157話 大晦日の侵入者
チラチラと雪が曇天の空から降っている。粉雪だ。大晦日、夜闇の帳はすでに降りており、帝都は粉雪が降り積もるのに合わせるように静寂に包まれ始めていた。
まだ年越しには時間早く、カウントダウンを行う人々も各々家に籠もっていたり、居酒屋で年末を楽しんでいる。
人々は来年は良い年であるようにと、年越しそばを食べたり、酒を飲んだり、のんびりと寛いでいた。
帝都は弛緩した空気に覆われており、今日だけはなにも起こらないだろうと、笑って過ごしている。
各貴族も大晦日は静かにしており、今年は終わりだと殆どの者が考えていた。
そう、殆どの者が。即ち、一部の人間は静かに今年を終えようとはしていなかった。
鷹野家の屋敷は36家門に相応しい広大な敷地の中心にある。よく手入れされた庭園が正面玄関前にはあり、後門には森林かと思うほどの広さに木々が聳え立っている。
今の木々は砂糖をふりかけたように、白く染まっており、雪が音を吸収して、静寂さと静謐さを醸し出している。
地面は既に数センチはあるだろう積雪となっており、明日は大雪の元旦となりそうだった。
魔物すらも、この寒さで身を縮めて隠れておとなしくしていると思われる世界だが、違和感があった。
降り積もる雪が、ある地点で舞い上がり吹き飛んでいくのだ。シンシンと降る粉雪が風もないのに、吹き飛ぶ光景は、極めておかしなことだった。
さらによく見れば、粉雪が何もない空間に降り積もるのがわかるだろう。
それは人の形に降り積もっていた。多くの雪が同様に多数の人型に降り積もっていた。
「一太、また反応がある」
「対処できるか?」
「任せておけ」
短いセリフが聞こえてくると、ジジっと音がして空間が滲み、何人もの人間が姿を現す。
その服装は一般的に『忍者服』と呼ばれるものだ。アニメや小説で使い古されたいかにもな忍者服だが、胸や肩には装甲が装着しており、能や狂言で使われる翁のような仮面を皆は付けていた。
魔導鎧『つけ猿』である。『姿隠し』と電子的迷彩システムを搭載しており、ステルスアーマーとしてマナを限りなく抑えて、周囲に感知されないようにと作られた潜入専用の魔導鎧だ。
20人の人間がその場に姿を現し、数名が先頭に立ち、1名が無線機のような大きさの端末を取り出すと、操作を始める。隣に立つ男が巻物を懐から取り出すと、ハラリと開いて術を詠唱していく。
程なくして、パチリと乾いた破裂音がして、木々の合間に取り付けられていた魔法感知付き監視カメラが火花を散らして、動きを止めた。
合わせるように煙が木の枝からたちのぼり、焦げたような臭いが広がる。
「片付けた。問題ない」
「よし、進むぞ」
振り向いて報告を聞いて、一太と呼ばれた隊長格は小さく頷くと手を振って、周りへと合図を出して歩き始めた。
不思議なことに、粉雪が降り積もった柔らかい積雪には、男たちの足跡は残らない。よくよく見ると、男たちの足は地面から数センチ浮いていた。
『浮遊』の魔法が付与されているのだ。しかも男たちのはただの『浮遊』の魔法ではなく、改造されている。浮くのではなく、空間に足場を作ることで身体能力に合わせた速度を出せるため、『浮遊』の弱点である速度の遅さをカバーしていた。
明らかに普通の装備ではない。警備が見つければ、不審者として警告の叫びをあげるのは確実である。
「まただ。今度は『侵入感知』の符だけだな」
斥候として警戒していた先頭の男がため息混じりに報告をしてくるので、一太は苛立ちを隠さずに舌打ちする。
「何枚目の符だ。多すぎるぞ」
「36家門の鷹野家だ。用心深いのも当たり前だろう?」
「鷹野家は風使いだ。陰陽師ではないんだぞ。普通、ここまで符を使った警備をするか?」
符を対処するべく、またもや巻物を取り出して、印を組み破壊しようとする部下を横目に見ながら、呆れたように言葉を吐く。
「外部から陰陽師でも雇ったんだろうよ。それだけ俺たちのような暗殺者が多いということだ」
男たちは、古来から情報や暗殺、破壊工作を行う忍びの組織『拓猿』の一人であった。一太と呼ばれた者は、この部隊を統率する上忍である。
鷹野家の人間を残らず暗殺するべく侵入していた。
「何人雇ったっていうんだ、ああ? これでもう5枚目だぞ!」
当たり前のように言う部下に、小さく鋭く怒りを示す。大声をあげはしないが、陰陽術の基礎も知らないのかと、叱りつける。
「機械式の『魔法感知』の魔導具と違い、『感知式』の符は術者が管理しているんだ。この広大な敷地全体に今のような間隔で符を多数仕掛けているなら、一人や二人の陰陽師じゃないぞ。数十人の陰陽師がいるということになるんだぞ?」
「……そういうことか。下手をすれば屋敷ではダース単位で陰陽師が出迎えてくれるということになる………洒落にならないな」
部下は符を持った陰陽師たちが、ずらりと並んで自分たちを出迎えてくれるシーンを想像したのだろう。苦々しい顔になった。
「現実的でもない。そこまで多くの陰陽師を抱え込んでいるなら、依頼時に告げられているはずだし、依頼前に事前調査をした仲間も気づいただろう」
「ブラフじゃないか? あの符はよく似た偽物で、なんの力もないとか」
楽観的な答えをする部下へと、ふざけるなとばかりに顔を近づけて睨みつける。
「ブラフの『侵入感知』にあれだけのマナを喰って『魔法解除』を使うのか? 俺の部下はそれだけ無能なのか?」
ようやく符を破壊して、ふらつく部下へと指差す。予想を超えた符の設置により、かなりのマナを消耗している。
「どれも本物のようだな………」
「ようだな、ではない。このペースならあと数枚符が同じように設置されていたら途中で力尽きる」
『魔法解除』が使用できる部下はあいつだけなのである。そのことに危機感を覚えてしまう。
「なら、断るか? 依頼キャンセルだ」
「できると思うか? 前払いで相場を遥かに超えた金を受け取っているらしい。前払いでだぞ? 成功報酬はまた別に用意されているんだ」
しかも依頼者は不明だと、一太は内心で毒づく。依頼者がわかっていれば、取る手段が尽きたら、この依頼を使い脅す方法もある。
しかし、それは暗殺業を営む『拓猿』には致命的だ。評判は地に落ち、二度と貴族から依頼はくるまい。
報酬の大きさから、穏便にこの依頼をキャンセルすることはできない。そもそも依頼者は何人もの人間を介して依頼してきており、誰が依頼者なのか調査をしてもわからなかったのだ。
鷹野家の人間を皆殺しにするほか、手段はなかった。
「………ターゲットは、別の場所に暮らす鷹野風道以外だろう? マナが尽きる前に、強引に突入して殺害するか? 通信は『雑音』で妨害すれば良い。短時間でこの仕事を片付ける」
「目撃者は全て殺してか………」
それも手段としては良いかもしれない。息を吐き落ち着きを取り戻して、一太は思案する。
前情報通りならば、警備の護衛全員と戦っても、ターゲットは殺せるだろう。魔法使いではなく、一般人の夫婦に、回復魔法使いの少女だ。苦労はするまい。
しかし、嫌な予感がするのだ。今までの暗殺の経験から、一太は嫌な予感を振り切ることはできなかった。
さりとて、とれる手段も限られている。『侵入感知』の符を解除していくのに時間をかけた上に、途中でマナが尽きて部下が使い物にならなくなる状況を想像すると、無理をするしかないのだろうと、渋々ながら結論を出した。
「よし。『雑音』を使用しろ。すぐに魔法が使われたことに気づくだろうが、混乱している間にターゲットを殺す」
暗殺の手段としては、下の下だが仕方あるまいと指示を出そうとした。
「もう気づかれているとは、考えもしないのでござるな」
「!」
しかし、木々の合間から聞こえてきた男の声に、驚き振り向く。
誰何はしない。誰だと叫ぶほど、間抜けではない。
指示を待たずに、部下たちは素早く散開して、それぞれの武器を抜く。
十字手裏剣を持った数人の部下たちが、声の聞こえてきた場所へと投擲する。粉雪が飛んでいく手裏剣により弾かれて、声の下へと向かったが、キキンと金属音がしたと思うと、金属製の手裏剣は真っ二つに斬られて雪が降り積もる地面へと落ちていった。
「いつの時代も、忍者のやり口というのは変わらないのでござるな」
圧力を感じるほどの鋭い眼光を持った男が木の陰から現れる。この寒空の中でも着流しを着ており、手には刀を持っている。
武士かと、一太は姿格好を観察して判断を下す。着流しは筆による文字が描かれており、強力な魔法付与がされているのだろう。恐らくは魔導鎧に匹敵する装備だ。
刀も名刀なのであろう。一目見るだけで国宝レベルのマナを宿しているのがわかる。
凄腕の武士が警備していたのだ。
「さて、お主らは捕縛する。抵抗は無意味だ、武器を捨てて降伏するでござるよ」
峰打ちにするつもりなのだろう。刀身は反対に構えている。
一太は、もちろん降伏するつもりなどない。それに捕縛しようと考える男に対して、甘い考えだと内心で嘲笑う。
「殺れ」
その一言で、二人の部下が地を蹴り、離れた間合いを一瞬で詰めていき、忍者刀を持ち斬りかかる。
『双龍』
練度の高い二人は、左右から同時に袈裟斬りに振り下ろし、男の脇を通り過ぎた。マナを宿した武技だ。振り下ろす刀には、龍の形をしたオーラが振り下ろした軌跡を走り、その強力な一撃は『魔法障壁』が展開されても貫通し、男を寸断するはずだった。
しかし、二人はよろよろと身体をよろめかせて、地へと崩れ落ちた。男が振るったであろう剣撃はまったく視認できなかった。
いつの間にか刀を振り抜いており、ヒュンと風斬り音を鳴らすと、男は平然とした表情で鞘に納める。
「何っ!」
何故だと驚愕し、男を睨む。『つけ猿』は潜入用なので、『魔法障壁』の出力は小さい。しかし展開はするし、武技も使用していない攻撃を防げないなどということはない。しかも相手は刃を向けずに構えているのだ。
「拙者の名は山手ガモン。おとなしく捕まる気になったでござるか?」
尋常ではない凄腕だと理解する。なぜこのような男が護衛などをしているのかとの、疑問も浮かぶ。
しかし、一太は決闘をする魔法使いではなく、影から影へと歩き渡る忍びだ。
「任せたぞ」
この男が鷹野家の切り札であろうと考えて、部下に指示を出す。
5人の部下が身構える中で、男を相手にせずに、一太は屋敷へと向けて駆け出す。いかに凄腕であろうとも搦手を得意とする忍者は、時間稼ぎぐらいは容易にできる。
「バカめ! 最高の護衛は自身の傍に置くものだ!」
もはや見つかったのであれば、とれる手段は一つだ。それに切り札を確認できたのであれば、もう後は雑魚ばかりであろう。
『雑音』を使うように指示を出し、木々を駆け抜けて、一太は目標へと歪んだ笑みを浮かべて向かうのであった。




