21話 描写されない一場面
勝利はガクガクと足を震わせて、帰りのリムジンに乗ろうとしていた。容赦のない父親の強烈な拳の一撃で、9歳の身体は足にきている。震えを止めることができない。身体も震えているのは、怒った燕楽が恐ろしかったせいもあった。
粟国公爵家は愛のない家庭だ。だが、この父親が非情ではないことを勝利は小説で知っていた。
燕楽は豪放磊落な武人。力のある熱血漢の人間を好む。そのため、勝利のような努力もせずに、公爵家の権力を背景に、召使いを痛めつけて、取り巻きを作り、遊んで暮らしている人間を嫌っていた。
事実、小説では勝利の弟と共に、火の試練を受けに来た主人公が力を示した時に、気に入っている。その後は何くれとなく主人公のサポートをしてくれた頼りになる男なのだ。
しかしながら、勝利は嫡男であり、その力も優秀であったために目を瞑っていたと、主人公に謝罪するのだ。
勝利はそのことを知ってはいたが、それならば嫡男の座を追い落とされないように、致命的なミスをしなければ良いと考えて、小説どおりの性格で暮らしていた。
なにせ、やってみてわかったが、召使いたちを殴る蹴るして、召使いたちが、こちらの顔色を常に窺うような卑屈な顔をしてくるのが、素晴らしく快感だったからだ。
前世と違う。親は蔑みの表情を浮かべて、そろそろ職につきなさいと、ふざけたことを言ってきていた。金が無いとケチり大学に行かせなかったのは、両親のせいではないか。なぜ蔑みの表情で見てくるのか。内心で常に不満は燻っていた。
だからこそ、この人生は好きに生きようと決めていた。殴った時の快感。炎の魔法を前にして、逃げ惑う姿。素晴らしかったのだ。
これだけ酷いことをやっても主人公に負けるまでは嫡男の立場だったのだ。燕楽は古い性格なのだろうと考えていた。
だからこそ、今回の失敗が怖かった。嫡男の座を追われる可能性があるからである。
また、殴られる可能性もあると、対面に座り腕組みをする親父を盗み見る。親父は勝利の視線に気づくと睨むように顔を近づけてきて、髪の毛をグイと乱暴に引っ張ってきた。
痛さに震える勝利に、親父は口を開き、告げてくる。
「もう少し上手くやるんだな」
「は?」
予想外の親父の言葉に、勝利はぽかんと口を開けて尋ね返す。乱暴に勝利を投げ捨て、椅子に深く座り直すと、ニヤリと燕楽は威圧感のある笑みを見せる。
「なにをしたかった? 侯爵家の力が見たかったか? からかうためだったか? どちらにしても、馬鹿なことをした。まぁ、ストーンゴーレムが破壊されるのは予想外だったし、帝城の娘と鷹野の娘が逃げないで立ち向かうのは俺にも予想できねぇ。普通は逃げるからな」
「は、えと、その、お、女、回復魔法使いの女の子に、その、縁を持ちたくて………。助けに入れば、仲良くなるかと、その……」
口籠りながら、勝利は思惑と別のことを口にした。まさか転生者の力を測りたかったとは言えない。それに真実も混ざっており、嘘は言っていない。
「白馬の王子様ごっこかよ。ガキだな。まぁ、良い。これで縁はできただろ。粟国家にとっても良い話だ。良くやった」
「よ、よくやった?」
あまりにも予想外の言葉に、オウムのように繰り返す勝利だが、面白そうに燕楽は説明を始めてきた。
「僅か9歳の少女がストーンゴーレムを破壊した。戦闘を見ていた者によると、どうやら『魔導鎧』にもマナを送らずに、全マナをメイスに注ぎ込んで倒したらしいな」
「は、はい。そのとおりです父上」
勝利もストーンゴーレムが破壊される様子は見ていた。信じられないことだが、メイス一本でストーンゴーレムを砕いたのだ。しかも『魔導鎧』を起動させることなく。逃げる際は起動させていたことから、攻撃時は全マナをメイスに注ぎ込む荒業を使っていたのは明らかだった。
「とするとだ。美羽って少女はストーンゴーレムを倒せるマナ量を持っている。莫大な量だ。うちのお抱えの回復魔法使いなど比べ物にならないだろう」
粟国家には回復魔法使いが2人いる。二人ともに、欠損は治せないが、深い傷も治せる力の持ち主だ。ただ、マナはそれほど持っておらず、1日に2回使うとマナは枯渇してしまっていた。
「そんな少女と縁ができた。悪縁も縁の内だ。後はお詫びと称して、贈り物を送り、パーティーに招待したり、旅行に誘うのも良いだろう。家で囲いたい。そのために高額で希少な魔法宝石を詫びの品として渡したんだ。鷹野芳烈は人の良さそうな男だから、貰った魔法宝石のことが記憶に残り、断りづらいと思うだろうよ」
「は、はぁ……でも、あの子は帝城侯爵家が囲っていますよ父上」
「だな。できりゃあ、ルビーを受け取ってもらえれば良かったんだがな。そうしたら、炎の象徴であるサラマンダーのルビーを帝城侯爵家は受け取り、うちの派閥に入った、傘下になったとの噂を流すことが出来たんだが……あの野郎、読んでやがった。本当はエメラルドも受け取るなと言いたかったんだろうが、娘のために受け取ろうとする鷹野の姿を見て止めたんだろうよ。悪印象を与えちまうからな」
「そこ、そこまで考えて父上はルビーを渡したのですか?」
勝利はあの時の様子を思い返すが、そんな思惑が混ざっているなど、さっぱりわからなかった。あの場で親父の思惑に気づき、現金として謝礼を受け取ると答えた帝城王牙の思考に怖れを抱いてしまう。
もちろん、目の前の親父のことは言うまでもない。
「高位貴族ってのはな、単なる一挙動にも意味をもたせるんだ。お前はまだ9歳だが、公爵家の跡取りだ。覚えておけよ。お前の弟はどうも素直すぎて不安を覚えるからな」
そうなのかと、勝利は驚きとともに、背中に冷たいなにかが通っていた感じがしてゾクリと震える。高位貴族の恐ろしさを垣間見てしまったのだ。
弟はたしかに、絵に描いたような、豪快な男だった。複雑なことは考えずに、正義感を持った熱い男である。なにくれと主人公と一緒に猪突猛進という表現が相応しい男。それが勝利の弟だからだ。
親父の眼鏡に適うとは到底思えなかった。そして、自分が嫡男の地位を追われなかった理由を今更ながらに理解した。
「まぁ、帝城は怪しんでこちらのお詫びの品は受け取らないとは思っていたがな。うまくいけばラッキー程度だった」
うまくいかないと思っていたらしい。自分が帝城と同じ立場なら喜んでルビーを受け取ってしまったに違いない。
「策はまだある。こちらが本命と言っていい」
「策ですか?」
「そうだ。噂を流す。帝城家は希少なる回復魔法使いの護衛を引き受けて預かっているにもかかわらず、危険に晒した。護衛としては不十分なために、粟国家から貰った魔法宝石を常に鷹野の娘は懐に入れているとな」
悪辣な考えであった。エメラルドを渡したのにも意味があったのだ。勝利は驚きと共に、自分が主人公に対して、ざまぁ返しなどという、しょぼいことを考えているのが、急に恥ずかしくなってしまう。
だが、すぐにその考えを捨てる。逆にざまぁを行い主人公とヒロインの絶望の顔を見たいのだ。馬鹿なことを考えてしまったと、記憶から勝利は羞恥の気持ちを捨てようとかぶりを振る。
自分は神なのだ。『魔導の夜』のストーリーは最終回まで知っているし、設定集も読み込んだ。キャラの性格も読み込んだから知っている。神の存在なのだから。好きなようにやって良いのだ。
気を取り直すと、親父との話に意識を向ける。
「その程度の噂で、どうにかなるのでしょうか?」
「もちろん、無理だろうな」
あっさりと答える親父。それならば、無駄なことをするだけだと勝利は考えるが、その表情で何を考えているのか読まれたらしく、親父は鼻で笑う。
「鷹野伯爵家と組むんだ。俺が、謝罪する時に、鷹野伯爵家のお嬢さんと口にしたのを覚えているか? そうだ、俺は回復魔法使いのお嬢さんを伯爵家の一族と考えていると、あの一言で表したわけだ」
「は、はぁ……」
それの何がまずいのか勝利にはわからず、ぼんやりとした相槌を打ってしまう。
「まぁ、お前はまだ9歳だからな。知らなくても無理はねぇ。鷹野美羽ってのはな、鷹野伯爵家から放逐された芳烈の娘なんだ。平民落ちした芳烈の娘が、回復魔法使いとして覚醒したから鷹野伯爵家は大騒ぎだ」
「そうなんですか? たしかに回復魔法使いは希少ですが、平民落ちした娘なんでしょう?」
もはや何を言っているのか、理解できずに、またもやオウムのように燕楽の言葉を繰り返した。
「平民落ちさせちまったから、慌てて鷹野伯爵家当主は迎え入れようとした。だがなぁ、そこで何があったかは知らんが、帝城家が横からかっさらっていったんだ。帝城家は回復魔法使いがいない家門だからな。是非とも欲しかったんだろう」
リムジンのドア脇にある小さなチェストから、ウイスキーの瓶を取り出すと、燕楽は蓋を開けて直飲みをする。ごくごくとウイスキーを嚥下して、口元から垂れたウイスキーを手で拭き取る。
「もちろん、鷹野伯爵は抗議した。だが、あそこは最近落ち目でな。馬鹿な嫡男の会社経営は赤字だらけ。嫡男の家族は浪費癖もあり、人脈作りにもその尊大な態度から嫌われて、失敗している。力を無くした伯爵家の抗議なんざ、帝城家には痛くも痒くもないだろうよ」
興に乗ってきたのか、自分の作戦を話したいのか、機嫌よく燕楽はもう一度ウイスキーをグイグイと飲むと空にして、テーブルに乱暴に置いた。
「だがよぉ、鷹野伯爵の言っていることは表向きは至極まともなんだ。放逐した息子と仲を戻したい。可愛い孫と暮らしたいってな。哀れな老人の同情心を誘う物語ってわけだ。それを帝城侯爵家は邪魔している。いかに侯爵家といえども非道すぎるとな」
「なるほど……貴族に戻すんですよね? 平民から貴族の暮らしに戻れるなんて良い話はないと思います」
シンデレラストーリーだ。あの灰色髪の美少女にふさわしいと、勝利は頷き同意する。
我が意を得たりと、狡猾そうな目で燕楽は嗤う。
「だよな。なので、少しばかりどこかの公爵家が可哀想な回復魔法使いの少女を取り返す手伝いをしても良い訳だ。幸い、謝罪としてのお詫び、縁を俺らは作ることもできた。すぐにとはいかないが、数年後にはうまく伯爵家は取り返すことができるかもな、そして、公爵家の者と婚約するかもしれねぇぞ」
クックックと含み笑いをする燕楽を見て、そこまで長期計画を練っているのかと、驚きを隠せない。
小説ではこんな事はなかった。前半で謀略が練られて、後半で主人公がその謀略を暴き、活躍する。一週間程度の謀略だった。それに比較して、なんと迂遠で遠回りで、そして狡猾なのだろうか。
そういえば、原作でも燕楽はガハハと大笑いをして、気に入ったと主人公を助けていたが、その心情は描写されていなかった。その行動から、豪放磊落で単純な正義漢なのだろうと思っていた。
だが、本当は何かしらの謀略を裏では考えていたとしたら? 主人公の影響力やその力を利用していたら?
原作と燕楽は違いすぎると思っていたが、本来はこのような性格だったのかもしれない。
ふと、他の人も原作のイメージと違うのではとゾクリとする。ヒロインたちはちょろいんたちであったが、もしもそれは見かけだけだったら?
「いや、そんなわけない……そんな訳はない」
僕は全てを知っている神なのだと勝利は思い込もうとするが、どうしても、その心のしこりは消えることはなかった。




