180話 女探偵はいなかった
勝利と聖奈は都市の郊外、スラム付近に近いビルの裏通りを歩いていた。
雑居ビルが建ち並び、まるで迷路のように細道が交差している区画だ。
昼間でも薄暗く、周りのビルの窓は埃などで汚れきって、中の様子は見えないか、廃墟となっているのか割れており、うら寂しく静かなものだ。壊れたポリバケツが打ち捨てられており、様々なゴミが脇に固まっている。
時折、ネズミが顔を覗かせて、勝利たちに気づいて逃げてゆく。シンと静寂が支配しており、二人の足音だけが、辺りに響く。
「えっと……聖奈さん、残念でしたね」
勝利は隣を黙々と歩く聖奈へと声をかける。勝利の今の姿は30代の稼ぎの少なそうなくたびれたおっさんに見えており、聖奈も同じように30代の生活に疲れているおばさんに見える。
女探偵に会いに行くのに、いつもの変装ではまずいということで、聖奈さんが宝物庫から持ち出した、魔法攻撃でも受けなければ解除されないし、見抜かれない高位の『変身』の魔道具を使っているのである。
一見、『変装』の魔道具に思えるマナの波長を出している古代の宝だ。かなり無理を言って、皇帝陛下にお願いをして借りてきたらしい。
なので、いつもの輝くような美しさも、天上からの美声であるような聖奈さんの声も変化している。
聖奈さんは、眉を顰めて険しい表情で考え込んでいたが、勝利の声に俯いていた顔をあげて見てくる。
「あそこに探偵事務所はありませんでしたね……」
「そうですね。残念ですが、廃業したのではないですか?」
「……その可能性は考えていませんでした……ごめんなさい、勝利さん」
申し訳なさそうにおばさんの姿で謝ってくるので、中身は聖奈さんだからと思いながら、軽く手を振る。
「いえいえ、探偵事務所なんてそんなものですよ。ヤバいときには、さっさと夜逃げするらしいですから」
アニメや小説だと、だいたい燃やされたり、爆破されるのが探偵事務所だ。だいたい半年に一回ぐらいは引っ越しているのではないだろうかと、偏見に満ちた意見を口にして、軽く手を振って慰める。
ここで肩に手を乗せて、キラリと歯を輝かせて慰めることができれば好感度が鰻登りになるかもしれないが、小心者の勝利にそんなことができるわけはなかった。
それと今の見かけがおばさんだからなぁと、内心でこっそりと思ったこともある。やはり外見は重要なのだ。
神である勝利でも『ロキ』の住んでいる探偵事務所の場所は知らなかった。
そりゃそうだ。何区の何番地とか書くと、実際に聖地巡礼とか言って、ファンがその場所に行く可能性は高い。現実にそこに住んでいる住人には、どえらい迷惑でしかない。
なので、『ロキ』は女探偵にカモフラージュしており、スラム街に近い治安の悪い区画の雑居ビルに探偵事務所を構えていた。としか設定集には記載されていなかった。
聖奈さんは、その場所を知っていた。女探偵が『ロキ』であると決めつけるのは悪いことかもしれないが、まず間違いないだろう。
誰も知らない情報でも掴んでいるのが『ロキ』なのだ。そして、聖奈さんはその女探偵なら、必ずなにかを掴んでいると言っていたからだ。
しかし、その場所に訪れると、小物を売る雑貨屋となっていた。小説で描写されていた、くたびれたビジネスデスクに、キィキィと軋み音がする椅子などどこにもなく、清潔感溢れる店内に、屑石を加工したアクセサリーや、刺繍の入ったハンカチや、手作り感満載のバッグなどが置いてあった。
場所が違うのかと勝利は、その光景を見て特に何も思わなかった。聖奈さんに案内された場所だが、周りにも同じような雑居ビルは連なっており、どこも同じように思えたからだ。
しかしながら、聖奈さんはその場所が間違っていないと自信を持っており、動揺を露わにこの場所は探偵事務所ではなかったかと、店員に詰め寄っていた。
店員は詰め寄ってくる聖奈さんへと、驚いた顔で前の店舗の話は知らないと答えたのであった……。
「これからどうしましょうか? 不動産屋に尋ねてみますか?」
「いえ、不動産屋に行っても無駄でしょうね。これは根本から考え直さないといけなくなりました。お父様たちも真剣な表情で、調査してくれると約束してくれましたが……。他の貴族たちにバレないように調べるのは難しいらしいです」
「国の諜報機関はどこかしらの家門の息がかかってますからね……」
貴族って、本当に厄介だと嘆息する。小説の世界だからだろうか。諜報機関も家門の息がかかっており、漏洩する可能性は高い。防諜とはなんぞやというレベルである。
勝利が疲れたように息を吐くのを見て、コクリと真剣な表情で頷く。
「そのとおりです。そして、この情報は確実に証拠を掴みたいのです。今回もこのように無理が通ったのは、それだけ注意が必要だからなんですよ」
今回、二人が護衛もつけずに、この治安の悪い場所に来ているのは、それだけ皇帝陛下が本気だからだろう。
そうでなければ、強力な魔法使いとはいえ、勝利と聖奈の二人で訪れることは不可能だ。
自分の情報がどのような伝わり方をしたのか、勝利は正直考えたくない。恐ろしい。物凄い尾ひれがついているような予感がする。
「仕方ないですよ。聖奈さん、ここは諜報機関に任せましょう。僕もなにか情報がないか、親父、いえ、父上にさり気なく聞いて……さり気なく……。止めておいた方が良いかもしれないです………」
親父にさり気なく聞く……。不可能だ。たぶんピラニアのように話に食いついてくるに違いない。
そして、片言で伝えても、その内容を把握して、自分の利益になるように行動するに違いない。勝利では、親父の追及を逃れることはできないと、理解している。
この場合は、皇帝陛下に貸しを作ってやろうと、喜び勇んで暗躍する未来が想像できる。そして、その過程で神無公爵にもバレるだろう。あの家の情報網は異常であるからして。
「お父様独自の諜報機関はありますが、それでも限界はあります。……なんとか誰にも知られないように、いえ、信用できる味方で、なおかつ強力な情報網を持っている方がいれば良いのですが」
「う〜ん………そんな存在は……」
そんなヒーローじみた人間はいないと思ったが、よくよく考えると一人思いついた。もしかしたら、信用できるかもしれない。情報網を持っているかは不明だが、聞いてみるだけでも良いかもしれないな。
「それじゃ、同じように子供に尋ねてみるのはどうでしょうか? 皇帝派ですし、情報が漏れる可能性は低いかと思うんですが……」
「しっ、誰か来ます!」
さらに話を続けようとする勝利だが、聖奈さんが前方を見ながら、真剣な表情で手で制止してくる。
「てけてーん、てってってー」
調子外れの下手くそな鼻歌を歌う声が横道から聞こえてくる。足を止めて、警戒して身構えるが、どこかで聞いた声だな?
二人で横道へと視線を向けると、ひょっこりと姿を現す。呑気な様子でリュックを担いだ少女がてくてくと歩いてくる。
物凄く見覚えのある少女だった。
茶髪のショートヘアーで、そばかすが少しある女の子だ。
「なんだよ、魅音かよっ!」
驚かすなよと、警戒を解いて吐き捨てるように口にする。人気のない場所だったので、かなりビビっていたのだ。
こういうのは、力があっても同じだ。少し開いたタンスの隙間、ミシミシと家鳴りが響き、ホラー映画を見た後にはトイレに行きたくない。人気のない夕闇の住宅街で、カァと烏が鳴くとビクッとする。
精神の強さはたとえビルを破壊できて、家屋を焼き尽くす力を手にしても変わらないのだった。
なので、ビビらせやがってと、怒りを込めて言うと、魅音は勝利の声にびっくりして、片手をあげて身構える。
「お、ぉぉぅ? だ、誰だ、誰だ〜?」
「何言ってやがる。こんな裏道を歩いているんじゃねぇよ。襲われたらどうするんだ!」
驚き、恐れを顔に出す魅音へと、ジト目となって注意する。僕たちならば、ここらへんのチンピラが絡んできても、サクッと倒せるが、魅音は平民だ。危険極まりない。
子供を対象にする変態もいるのだ。
「へ、へ?」
注意してやったのに、なぜかこちらを見て動揺するアホな魅音へとジト目で返して、ヤレヤレだぜと肩をすくめて、ニヒルに笑ってやる。
「勝利さん、シーッ!」
「はい?」
なぜか、聖奈さんが脇腹をつついてくるので、なんかいちゃいちゃしている感じだと、顔を緩ませてしまう。女子に脇腹をつつかれるとか、夢だったんだ。
「勝利? 勝利って……もしかして、そっちは聖奈? また変装してるんだ!」
「あ」
「あ」
アホなのは、僕だった。いや、僕たちだった。
「聖奈さん……。なぜ名前を呼ぶんですか……」
「ぶー、勝利さんが変身していることも忘れて、魅音さんに声をかけるからです!」
二人で嘆息してしまうと、安心した魅音がてってと近寄ってきた。
「なによ、もぉ〜。驚いたじゃん! どうやって逃げようか必死になって考えたんだからね!」
「お前がこんな所にいるからだろ!」
「この道はたちの悪い人間に知られていない安全な裏道なの!」
腰に手を当てて文句を口にする魅音。なるほど、たしかに人気がまったくない。そういう道を選んで帰宅していたが、地元民にも知られていなかったらしい。
「なに、二人はデート? こんな所で?」
「いえ、人を探していたんです。ちょっと調べものがありまして。魅音さんはなんでこんな所を歩いているのですか?」
まったく照れることもなく、聖奈さんが答える。もう少し頬を染めるとか、慌てるとかしても良いんじゃないかなと、肩を落とし落ち込む勝利である。
魅音は勝利の落ち込む様子を見て、プッと吹き出すように笑うが、すぐに教えてくれる。
「この先に小物屋さんがあってさ。そこで刺繍したハンカチとか買ってくれるんだよ」
背負っているリュックを揺らして、ニヒヒと笑う魅音。リュック一杯に売りものが入っているようだ。
「あぁ、そんなことをしている店があるのかよ」
「うん、去年できたばかりだけど、助かってます」
良い小遣いになるんだよと、ピースしてくる能天気な魅音を見て、嫌味そうに深いため息をついてやる。
「お疲れさん。……しゃあねぇな。聖奈さん、この馬鹿を送ってやって良いですか?」
「ふふっ、そうですね。こんな危険な所を女の子一人で歩かせられませんし」
優しい聖女な聖奈さんがクスクス笑って頷くので、また、道を戻ろうとした時である。
頭上から、雷の矢が雨のように勝利たちへと降り注ぎ、爆発が起こり爆煙が舞い上がるのであった。




