187話 没落貴族
丸眼鏡を付けた少女は、先月完成したばかりのホテルに入っていった。白い壁にガラス張りの瀟洒なホテルであり、周囲と比較すると頭一つ抜きん出て宿泊料金が高いホテルだ。
内装も豪華というよりも、上品なという描写が相応しい、例えて言えば貴族に相応しいというイメージがある。
このホテルのコンセプトがわかるというものだ。
多くの貴族や金持ちの一般人が、ロビーで寛いでおり、選ばれし者以外立入禁止のような雰囲気を醸し出している。
ホテルマンが、少女へと丁寧な所作でお辞儀をしてくるので、少女も頭を下げて通り過ぎる。
このような金持ちだけが宿泊するホテルは、自分には似合わないとオドオドと挙動不審となりながら、エレベーターに入ると、最上階を目指す。
エレベーターは、外側がガラス張りであり、外の景色が目に入る。美しい聖花の花畑が展望できるが、その風景を目にしても心が踊ることも、癒やされることもなかった。
「はぁ……こんなことが上手く行くのでしょうか」
疲れたため息を吐き、肩を落とす。正直こんなことが上手く行くとは到底思えない。だが自分の立場では反論もできない。
しかし、諌めないと大変なことになる。でも成功したら、たしかに大きなリターンがある。
そう考えると、唇が震えて声を上げることができない。
どんよりとした空気を纏い、暗い瞳でエレベーターの階層を眺める。ゆっくりと階層を表す数字が変わっていき、最上階へと到達する。
チンと音がして、エレベーターの扉が静かに開く。目の前には重厚な扉があり、その前にはスーツ姿の厳つい目をした男が二人立っている。
ジロリと鋭い視線を向けてくるが、見慣れた顔だとすぐに関心を無くす。彼らはこの扉を守る護衛たちだ。
「お疲れ様です」
「…………」
小さく頭を下げるが、相手は微動だにしない。結構長い付き合いだというのに、仕事以外で会話をした記憶がないと嘆息する。
一瞥するだけで、会話もしない相手が本物だとどうやって見分けるつもりだろうか。あれでは門番の役に立たない。
オドオドとウサギのように扉を通過して、廊下に出る。廊下と言っても短い通路なので、誰もいない。
少女は周りを確認し、少しだけ立ち止まることにした。
そうして、主人に会う前に、服を直して眼鏡を外して汚れを拭き取る。
監視カメラには、そう見えるだろう。
だが、少女の目がはっきりと映れば、そのような殊勝な態度ではないことがわかったはずだ。
『チキショー、なんだってうまくいかないんですか、どうしてなんですか、くそったれ』
その顔は険しく変わっており、呪詛のように内心で愚痴を言っている。弱気で庇護欲を感じさせる少女はどこにもおらず、その顔を見た者は警戒心を持つだろう悪党のような邪悪な目つきと、歪んだ口をしていた。
『全てうまく行っていたはず。なのに、なんでこんなにうちの主人は追い込まれてんだよ……』
とても少女から出される言葉とも思えない罵りを内心でして、苛立ちながら眼鏡を拭く。
「落ち着きませんと……」
しかしあまりにも遅れたらおかしく思われるだろうと、深呼吸をして気を取り直す。
扉の前に辿り着くと、ノックをしてから開ける。どうせ、私の主人はノックの音を聞いてやしない。
「失礼致します、大友伯爵様。ただいま戻りました」
恐る恐るといった演技をして、中に入ると私の主人である大友伯爵が、スペシャルスイートルームの立派なソファに座ってワインを飲んでいた。
「おぉ! 我が忠臣『加藤カレン』ではないか。良くぞ戻った。首尾はうまく行ったかな?」
まだ20代後半の若い男だ。髪を肩まで伸ばして、気取った表情で少女を見てくる。
「はい、伯爵様。鷹野美羽に『魔法発信』を付与してきました。『魔法隠蔽』も併せて付与しましたので、絶対に気づかれません」
そのワイン1瓶で、自分の月給分だと知っている少女は胡乱げな表情になるのを、必死になって我慢しながら頭を下げる。
『てめーは、そのワインを口にできる身分じゃないでしょうが。なんなの? 末期の酒なわけ? やめてくれない?』
思念が伝われば、心底男を馬鹿にする侮蔑の言葉が伝わるだろうが、幸いなことに少女の思念は伝わらなかった。
彼女の名前は『加藤カレン』。流れ流れて先代大友伯爵の時に親が雇用されて今に至る。もっとも先代から、家門の経営は傾いていたので、親の先見の明のなさに嘆きを覚えるが。
『加藤カレン』は始祖『飛び加藤』と言われた戦国時代のフリーの忍者の末裔だ。フリーで働けるほどの力を持っており、巧みなる魔法の使い手のため、最後まで生き残った。
とされるが、本当のところは秘密を知りすぎて権力者に殺されたと言われているので、そちらが真実なのだろうとカレンは考えている。
たぶんうちの家系は、『飛び加藤』のネーミングバリューを使っただけの偽物だ。なにせ、そこまで強力な魔法使いではない。
持つ物は、固有魔法『魔法隠蔽』だけで、あとは下級魔法を使うのが精一杯だ。
しかし『魔法隠蔽』が強力であった。この魔法は、周囲のマナに同調させて、発動する魔法を魔法使いの目から隠す。
上級レベルの強力な魔法や魔道具は隠せないが、中級レベルの魔法や魔道具までならば、『魔法隠蔽』で隠せるのだ。
これこそが家門の誇りであり、呪いでもあった。
なぜならば、『魔法隠蔽』を使用する機会など、裏の仕事しかありえない。暗殺や潜入にもってこいの魔法なのだ。
そのため、加藤家は流浪の身となった。
下手な貴族の下につけば、使い捨ての道具にされる可能性が極めて高い。
なので、ようやく見つけたのが大友伯爵家であったのだった。
理由は公爵や侯爵程に権力はなく、それでいて高位貴族のために身分はある程度安泰であり、暗殺を繰り返す血塗られた権力争いからも遠い存在であったからだ。
しかし、大友伯爵家は没落した。先代が死ぬ前に持っていた船舶が、航海ルートに現れたクラーケンにより立て続けに撃沈。
さらにその損害を取り戻そうと、借金をして複数の船舶を購入し、クラーケンを討伐し、貿易を再開しようとして、勝利はしたが先代はクラーケンと相討ち。買ったばかりの船舶も多くが撃沈したために借金ができた。
それでも残りの船舶で地道に経営をすれば、長い時間はかかるが借金も返せて、伯爵家に相応しい財を取り戻せるはずであった。
しかしながら、一見青年実業家のような顔をした、中身はアホな主人は残りの船舶を率いて、海のダンジョン攻略に向かった。
15歳にして、伯爵家を引き継いだ伯爵は一攫千金を狙ったのである。
もはやボロボロの船しか持ってなかったのに、正直アホかと言いたい。『水中呼吸』や『水圧軽減』の魔法を使い、海のダンジョンを攻略したまでは良かった。
これでも伯爵家。その魔法の力は伊達ではない。苦労はしたがダンジョンを攻略し、財宝を船着き場まで持ち帰った。
しかし船の殆どはサハギンの群れに襲われて、沈没していた。
海のダンジョンの場合は、待っている船舶も強力な魔法使いが必要であったのだが、傾いた伯爵家では人数が揃わずに、防衛に回す魔法使いがいなかったためだ。
そのため、多大な財宝は船の沈没分をカバーできずに大赤字となり、あとは転がるように没落していった。
だが、ここ最近はある依頼を受けることにより、沈み始めた伯爵家は再興しようとしていた。
伯爵は教えてくれないが、ある高位貴族が仕事を頼んできたらしい。その貴族が誰かはわからない。たぶん、伯爵も知らないが、知っているふりをしているだけだと思う。
取り引きの相手は高位貴族の使いだからだ。
常に口頭で依頼を出してくるので、怪しいことこの上ない。
もちろん大友伯爵も最初は疑った。疑わない方がおかしいだろう。
しかしながら、依頼内容は極々平凡なものであった。朝の2時間だけ、ある埠頭沿いの海を軽く時化にしてほしいというだけだった。
漁師ならば、漁に出るか休むか悩む程度。貨物船に至っては影響皆無であり、その魔法が見つかり咎められても悪くて罰金刑、良くて厳重注意という海の魔法使いで若い者なら、たまに悪戯や魔法実験等で行うことだ。
この程度ならばと、疑いながらも伯爵は魔法を使用した。伯爵レベルならば簡単な魔法だったからだ。当時カレンは子供であったために、詳細は手伝った両親が知っているが、何事もなく終わったらしい。
しかし、簡単な作業であるのに、法外な報酬が手に入った。借金の利息だけでも苦労をしていたのに、一息つけるほどだったとか。
そして、次はある場所に小雨を一時間ほど降らしてほしいとか、崖崩れを起こしてほしい、あるダンジョンの入口を凍らせてほしいなどなど。
そのたびに法外な報酬が手に入り、みるみるうちに借金は減っていった。
そして、仕事は段々と変わっていった。
次は子爵家にこの依頼を頼んでほしい。同じように男爵家にも他の依頼を。
と、元締めのような仕事を任されるようになった。
『魔法隠蔽』などで、連絡方法を隠蔽しつつも、仕事自体はたいした内容ではなかったし、報酬は大きい。
金だけではなく、仕事においても裏から手を回し、取り引きが有利に運ぶようにしてくれるなど、有形無形の報酬が多くなった。
そして、段々と理解した。この依頼がどんな意味を持つかを。
一つだけではわからない。3つ4つと重ねると見えてくる内容があった。
例えば海が時化ていれば、海釣りに行く予定だった釣り好きな貴族を他の釣り場に案内して、覚えを目出度くする。
崖崩れが起これば、支援物資をいち早く用意して、名声と利益を得る。
ダンジョンの入口を凍らせて、攻略に向かう予定であったライバル貴族の足止めをする。
死霊をダンジョンから追い出して、周囲に騒ぎを起こす間に、武士団に武器を納入する。
それらに付随する些細な利益や信用などを、各貴族にあげさせているのだ。
恐らくは自派閥の勢力をあげるためだろう。
他にも様々な目論見が隠されているかもしれないが、カレンから見た利益はそのような形であった。
自分では動かずに、相手も罪悪感を持ちにくい巧妙な方法をとっていたのだ。
どこの貴族かは知らないが、頭の下がる狡猾さだ。
そうして、じわじわと大友伯爵は財を為し、力を持ち始めていた。
しかしケチがついた。よくわからないが、少しずつ作戦が上手くいかなくなっていったようで、方法が過激になっていったのだ。
極めつけは、鷲津家を利用しての鷹野家の暗殺騒ぎだ。
暗殺を企むのはかなりリスクが大きかったが、その時には大友伯爵の下には多くの貧乏貴族や成り上がりを企む子爵家などが多数いたので、失敗しても官憲の手は届かないと考えていた。
しかし、大失敗した。暗殺者が全滅したならば良い。しかし、鷹野家本家に襲撃を仕掛けた連中は全員捕縛。
そして、最悪なことに埠頭の倉庫街爆破事件。
そこで大友伯爵は焦ってしまった。静観しておけば良いのに、鷲津が失った貨物を補填しようと、上の指示を待たずに命令をしてしまったのだ。
大友伯爵は短期の間に貨物を慌てて集めようとして足がつき、参考人として呼ばれてしまった……。よくぞ、そこまで武士団は情報を集めたものだと感心するレベルであった。
罪にはならなかったが、それは致命的であった。急速に復興してきていたために、尚更怪しいと皇族や他の貴族から危険視されてしまったのである。
あっという間に、ようやく軌道に乗り始めた仕事はなくなり、銀行は借り入れを返済するようにと迫ってきて、大友伯爵は窮地に陥ることとなってしまった。
その失敗を挽回するために、今やもっとも危険な方法をとろうとしている。
「諸君! 我々はこの作戦で再び不死鳥のように蘇らん!」
「そのとおりです!」
「我らに勝利と栄光あれ!」
ワイングラスを掲げて、得意げなる大友伯爵と他の子爵たちを見て嘆息するカレンであった。




