209話 カレンのお財布事情
「良かったです、3億円を持って白バイに乗って逃げちゃうかと少し不安だったので」
無邪気な表情で、幼い美少女が椅子からウンセと降りてきて挨拶をしてくる。どういう意味かセリフの後半はよくわからない。
「アンタから金を持ち逃げして逃げようなんて、馬鹿なことを考える奴はいねーっつーの」
先に行ったルグが、端末に齧りついて何やら夢中になって何かデータを見ながら口を挟む。
たしかにそうだとカレンも内心で同意する。この少女から逃げたらどんな目に遭うかわからない。
それに身体が震えるほどに怖いが、それと一緒に離れがたい強力な魅力もあるのだ。こんなに幼く見えるのに、不思議なことだが、魂が強烈に惹かれる感じがする。
「加藤カレンさん、ですか? 私は帝城闇夜と申します。よろしくお願いしますね? そちらのルグさん? もよろしくお願いします」
「油気玉藻! にっしっしっ〜、よろしくね、二人とも!」
「ルグ・ドーヴェルちゃんだっ!」
側に立っていた少女二人が近づいてきて、挨拶をしてくれる。……が、なんとなく怖い感じがする。特に黒髪の少女は目にハイライトがないんだけど、怖いんだけどっ。
よくよく見ると、ルグの肩は震えており、既になにか威圧されたようであった。夢中になって端末を見ているのは、ただのフリだ。
「この人が油気子爵さん! 玉藻ちゃんのパパさんです。それでこのお爺ちゃんが私のししょー。そんで、私の大好きなパパです」
「加藤カレンと申します、よろしくお願い致します」
この部屋にいる人たちを、片手をあげて元気いっぱいな笑顔で紹介する鷹野美羽様に、こういう姿は普通の少女にしか見えないと思う。
鷹野芳烈様と油気子爵は名前を知っている。『魔法の使えない魔法使い』と『魔道具の大家』だ。スーツ姿で二人とも優しそうな顔つきだが、既婚者なのでパスである。
最後の一人はよく知らない。最新の魔道具や、最新機器、綺麗に揃えられた器具に似つかわしくない、ボロいコートを着たボサボサの白髪を顎下まで伸ばしている貧乏くさい爺さんだ。
だが隻眼の爺さんは、言っては悪いが鷹野芳烈様と油気子爵とは格が違う強者の雰囲気を醸し出している。
そしてししょーと紹介されたことから、その正体にも予想がつく。ドルイドの大魔道士だ。
ウルハラに出入りしているとは思ってもいなかったが、なるほど大魔道士を密かに雇っていたのね。
「それにしても3億円あれば、しばらく贅沢に暮らせると思ったんですけど?」
ぽてぽてとちっちゃな手足を振って近づいてきて、コテリと愛らしく小首を傾げて鷹野美羽様が尋ねてくる。
「あぁ……全部使っちゃいました。家の借金を返して、孤児院に寄付をして……」
「家の借金? あぁ、大友伯爵が破産したから、立て替えていたお金を返すことができなくなってたんでしたね」
「あ、ははは。大友伯爵って初めて聞きましたけど、どなたでしたっけ」
空笑いをして、頭をかきながら目を逸らす。
あれから大友伯爵は、あからさまに敵と手を組んでいたのが丸わかりだったので、財産没収、爵位剥奪でめでたく刑務所行きになった。
さすがに大型魔導鎧に乗って支援に来たのは無理があるし、証言や証拠から真っ黒となったので。
本当に刑務所行きになったかもわからない。未だに尋問を受けていてもおかしくない。
そんな大友伯爵とかかわりがあったなどとは認められないのだ。様々な準備に3億円かかったとしても、涙を飲んで自分で支払うしかなかった。
あのアホめ。魔道具はたけーんだよ、本当に最後まであの男はろくなことをしなかった。
「それでも孤児院に寄付したんですか?」
「あ、はい。数百万ですが……。魔法使いの孤児院です。あそこは魔法使いの勉強もできますし、貴族からの仕事の斡旋もありますので」
よくわからないと、不思議そうにする鷹野美羽様に、鷹野芳烈様と油気子爵が話を繋いでくれる。
「魔法使いの孤児院は、専門的な魔法の勉強もできるんだよ。だから孤児以外にも学院に行けないレベルの魔法使いが勉強に来たりする。あそこは孤児院というより……小さな魔導学院みたいなものだからね」
「孤児院という響きから、勘違いをしやすいんだけど、魔法使いの孤児が集まるだけあって、その生活レベルは……まぁ、そこは美羽ちゃんが知らなくても良いことかな」
「はぁい」
鷹野芳烈様に頭を撫でられて、うにゃあと気持ち良さそうに目を瞑る鷹野美羽様。
たしかに魔法使いの孤児院はろくでもない。知らなくても良いことだろう。
弟に勉強させるために必要な寄付金だったのだ。これで弟はカレンよりも良い仕事を探せるに違いない。
「あーっ、つまんねーこと言ってるよなっ! それよりも聞いた実験をやろうぜ!」
「うむ、くだらない話は充分だ。加藤といったな? 『魔法隠蔽』をこの宝石にかけるがよい」
ルグが苛立ちを露わに口を挟み、ドルイドの大魔道士も同調する。大魔道士が手をあげると、壁際に立っていたメイドがトランクケースを持ってきてパカリと開く。
トランクはスポンジの緩衝材が入っており、等間隔に半分ほど色とりどりのマナを宿している宝石が入っていた。
「満タンに詰めていたはずなんだけど……」
「きっと気のせいですわ、お嬢様」
ジト目となる鷹野美羽様だが、オホホと笑ってそばかすの残るメイドが答える。
はぁと溜息をする鷹野美羽様を気にせずに、大魔道士は隻眼でカレンを見てくる。
「さっさとやれ」
「あ、はい」
『魔法隠蔽』
正しく魔法は発動して、宝石から感じたマナがきれいさっぱりなくなる。
大魔道士は宝石を摘むと、ジロジロと観察して頷く。
「予想通りだ。これならば、使えるだろう」
ポイと宝石を放り投げると、油気子爵が受け取り、『魔法感知』を使用して目をマナで光らせる。
「そうですね、貴方の仰ったとおりです。これは予想外でした」
「爺さん、なかなかやるじゃねーかよっ。『ウォータン』の設計とかを見たけど、非凡だもんなっ。ルグちゃんの次に天才だと認めてやんよっ!」
「あのぉ……どういうことなんでしょうか?」
油気子爵とルグが宝石を見て、なにやら話しているが、その内容がよくわからない。
マナを隠蔽することができるのはわかっていたはずだ。なんだってんだろう?
カレンの視線に気づいたのか、油気子爵がニコリと微笑む。
「君の『魔法隠蔽』は、マナを隠蔽する魔法。そうだったね?」
「はい。上級魔法は無理ですが、中級以下ならば隠蔽できます」
「うん、その話から大魔道士様が考えたことがあるんだよ」
「『魔法隠蔽』ってのは、マナを内部に押し留める力があるんじゃねーかってな」
油気子爵の説明に、ルグが首を突っ込んで、ウケケと口を挟む。
「マナを押し留めること。即ち、無駄なマナの放出を抑えているのではないか? ということだ。実証は終わった。これで満足だろう? あとは確認できた魔法構成を研究する。劣化とはなるだろうが、充分だろう」
重々しい声音で、つまらなそうに鼻を鳴らして大魔道士が言う。説明されてもわからない自分の馬鹿さに落ち込んでいると、鷹野美羽様が脇腹をツンツンとつついてきた。
「放出マナを抑える。即ち、マナドライブから発せられていた無駄なマナを抑えるから、出力が上げられるみたいだよ、カレンおねーさん」
「そのとおりだな。想定では5%の出力上昇を目論むことができる」
頬杖をついて大魔道士も頷く。
「通常固有魔法はコピーすることができず、魔法陣を使えば遥かに劣化してしまうが、なんとかできるだろう」
「いや、ふつーはできねーからっ! 爺の頭はどうなってんだよ、その知識教えろよなっ!」
どうやら大魔道士しか作れない魔法陣のようだ。ルグが大魔道士の裾を引っ張って、お願いしている。
「これは既存の魔道具全種類に使用することも可能となるだろうから、魔道具市場へのインパクトは大変なものになるだろうね」
「けっ! 簡単に言うけど、この基本魔法陣とか普通じゃ作れねーだろうがっ! 爺さんが作り上げたんだよな? 爺さん、なにもんだ? ルグちゃんにちょっとその知識を教えてくれてもいーんだぞっ」
穏やかな笑みを見せる油気子爵に、タブレット端末を持ち上げて、何やら魔法陣が描かれたモニターをパンパンと叩くルグ。
「まだ組み込み前の設計図だけだな。この魔法の構成を調べて、魔法陣に構成情報を追加する。後に付与魔法に適性のある人間を雇う。儀式魔法となるだろうから、大変な準備も必要となる」
「人手は任せてください。私も伝手は増えてきましたので」
鷹野芳烈様がにこやかに言う。なにか大変なことのような気がするのは気のせいだろうか。
「カレンさんが魔法陣を使って『魔法隠蔽』を使えば、性能も変わるんだよね?」
「専用機にかけると良いだろう。オリジナル魔法ならば、その威力も変わる。マナドライブに付与すれば、その性能は20%は上昇するであろう」
鷹野美羽様と大魔道士が話しているのを聞いて、なんとなく自分の魔法の意味がわかってきた。
もしかして……。
「貴女の『魔法隠蔽』は暗殺など後ろ暗いことに使うのではなく、これからは専用機の作成に使われるということです。外に放出されるマナを抑えて、出力を上げる。皆は貴女の魔法を求めることになるでしょう」
「良かったですね、カレンさん! これからは忙しくなっちゃうと思います!」
「早速、私の専用機を改修してもらってよろしいでしょうか?」
「玉藻のも、お願い〜」
油気子爵の言葉、鷹野美羽様がポンポンと私を優しく叩いてきて、帝城闇夜と油気玉藻が早くもお願いをしてくる。
「もしかして………あの、私の魔法を後ろ暗いことに使う研究ではなく……」
「うん! そんなことに使わないよ。最初からマナの出力アップのために使えるんじゃないかと思ってたの!」
鷹野美羽様の明るい笑顔を見て、嬉しさで泣きそうになる。
加藤家の魔法は後ろ暗い汚い仕事にしか役に立つことはないと言われてきた。これまではそのとおりであり、流浪の民となってきた。
苦しい生活であった。魔法を使ったあとに、口封じされた者は過去に多くいる。
だから、姿を隠して生きてきたのだ。
魔法を隠蔽するなど、オリジナル魔法として危険で役立たずだと思ってきた。そのために弟は加藤家とは繋がりのない孤児として孤児院に入れようとしていた。
陽の当たる場所で暮らしてほしかったからだ。
だが、どうやらこれからは違うらしい。
「これからは忙しくなるでしょう。よろしくお願いします加藤さん」
ポリーニさんが優しくニコリと微笑んでくるので、涙をツッと流してしまう。
「よ、良かった、良かっだぁ〜」
皆の優しい視線を受けながらも、喜びで加藤カレンは泣きじゃくるのであった。
どうやら鷹野美羽様につくことに決めたのは間違いではなかったらしい。
「そのトランクはみーちゃんが仕舞っておくよ」
「お嬢様にそんな仕事をさせるわけにはいきません」
なにやら、トランクケースを引っ張り合う二人の姿が目に入ったけど、感動で見てみぬふりをした。
少し空気を読んでくれねーかなっ!




