208話 加藤カレンの新職場
現在、物凄い早さで栄え始めている鎌倉の街外れ、広大な敷地を擁する建物へと、加藤カレンは向かっていた。
「ええっと……ここかな?」
手に持つ地図に従って向かい、ようやく辿り着いた場所を見てカレンは呟く。
『なんであたしがこんな目に……。でもお金貰ったしなぁ』
そこは研究所であった。『ウルハラ第二研究所』とビル前に置かれている大理石に彫られている。
研究所は新築で立派な建物だ。ドーム型をいくつも重ねたタイプで、正面ビルはガラス張りだ。清潔感があり、並木道や庭園が上手く調和しており、ホログラムの案内板が空中に浮いていたり、白衣を着た者が行き交っており、いかにもエリート研究員が勤める研究所といった感じである。
「研究所……実験体とかにはされないよね……」
見た目はマトモそうな研究所に見える。もしかしたら、支払われた金額から、実験体とかで雇われたのではと恐れていたのだ。
安心して胸を撫で下ろし、さて向かおうかなと足を踏み出そうとしたら
「邪魔だよ。テメー。なに門の前で突っ立ってるんだよ!」
「あいたっ」
不機嫌そうな少女の声が聞こえてきて、後ろから軽く蹴られた。
「な、な、なんですか?」
驚いて吃りながらも文句を口にして振り返ると、ちょこんとした背丈の少女が立っていた。鳥の巣のようなボサボサ頭に、強気な性格を表す釣り目、風船ガムを噛んでおり、ぷぅと風船ガムを膨らます。
背丈は小柄で小学生といったところか。胸は平坦で男の子にも見えるがスカートをはいているので、女の子だろう。
パーカーを着て、ポケットに手を入れており、悪ガキといった感じである。
「このルグちゃんの道を塞ぐなんて、良い度胸じゃねーか。あん? ……お前、新人?」
しかも物凄い口が悪い。どういう教育を受けたのだろうか。カレンだって自身の口の悪さは内心におさめているのに。
「なら、ちょっとご飯買ってきてよ。ルグちゃん、お昼ごはん買うの忘れてさ。焼きそばパンとクリームパン、それに濃縮オレンジジュースでよろ」
「えぇぇっ! そんな、困ります」
「えっと今お金渡すから、お釣りはやるよ」
「そういう問題じゃないんですけど!」
初対面のしかもこんな場所で、いきなりカレンをパシリに使おうとする少女に、驚きよりも呆れてしまい、なんて傍若無人なのよと叫んでしまう。
「あんだよ、お前もパンを食べたいのか? 仕方ねぇなぁ、先輩として可愛い可愛いルグちゃんが奢ってやんよ。コッペパンで良いか?」
財布を取り出しながら、地味に一番安そうなパン勧めてくる少女。どうやら先輩風を吹かしたいようだ。
さらに言葉を重ねてくるので、文句を言ってやろうと、肩を怒らして怒鳴ろうとしたら、少女の後ろからスッと男性が現れる。
「いい加減にしろ、ルグ・ドーヴェル」
男性はにこやかに笑うと、笑顔を崩さずに容赦なくルグの頭へと拳を落とした。
「アンギャー! イダイッ」
拳が落とされた頭はゴチンとかなり痛そうな音を立てて、ルグは痛みで蹲る。
「なにすんだよ、ポリーニのおっさん! 先輩風を吹かすには今しかねーだろ!」
「3日前に入社した身分で先輩風を吹かすのは、まだ早いと思うよ?」
涙目で男性へと文句をつけるルグ。男性は片眉を吊り上げて、肩をすくめてみせる。
『このガキ、3日前に入社したばかりかよ!』
内心で驚いてしまうカレン。いくらなんでも、先輩風を吹かすのが早すぎる。図々しい性格であると、カレンは呆れを通り越して。唖然となってしまう。
それに……この話し方はどこかで聞いたことがある。しかも極めて最近。
「すまないね……えぇと、君は今日来た」
「あっ、はい。私は加藤カレンと申します」
慌てて頭を下げて挨拶をする。どう見てもこの研究所のお偉いさんぽいナイスミドルのおじさんだ。
とりあえず媚びを売っとけと、エヘヘとおとなしそうな演技をみせておく。
「こんにちは、加藤さん。私はポリーニと申します。この研究所の所長及びウルハラの専務をしております」
丁寧な物腰で挨拶を返してくれるポリーニに、内心で専務かよとカレンは驚いていた。
カレンが下調べをしたところ、ウルハラは最近設立したばかりのベンチャー企業だ。しかし、ベンチャー企業にもかかわらず、あっという間に規模を拡大させて、業績は鰻登りだ。
株式を上場させないため、正確な資本は不明だが、将来性が極めて高い。しかも鷹野家が後ろ盾だと思われる。
『カレンアイ発動!』
ギラリと目を光らせて、凄腕くノ一の力を発動させる。敵の力を見抜く加藤家くノ一の秘奥義である。
『スーツ一式……魔法付与された一級品……。腕時計は有名ブランド、立ち姿勢良し! 顔良し! 性格は少し厳しそうだけど穏やかっぽい。歳は……30? 雰囲気からおじさんに見えるけど、肌や髪の艶から20代とみた! 最終情報、薬指に結婚指輪なし!』
凄腕くノ一加藤カレンは相手の解析を終えると、涙目になりながら、ポリーニにしなだれかかるように身体を寄せる。
「所長さんだったんですね。これから頑張るので、よろしくご鞭撻の程お願いしますぅ」
おとなしく素直な少女なんですと、カレンはポリーニをロックオンした。もちろん結婚相手としてだ。
『多少の歳の差なんて関係ねぇ! こういうベンチャー企業の金持ちを待ってたんだ!』
普通の金持ちは、だいたい貴族だ。平民だって、貴族との政略結婚に忙しいため、玉の輿など、夢のまた夢、もはやお伽噺レベルである。
しかし、ベンチャー企業なら話は別だ。仕事に忙しく、貴族であっても男爵レベル。婚約者もいなさそうだし、真の愛に目覚めてくれる可能性は高い。
自身は平凡だが、それでも愛嬌があり可愛らしいとカレンは自身の自己評価をするが、そこそこ高かった。
「そういえば、ルグちゃんはお昼ごはん忘れたんだよね? 私、お弁当持ってきたんだ。少し多いから一緒に食べてくれないかな?」
さらに加藤家最終奥義も会得している。即ち『だし巻き卵』、『肉じゃが』、『唐揚げ』だ。この3大秘奥義にて、相手の胃袋を掴む。
ポリーニは年若いルグの後見人とかでないだろうか。と、するとお昼ごはんをルグと一緒に食べれば、ついてくるのではないかとの打算があった。
ちらりちらりとポリーニの様子を横目で見ながら、優しい年上のお姉さんをルグ相手にみせる。
もうこんなくノ一生活は嫌なのだ。金持ちと結婚したい加藤カレン15歳。
金と後ろ盾を持つ夫が欲しい。クリスマスの歳になる前に先手を打つ。人生にそう何度もチャンスは転がっていないのだから。
若すぎる? 人生はどれだけスタートダッシュが重要か、分かっていない言葉だと思う。
「それはルグと話し合ってください。では、私が働く場所まで案内しましょう」
しかしポリーニはまったく気にせずに、研究所へと入っていく。
「ちっ、だめか」
舌打ちするが、まだまだこの研究所には、同じような金持ちがいるかもしれない。設立時に株式を持っていた人などは大金持ちになっているはず!
まずは持ってきたお弁当に入っている手作りのだし巻き卵を周りの良い男にアピールしてやる。
私って、今貂蝉とクククと内心でほくそ笑むカレン。素直でおとなしそうな少女で、料理が上手。男はいつでもそういう女が好きなのだと、ばっちゃんが言っていた。
「あんだよ、うめーじゃねーか。明日から私の分も作ってこいよな、ウマウマ」
なぜか俵型おにぎりを頬張っているガキ。
「はぁ? ………な、なんで! それは誰にでも分けられるように私がわざわざ俵型おにぎりにしてきたっての!」
いつの間にか、カレンの鞄から弁当箱を取り出して、ムシャムシャ食べているクソガキ。口元にご飯粒をつけて、だし巻き卵を一口で食べてしまう。
「ひ、人の弁当を勝手に食べるんじゃねーよ! このクソガキ、どんだけ自由なんだ、オラァっ!」
「後輩の物は先輩の物、先輩の物はルグちゃんの物だろ! グギャァァ」
「ほぼ、同期じゃねーかっ!」
アイアンクローをクソガキに噛ましながら、怒気を露わに怒鳴る。クソガキはジタバタと暴れるが、離さない。このクソガキは頭どうなっているんだよ!
「君たち、ついてこないのかな? この先で鷹野伯爵がお待ちなんだけど?」
まったくついてこない二人に溜息を吐きながら、ポリーニが戻って、告げてくる。
そのセリフを耳に入れた二人は、漫才をピタリと止めるとガタガタ震え始める。
「ひゃいっ! すぐに生きます! 違った生かしてください!」
「アバババ、あの方がいるなら言えよな。すぐに行くぞ、ついてこい後輩!」
猛然とダッシュをして、建物に突進していくルグに、カレンもコクコクと頷いて追いかける。
あの鷹野伯爵を待たせているのだと考えると、身体が勝手に恐怖で震えてしまうのだ。
クソガキも同じなのだろう。あの深淵から覗き込むような瞳の光。
恐怖と魅力を感じさせる瞳に魂が囚われて、もはや蜘蛛の巣に絡め取られて、殺されるだけの美しい蝶の気分になるのだ。もちろん美しい蝶はカレンのことである。
建物内はクリーム色の壁に、魔法光により通路が照らされている。受付があり、入館ゲートがその隣に用意されており、警備員が武装して警備していた。
「君の入館カードはこれだ。ルグも一緒の場所に行くから、ついてきてください」
「はい、わかりました」
口元を握り拳で押さえて、身体を僅かにくねらせて、気弱な大人しい少女をアピール。先程の荒々しさは、漫才をするための演技だと言い訳もするつもりである。
既にあの騒ぎは周囲にいた人々に見られていたために、猫の皮をかぶっていると後日噂になるのだが。
そんなことになるとは露知らず、カレンは走るのを止めて、ゆっくりと歩く。あの少女の皮を被った悪魔は怖いが、自分の将来設計も重要なのだから。
カレンの様子を見て、ポリーニは面白そうにクックと笑う。カレンはその隣で僅かに猫背になり、おどおどとした演技をする。
既にルグというクソガキは先に走っていって、その姿は見えなかったが、いくつかのセキュリティゲートを通って、ようやく辿り着いた。
「ここは最新技術を研究しているところでね。情報漏洩には注意してください。IDカードも失くさないようにお願いしますよ。後処理が大変なのでね」
「はいっ。絶対に失くしません!」
不穏な言葉が聞こえてきたので、背筋を伸ばして激しく首を縦に振る。穏やかそうな口調で言ってくるのが、ますます恐怖を煽ってくるので、肌身離さずに持っていようと誓う。
金属製の分厚い自動扉が開くと、かなりの広さの部屋が目に入り、椅子にちょこんと座る少女の姿があった。
「カレンさん、こんにちは!」
「鷹野伯爵、お久しぶりです」
銀色に似た灰色髪を靡かせて、キラキラと無邪気な輝きをアイスブルーの瞳に輝かせて、少女が花咲くような可憐な微笑みを見せて挨拶をしてきた。
カレンも口元が引きつらないように気をつけながら、挨拶を返す。
魔道具の研究所に配置となった理由はなんだろうと、緊張気味に歩み寄るのであった。




