158話 大晦日の警備のメイド
『拓猿』の忍者たちは、新雪が降り積もる地面に足跡一つ残すことなく、高速で森林を駆け抜けて、屋敷へと向かっていた。
だが、先頭の一人へと木々の合間から突如として雷が放たれた。躱すこともできずに、部下は雷に撃たれて倒れる。
「ちっ、トラップだ!」
一太は、枝葉に隠されるように幹に貼られている符を見て、部下へと警告する。
罠が地上付近に仕掛けられていると考えて、地上を走る何人かが、地を蹴り高く飛翔して、枝に乗り移り移動をしようとした。
「よせ!」
慌てて止めようとするが遅かった。飛翔の途中で全員が空中で停止してしまう。その身体は既に半透明の蜘蛛の糸のような物を絡ませていた。
「ぐわっ! 罠だ!」
「『蜘蛛糸縛りの符』だ!」
「この森林は罠だらけか!」
刀を抜いて助けようとした者が、横合いから雷に撃たれて倒れる。
「『魔法障壁』があるはずなのに……」
『魔法障壁』が展開されているにもかかわらず、雷により倒れていく仲間を見て怯む部下へと、一太は倒れた部下の『魔法障壁』が僅かに貫かれたことと、他の魔法が発動したことを見抜き、からくりを看破して伝える。
「『魔法障壁』は発動している。僅かに貫通しているのだ。雷に『麻痺』を付与しているから、動けなくなる! 貫通力のある雷だからこそ、効果を発揮しているのだ」
「雷に『麻痺』を? そのような複雑な符が仕掛けられているというのですか? 聞いたことがありません!」
目を剥いて驚く部下に、無理もないと舌打ちをする。符にいくつもの術を重ねるのは高度な技が必要だ。しかも攻撃魔法に状態異常を付与するとなると、生半可な陰陽師では無理である。
一太もたまたま知っていなければ、看破するのは難しかっただろう。
「先々代の頃にいたらしい。行方不明になる前は、陰陽師最強だったとか教えてくれた」
動揺する部下へと、鋭い声音で落ち着きを取り戻させるために言う。
「だが、これは遠隔自動式の符だ。トドメを刺しに来ないところを見ると、恐らくは仕掛けた当人はいない! 落ち着いて対処すれば良い。救助に3人置いていく!」
「はっ! わかりました」
練度の高い忍びたちは、一太の落ち着いた態度を見て、冷静さを取り戻す。罠にかかったのは5人。それらを助けるために3人残し、残り7人で一太は先に進むことにした。
「陰陽師が待ち受けている可能性があるのでは?」
「まだ7人いる。片付けるのは容易だ。進め、進め!」
自身で信じていないにもかかわらず、一太は自信有りげに叫ぶと足を速める。
いずれにしても、既に森林は通り抜けることができる。一矢報いねばと考えるわけではないが、屋敷に入ることもできずに退却したとあっては、『拓猿』の名前に響く。
降りゆく雪が激しさを増し、己の魔導鎧に薄っすらと積もり始め、吐く息が白くなる中で、せめてもの最低限のラインはクリアしておかなければと、一太は上忍としての責任を感じて行動してしまった。
そこが一太の分岐点であった。
「屋敷が見えてきたぞ!」
発見されているのならば、ターゲットは逃げるだろう、護衛を集めているだろうとの考えはなぜか思い浮かばずに、多少の高揚感を覚えながら、一太は正面玄関の扉を開け放つ。
本来の一太ならば、凄腕の侍が出現した時に逃げていたであろう。忍びの最優先事項とは、敵に捕縛されないことだからだ。
自身の正体が暴かれれば、里も知られてしまう可能性がある。用心すぎるほど用心深いのが一太であった。
しかし、彼は責任を気にする間抜けで凡庸な上司のように判断を誤った。そのことに自身の様子がおかしいことに疑問は持たずに、湧き上がる謎の高揚感を覚えながら、屋敷へと入り込む。
裏口から入ろうとしていたのに、正面玄関から入るという暴挙にも違和感を覚えずに、また周りの部下も一太のいつもの様子とは違う行動に注意をする者もいなかった。
いつの間にか吹雪となり、後ろは少し先も見ることのできない暴風が吹き荒れていたが、気にしなかった。
シンとした静寂に支配された屋敷。2階まで吹き抜けの正面ホールの奥には、真っ赤な絨毯が敷かれた階段があり、明かりはついておらず暗闇が支配している。
『暗視』の能力を付与されている『つけ猿』にとっては、この程度の暗闇は真昼と同じだ。一太たちは身体に降り積もった雪を軽く叩きながら、息を吐いて足を踏み入れた。
「………警備が誰もいないのか?」
違和感を覚える。既に発見されているにもかかわらず、警備が誰もいない? 警備員が待ち構えていると予想していたのだ。
いや、そうではない。極めて強烈な違和感を抱く。
「なぜ我らは正面玄関から入っているのだ?」
「それは………なぜだ?」
部下たちも戸惑いの表情となり、お互いの顔を見合わせるが、答えの出せる者はいない。
混乱が僅かに自分たちを覆う。だが、それ以上思案することはできなかった。
「雪の世界は別の世界と言います。雪が音を吸収して静寂さと静謐さが支配し、全てを覆う白き世界」
ホールの階上から、涼やかな声が響いてくる。
「誰もが思います。あぁ、この世界は別世界だと」
「何者だっ!」
一太たちはそれぞれの武器を構えて、険しい顔で声の主へと言う。
「吹雪の中で、屋敷に入る時はご用心を。日本では雪女、イギリスでは雪の精霊が待ち受けている、と申します」
まるで雪のような純白のローブを羽織った女性が、コツコツと足音を立てながら、階段を降りてくる。
見惚れるほどの美しい青髪の女性であった。羽毛のようにローブをはためかせつつ、凛とした顔立ちには平然とした平静とした揺蕩う水面の如き瞳が一太たちを映し出す。
「わたくし、美羽様をお守りする護衛、水野ニムエと申します。訪問のアポイントメントはおとりでしょうか?」
ローブの裾をちょんと持ち上げて、カーテシーをとるニムエを、一太は憎々しげに睨みつける。
まるでパーティーに参加をするような、美しい所作の美女だが、身体に纏うマナの濃さが、この女が強力な魔法使いだと告げていたからだ。
「……時間がない! 切り札を使うぞ!」
「はっ!」
一太の決断は早かった。これ以上、時間を喰うわけにはいかない。
『つけ猿』の切り札たる能力を発動させる。魔導鎧が禍々しいオーラを吹き出して身体を覆う。鋼のように鍛えた体がミシミシと音をたてると、膨れ上がっていく。
服が破れ筋肉が膨張する。黒き針の如き剛毛が生えて、皮膚が毛皮に覆われる。その口から牙が生え、狂暴なる顔へと変わっていった。
「これこそ、我らが切り札『猿羅』! 肉体の能力は数倍に上がり、毛皮は強力な魔法耐性を持つ!」
全員が3メートルはある黒き大猿になり、牙を剥きよだれを垂らす。『拓猿』の奥義。精鋭にしか使えぬ技だ。
格上の魔法使いだろうが、この人数ならばどのような相手でも倒せると口を歪める。
「かかれっ!」
その一言で、ドンと床を蹴り、部下たちはニムエへと襲いかかる。猿羅の能力はその怪力と身軽さだ。
魔導鎧には、体重を限りなくゼロに近づけている『重量軽減』の魔法が付与されているため、大猿となってもその身体は軽い。
そして、『改造型浮遊』により空間に足場も作れるために、三次元の行動がとれた。
空間に作った足場を踏み、高速で異形の魔猿は牙を伸ばして襲いかかる。
7人の魔猿は高速でホールの宙空を、壁を、床を蹴り、残像を残しつつ高速でニムエの周りを移動する。
「我らの動きが見えまい!」
ピクリとも動かないニムエへと、せせら笑いを浮かべて、攻撃を仕掛けるべく、合図を出そうとして、ガタンと激しい音がするので、留めて音源へと目を向ける。
新たな警備かと思いきや、部下の一人が壁に頭をぶつけて倒れていた。気絶しているのか、微動だにしない。
「な、なにが?」
高速での動きについていけずに、壁に頭をぶつけたように見えるが、そのようなことはあり得るはずがない。部下も優れた忍びなのだ。
眉根を顰めて、ニムエが何をしたのかと警戒する中で、またドシンと大きな音がする。同じように部下の一人が壁にぶつかって気絶していた。
「は? なにが?」
魔法は感知していない。『魔法障壁』は発動していない。攻撃を受けた感触はない。
「がはっ」
「うぐっ」
次々と高速で動いていた部下が、壁にぶつかり気絶していく。
精鋭である部下が間抜けにも壁にぶつかり気絶していくことに、怒りよりも恐怖が心に生まれる。
あの女はなにかやっているのだ。
「急ぎ、倒すぞ!」
正体のわからない攻撃。躱すことや防ぐことを諦めて、一太はニムエを倒すことで状況を打破しようとする。
『剛爪帝襲』
ミチミチと筋肉が音を立てて、マナがオーラとなって腕に集まっていく。人間を簡単に分断できる鋭さを持つ爪が伸びていく。
両手を振り上げて、残りの部下とともに、ニムエへと斬りかかる。
魔猿の爪による連撃。『魔法障壁』が展開されても、部下と連携した魔爪の連撃は『魔法障壁』を切り裂き、女をバラバラの肉片にするはずであった。
だが、ニムエの目の前に迫り、腕を振り下ろそうとして、身体が硬直してそのまま床に墜落した。
身体が床に叩きつけられて、混乱と激痛が一太を襲う。残りの部下も同様に身体が硬直したようで、床に転がっている。
「ま、魔法か………どうやって……」
身体が冷たくなり、ピクリとも動かせないことに驚愕してうめき声をあげると、ニムエはクスリと笑う。
「貴方たちは既にわたくしの世界に入っていたのです。『雪世界』に」
ついっとニムエが人差し指をあげると、一太たちの身体に付いていた粉雪が、スライムのようにもぞもぞと動く。
目を見開き、その正体に驚愕する。
粉雪が敵の魔法であったのだ。染み込んだ雪は魔導鎧を故障させて、人体を凍結させるのだろう。『魔法障壁』が発動しないはずである。
「うぅっ……溶けない粉雪に、い、違和感を持つべきだったか……」
その正体に一太は気づき、後悔の念が浮かぶ。正体が、わかったと同時に自身の意志が捻じ曲げられて、なぜ無謀に突入をしたのか理解した。
「『精神高揚』、『朦朧』、『意思薄弱』の魔法が付与されている粉雪なれば。『迷いの吹雪』にて、貴方たちは誘導もされていました」
敷地に入った時から、身体に積もりはじめた粉雪。あれは全て魔法が込められた毒雪であったのだ。
「な、なぜ、ここまでの護衛が……」
冷笑を浮かべるニムエが視界に映り、そうして一太は意識を失い、ガクリと倒れるのであった。
ニムエは気絶した者たちを、冷ややかに見ると、カーテシーをとる。
「この湖畔の魔女ニムエは対人戦最強でありますれば。人間であれば、どなたもわたくしには敵わないのです」
指一つ動かずに、侵入者を倒し終わったニムエは、ホールの隅へと視線を向ける。
「護衛としては合格でありますでしょうか?」
「……気づいていたか」
ジジっと空間が歪むと、魔導鎧を着込んだ老人が姿を現す。厳しい目つきで、侵入者たちを見ると頷く。
「問題あるまい。貴様以上に美羽の護衛として相応しいものはいないだろう。だが、強すぎる。なぜ、護衛をする?」
現れたのは鷹野風道であった。襲撃があると考えて、老人も完全装備をして、侵入者を迎え撃とうとしていたのだ。
だが、新たなる護衛たちは、あっさりと侵入者を倒した。しかも殺すことなく。
当主レベルの魔法使いだと、その様子から判断をして、風道は威圧するようにニムエを疑惑の目で見つめる。
「わたくしは美羽様の忠実なるメイドなれば、これ以上の栄誉はありません」
「……分かった。だが、肝に銘じておけ。裏切れば、鷹野家の力を知ることになると」
納得はしていないのだろう。細めた目でニムエをひと睨みすると身体を翻して、風道が去っていく。
「大丈夫でございます。英霊は主人の下で戦うのが一番の喜びなので」
フフッと微笑むと、侵入者を拘束するべく、他の警備に連絡をするべくスマフォを取り出すニムエであった。




