168話 元旦なんだぞっと
みーちゃんは、ぼんやりとした頭で目を開けた。部屋は少しだけ寒いので、あったかお布団の中に頭からすっぽりと潜る。
ぬくぬくだ。毛布がふわふわで、夢の世界にぬいぐるみの皆が手招きしてるよ。
ふにゃあと、頬を緩ませて瞼の結婚式に参加しようとするみーちゃんだが、ゆさゆさと揺すられる。
「おはようございます、美羽様」
「二度寝って、世界最高の贅沢だと思うんだ」
「芳烈様たちはもう起きてますよ?」
「うぅ、そうなんだ。早起き〜」
布団からちょこんと顔を出して、寝ぼけ眼のみーちゃんは起きなくちゃと決心する。
良い子なみーちゃんは、早起きして褒められるのだ。アイスブルーの瞳に、珍しく着物姿の蘭子さんの姿が目に入ってきた。お正月だからかな?
「もう8時になりますし、初詣に行かないのか気にしてましたよ」
「もう8時? おせち食べなくちゃ!」
完全に目が覚めたよと、ちっこいおててで掛け布団を押し退けて起床する。今年のおせちは豪華らしいんだ。
去年までのおせちも、ママの手作りで最高だったけど、今年は特別な素材を使っているらしいんだ。ワクワクである。
「なんだか、へんてこな夢を見ていた気がするよ」
ベッド脇に置いてあるぬいぐるみのうさぎさんにおはようと言いながら、目をこしこしと擦る。
「初夢にしては、へんてこな夢だったよ」
新たに加わったライオンさんに頭を擦りつけて、うにゅーと思い出そうとする。
「まぁ、夢だもんね」
クリップボードを手にしているアリさんぬいぐるみを放り投げて、ベッドから降りる。クリップボードに「損害総額は?」と書いてあるけど意味がわからないな。
「ご主人様、洗面器を持ってきました! ちょうどよい熱さですよ。元旦の刑は一年に恩赦といいます」
蘭子さんと同じように、和服を着て得意げな顔でドタドタとニムエが部屋に入ってくる。その手にはなみなみとお湯が入った洗面器があった。
わかるわかる。漫画とかで貴族が顔を洗うんでしょ? そしてオチもわかるよ。
「あっ!」
慣れない和服だからだろう。予想通りに、ニムエは足を引っ掛けて、洗面器は宙に舞った。
このままだと、元旦からみーちゃんのベッドはびしょびしょとなっちゃう。ふざけんなと、防ごうと身構えるが、ニムエはすぐに人差し指を振るう。
宙を舞うお湯が球体となって回転すると洗面器を弾き飛ばして、空中に留まった。
「お〜! 新春学芸会だね。頭からお湯をかぶると思ってたよ!」
素直にパチパチと拍手をしてあげる。こういうのは、ゲーム仕様のみーちゃんにはできないんだよなぁ。
「フフフフ、本当に素晴らしいですね」
地獄の底から響くような底冷えした声音で蘭子さんが拍手する。頭に洗面器を被っているけど、今年の流行なんだろう。
「なかなかお似合いですよ、蘭子」
「ちょっとこっちに来なさい!」
「悪気はなかったんです。ほら、顔を洗うご主人様とその隣でバスタオルを持つメイドって憧れませんか?」
「気持ちはわかりますが、洗面台の方が使いやすいんですっ!」
額からたらりと冷や汗をかくニムエの襟首を掴むと、蘭子さんはズルズルと引っ張っていった。
「……うん、元旦から皆元気だよね。起きよっと」
んしょと、ベッドから降りるとみーちゃんはお着替えをするのだった。元日はほとんどの召使いはお休みだからね。
家族専用の小さな居間にて、コタツに入りながらパパとママがのんびりとテレビを見ながら、お喋りをしていた。
まだおせちには手をつけていない。みーちゃんを待っていてくれたらしい。ぽてぽてと近づくと、二人の前に正座する。
「明けましておめでとうございます、パパ、ママ。今年も良い年になりますように」
ペカリと花咲くような笑顔で、小さな手を畳につけてご挨拶だ。そのまま、コロリンと転がって、今年初のでんぐり返しのキレも確認しておく。
「明けましておめでとうございます、みーちゃん」
「あら、着物は着なかったの?」
「うん、猫さんワンピースだよ!」
ママが不思議そうにするけど、猫さんのプリントされたワンピースなのだ。にゃーん。福が来るように、猫招きなんだにゃん。
ちっこい手を猫の手にして、手招きだにゃん。
着付けをしてくれる侍女は、あほなメイドを説教に行ったしね。
魔法の世界にもあって良かったコタツさんに入る。まぁ、小説の世界にコタツは必須だからね。原作者も季節感を出すために、残しておいたらしい。
「ふぅ〜、暖かいね!」
足先からじんわりと温かさがのぼってきて、ポカポカだ。こたつで寝ても風邪はひかないので、寝ても良いかな。
「それじゃ、おせちを食べましょうか。今年は料理長さんが作ってくれたのよ」
「うん!」
みーちゃんの様子を温かい目で見て微笑むと、ママがパカリとやけにでかい重箱を開けてくれる。
「おぉ〜! 何これ?」
金色の伊勢海老。宙に浮いている伊達巻き。真珠色の黒豆に、半透明の昆布巻き。栗きんとんは燃えるように真っ赤だし、数の子は中から光り輝いている。他にも色彩が豊かすぎる料理がぎっしりだ。
……え、本当になにこれ? 食べられるわけ?
マジかよと、前世の記憶、もはやタンスの隅にしか残っていないだろう常識が、怪しすぎるだろと叫んでいる。
ちょっと口元が引きつるのは許してほしい。昔にあったグルメ漫画を思い出しちゃうよ。
「あ、あんまり見たことがないおせちだね! 本当にこれおせち?」
小首を傾げて、思わず疑問を口にすると、真剣な顔でコクリとママが同意してくれる。だよね、怪しいよね。
「そうよね……ママもそう思ったわ」
「あぁ……私は昔を思い出すよ。子供の頃はこういうのを食べていたから」
意外や、パパは懐かしそうな顔になる。楽しかった記憶と、苦々しい嫌な思い出もあったような複雑な顔をしていた。
みーちゃんたちも、これは食べられるのかと、複雑な顔をしていた。ママの手作りが最高だった。
「と、とりあえず食べましょうか」
「う、うん。えっとね、私はね……」
な、なにが良いのかな? 見た目、食べたくない物ばかりだ。くっ、前世の常識が邪魔しちゃうよ。バトルグルメ漫画を読んでおくべきだったか。
これかな、あれかなと、少しでもまともそうな食物を選ぼうとしたところで、蘭子さんがやってきた。
「芳烈様、新年のご挨拶にと風道様がいらっしゃいました」
「早いな……昨日のこともあるしな……。うん、お通しして」
「畏まりました」
感情を面に出さないで、頭を下げてくる蘭子さん。パパは多少困惑したが、素直に案内するように指示を出す。一礼すると、蘭子さんは下がって風道お爺さんを案内してきた。
相変わらずの威圧感のある厳しそうな顔の老齢のお爺さんだ。ビシッと背筋を伸ばして、老いを感じさせない。和服を着こなしており、軽い動作一つでも、威厳を感じさせる。
「新年おめでとう。今年も良い年でありますように」
「明けましておめでとうございます! お爺さん!」
しっかりと新年のご挨拶をすると、風道お爺さんは柔和な笑みを浮かべて、優しく頭を撫でてくれる。パパとママも表向きは平然とした表情で、普通に新年の挨拶を返す。
パパは思うところがあるのだろうけど、表情には出していない。ママはどうだろう、あまり気にしていないのかも。わからないな。
「うむ。相変わらず美羽は良い子だな。美羽に着物を着させてあげないのか?」
最後にジロリとパパを睨む。パパは肩をすくめて、軽く受け流す。
「元日ぐらいは、皆を休ませようと思いまして。明日は忙しいですからね」
「特別手当を出せば良い。使用人の仕事を選んだ者たちはそれぐらいわかっている。今日のうちに準備をしておきたかった者達もいるはずだぞ?」
「もうある程度は準備してありますよ」
「まぁ、今はお前が当主代行だ。些末なことに口を出すこともないか」
軽いジャブのやり取りを終えるパパと風道お爺さん。空気は重たくならないから、少しは仲が修繕されたのかな?
まぁ、たった一週間で仲良くなるわけもないので、なんだかんだ言っても、パパもこの一年で貴族の荒波に揉まれて鍛えられたんだろう。
元旦からギスギスしないなら、別に良いや。家族は仲良く暮らすのが一番だからね。
というわけで、風道お爺さんにおせちを手渡す。小皿にまんべんなくすべての料理を乗せてプレゼントだ。
「お爺さん、どうぞ!」
「おぉ、ありがとうな、美羽」
コタツに入った風道お爺さんは、笑顔で受け取ってくれる。
それぞれの料理を真剣な表情で口に入れて、よく味わうと、うむと満足そうに頷く。食通じみているのが、風道お爺さんらしい。
「味は去年から変わっておらんな。美味い」
「美味しい?」
美味しいというか、本当に食べられるの?
「あぁ、どれも一級品だ。黄金伊勢海老も良い味だ。これはAランクの海のダンジョンで採れたやつだな。『防腐』の魔法をかけて、新鮮そのままに持ってきたのだろう」
「へー、ダンジョンデスカ、ソウデスカ」
謎返答が返ってきましたよ? ダンジョンか。へー、ダンジョンかぁ。悟ったよ、これ全部ダンジョン産か。
美味しいらしい。去年までは当主として、この屋敷でおせちを食べていたと思うと、少し同情してしまう。元旦から訪れたのは、おせちを食べるためではないと知っているしね。
アポイントメントをとらないで夜半に訪れた連中の話だろう。ニムエはサッと侵入者を武士団に引き渡したらしい。
それはともかくとして、食べられることは確認した。伊勢海老からいただきまーす。
黄金の殻に入っている伊勢海老を箸で摘んで、じっくりと眺める。プリプリの海老だ。見た目は普通の伊勢海老と変わらない。
というか、なぜ作りおきのおせちに茹でてあるとはいえ、伊勢海老が入っているのだろうか。温かいものは温かく、冷たいものは冷たくなって入っている。この重箱も魔道具なのね。
味付けは終わっているので、小さな口に放り込み、もきゅもきゅと味わう。
「おー! 美味しい! プリプリしてるけど、ぷちりと噛みちぎれる! 味も淡白じゃなくて、味わい深い!」
黄金伊勢海老というだけはあるよ。これは美味しいと、思わず立ち上がって、拳を握りしめて力説しちゃう。よくよく考えてみたら、前世でも伊勢海老は数回しか食べたことがないから、味は覚えていないや。
伊勢海老って、美味しいのね。この黄金伊勢海老が幾らするかは聞かない方が良いと思うけど。
他の料理も美味しいのだろうと、素早く箸を動かして、パクパクと夢中に食べていく。昆布はふわふわだし、栗きんとんは見た目によらず、とても自然な甘さだ。数の子を食べたら口が光る。
「ふむ……美羽にはもう少し良い物を食べさせろ。これから、パーティーなどがあるのだ。その時にあまり料理に夢中にさせないようにしろ」
「相変わらずですね。少し気をつけますよ」
はぁ、とため息をつくパパに、苦笑するママ。これが生粋の貴族の考えかと、食べながら感心していると、つけっぱなしのテレビが緊急速報を告げてきた。
『こちらは帝都埠頭です。ご覧いただけますでしょうか? カメラの映している光景は平原ではありません。昨日までは倉庫街だったのです!』
ヘリに乗ったアナウンサーが、カメラを前に真剣な顔で映っている地上へと手を振っていた。
『魔物が出現したのでしょうか? 大晦日の深夜に轟音が聞こえたとの情報が届けられています! 一夜にして、消えてしまったのですね!』
倉庫街の3割ほどの敷地がきれいに更地となっていた。雪が降り積もっているが、凹凸は無く瓦礫一つなさそうだ。
「あの倉庫街は……芳烈! 状況を確認しろ!」
「そうですね、ごめん、美麗、みーちゃん。ちょっと外すね」
真剣な顔になった二人が、慌ただしく居間を出ていってしまう。
「元旦なのに……」
むぅと頬を膨らませるみーちゃんに、ママが頭を撫でて慰めてくれる。
「パパは忙しいからね。私たちだけで食べましょうか。初詣の時間には戻ってくるわよ」
「はぁい」
それまでは、おせちを食べていようかな。
倉庫街がなくなるなんて、なにかあったのかな。きっと怪獣でも現れたに違いない。
みーちゃんは知らないよ。きっと夢だったんだよ。なにも知りません。だから、損害賠償は魔物に請求してね。




