空は雲一つない青空で、春めいた陽気なそよ風が吹く。
帝都にある広大な敷地を持つ鷹野家では、朝早くから多くの人々が忙しそうにしていた。
スリッパを履いて、パタパタと廊下を歩き回るメイドや、衣替えだと部屋のカーテンを外して、山のように積み重ねている侍女。
庭師は、庭の花壇はどのような形にしようかと迷い、執事はそれぞれ今日から始まる仕事について話している。
皆が忙しく働いている中で、鷹野家の当主である鷹野美羽は自室の窓から入ってくる心地良いそよ風を頬に受けて、春を感じていた。
以前から集めていたぬいぐるみは多すぎたので、選抜した物たちだけとなっている。ウサギさんから、ライオンさん、どうしても居座るアリさんなどが並び、キングサイズベッドに、上品な内装のソファやテーブルや、調度品が置かれていた。
春爛漫、桜花びらがひらひらと舞い散り、枝に緑が見え始めお花見が終わりそうな季節。今日からは中学生だと、ふかふかで身体が沈み込むほどのソファに座りながら腕組みをして感慨深くしていた。
「今日からは中学生だね」
ぴよぴよと雛のような可愛らしい声で呟き、両手をあげると起き上がろうとした。
「抜け出せないよ。誰か助けて〜」
このソファ、ふかふかすぎて抜け出せない。感慨深くというか、深く座りすぎて抜け出せないみーちゃんである。
あうあうとオットセイのように声をあげて抜け出そうとするが、小柄な体躯の少女では抜け出すことはできなかった。
「そのソファは特注品ですからね、ご主人様」
着ているメイド服がすっかり板につき、2年の間にすっかりメイドらしくなったニムエが、穏やかな笑みを浮かべて、たおやかな動きで隣に座った。
「どこまで柔らかさを追求できるかを試したんです」
昨日設置したばかりのソファは、ニムエが選んだらしい。そのまま、フワァとあくびをして、むにゃむにゃと口を猫のようにする。
「ふむふむ、快適さを確かめるために、昼寝しますね」
おやすみなさいと、目を瞑るニムエ。そのままソファという底なし沼にずぶずぶと沈んでいった。
どうやらメイドらしさは見かけだけだったようだね。堂々と昼寝をするとは図太さはパワーアップしていた。
「地獄を味わいたいようなので、運んで逝きますね」
「アブッ」
蘭子さんがいつの間にか、ソファの後ろに立っていて、沈んでいったニムエをむんずと捕まえてジャーマンスープレックスを喰らわせた。
それは綺麗なジャーマンスープレックスで、二人の間の絆が深まっていることがよくわかる。良かった良かった。
「美羽様、髪をお梳かししますので、こちらへどうぞ」
「はぁい」
頭を押さえて痛がるふりをするニムエを叩いて、蘭子さんがヘアブラシを手に持つ。
底なしソファから、みーちゃんを引き出してくれて、鏡台の前に座らせてくれた。
「随分、髪が伸びましたね」
「たまに毛先を揃えるぐらいだから、かなり伸びたよ」
スイッと優しくヘアブラシで髪を梳かしてくれる。
灰色の髪は艷やかで、まるで絹糸のような滑らかさだ。天使の輪ができており、腰まで伸びていた。
ぱっちりとした深いアイスブルーの瞳は、知的な光を宿しており、幼さの消えた顔立ちは可愛らしいより、美しい。
「ふふ、美羽様はいつ見ても可愛らしいですね」
美しいよりも可愛らしいと、蘭子さんが言うので、プゥと頬を膨らませて口を尖らせる。
「もう美少女だと思う。クール系の美しい少女に見えない?」
「いえ、まだまだ幼さもあり、美羽様は小柄ですし可愛らしいですよ」
他者視点だと、少しイメージが違うみたい。美しいと思うんだけどなぁ。身長はあまり変わらないし、装甲も変化はないけどさ。
髪を梳かされていると、ニムエがココアを置いてくれるので、クピリと飲みながら端末を操作する。
ホログラムが目の前に映し出されて、見たい内容をチェックする。
「遂に『ウルハラ』製の魔導鎧『ウォータン』が武士団に制式採用だってさ。上手くいけば、軍にも採用。魔道具会社の勢力図が変わる? だってさ」
「汎用魔法陣『カレン』が発明されてから、『ウルハラ』の躍進が著しいですよね」
「カレンさんは、恥ずかしがってたけど、大金が入って家門が復興できて喜んでたよ!」
オーディーンのお爺ちゃんが発明した能力向上魔法陣『カレン』は、今や広く世界に広がっている。5%の出力を簡単に上昇させる夢の魔法陣だからだ。
今や、『魔法隠蔽』を使える加藤家は大人気だ。弟も呼び戻して、親戚一同も集まり、専用機用への付与から、汎用魔法陣の作成まで忙しい。
「今や、縁談が断っても、断ってもくるらしいよ」
もう暗い夜道を歩かなくてもよくなったカレンは、反対に縁談の嵐に嬉しい悲鳴をあげているらしい。
「美羽様も縁談は山のように届いておりますよ?」
「一番上はなぜか闇夜ちゃんか、玉藻ちゃんだけどね。なんであんな悪戯をするんだろ。天丼はいけないと思うんだ」
いつも縁談の写真の山の一番上は二人のどちらかだ。面白がるんだから、まったくもぅ。繰り返し同じネタを使ってはいけないと思います。漫才には少しうるさいよ。
「『ウルハラ』に投資して良かったですよね。『ウルハラ』に投資している鷹野家と、共同して魔道具の開発をしている油気家は、莫大に膨れ上がった利益を享受していますし」
「擦り寄ってくる貴族も列を作るほどに多くなっているけど。毎日、パパ大変そう」
「そういえば、ご主人様の中学入学を祝って、大量のお祝いの品が届いていますよ」
着替えをさせてくれるニムエが話に加わる。
「食べ物は腐りやすいので、すぐに食べておきました。他はちゃんと倉庫に仕舞っておくように指示を出したので完璧です。ちゃんと目録も作っておくようにしてあります」
えっへんと胸をそらして自慢げに言うニムエだが、指示を出したのかぁ……。というか、食べたの?
「どのメイドさんに指示をだしたの?」
「茶髪でそばかすの……名前は忘れましたがメイドです」
仕舞った物の中で、貴金属類はたぶん返ってこないと思うんだ。どうやって、棚卸しを誤魔化しているんだろ、フリッグお姉さん。
丁寧な手つきで髪を纏めてくれて、ハーフアップにしてくれる。ハーフアップはお気に入りなんだ。
セーラー服のみーちゃんに装備チェンジした。
「可愛らしくできましたよ、美羽様」
「ありがとう、蘭子さん」
立ち上がるとくるりと回転して、フレアスカートを広げさせて、鏡の前でぱちくりウィンク。さらっとした髪の毛、ぱちくりおめめの可愛らしいお嬢様の出来上がりだよ。
「深窓のお嬢様が出来上がりだね!」
「深淵のお嬢様の出来上がりですね」
ニムエが言い間違えたので、蹴っておく。段々扱いの悪くなるニムエだが自業自得です。なんだよ、深淵のお嬢様って。みーちゃんはどこかの旧神かよ。
「それじゃ、朝食を食べに食堂に行こう」
てってと歩いて、食堂に向かう。家族と一緒にご飯、ご飯。
後ろに蘭子さんとニムエをつけて、長い廊下を歩き食堂の扉を開く。家族専用の食堂は畳敷きのこぢんまりしたお部屋で、皆は既に座布団に座って待っていた。
「おはようございます、パパ、ママ、空、舞」
「おはよう、みーちゃん」
パパは少し顔つきが精悍になった。2年の間に貴族との駆け引きで、風道お爺さんにだいぶ鍛えられたらしい。今は結構強かに行動をすることもあるのだ。
「ふふっ、今日も元気ね、おはよう」
穏やかな笑みでママがニコリと優しげな微笑みを浮かべる。穏やかに話して、駆け引きをほとんどしないママは安心して友達になれるので、社交界にて優しい女神のようだと言われている。
そのため隙だらけだと考えて、嫌がらせや謀略を仕掛けてくる奴らがいるけど、なぜか軒並み酷い目に遭う。フシギダネ。
「おはよー、みぃねぇ」
「おはよ、みーねーたん」
弟妹は背も伸びて、病気もほとんどせずに元気いっぱいだ。
ニコニコと笑顔で挨拶を返してくれるパパもママも、相変わらず仲が良い。弟妹はちっちゃな手をぶんぶん振って、とっても可愛らしい。
満3歳となって、もう屋敷をてこてこと走り回って、メイドさんたちが追いかけるのが日常だ。
「みぃねぇ、見てみて!」
空がフンスと立ち上がると、細っこい手を掲げて、エイヤと畳に手をつけるとコロリンと転がった。
「あたちも、あたちも! できるの!」
舞も弟に負けないよと、フンフンと鼻を鳴らすと転がろうとしたが、コロリンと転がったあとに起き上がれなかった。いかっ腹だと、転がるのは難しいらしい。
「しっぱいしちゃった……」
うりゅりゅと、目に涙を溜め始めるので、素早く駆け寄り抱きしめる。
「大丈夫だよ、舞。今度のお休みにケーキを食べながら練習しようね! もちろん空も一緒に」
「れんしゅー?」
「うん、練習しようね! 私が手作りのケーキを作っちゃうよ!」
この2年で生産系統のジョブは全てマスターにしたのだ。『料理人Ⅳ』をマスターしたみーちゃんの腕前を見せちゃうよ。
「うん、れんしゅーする! くるまさんにかてるようにがんばる!」
「ぼくもれんしゅーする! そらをとべるようにする!」
ムフンとサムズアップして、みーねーたんに任せなさいと言うと、泣きそうだった舞が笑顔になって、抱きついてくる。空もそれをみて、飛び込んでくるので抱きしめ返す。
二人の体温と柔らかさが感じられて、笑顔が可愛らしくて、幸せだよ。この世界では仲が良い家族で幸せだ。
前世では……前世の記憶もだいぶ薄れている。もはや中の人は普通の時は表に出てこない気がする。
裏では? 謀略や戦闘は優しいみーちゃんには似合わないのさ。
えへへと姉弟妹で、抱きしめあっていると、コホンとパパが咳払いをした。
パパとママともハグして、愛情を示さなきゃと、3人でトテトテと近寄り、ハグを繰り返す。
クスリと笑って頭を撫でてくれるので、嬉しくなる。今日はきっと良い日になるね。
「うん、みーちゃん。あんまりでんぐり返しで危険なことはしないようにね?」
「この間、猫を助けるためにトラックをでんぐり返しで吹き飛ばしたでしょう?」
「猫さん、助かってよかったよね! 私も異世界に転生しなかったし!」
あれは危なかった。まさかのテンプレが発生したけど、ダメージを負わなかった。でんぐり返しは最強だよね。
「猫さんを助けたのは偉いよ。でも、空と舞が真似しないようにしないと。危ないからね?」
「はぁい。危なかったら、止めるね!」
「みーちゃんの言葉は気をつけないといけないからなぁ」
苦笑してパパは座り直す。それだと、なんかいつもみーちゃんが言葉遊びをしているように聞こえちゃうよ。酷い風評被害だ。
「さて、朝ご飯を食べようか。今日は入学式だしね」
パパの言葉に頷いて、いただきまーすと、仲の良い家族は朝食を食べるのであった。
うん、このだし巻き卵美味しい。




