207話 それぞれの思惑と教主
新興宗教『ユグドラシル』の総本山。孤島の中心にある宮殿内。静謐を重んじ、魔木により建造された空高くまで伸びる高層にある宮造りの広大な建物の最奥、教主が住まう間。
本来は声すらあげることを躊躇う教主の座にて、数人の男たちが喧々囂々の罵り合いをしていた。
教主は、その様子を御簾越しに冷ややかな目で、愚かしい者たちだと見つめていた。
「どうなっているのだね、イミル君? これだけの資金と兵士、大量の兵器を用意したのにもかかわらず、聖女の一人も倒せないとは!」
木床に立ち、顔を真っ赤にして怒りを隠さずに大声でつばを飛ばして罵っているのは、でっぷりと太った男だ。力士と見間違うような程に太っており、着込んでいる服がパンパンで、いつボタンが弾けてもおかしくない。
神経質そうな声で怒りを見せる相手は、黒い衣を纏い、銀の仮面を付けているイミル団長である。
「こちらも想定外でした。まさかあれだけの兵力を揃えて、聖奈一人殺せないとは。結局、近衛隊長を殺したのが唯一の戦果となってしまい、私も落胆しているのですよ、シンモラ様」
「予想外でした、ではすまない! いったいいくらの損失があったと思っているのだ! いや、スルトが戻ってこない。人材の損耗も激しすぎる! スルトは私の娘だぞ! 貴様が護衛をする約束だったはずだ」
「スルト様は新型にどうしても乗ってみたいと仰いまして、私の制止を聞きませんでした」
「そこを無理矢理にでも止めるのが貴様の仕事だったはずだ!」
「責任は追及しない。スルト様ご自身で責任を取ると誓約書もあります。それほど心配でしたら、貴方も出撃なさったらよろしかったのでは? 聞くところによると、素晴らしい剣をお持ちだとか?」
「クッ! どこでそれを………」
イミルが肩をすくめて答えてきた内容に、目を鋭く細めて、口籠るシンモラ。
剣を隠し持っているのを知られたくなかったようだ。目をキョロキョロと泳がせて座り込む。
御簾の向こう側に座る教主はその様子を見て薄く嗤う。彼自身は神器『レヴァーテイン』を手に入れたことを隠しておきたかったのだろう。
神器が揃ったら、ニーズヘッグを裏切って全ての神器をかすめとり、他国に向かうつもりだったに違いない。
魔道具作りの天才であるが、幼く世間知らずのスルトを狡猾に誘導して魔導兵器を売り払って金儲けをしていただけはある。
その証拠に娘は国際指名手配犯になっているのに、自身は指名手配犯になっていない。狡猾で卑怯な男だ。
しかし、その狡猾さに『ニーズヘッグ』の運営は助けられているし、魔法の腕前はたしかだ。
太った男、言動も愚かそうに見えるし小悪党に見えるが、そうではない。
「今回の損害。私が用意した素材や魔道具の設計図により、抑えられているかと思いますが?」
「は、話の論点をずらしている! 今回の敗戦を責めているのだ!」
イミルの言葉に反論するシンモラだが、先程までの勢いは姿を消し、追及をすることを諦めたように見える。
「この戦闘にて、多くの収穫もありました。『ソロモン』の方々にとっては魔物の大量使役のヒントになったかと」
視線を離れた場所に座る男たちに向けるイミル。そこにはローブ姿の数人の男たちが座っており頷く。
「えぇ、貴方の仰った提案ですが、上位昆虫系統魔物の作る巣を利用した魔道具の補助により、下位昆虫魔物を大量に使役することが可能となりました」
イミルから送られた使役術の新たなる思想と、魔道具により『ソロモン』の魔物使役の研究は大きく前進していた。
「そして、多くの昆虫系統魔物による重圧により、他の魔物を使役することも可能となっております。今回の実験は成功と言って良いでしょう。ダンジョンでの実験をする予定でしたが、これからはさらに実験が進められます」
本来は使役実験から進める予定であったが、イミルの持ち込んだ資料により、『ソロモン』の研究は大きく進歩していた。
これならば、昆虫系統を使役する魔物使いならば、神無公爵の求めるダンジョンのスタンピードも起こせるだろうと、教主はその様子を見て思う。
鷲津家が潰されて、運搬手段を失ったが、それでも予定通りにスタンピードを起こせるかもしれない。
「『霜巨人』は使えないことが判明したぞっ! あれだけの金額をかけたにもかかわらずだ!」
「たしかにそのとおりです。あれだけの金額をかけて、敵の一人も倒せなかったのであれば、買う者はいないでしょう。ですが、魔物の素体と魔道具を組み合わせた魔導兵器の技術進歩のお手伝いはできたかと思いますが? その資料を売り払えば、今回の損害分ぐらいは回収できるかと?」
「くっ、次から次にのらりくらりと……」
糾弾するシンモラに、イミルは返答を既に用意しており、平然と躱していた。
損害を取り戻せると聞いて、完全にシンモラは黙り込む。頭の中でそろばんを弾いているのだろう。
「たしかにイミルの言うことはもっともだな。それにスルトは戦えねぇ雑魚だったろうが。最弱の奴がいなくても、別にいいんじゃねぇか?」
脳味噌まで筋肉でできているフルングニルが、からかうように言う。
「魔道具作りならば、私も多少心得がありますので、戦死したスルト様の代わりを力及ばずながらもお手伝いしたいと思います」
スルトはこの数年のニーズヘッグの魔道具供給に寄与してきた。しかし、イミルが手伝えばスルトには及ばずとも、役に立つだろう。
「………貴様らは今回の敗戦を金のみで見るのだな……。スカジ様、今回の敗戦は金額では測りしれぬところにありますぞ」
それまでは黙って座っていた平凡そうな顔の男が口を挟む。
スカジとは教主の呼び名のことだ。教主はそう名乗っていた。
一見、どこにでもいそうな男は上位魔骸のエーギルだ。『変身』の魔法で人間に姿を変えている。
哀れであり、愚かな男だ。いくら『変身』をして人間になっても五感を取り戻すことはできない。
魔骸は永遠の命を得る代償に、呪いのように五感を喪う。ただ、無意味に永遠を骸骨の身で生きるだけ。食欲も性欲も睡眠欲も、体温すらも感じることをできずに。
苦労して永遠の命を得たのだろうが、結果は福音ではなく呪い。永遠に無味乾燥な砂漠のような世界を生きていくだけだ。
肉体を取り戻すことが『ニーズヘッグ』にエーギルが所属している理由だ。
そのエーギルは、苦虫を噛んだような顔で、教主スカジの座る座に顔を向けて話し始める。
「スカジ様。今回の失敗は、一人の少女の力によるものだ」
「一人の少女?」
様付け以外はまったく敬っている様子を見せずにいるエーギルの態度を気にすることもなく、スカジと呼ばれた教主は御簾越しに問い返す。
「はい。少女の操る神聖魔法は尋常な威力ではありませんでしたが、それ以上に無限ともいえるマナを持っていたことによります。何しろ『クロウリーの箱』を使用して死霊魔術を使った我と互角の……いや、それ以上のマナを持っておりました」
「『クロウリーの箱』は性能を発揮したのですか?」
「うむ、たしかに消費マナは激減した。たしかに性能通りの神器だな」
『クロウリーの箱』は、消費マナを9割減少させる。さらに魔法効果を2倍、魔法耐性を2倍にする強力な神器だ。
イミルが教えてきた場所にあった物を回収したのである。
「おいおい、エーギルの旦那のマナは俺達の中でも、ずば抜けて多いんだぜ? 冗談だろ?」
フルングニルが、疑いの表情でエーギルを見てくるが、エーギルは重々しく頷く。
「あやつは我のマナが尽きそうな時でも、ピンピンとしていた」
「マナ回復ポーションを使用していたのでは?」
「いや………使った様子はなかった。使用していたとしても……おかしい」
教主の言葉に、エーギルは僅かに首を傾げて怪訝な顔になる。
「おかしいとは?」
「マナの流れが……なにか変だったのだ。僅かに変な動きが………いや、気のせいか。忘れてほしい。恐らくはマナを回復させる方法があったのであろう」
「そのからくりを見つけないと、倒せないってことか? はんっ、このフルングニルが倒してきてやるよ!」
「ふんっ、好きなようにするが良い。我はあやつと戦うのはごめん被る。神聖魔法使いでもあるからな、相性が悪すぎる」
フルングニルがエーギルの言葉に乗って、好戦的な笑みを浮かべて、すぐにでも向かおうと立ち上がろうとするので、教主は溜息を吐く。
「今回の失敗は失敗として受け止めましょう。それにイミルの言うとおり、利益はありました。私情で強者と戦う愚は犯さないことです。今回はこれにて話し合いを終えます。皆の者下がりなさい」
「ハハッ!」
それぞれ思惑を胸に、皆は部屋から出ていき、教主は側仕えも部屋から下がるように伝える。
側仕えも下がって、静寂のみとなった部屋の中で、教主は手元にある紙の資料を見て、薄く笑う。
「エーギルはなかなかの目をしていますが、気づけませんでしたか」
手元にある資料に添付されている写真は鷹野美羽のものであった。
そっと写真をなぞり、一人呟く。
「マナを借りない魔法……いえ、マナなど使用しない真の『魔法』を使っていたのです。この世界の理に従わぬ、別世界の力」
鷹野美羽の魔法や武技は、人間の使うものではない。密かに撮影されていた戦闘の様子を見て、すぐに看破した。
これこそが教主が求めていたものだ。
御簾越しに座っていた者たちは想像もつかないであろう。
シンモラは金のことだけ。エーギルは元の人間の肉体を取り戻すため、フルングニルは強者と戦うことだけ。
そして、イミルは黒幕気取りで、私が気づいていることもしらずに暗躍している。
誰も彼も愚かなことだ。
「長政に仕掛けておいた爆弾は上手く働いたようでなにより」
弦神長政には回復時に、密かに『生贄魔法』をかけておいた。時が来れば、生命の実を使用して、生贄にしようと思っていたが、イミルが良い仕事をしてくれたために、生命の実の事故に思われている。
「贄として使うものが、現れたと思ったらすぐに消えてしまい、失敗かと思いましたが、貴女が喰らっていたのですね」
もう一度、鷹野美羽の写真を優しく撫でて柔らかに微笑む。
「夜が明ける………。その時、陽の光は誰に降り注ぐのか……ふふふ。新世界を作るその日まで、皆の者下手くそな人形劇のように、踊ってください。それまでは付き合ってあげましょう」
その呟きは誰にも聞かれることはなく、すぐに教主の座は静寂となるのであった。




