159話 大晦日に鐘はなる
大晦日。明日は元日であり当然のことながら、動く船は一隻もおらず、歩く者すら見ないはずの、誰もいない静かなる真夜中の埠頭に、一隻の船がやってくると錨を降ろして停泊する。
中型クルーザーだ。金持ちが友人たちとちょっとしたクルージングを騒がしく楽しむための物であり、20名ほどが余裕で乗れる豪華な船である。
暗闇の中で、波に揺られて停泊するクルーザーは、たまたまそこに人がいても、この大晦日に馬鹿騒ぎでもする金持ちのボンボンが乗っているのだろうと、妬みや嫉妬を持って、舌打ちをしながら去っていくだろう。
即ち、怪しいとは感じさせない船だ。これが貨物船や漁船ならば、なぜ大晦日にと疑問に思う者もいるだろうが、金持ちはきまぐれなものと考えている者たちは、注意をしなかった。
事実、大晦日にクルーザーに乗って、沖合でパーティーを楽しむ貴族たちの姿も垣間見えるのだ。金がある者は、やることも派手だ。埠頭に人がいてもそう考えたであろう。
しかし、その船内はといえば、寂しいものであった。船内灯は最低限の足元を照らすだけのものしか点いておらず、人気もない。
一人の男がのんびりとあくびをしながら、操舵席に座っているだけである。
なので、ますます興味を失う船であったが、歪みが飛び出しつつ船は埠頭を進んでいく。一つではない。いくつもの歪みが飛び出すと、暗闇が支配する埠頭へと消えていった。
そのことには誰も気づくことはなく、ただ波の音がザザンザザンと鳴り響くのであった。
空から降りてくる粉雪が、シンシンと降り積もっていき、埠頭は白く染まっていく。
その中でコンクリートで作られている埠頭を歪みが進む。よくよく見れば、その歪みは人型をとっており、時折設置されている街灯のそばを通ると、影が地面に映る。
なにかがいる。魔法使いであれば、すぐにその正体を推測するだろう。
即ち『姿隠し』の術を使い、何者かが潜んでいると。
「クククッ。いいねいいね。これから暗躍をするって、嫌でも感じるぞ」
浮かれていると分かる若い男の声が聞こえてきて、さらに足音が聞こえてきた。
「………俺達は隠密行動中です」
「へっ、誰もいねぇよ。見ろよ、静かなもんだぜ?」
窘める男の声が聞こえてくるが、若い男の声は馬鹿にするようにせせら笑うといった選択肢をとった。
「監視カメラや監視用魔法などもあるのです。今のところはクラッキングして監視カメラにはなにも映さず、魔法は巧妙に破壊していますが、わざわざ危険を冒すこともないと思われます」
「細かい奴だな。弱い雑魚は嫌だね」
「危険なんですよ。あんたのせいで、目的を達成することもできなけりゃ、報酬はパーだ。金がかかっているんです。ここまで来るのにも、かなりの金を使用しているんです」
「金、金、金。嫌だね、金のことばかり。だからてめえらは雑魚なんだよ。俺様とは違ってな。これから俺は強者を倒しに行く英雄だ。もっと堂々としていても良いはずだ」
その演技ぶった、得意げな自己陶酔をしていそうな声に、苛立ちを覚えて、お前は単なる殺し屋だろと怒鳴りつけたいが、グッと唇を噛み我慢する。
この馬鹿が強者であるのは間違いはないのだ。うまく操らなくてはならない。
「では、長政様。そこのブロックの8番倉庫が目的地です。あそこに運搬用のトラックがあります」
埠頭に並ぶ蒲鉾型倉庫の一つを指差し伝える。
「あれか!」
はしゃいだ声が聞こえると、ズシャズシャと足音が聞こえ、積雪に足跡が浮かび上がっていく。
「『姿隠し』の意味がないですよ!」
「倉庫に入れば、もう気にすることもないだろ?」
注意をするが、どこ吹く風と相手は受け流して、倉庫の分厚い金属製の扉の前に到着すると、ガンガンと扉を叩く。
「おい! 準備はできているか? この弦神長政が来てやったぞ!」
その荒々しい声と粗雑な行動についに『姿隠し』の魔法は解除されて、火花を散らして巨漢の男が滲み出るように空間から現れた。
誰あろう、弦神長政が自信にあふれる笑顔で現れるのであった。重装甲の魔導鎧に覆われていても、その隙間から見える筋肉の鎧から、鍛え上げた人間だと思われる男。
いかなる物も破壊する『神拳』と、いかなる攻撃も通用しない『神鎧』を持つ元皇族の弦神長政であった。
「は、ははい、今開けます」
気弱そうな少女の慌てる声と共に、ガラガラと金属扉が開いていく。倉庫の中が垣間見えて、トラックが目に入る。
事前説明で、あれは改造トラックであり、長政たちを運ぶ輸送用だと聞いている。
長政は心が躍り浮き立つのを感じて、笑みを隠すことはできなかった。
反撃の狼煙をあげるときが訪れたのだ。
これからは、皇帝の多くの重臣を血祭りにあげて殺していき、混乱と共に自身の名前を広めていく。
力強く拳を握りしめて、ニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべて、この先の日本魔導帝国の混乱を思い、楽しげに笑った。
「軍に入れば、その力も使いようがある? 魔物を倒すのにだけ役に立つ? 馬鹿にしやがった奴らは皆殺しだ。今に見てろよ。英雄たる俺の力が輝ける世界を作ってやる」
怒気を纏い、怨嗟の声をあげて、妄念を宿し、未来に希望を持って長政は嗤う。
過去において皇族では、一人だけ馬鹿にされていたのが長政であった。
複数の属性を操る皇太子である信長兄と、いかなる怪我をも治すことのできる妹の聖奈に挟まれて、長政は生きてきた。
複数の属性を操るということは、多種多様な魔法を使え、強力な魔道具を作り上げることもできる。初代が残した土地を浄化し肥沃な土地とし、豊富な資源がある鉱山を作り出す便利な神器も操ることができる。
回復魔法が使えるということは、死から遠のくことができるというところだ。金を持ち、権力を持つ者ほど、いかなる病も怪我をも治す回復魔法を望んだ。
兄と妹は多くの人に称賛されて、その反面、長政はというと役立たずだ。
これが下級貴族に産まれていたら、その立場は変わったに違いない。無敵の鎧と拳を持ち、多くの魔物を倒して英雄とも騒がれていた可能性は極めて高い。
しかし、長政は皇族であった。
皇族に求められるものは、戦いの力だけではない。複数の属性を持つことにより、初代から引き継がれている多くの強力な魔道具を操り、優れた政治を行う能力が必要だ。
兄の信長は、父の刀弥と同じく、複数の属性を使いこなし、優れた政治家としての視野を持ち、皇族の見本のような優等生であった。
妹の聖奈は回復魔法という希少な魔法を使いこなし、あの歳で父親に警戒されるほど、政治家としての能力の片鱗を見せていた。
強力な魔道具を操ることもできず、政治に関してはまったく能力に欠けているのは、長政だけであった。
戦闘にしか役に立たない木偶坊。宮廷で囁かれる貴族たちの馬鹿にする陰口は、常に長政を苛み苦しめてきた。
だからこそ、戦いだけで生きていける世界を長政は欲した。自らが輝ける混乱の時代を望んだのだ。
………第三者から長政を見ると、そこまで蔑まれてはいなかったのだが。
この世界では、魔物を倒せる者こそもっとも尊敬される。魔物の脅威は現代でも人々を苦しめている。村が街が破壊され、突如として魔物に襲われて明日を迎えることのできなかった人々は大勢いるのだ。
だからこそ無敵の装甲と、破壊の拳を持つ長政は、多くの人々から称賛されていた。
しかし、皇族として生きてきた長政は歪んでいた。100の称賛を世辞だと切って捨てて、力が強いのが皇族としてなんの役に立つのだと思い込み、10の陰口を気にして生きてきたのだった。
皇族の誇りは、歪んだ妄執と、強すぎる承認欲求へと変わり、長政はこの日本に混乱を引き起こし、戦国の世にしようと考えたのだ。
それはたった15歳の思い込みから始まったものだが、幸か不幸かはわからないが、実践できる力を長政は持っていた。
「おせえっ! さっさと開けろ!」
尊大な態度を取り、鼻息を荒くして扉を開けた少女へと怒鳴りつけ……口を噤む。
「すみません、すみません。こ、こちらです」
ペコペコと頭を下げる少女。その少女を目の当たりにして、思わず息を呑む。それほどに少女は美しかった。
暗闇の中に肩まで伸ばしたプラチナブロンドの髪が輝くように靡き、その碧眼は気弱そうに下がり気味だが、宝石のように美しい。
まだ年若いにもかかわらず、その肢体は艶かしく豊かで、黄金比とも言って良いバランスの取れたものだった。
何より、魅力的な肢体を強調するように、ぴっちりとしたレオタードのような服を着込み、装甲は白銀に金の意匠が彫られている。胸を強調するかのように装甲が申し訳程度に着けられて、肩には中心に幾何学模様の涙型の肩当てが僅かに浮いており、羽型の意匠がついている脚甲が脚に嵌められている。
女神のような少女が目の前には存在していた。
自身の魅力に気づいていないかのように、彼女は長政たちが目を見張り注視する中で、気にすることもなく身体を翻すと、トラックへと平然とした顔で、てくてくと歩いていく。
「目的地を教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
さり気なさを装って聞いているのだろうかと、美少女の背中を見ながら、長政は夢から醒めたかのように意識をクリアにさせて、嘲笑しながら後に続く。
「知ってんだろ? 鷹野なんちゃらとかいう爺がターゲットだ。風の使い手最強を殺しに行く」
案内人には説明はされているはずだ。聞くまでもない。だが、そういう意味ではない。この美少女はわざと聞いているのだろう。
「今の鷹野家を皆殺しにすれば、とんでもない混乱になるだろうからな。当主のチビとその親は別働隊が殺しに行っている」
長政の最初の反撃の狼煙は、今の貴族たちが顔を合わせれば話題に上らせる噂の人物鷹野美羽と、その家族たちだ。
とんでもない財力と勢力を持ち始めている。皆殺しにすれば、残った利権を求めて各貴族が暗躍し、大変な混乱が起きるはず。
そう説明を受けて、長政は帝都へと侵入した。
「で、案内人はどこだ? 死んだか?」
どうやら案内人は殺されたか、捕まったようだ。
このような美少女が、大晦日に薄暗い汚い仕事をするわけがない。
このような美少女が、輝くような美しい銀のマナに覆われた魔導鎧を着て、待っているわけがない。
弦神長政は、仲間と共に警戒を露わにし、構えるのであった。
このようなアクシデントも、英雄たる俺にはふさわしいと、狂ったような歪んだ笑みを浮かべながら。
ゆっくりと振り向いた少女の瞳が長政の目に映る。そうして周囲の暗闇から赤い瞳が次々と光り始めたのであった。




