167話 釣り人
シンシンと粉雪が埠頭に降りしきる。灰が山となって積もっている。建ち並ぶ倉庫の3分の1は灰と変わっており、静寂が支配しているが、もう少ししたら、大晦日なのにと愚痴りながらも警察や武士団がやってくるであろう。
だが、それまでは静寂だけがこの場にあった。
その静寂が灰の山が崩れていく音でかき消される。
灰の山が崩れた後には1メートル半程度の卵があった。
真っ白な卵はピシピシとヒビが入ってくると、殻が割れていく。そうして、白い肌の小さな手が出てきた。
殻を掴むと、力を込めて破壊していく。だんだん殻が壊れていき、小さな手の主が卵から顔を出す。
「さてさて……。あの者はルールを聞いていなかったのか、理解していなかったか。まぁ、どちらにしても助かったと言うべきなのじゃろうな」
よいせと勢いよく卵から出てきたのは、背丈が1メートル程度の全裸の幼女であった。人と違うのは蛇の尻尾をお尻から生やしているところだ。そして、額に宝石のような第三の目を持っている。
足元まで伸びているエメラルドのように美しく艷やかな緑髪をそのままにペタンペタンと地面を歩く。
「まぁ……ルール違反というわけではないかの。だが、これを引き分けと言うのも気が引ける。神に相応しくない態度じゃて」
小さき幼女は、顎にちこんと手を添えて、う〜んと悩む。ルール通りではないと再戦するのは、少し卑怯であるし、恥ずかしい。
あれだけド派手に負けたのだ。
「とはいえ、相手は四人、こちらは我のみであったから、不公平といえば不公平なのじゃが……それでも良いと勝てると思って、戦闘をしたのは我じゃ」
納得ずくで戦闘を開始したのだ。勝てると考えていたこともある。相手の力を測って、四人相手でもなんとかなると考えたのだが、間違いであった。
「……ここはあれじゃの。せっかくの数千年振りの肉体じゃ。この魔が満ちる世界を楽しむとするかの」
幼女、いや、ナーガラージャは良いことを考えたと、ニカリと顔を輝かせて、ぽんと手を打つ。
ロキとの戦闘において、ナーガラージャは事前に自分の魔法を使い、密かに卵を隠していた。
神は不滅である。殺されても、器があれば、いくらでも蘇ることができた。
相手がナーガラージャの魂を次元の彼方に帰そうとするならば意味のない行動だが、もしもナーガラージャが負けても魂を放置するならば、この卵に魂を移そうと考えていたのである。
目論見は成功した。だが、卵から戻ったので、かなりの力を失ってもいた。力を取り戻すには、なにか行動を起こさなくてはならない。
「あの神々と戦うのでなければ、別に頑張らなくても良いじゃろ。好き勝手にするかの」
「ひいっ、な、何者だ!」
疲れたと、ふわぁと欠伸をしたら、側から声が聞こえてきたので、振り向いて顔を向ける。気配には気づいていたが、放置していたのである。
そこには釣り服を着た中年のでぶったおっさんが、驚いた顔で立っていた。
元服パーティーにて、大活躍した戦車隊大隊長の佐久間は大晦日に、埠頭にて釣りに来ていた。
今年一年は良い年だったと思い返しながら、カイロを懐に入れて、粉雪舞う中でのんびりと糸を垂れていた。
もう出会う人、出会う人に、シザーズマンティスから多くの人々をどうやって助けたかを、尾ひれを5枚ほど、背ビレを8枚ほど増やしながら、英雄譚を話していた。
手足も生やし、頭も増えて、もはやクリーチャー化した英雄譚では、佐久間は迫るキングマンティスとたった一人で戦っていた。そして、傷だらけになりながら倒して、皇帝に金1万枚を貰ったところで終わるのである。
この話題一つを大事にして生きていこうと決意して、安全な後方勤務に異動するつもりだった。
最近は魔物の数も多くなり、どうも危険なことが増えてきな臭い。鉄蜘蛛に乗っていても、死ぬ可能性が増えているのだ。
なので後方勤務か、軍を辞めて最近調子の良い粟国家か、鷹野家に媚びを売って、どこかの企業に噛ましてもらおうかとも考えていた。
とにかく安全に安泰に安楽に暮らしたい。贅沢は味方という言葉が格言のおっさんなのである。
そんなおっさんにも、悩みがあった。メタボが悩みだが、酒を飲んでサラミを食べながら痩せないとなと考える程度なので、それはたいした悩みではない。
大きな悩みは、妻との間に子供ができないことであった。魔法使いは後継ぎを作らなくてはならない。魔物が徘徊し、下手をすれば人類は押し負ける可能性がある世界だ。それは絶対と言っても良い。
お互いに問題はないと、医者には診断してもらったが、それでもできないのだ。
なので、大晦日に集まる親戚との会では、いつ子供ができるのと親戚縁者にうるさく聞かれて、嫌になって釣りに来ていた。もう3年連続だ。
妻はクリスマスケーキの残り品を食べまくり、腹を壊して体調不良ということで、会には出てないが、来年、再来年となるとまずい立場になるだろうと、海に垂らした釣り糸を眺めながら、吐く息の白さに寒さを感じて、ボーッと釣りをしていた。
そうして静かだと思いながら、釣りをしていたら、突如として離れた倉庫街から爆発音が聞こえ、太陽の光のように辺りが照らされた。
混乱してガタガタ震え、武士団に連絡しようと思ったが、光は収まり戦闘音も聞こえなくなった。
どうやら戦闘は終了したようだった。
なにが起こったのだろうと、恐る恐る戦闘音がした方へと向かった。好奇心もあるが、それ以上に、うさぎが転がった切り株を狙ったこともある。
魔物ならば、咆哮などが聞こえてくるだろうが、静かなものだ。もしも強い魔物を退治したばかりならば、その場にいるだけでも美味しい思いをできるかもしれない。
傷ついた者がいれば介抱して、武士団を呼んだりすれば良い。そうして魔物退治の一員のような顔をして、その集団に混ざれば良い。
小物極まる考えをしながら、倉庫街に辿り着き、違和感に顔を顰めた。
「この倉庫街にこんな更地あったか?」
倉庫街に、線を引いたかのように更地が続いていたのだ。戦闘ではないだろう。なにせ綺麗すぎる更地であり、隣の倉庫は全くの無傷だ。
恐らくは新たなる倉庫区画を作るためだろうと考えながら、戦闘を繰り広げていた人たちはどこかなと、キョロキョロと探していたら、卵から孵る幼女に出逢ったのであった。
「魔物だな、貴様! しかも人型タイプとは、元服パーティーにて、スタンピードをたった一人で防いだ、この佐久間に出逢ったのが不運であったな」
佐久間の英雄譚というクリーチャーはさらなる進化を遂げたらしい。
『岩剣創造』
高い釣り竿だからと、佐久間はそっと地面に釣り竿を置いておき、身構えるとナーガラージャへと向けて手を翳す。手の中に2メートルほどの長さの岩でできた剣というか、棍棒が作り出された。
「ふふふ、この佐久間。もはや何匹魔物を倒したかも覚えておらぬわ。私の神剣岩鉄の前に砕け散るが良い」
腰を引いて、ヘイヘイと虫でも追い払うかのような鋭い振りを見せる佐久間。どんな魔物でも、この勇敢な態度を見せるメタボなおっさんの姿に恐怖して逃げてしまうのは確実だ。
「さぁ、どこからでもかかってこい!」
神剣岩鉄を高速かもしれない速さで振りながら、ポケットに入れてあるスマフォを取り出そうとする英雄佐久間。
冷静極まる佐久間は、一人でも勝てるだろうが、念のために武士団の援軍に連絡するつもりなのだ。
寒いので、もこもこ手袋を着ている片手で出そうとしており、慌てていたのでポトリと落としてガシャンとスマフォが鳴る。
「ああっ! 先月買ったばかりなのに!」
まだローンが残っているのにと、佐久間は腰を落として、地面へと手を伸ばすが腹がつっかえて、中々届かずについにドスンと尻もちをついた。
「ああっ! 今月買ったばかりのズボンなのに!」
慌てて立ち上がり、ズボンの汚れをとろうとする佐久間。買ったばかりの新品ばかりの模様。
奥さんにお小遣いの権限を持たれているために、物を大事にする英雄佐久間なのだ。
魔物を前に物を大事にする態度を見せる英雄佐久間に、ナーガラージャは呆れてため息を吐いた。
だが、その隙こそ佐久間の狙っていたことであった。ため息をついた幼女を見て、その存在を思い出したわけではないはずだ。
「ちょぇぇぇ!」
身体能力強化を行い、神剣岩鉄を振り上げて、ナーガラージャへと全力で投擲する。
正確無比な佐久間の投擲により、神剣岩鉄は海にぽちゃんと音をたてて落ちて沈んでいった。
佐久間の投擲は天才的で、投擲系魔道具を仲間に向けて投げると評判の腕前であり、その力を遺憾なく発揮したのだ。さすがは英雄と言えよう。
「私の投擲を躱すとは、なかなかやるな! クリエイト――」
「もういいわ!」
「げはっ」
ナーガラージャは、尻尾の一撃で佐久間を吹き飛ばす。佐久間は地面を転がり、あっさりと気絶した。
「はぁ、なかなか疲れる男だったのじゃ。だが、役に立つか調べておくか」
気絶した佐久間を尻尾で持ち上げると、ナーガラージャは額の瞳を光らせる。瞳から光の帯が佐久間の頭へと伸びてゆく。
そうして、この世界の知識を吸い出して、ふむとちっこい顎に手を当てて考え込む。
「さてさて、面倒くさい世界のようじゃな。ヘタに動くとすぐに我の存在はバレるじゃろ」
魔法と科学の融合した世界と知り、ナーガラージャは顔を顰めて困り顔になる。戸籍などを機械にて管理しているらしい。このような文明の場合、迂闊に行動すると、すぐに存在がバレることをナーガラージャは知っていた。
「この男を使うとするか。抜け道はありそうじゃしな」
髪をかきあげて、ふふふと微笑むナーガラージャ。かきあげていた髪の色が滑らかで自然な茶髪に変わった。
額を撫でると第三の瞳が消えて、尻尾がシュルシュルと体内に仕舞われる。手をサッと振るうと、継ぎ接ぎだらけのワンピースが現れて、身体を覆う。
「こんなものかの」
自分の姿を確認して、満足そうに頷くと、ナーガラージャは気絶している佐久間を蹴り飛ばす。
「あだっ、ここは……」
「おとーさん、大丈夫? 雪に足を滑らせて、滑稽に気絶したんだよ」
「あ、あぁ、そうだったな。そうだ、これから妻にガラシャを紹介しないといけないんだったな」
頭をさする佐久間に、ガラシャと呼ばれたナーガラージャは不安そうな顔になる。
「わたし、隠し子っていうのでしょ? 大丈夫かな……」
「大丈夫だ。お前も母親が死んで一人だろう? しかもスラム街に住んでいて戸籍がないなど……お父さんに任せろ! ……はて、なぜ私は釣りなぞに来ていたんだ?」
「奥さんに紹介するのがこわいって、言ってたよ?」
不思議そうにする佐久間に、コテンと首を可愛く傾げるガラシャ。それを見て佐久間はガシガシとガラシャの頭を強く撫でて笑顔を見せて、胸を叩く。
「任せろ! 妻も子供がいなくて苦しんでいたからな。私が説得する。さぁ、ついてこい!」
「はぁい」
佐久間はガラシャと手を繋いで歩き出す。
ガラシャは遠ざかる更地へと視線を向けて、フフッと微笑む。
「さてさて、次元を超えし者が鍵か……。見つけたら眷属を召喚する贄としても良いが……。まぁ、負けたのじゃ。この世界を暫く楽しむとしようかの」
そうして、佐久間の娘として、ガラシャとなったナーガラージャは人間の世界で暮らすことにしたのであった。
ちなみに、佐久間の妻はガラシャの境遇に酷く同情したのと、魔法の素質がある者が自分の娘になることに大喜びして迎え入れた。
それはそれとして、佐久間の月のお小遣いは減額されたが、別に気にすることはないだろう。




