195話 少女の評価
後藤隊長はその光景を見て、薄ら寒いものを感じていた。周りの近衛兵たちも声を発することなく、その光景を見つめている。
まだ幼い少女はニコニコと笑みを浮かべて、傷だらけのように見える相手の前に座っていた。
相手の名前は『加藤カレン』。すでにその素性は判明しており、没落気味の大友伯爵に仕えていること。その固有魔法が『魔法隠蔽』であることもあっさりと判明していた。
加藤の家門は国にマークされていたが、自身の魔法の危険性を理解していたために、悪用することはなく、そのために国は特に介入はしてこなかった。
大友伯爵という力のない貴族に仕えているからという理由であった。
後藤としては、危険な魔法を持つ家門として、指紋登録と誓約魔法をかけなければならないと思うのだが、ここまでは放置されていた。
誓約魔法は儀式魔法であり、効果は一定の約束を誓うことにより、その約束を破った場合は激痛が走り死に至る。
この魔法は国宝として存在する神器を使用しないといけないために、皇帝陛下以外は使用できない。そこで悪用しないようにと誓約をさせておけば良い。
しかし放置されていた。不自然だが、恐らくは裏で、加藤の家門の魔法を便利に使おうという貴族たちの思惑があるのだろう。
誓約はよほどの重罪をしなければ使用してはいけないという建前と、この魔法は儀式魔法を使えば、結構簡単に解除できる。誓約魔法はあまり役に立たないという理由もある。
誓約魔法を解除しようとする試みは昔から行われていたからだ。しかし解除用の儀式魔法には特別な触媒が必要であるために、監視していれば気付ける。
そのような厄介な魔法使いである加藤カレンを前に、小さな少女鷹野美羽は札束を取り出していた。
3億という大金を山積みにして、加藤カレンを買収しようとするその姿は少女の姿にまったくそぐわない。
鷹野美羽という存在は異常にして、異様であった。
誤魔化しの幻影魔法で、たいした怪我を負っていないことはわかっていたが、それでも見た目は酷い少女を前に、笑顔を崩すことはない。
部屋に入った際にも、血の臭いがしたはず。加藤カレンの幻影魔法はそこそこの効果があり、血の臭いまで漂わせていた。
『魔法隠蔽』により誤魔化していたのは気づいていた。素性も固有魔法も判明しているのだから、尋問を誤魔化しで耐えていることも看破していた。
だからこそ皇帝陛下の指示により、鷹野美羽の本性を確認する際の材料とすることにした。
どのような行動をとるか確認をすることにした。
見かけだけとはいえ、悲惨な姿を見せる少女を前に、幼い少女はどのような態度を取るのか? 泣いて逃げるのか? 少女の悲惨な姿に近衛兵たちに怒りを示すのか。
それとも………。皇帝陛下が警戒していた相手であるのか。
内心では興味深く監視していたが、予想以上であった。
荒事に慣れている者ならば、血の臭いを気にしないことはある。顔を顰める者、残虐さを見せて嘲笑う者、恐怖する者たちなど、多くの者がなにかしらの反応を見せる。
部屋に入った鷹野美羽は、特に気にする様子もなかった。血の臭いがしても、埃っぽい部屋だなぁという感じであり、気にしなかった。
そして、一見傷だらけに見える加藤カレンにも、笑顔のままで話しかけていた。
そこに作り笑いは見られず、演技している様子もなかった。
誤魔化しの魔法だと気づいていても、そのような態度を取ることは難しいのに、鷹野美羽はいつもと変わらない可愛らしい笑顔で話しかけていた。
そして、驚くべきことに金を積んで、あっさりと相手を買収した。まさか札束を山積みにするとは予想もしていなかったし、いつの間に手を回してメイドを呼んだのかもわからなかった。
しかし、後藤は気づいていた。加藤カレンは金だけに釣られて、買収されて裏切ったわけではないということを。
鷹野美羽の瞳を見たからだ。
後藤も横でその瞳を見ていたからこそわかる。
彼女は可愛らしい笑顔を浮かべていた。
しかし、その瞳に浮かぶものは人を見る目ではなかった。加藤カレンを見つめるその瞳には相手のことを認識しているのかも怪しかった。
昏き心から病んだ者の目でも、相手を道具として考える非情な者の瞳でもない。
そこには深淵があった。深淵の中に妖しく光る一筋の光があった。
その瞳に見つめられていたら、魂を持っていかれそうな、恐ろしくも魅了される光があった。
まるで人間という存在を観察している別の存在。
理解できないモノがそこにはあったのだった。
加藤カレンはその瞳に恐怖したのだろう。人間の根幹を揺さぶられるようなその瞳を前に、目の前の金を理由に買収されることを選択したのだった。
後藤以外の近衛兵たちの中でも、その瞳を見て蒼白となっている者もいる。歴戦の勇士である近衛兵たちがだ。
ここに来ることになった理由を後藤は思い出す。
皇帝陛下に呼ばれた時のことを。
皇帝陛下を守る最後の盾。近衛兵を率いる隊長である後藤は皇帝陛下の執務室に呼び出された。
執務室には、皇帝陛下だけが椅子に座って、後藤を待っていた。
人払いをしたのか秘書もおらず、近衛の護衛もいない。
先代から使われている重厚な魔木製の執務机に、最高の技術にて作られた皇帝陛下のためだけの椅子。本棚や絵画などは全てなにかしらの魔法が付与されている。
皇帝陛下が指を振れば、本棚の本はフワリと浮いて必要な情報を表す。ただの本ではない。サーバーのデータベースを超える情報が詰め込まれている。
絵画に目を向ければ、その内容は常に変わり、監視の水晶を仕掛けてある場所ならばどこでも映し出す。
机に置いてあるアンティークなランプが仄かに光を放っているが、その光はただの光ではない。魔法の光であり、この部屋を毒や病から守る結界となっていた。
部屋の壁に飾られている剣や斧、壁際に置かれている甲冑も皇帝陛下をイザと言う時に守る自動迎撃機能がついている魔道具である。
ここは皇帝陛下のためだけの部屋だ。皇帝陛下にとっての城と同義の場所だった。
「下の下」
「下の下でありますか?」
ピンと背筋を伸ばして立っている後藤に皇帝陛下はのんびりとした口調で告げてきた。
聖奈様の護衛として、鷹野家の牧場ダンジョンへと向かうように命じられた後だ。
なぜ皇女とはいえ、近衛隊長が皇帝陛下のもとから離れて、護衛に行かなくてはならないのか理由を尋ねた時である。
「余は人の評価を『上、中、下』、さらにその3つを『上、中、下』に分けて、9段階評価としておる」
「はい。存じております、陛下」
「だよねぇ。後藤君は知っているよね〜」
砕けた口調となり、皇帝陛下は疲れたようにため息を吐く。信頼している者だけに見せる態度だ。
「人を評価するのに、段階を決めるなんて悪いことだとは思っているんだけどねぇ。まぁ、皇帝としては仕方ないよねぇ」
くたびれたおっさんのような態度をとる皇帝陛下に、苦笑を隠さずに頷く。
「皇帝陛下は国を率い、人を率いることが必要です。仰る通り、仕方のないことだと。それにしても、下の下ですか?」
「そう。鷹野美羽は下の下だ。人物評価としては最低かな」
「下の下の評価ですか……。初めて聞く評価ですが、あの少女は希少なる回復魔法の使い手。しかも尋常ではありません。それは低すぎるのでは?」
何度か皇帝陛下からは、人物評価を聞いたことがあるが、『下の下』は初めてなので怪訝に思い尋ね返す。
どのような相手でも、皇帝陛下は使い道を考える。最低は『下の中』だと思っていたからだ。しかも相手は当代の回復魔法使いでは、聖奈様を上回り最高なのではと噂されている少女だ。
「う〜ん……そうだねぇ。それなら、鷹野芳烈は後藤君の評価だとどうなる?」
「そうですね……。魔法を使えなくとも彼は優秀です。『上の中』でもよろしいかと」
資産を増やし、勢力を拡大し、鷹野家は一時期の下降気味の流れを断ち切り、龍が天に昇るかのように上昇している。
その手腕は恐るべきものだ。魔法を使えなくとも、能力は高い。正直、政財界でやっていくには魔法よりも知恵や狡猾さの方が遥かに重要だからだ。
「『中の中』」
「魔法が使えぬからですか?」
意外な評価に僅かに驚き、皇帝陛下を見ると手をひらひらと振って首を横に振る。
「違うんだ。この評価は恐らくは正しい。彼はね、経営に関しては少しは才能はある。たぶん十年間経営すれば、赤字部門も黒字に転換、鷹野家を復興させることが可能だったろう」
「はぁ……しかし鷹野芳烈殿が当主代行になってから、一年にも満たない間に鷹野家は黄金時代とも言うべき隆盛をしておりますが?」
「そうだね。鷹野家は今やかなりの財力もあるし、貴族間で勢力を広げている。でもねぇ、勘違いがあるよ、後藤君」
「勘違い……ですか? 思い違いでなければ、鷹野芳烈殿は当主代行になった途端に、素早く風道殿を排斥、自身を認めない家門内の反対派を排除。そして、様々な事業を始めております」
今話題の鷹野家のことは、近衛隊長として情報を集めている。鷹野芳烈の手腕には舌を巻いたものだ。
だが、後藤の反論に皇帝陛下は口角を持ち上げてフッと笑う。
「違う違う。正確には鷹野美羽が当主になってからなんだよ。違和感はあったんだけど、余もそこには目を向けなかった。無意識にそんなことがあるとは考えていなかったんだ」
「………鷹野美羽が裏で手を回していたと?! そ、そのようなことがあるのでしょうか?」
予想外の言葉に目を剥いて驚きを示すが、皇帝陛下は目を細めて鋭い視線を向けてきた。凍るような冷酷な視線を見せて、重々しく頷く。
「鷲津の断罪で気づいたんだ。元々鷹野芳烈は魔導省勤めでも、お人好しでそこそこ有能な者という評価だった。今のように『魔法の使えぬ魔法使い』として、噂されるような狡猾な人物では決してなかったんだ。当主になることを虎視眈々と狙っていた? 魔法が使えないんだ。そんなことはありえないんだよ」
「しかし……彼女はまだ11歳です。どのようにそのような力を?」
「恐らくはその能力を知った世捨て人が早くから力を貸している。いや、貸しているのは確実だ。世捨て人って、本当に厄介な存在だよねぇ」
「……信じられません。ですが、陛下の仰るとおりならば『下の下』はあり得ぬのでは?」
その可能性があるならば、彼女の才能はとてつもない。天才という括りにもおさめることはできぬだろうと、冷や汗を流す。
「だから、見極めてほしい。彼女の一挙手一投足を監視してほしい。きっと話の流れや出来事を自分の有利に持っていこうとすることがあるはずだ。鎌倉に花畑を作りたい、とかね?」
なるほど、そのために聖奈様の護衛という任務にかこつけて、一緒に行動するようにしたのかと納得する。
「余が『下の下』の評価にしているのは今のところ一人だけ。神無公爵だ」
冷ややかな声音で、王者の空気を漂わせて、皇帝陛下は重々しく言葉を放つ。
その予想外の言葉に、後藤は目を見開いて、ゴクリとつばを飲み込む。
「『下の下』は余がコントロール不可能な特別有能な相手のことを言う。任せたぞ、後藤」
「はっ! かしこまりました、陛下」
敬礼をして、ご命令を遂行するべく行動をすることに決める。
そして、後藤は鷹野美羽を警戒することにして見ていたが、皇帝陛下の言葉が正しかったと実感するのであった。
先日のことを思い出して、後藤は気を引き締める。
鷹野美羽は危険な相手だ。だからこそ、皇帝陛下の力を見せなければならない。
今回の襲撃にて近衛の力を見せて、武威を見せつけて牽制をする。
心の中で力強く決意をして、明日の襲撃に備えることにするのであった。




